今週の「九条の会」(11月27日まで)

今週の「九条の会」関連の各地のニュースです。インターネットを流れるニュースの中から拾ってみました。

矢巾で九条の会結成 護憲へ心一つ

 矢巾町の有志による矢巾九条の会結成総会は23日、矢巾町南矢幅の町公民館で開かれ、参加した約90人が海外での武力行使の歯止めとなってきた憲法九条を堅持しようと心を一つにした。
 同町在住のストリートミュージシャン木原萩乃さんのミニコンサートに続き、発起人を代表し、小山富男県中国帰国者通訳奉仕会会長があいさつした。
 記念講演では、矢巾町の不動小に通ったことがある東北大名誉教授の憲法学者小田中聡樹さんが「平和憲法こそ人類を戦争と破滅から救う希望の道」と強調した。
 総会では平和憲法・九条をまもる岩手の会と連動した署名活動や、ステッカーによるアピール、少人数の集い開催により、賛同者を増やす計画案などを承認し町民アピールを採択した。[岩手日報 2005/11/24]

憲法9条守り平和に生かす

 憲法9条を守って平和に生かそうと、美濃市の市商工会議所で22日、「九条の会・美濃」の結成の集いが開かれた。
 同市内の僧侶や元教員らが賛同者を募った。記念の講演で、「岐阜・九条の会」代表世話人の吉田千秋・岐阜大教授は、自民党の新憲法草案について「武力行使も集団的自衛権も認められ、予算や教育などもすべて『自衛軍』に向けられる」と指摘した。
 今後は勉強会や署名活動などをするという。問い合わせは事務局の渡辺道郎さんへ。(asahi.com マイタウン岐阜 200511/24)

9条の会:平和憲法を守ろう! 田辺で結成総会――27日/和歌山
◇小田実さんの記念講演も

 憲法9条を守る市民の輪を広げようと、「田辺・9条の会」の結成総会が27日、田辺市新屋敷町の紀南文化会館である。作家、小田実さんが「今、この頃(ごろ)考えること」と題して2時間、記念講演する。入場無料。
 田辺・9条の会は、市内の教育者、弁護士、主婦、宗教家、医師ら49人が呼びかけ人となり、8月から役員会を重ねてきた。総会は結成準備会が主催する。
 27日の総会は午後1時半から。「憲法9条を守り、平和を求めようとする個人の集まりである」「主として田辺地域を中心として、会の目的を達成するためのあらゆる活動を行う」などの会則案を採決する。
 講演は午後2時から。講師の小田さんは1960年の著作「何でも見てやろう」がベストセラーになり、「HIROSHIMA」「随論・日本人の精神」など多数の小説、評論を執筆している。ベトナム反戦運動、阪神大震災被災者支援運動で中心的役割を務め、ノーベル賞作家の大江健三郎さんらと「9条の会」を結成し、既存の憲法の順守を訴えている。
 田辺・9条の会の賛同金は1口100円で、事務局では「できれば10口以上を」と呼びかけている。カンパも受け付ける。郵便振替で。問い合わせは事務局の寺井さん。【吉野茂毅】[毎日新聞 11月22日17時10分更新]

ペシャワールの会が語る「丸腰の強さ」 [JANJAN 2005/11/22]

 「九条の会徳島」が11月3日に発足しました。約1000人が参加した「結成のつどい」(主催=「九条の会徳島」結成準備会)が徳島文化センターで行われました。参加者の中、こうした政治集会では顔を合わせたことのない人をたくさん見かけました。
 九条の会徳島は、故三木武夫元首相夫人・睦子さんや県内の前知事、保険医協会理事長、弁護士、大学教授、文化人ら28名の呼び掛け人と400人を超える世話人がいるそうです。会の幹事団には、労働組合では連合系と全労連系の関係者が、県議では民主系、県民ネット、共産党の3会派の関係者が入っています。職業・立場が異なる人々が「9条」というつながりを持っています。結成の集いで「競合する」2つの生協代表が隣同士で並んでいたのも象徴的です。
 「結成のつどい」では、パキスタンとアフガニスタンで医療活動をしている日本のNGO「ペシャワールの会」事務局長代理・福元満治さんが、「国際貢献と憲法第9条」と題した講演を行いました。
 医師・中村哲さんが1984年にパキスタンのペシャワールに赴任したことをきっかけに、「ペシャワールの会」が立ち上げました。以来、20年にわたりハンセン病コントロール計画を柱にした活動を行い、貧民層の治療に携ってきました。1986年からはアフガン難民のための事業を開始、アフガン北東部の3カ所の診療所を中心に、山岳無医村での医療活動を続けています。2000年より、大かんばつに見舞われたアフガニスタンでの水源確保のため、潅漑事業を継続して行っています。
 福元さんは、今年3月と5月の2回アフガニスタン入り、地元の実情を見てきました。講演の中で、福元さんはペシャワールの会の経験から、海外援助事業における「丸腰の強さ」について話しました。以下、印象に残った話を紹介します。
 ◇
 ―象徴的な出来事―
 ペシャワールの会が作業している用水路に並行して、トルコの団体が米軍の軍用道路をつくっている。兵隊に守られながら工事をしているが、知っている限り、二度攻撃されて三人が殺された。丸腰の強さを現地にいると痛感している。
 ―アフガンの人は親日的だったが・・・・・・―
 憲法九条じたいを知らなくても、日本はかつてこの国を攻撃していないことやヒロシマ・ナガサキをよく知っており、そこから復興したことも知っているからだ。われわれも作業トラックに日の丸を書いて、安全に作業して来た。ところが自衛隊のインド洋派遣いらい、米軍と同じとみなされて攻撃されかねなくなったので、トラックの日の丸を消して作業するようにした。
 ―軍事によらないからこそ―
 ペシャワールの会は医療活動からはじめたのだが、きれいな水があれば、抗生物質もそれだけ必要でなくなると気づき、井戸掘りや用水路づくりをするようになった。井戸は1500本できた。
 用水路は江戸時代の工法でやっている。これならいまの工事も将来の維持補修もアフガン人じしんがやれるからだ。1,000人を雇用した。1,000人にはそれぞれ約10人の家族がいるので1万人の生活が支えられることになる。全長14kmの灌漑用水路が完成すれば約10万人の暮らしがたってゆく。もしこの雇用がなければ、人々は軍閥や米軍の傭兵になるか、難民になるしかなく、治安の不安定化につながる。
 ―丸腰の安全保障―
 このような事業が日本人への信頼につながり、軍事によらない日本人の、いわば丸腰の安全保障になっているのではないか。
(こんどうひでとし)

[談談] 鳥取短大助教授 浜田章作さん(70)
県レベル「九条の会」設立へ 自民の改憲案は「毒薬」

 ――戦争放棄を定めた憲法9条の存続を求める「九条の会」が、県内で相次いで設立されています。
 2月に境港九条の会が県内で初めて結成され、9月には米子で発足しました。鳥取市や湯梨浜、琴浦、大山、南部各町などでも準備が進んでいます。県レベルでの会設立準備もほぼ作業を終え、発表のタイミングを見計らっています。職場や小学校区単位でも作ろうという機運が盛り上がっている。「静かなる多数派」が動き始めたのでしょう。
 会の原則は9条を守るという一点だけです。牧師、僧侶、主婦、元教師、学生といったさまざまな人が参加して、戦争体験者の聞き取りや憲法の学習をしています。
 ――9条の見直しを求める声が強まっています。
 連合国軍総司令部(GHQ)による「押しつけ憲法」と主張している人もいますが、原爆に象徴される戦争の悲惨さが身にしみていた国民にとって、「もうこりごり」という気持ちが強かった。武力では、争いは解決しないということを一人ひとりがわかったのです。アメリカがイラクやアフガニスタンを武力で抑えつけても、テロはなくならない。戦争に対する原体験は、時代を超えても同じです。99年にオランダ・ハーグであった世界平和市民会議では、戦争行為を禁止する決議を各国政府に呼びかけることを、決めています。海外でも9条の理念が評価されています。
 ――自民党が10月、独自の新憲法草案をまとめ、9条2項の戦力不保持と交戦権を削除して、自衛軍を持つという内容にしました。
 現行憲法の下で、自衛隊に世界トップレベルの費用を投じて、装備も最高水準。集団的自衛権が禁止されているなかで、米軍との一体化も進んでいる。こうした既成事実を積み重ね、無理やり作り出した「現実」と合わないから、憲法を変えようという論理です。まったく議論が逆立ちになっている。
 アメリカは9条の改定を一貫して求めてきている。これこそまさに「押しつけ」の改憲ではないでしょうか。環境権といった新たな人権など口当たりのよいオブラートで包まれた改憲という「毒薬」を飲まされないよう注意しなければいけません。(崔採寿)

 はまだ・しょうさく 境港市出身。東京教育大(現・筑波大)卒業後、山陰放送に入社。民放労連山陰放送労組委員長、同社総務局長などを経て、96年に退職。98年に島根大大学院を修了後、鳥取短大で憲法などを担当。
(asahi.com マイタウン鳥取 11/21)

作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

2件のコメント

  1.  私のが9条を守る会龍ヶ崎の呼びかけ人になった事を義理の母に伝えたら、母から11歳のときの母の戦争体験手記が送られてきました。母は『一人でも多くの人に読んでもらって頂きたい。愛ちゃん頼むね』と東京育ちの「そとなんちゅう」の嫁に思いを託してきたのです。
     沖縄基地では、彼らは本国よりも優雅な暮らしをしています。そんな暮らしをさせてしまったのも「そとなんちゅう」の私たちです。
     沖縄を基地の町にしてしまったのも私たちです。沖縄の人たちが基地がなければ暮らしていけないようにしてしまったのも私たちです。
     ソトナンチュウの皆様知恵を貸してください、力を貸してください。沖縄の人たちが基地が無くても暮して行けるように、知恵を貸してください、力を貸してください。憲法9条が無くなれば、永久に沖縄に平和が戻りません。基地はなくなりません。

  2. 赤嶺愛子様
    コメントありがとうございます。
    戦争と平和については、本当に一人ひとりの心の中にいろんな「思い」があるのだろうと思います。

    僕は戦後生まれで、戦争体験はもちろん、戦後の焼け跡体験さえありません。でも、僕の父親自身は結核のために徴兵猶予だったとはいえ、父と同世代の人たちはたくさん出征し、あるいは戦死し、あるいはシベリアに抑留され、いろんな苦労を重ねられてきました。母は、空襲の中を姉妹一緒に逃げまどった話をしてくれたことがあります。
    母の一番上の兄は、特攻を志願し、訓練中の事故で亡くなったそうです。もちろん僕は会ったこともありません。しかし、その遺影が靖国神社にまつられているというので、母方の叔父は、靖国神社に時々会いに行っているそうです。でもその叔父は、A級戦犯の合祀や首相や政治家が靖国神社に参拝することにはとても強い反発をもっています。

    僕たちより下になると、いよいよそうした「親たちの戦争体験」も聞いたことがない世代になるのかも知れません。それだけに、戦争と平和に対するいろんな人の「思い」を大切に受け継いでいくこと、それがいま何よりも大事になっているのではないかと思っています。
    「9条を守る会龍ヶ崎」の御発展を願っています。

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