高校生への強制は、もともと無理なのです

都立高校への卒業式での「君が代」強制。「東京新聞」の「こちら特報部」によれば、10日にあった都立A高校では、卒業証書を授与された生徒がマイクを握って、こう言ったそうです。

「校長先生と都教委にお願いします。これ以上、先生方をいじめないでいただきたい」

これに、会場からの拍手が20秒近く鳴りやまなかったそうです。在校生に向けた言葉の中で「僕は天皇を人格者として尊敬し、君が代も歌った。だけど、この強制はおかしい」と訴えた卒業生もいたといいます。

別の都立B高校では、君が代はほとんど立って歌ったけれども、それに続く校長あいさつのときに、「起立」の号令に、2年生が、1人を除いて、全員が立たなかったそうです。「君が代」で起立しなければ先生が処分されるということを分かっての行動でしょう。

高校生ともなれば、起立するかどうかは自分で判断できます。「生徒が起立しなければ、先生を処分する」などと言ってみても、そのこと自体を「おかしい」「自分たちの意見を無視している」と思うだけです。

もはや、生徒からも拒絶されるようになった、こんなばかげたやり方は、即刻改められるべきです。

作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

3件のコメント

  1. 国旗・国歌法が制定されたとき「強制はしない」というのが政府の公式な見解だったはずです。しかし、東京都の現状はご覧の通り。
    そんな中で自分たちの主張をしっかり表明した生徒さんがおられたことは、非常に頼もしく、同時に痛ましくもあります。こんな当たり前のことを、勇気を振り絞って言わなければならないことが、そもそもおかしいのだと思います。

    winter-cosmosさんが引いてくださった記事にある、教え子が遭う「ひどい目」とは具体的にどんなことなのでしょうか?内申に響くのでしょうか。世間から非難されるのでしょうか。
    そのどちらもが、民主主義の精神に照らせば不適切なことは明らかなのに、主務大臣がそれを「起きて当然」のように言うことに、何の問題もないのでしょうか。これは「社会的制裁」を盾に取った「行政の恫喝」とうがった解釈をすることも可能な、きわどい発言だと思います(現在進行している監視社会がより高度になれば、卒業式で「君が代」を歌わなかった者、起立しなかった者を特定することも容易になります。現実に「社会的制裁」を加える事が可能になるわけです)。それ以前に、「先生の処分」を盾にした「生徒への恫喝(起立して歌わないと先生が処分されますよ?いいんですか?)」は現実として起こっているわけです。

    司法が違憲立法審査権を事実上放棄したこの国では、本来「思想、良心の自由」を定めた憲法第19条に反するこれらの措置がこうも堂々と行われてしまいます。憲法が空洞化してしまったのは基本的に立法、行政の責任(もちろん彼らを選任してしまった国民の責任でもあります)ですが、それを違法といえない司法やマスメディアが情けなく思えます。

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