東条元首相が「靖国合祀は原則戦死」と通達していた

はげしく学び はげしく遊ぶで紹介されていた「西日本新聞」の記事。靖国神社に合祀するのは「戦役勤務に直接起因」して死亡した軍人・軍属に限るとする通達を、東条英機陸軍大臣(当時、首相兼任)が通達していたことを記録した資料が見つかったとのこと。資料を入手したのは、『アジア太平洋戦争』の著者でもある山中亘氏。

この基準を絶対視する必要はまったくないのだけれど、この基準に照らせば、当の東条元首相は合祀の対象にならないことは明らか。これも靖国派の1つの矛盾だと言える。

「靖国合祀は原則戦死」 東条元首相が基準通達 自身、対象外の内容(西日本新聞)

「靖国合祀は原則戦死」 東条元首相が基準通達 自身、対象外の内容
[西日本新聞 2006/08/06朝刊 2006年08月06日00時04分]

第2次世界大戦末期、東条英機首相(兼陸相)=当時=が「戦役勤務に直接起因」して死亡した軍人・軍属に限るとする靖国神社合祀(ごうし)基準を 陸軍秘密文書で通達していたことが5日までに分かった。文書は、靖国への合祀は「戦役事変に際し国家の大事に斃(たお)れたる者に対する神聖無比の恩典」 と位置付け、合祀の上申は「敬虔(けいけん)にして公明なる心情を以(もっ)て」当たるよう厳命。原則として戦地以外での死者は不可としている。元首相自 身の戦中の通達に従えば、戦後の同元首相らA級戦犯は明らかに「合祀の対象外」となる内容だ。
文書は1944年7月15日付で「陸軍大臣東条英機」名で出された「陸密第2953号 靖国神社合祀者調査及上申内則」。原稿用紙29枚分で、原文のカ タカナをひらがなに直して戦後に書き写したとみられる。80年ごろに旧厚生省が廃棄処分にした書類の一部として作家の山中恒氏が古書市で入手した。
防衛庁防衛研究所の史料専門官は「旧陸軍の秘密文書の書式に合致し、内容にも矛盾がない」と原文を写したものにほぼ間違いないとしている。
文書は、戦死者、戦傷死者以外の靖国神社への「特別合祀上申」対象者として(1)戦地でマラリア、コレラなどの流行病で死亡した者(2)戦地で重大な過 失によらず負傷、病気の末に死亡した者(3)戦地以外で戦役に関する特殊の勤務に従事し負傷、病気の末に死亡した者―の3つの要件に限定。「死没の原因が 戦役(事変)勤務に直接起因の有無を仔細(しさい)に審査究明すること」を命じている。
また、文書と同じとじ込みの中にあった同年7月19日付の「陸軍省副官・菅井斌麿(としまろ)」名の秘密文書の写しは「東条通達」を補う形で、上官らの 温情から合祀対象者が拡大傾向にあった当時の事情を「神霊の尊厳を冒すことあらんか實(じつ)に由々しき大事なり」と戒め、基準徹底を詳細に指示してい る。
当時、靖国神社への合祀者選定は陸・海軍省が管轄、霊璽簿(れいじぼ)と呼ばれる合祀者名簿を天皇が承認する形式だった。

■東条元首相らしい文書 落合厚志・防衛研究所図書館史料専門官の話

旧陸軍の秘密文書の書式と合致しており、内容にも矛盾は感じない。東条元首相は部下の作成した文案にも細かく手を入れる人で、戦病死に該当する病名を詳細に列挙している点などからは「東条さんらしい」という印象も受ける。
原文を写し取ったものにほぼ間違いないと思う。旧陸軍の秘密文書は重要度順に「機密」「極秘」「秘密」に分類されるが、大本営にあったものはいずれも、 ポツダム宣言受諾後の3日間で、ほぼすべて焼却された。残ったものは復員した人が持ち帰ったり、没収した米国から返還されたものなど、ごく一部。この文書 の原文も防衛庁にはない。

作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

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