よく分かりませんでした… エルンスト・バルラハ展

エルンスト・バルラハ展(図録)

昨日のケーテ・コルヴィッツ展に続けて、今日は、上野へ行って、エルンスト・バルラハ展を見てきました。

エルンスト・バルラハは、1870年生まれのドイツ人の彫刻家。いわゆるドイツ表現主義の代表的作家です。しかし、結論からいうと、ドイツ表現主義って何?という感じで、よく分かりませんでした。(^_^;)

というのも、今回の展示作品の大部分は、個人的な作品というか、非常に宗教的な作品で、1920年代後半になってつくられるようになった、第1次世界大戦の犠牲者の追悼碑的な作品は4点のみで、なぜ、どういうきっかけでバルラハが、このような反戦的、厭戦的なモニュメントをつくるようになったのかという、一番肝心な問題が分からなかったからです。もちろん、これら犠牲者追悼碑の諸作品から伝わってくるものは圧倒的なのですが、それだけに、なぜバルラハがこのような作品の作成にすすんでいったのかを知りたかったというのが正直な感想です。

「恐怖」(1923年)

それに比べると、それ以前の作品のテーマ性は、分かりやすい。かならずしもキリスト教ではないけれども、宗教的な心情というものを中心とした作品だからです。彫像のほとんどが、頭からすっぽり法衣のような服やマントをかぶった服装でつくられていて、「恐怖」(1923年、右)と題された作品でも、何に恐怖しているかは造形されておらず、その「恐怖」は非常に抽象的です。ケーテ・コルヴィッツの作品が、貧困や死に襲われた子どもと悲嘆に暮れる母親という具体的な「恐怖」を描いているのとは対照的。造形的技法は、確かに斬新だったのかも知れないけれど、内容的にはどうなんでしょう…。

ということで、何度か展示の最初へ戻って見直してみたのですが、結局、最後まで分かりませんでした。

「横たわる農夫」(1908年)

僕にとって一番分かりやすかったのは、1906年のロシア旅行をきっかけとした一連の作品(「ロシアの物乞い女II」「盲目の物乞い」など)。しかも、「盲目の物乞い」や「横たわる農夫」(1908年、左)などは、陶器という素材の持つ鋭角的でツルンとした感触が、質感の点でもブロンズや木像などと違っていて面白く感じられました。

エルンスト・バルラハ展(東京芸術大学大学美術館)

【美術展情報】名称:ドイツ表現主義の彫刻家――エルンスト・バルラハ/会期:2006年4月12日?5月28日/会場:東京芸術大学大学美術館/主催:東京芸術大学、朝日新聞社/後援:ドイツ連邦共和国大使館、東京ドイツ文化センター

「ギュストロー戦没者記念碑の頭部」(1927年)、「マグデブルク戦没者記念碑」(1927年、草稿のみ。マグデブルク大聖堂に設置された1930年頃の写真あり)、「闘う天使」(1928年)、「ハンブルク戦没者記念碑」(1931年)の4点。バルラハの戦没者記念碑としては、このほかに、「ニコライ聖堂戦没者記念碑〈嘆きの聖母〉」(1921年)があります。

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