韓国映画を楽しむ

といっても、別に今日韓国映画を見てきたというわけではありません。実を言うと、「シルミド」をみようと映画館に行ったのですが、レディース・デーで行列ができていたのでそのまま帰ってきました。(^^;)

今日の「毎日」夕刊の記事によれば、「冬のソナタ」のおかげでNHKは昨年度だけでDVD、ビデオ関連で25億円、その他の関連グッズなどで10億円、合わせて35億円の売り上げをあげたそうです。ファン10万人とすると、1人3万5000円のお買いあげ……、ほんとにご苦労さまです。日本での「冬ソナ」人気のおかげで、いまや韓国でも「ヨン様」という言葉が市民権を得たとか。ただただ驚き入るばかりです。

ところで、昨日のNHK教育のハングル講座で、映画「シルミド」の主演であるアン・ソンギホ・ジュノが、映画のもとになった「シルミド」事件(1971年)について語っていましたが、その内容が非常に印象的でした。

1952年生まれのアン・ソンギは、当時、最初は武装したゲリラだといっていたのが後からは正体不明の集団だとなったとき、「何となくわかったんです。あ、これは内部の問題なんだと」と語っていました。もちろん当時彼もそれ以上は分からなかったと言いますが、わずかそれだけのニュースから政権内部で“何かが起こった”と直感する、いや直感せざるを得ない、そういう時代だったということです。

他方、1964年生まれのソル・ギョングは、当時幼すぎて事件は知らないが、「裏山に落ちていた北のビラを警察に届ければ、鉛筆が1本もらえた。そんな時代だった」と話していました。また、10年前に事件について初めて知ったときに、「心の中では、絶対にこの映画は撮れない」、でも「無条件でやりたかった」と思ったとも語っていました。(2人の発言は、「NHKハングル講座」8月号から)

日本の韓国映画ブームに関連して、たんなる韓国ブームに終わらせるのではなく“日本と韓国の歴史についても知って欲しい”ということが言われます。僕は、それに反対するわけではありませんが、そのとき、1945年までの歴史だけでなく、1945年後の韓国の歴史もよく知る必要があると思っています。日本と韓国の関係は、1945年で切れる訳ではなく、戦後の韓国の独裁政権と日本政府がどういう関係にあったのか、じつはそうした独裁政権が日本の植民地時代の親日勢力によってつくられたという問題もあります。韓国について、しばしば取り上げられる「反日」という問題でも、日本の歴代政権や保守政治家たちの発言という問題とともに、独裁政権の「正当化」調達のための道具とされたという側面もあったことを見なければなりません。また日本人には意外かもしれませんが、独裁政権に反対してたたかっていた人たちにとって日本は近い存在だったということもあります。学生運動で韓国に居づらくなって日本に留学してきたという人もいます。独裁政権下で禁止されていた左翼文献――たとえば『資本論』や『共産党宣言』など――も、ヨーロッパとともに、日本から持ち込まれたということもあります。そういう“身近さ”を、僕たち日本人自身がもっとよく知るべきでしょう。

さらには、「シルミド」事件のような独裁政権下の事件を映画にできるほどに韓国社会が大きく変化していることにも、僕たちはもっと思いを届かせるべきだろうと思うのです。

そう思うと、以前買って、ぱらぱらとめくっただけで積ん読になっていた池明観(チ・ミョングァン)元翰林大学校日本学研究所長の『韓国と韓国人』(発行・アドニス書房、発売・河出書房新社)をもう一度引っ張り出して読み直してみました。池明観氏は、1972年に来日し、1973年から『世界』にT・K生の筆名で「韓国からの通信」(その後、岩波新書で逐次刊行)を執筆してきたことを、昨年7月、明らかにされました(「朝日」7月26日付、『世界』2003年9月号)。

当時は、KCIA(韓国中央情報部)による金大中氏の拉致・殺害未遂事件(1973年8月)が起こるというような状況で、T・K生が池明観氏であることは厳重に秘匿されました。僕はまだ高校生でしたが、同書を通じて、維新革命(1972年)後の朴正熙独裁政権下の韓国の厳しい“現実”を思い浮かべたりしていました。池明観氏の本については、あらためて書きたいと思いますが、日本が悪いとか韓国が悪いとかいう次元を超えて、どうやって日本、韓国・北朝鮮、中国の北東アジア共同体をつくるかという、深く、大きな思想の“生きた姿”を見るようで、思わず目頭が熱くなります。池明観氏には『韓国―民主化への道』(岩波新書、1995年)という本もあり、韓国を知るためには必読の書だと思います。

ところで、映画「シルミド」では、特殊部隊が抹殺されることになったのは、政権が南北融和に向かったからとされています。たしかに、当時そういう「融和」の動きがあったことは事実ですが、しかしそれは、朴正熙政権が本当に南北融和に向かったということではなく、それは北も同様でした。実際には、南北とも「南北融和」を掲げつつ、自らの政権の絶対化・独裁化を強めた時期だったのです(それが、1972年の維新革命につながる)。この映画を見るときには、ぜひそういう韓国の歴史についても認識を広げてほしいと思います。

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