コバケン&日フィル/マーラー交響曲第1番

今日は、日フィル第567回定期演奏会でサントリーホールへ。プログラムは、

  • シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
  • マーラー:交響曲第1番 ニ長調 “巨人”

指揮は小林研一郎・日フィル音楽監督、ピアノは伊藤恵さん。

マーラーの交響曲は好きで良く聞くのですが、その中で唯一、苦手というか興味がわかないというか、それが第1番でした。あまりに標題音楽すぎて、「自然のように」とか「カッコーの鳴き声のように」とか、音楽が具象的すぎるのが馴染めないという感じでした。

しかし、今日の演奏を聴いて、すっかりそのイメージが変わってしまいました。最初から、物凄いエネルギーをわずかなAの音の中に集中させて、音楽がすすんでいきます。希望をいえば、もう少し弦がきれいに揃ってほしかったという部分もありますが、そういう“細かいこと”は問題にならない「熱演」でした。

コバケンさんが振ると、日フィルは、ほんとに音が違って聞こえてくるから不思議です。指揮台の上で、コバケンさんは、文字通り全身を使って、全霊を込めて振っています。指揮棒の先といわず、指の先といわず、びびびび…っとエネルギーが迸り出ているるような感じ? 強い意志で1時間弱の大曲の全体を自分に従わせていきながら、オケにたいしてはあくまで低姿勢(というのも妙な表現ですが)、けっして音楽をねじ伏せるという感じがしません。そして、この演奏を通じて、日フィルの演奏活動の歴史に新しい境地をきりひらくんだ(?)というような、たった1回の演奏会だって疎かにしない、コバケンさんの“情熱”が伝わってきました。

演奏が終わった後も、オケのメンバーを1人ひとり立たせては拍手を送り、結局、全部のパートのメンバーを立たせて拍手することになりました。お客さんは5分ぐらいは拍手させられたかな? でも、それがけっして押しつけにならないところがコバケン&日フィルの素晴らしいところ。(^^;)

1曲目のシューマン:ピアノ協奏曲は、プログラムノーツによれば、ピアノの独奏とオーケストラを「色彩的に同化させる」のにシューマンは苦心したとのこと。第3楽章を聞いていて、それが分かったように思いました。

ところで、日フィルのホームページに、小林研一郎音楽監督を囲んで 2005年新春座談会?基本を大切に積み重ねて、50周年へのステップにがアップされています。
これを読むと、コバケンさんは、のっけから以下のように書かれています。今日の演奏会にも、そうした姿勢が現われていたと納得した次第です。

しかし僕たちのどこかに慢心があったり、精進を怠ったりはしていないだろうか。自分たちの心が緩んでしまったり、日本フィルを愛する人々の心を大切にせずにいないだろうか。自分たちの最高の音楽を作るんだという、音楽を大切にする気持ちが、経済的要因とか、メンタルな面など、他の様々な要因によって妨げられないよう、僕たちは精神面でも自分に打ち克っていかなければならないと思っています。

作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

3件のコメント

  1. ワタシのサイトにコメントをどうも有難う御座いました。
    GAKUさんのプロフを拝見して あらら。キイワード(ちょっと覚えているだけでビル・エヴァンスだとかフェルメールだとか)がかぶるゾ
    と思いました。
    わ?い。と(笑)
    同じ日にサントリーホールでご一緒でした。
    あのコントラバスはよかったですねえ

    う?ん。参考にならないかなワタシの記事ではと躊躇しながらのTBです。

  2. ピンバック: 覚え書き

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