産経新聞、従軍慰安婦への軍関与を裏づける

産経新聞が、第二次世界大戦中に作成された米陸軍の資料として、従軍慰安婦の管理・運営に日本軍が関与していたことを裏づける資料を報道しています。

慰安婦「契約の下で雇用」 米陸軍報告書、大戦時に作成(産経新聞)

慰安婦「契約の下で雇用」 米陸軍報告書、大戦時に作成
[Sankei WEB 2007/05/18 03:34]

 【ワシントン=古森義久】日本軍の慰安婦に関して戦時中に調査に当たった米国陸軍の報告書に女性たちは民間業者に「一定の契約条件の下に雇用されていた」と明記されていることが判明した。同報告書は「日本軍による女性の組織的な強制徴用」という現在の米側一部の非難とはまったく異なる当時の認識を明示した。
 「前線地区での日本軍売春宿」と題された同報告書は米陸軍戦争情報局心理戦争班により第二次大戦中の1944年9月に作成され、米軍の「南東アジア翻訳尋問センター」の同年11月付の尋問報告に盛りこまれていた。73年に解禁され、近年も日米の一部研究者の間で知られてきた。
 当時の朝鮮のソウルで金銭と引き換えに徴募され、ビルマ北部のミッチナ(当時の日本側呼称ミイトキーナ)地区の「キョウエイ」という名の慰安所で日本軍将兵に性を提供していた朝鮮人女性20人と同慰安所経営者の41歳の日本人男性が米軍の捕虜となった。同報告書はこの男性の尋問を主に作成されたという。同報告書は「すべての『慰安婦』は以下のような契約条件の下に雇用されていた」と明記し、女性たちが基本的には商業ベースで「契約」に基づき、「雇われて」いたという認識を示している。
 同報告書はその契約条件について次のように記していた。
 「個々の慰安婦はその総売り上げの50%を受け取り、無料の移動、食糧、医療を与えられた。移動と医療は軍から供与され、食糧は慰安所経営者が軍の支援を得て、購入していた」
 「経営者たちは衣類、日常必需品、さらにはぜいたく品を法外な値段で慰安婦たちに売りつけ、利益をあげていた」
 「慰安婦の女性がその家族に支払われた金額を利子付きで返済できるようになれば、朝鮮への無料の帰還の便宜を与えられ、自由の身になったとみなされることになっていた。だが戦争の状況のために、このグループの女性はだれも帰国を許されなかった」
 「この日本人が経営した慰安所では女性1人の2カ月の総売り上げは最大1500円、最小300円程度だった。個々の女性は経営者に毎月、最低150円は払わねばならなかった」
 以上のように、この報告書は慰安婦の「雇用」や「契約条件」を明記するとともに、慰安婦だった女性は一定の借金を返せば、自由の身になれるという仕組みも存在したことを記し、「軍の強制徴用」とか「性的奴隷化」とは異なる認識を当時の米軍当局が有していたことを証している。

「移動は軍によって供与された」ということは、ようするに軍が移動したら、それにくっついて慰安所も移動したということでしょう。食料供与も軍の支援を得ていたというのだから、文字どおり「従軍」慰安所ですね、これは。

また、契約にもとづく雇用といっても、借金のかたとして事実上身柄を拘束されていた訳で、とても自由な雇用関係とはいえないでしょう。さらに、この資料は、1944年の時点での業者と女性たちとの関係(しかも、それは業者の側がそう言っていたというだけです)を示すだけで、彼女たちがどのようにして連れてこられたかについては何も語っておらず、強制性がなかった証拠にはなっていません。

むしろ、素直に読めば、軍が、こういう悪辣な業者と一体になって、慰安婦たちを連れまわしていたことを裏づけるものだといえます。

【追記】
調べてみたら、これ以前にも産経新聞は次のような記事を掲載していました。

「民間が慰安婦集め」 米軍調査「日本軍は利益得ず」(産経新聞)

「民間が慰安婦集め」 米軍調査「日本軍は利益得ず」
[Sankei WEB 2007/05/12 03:27]

 【ワシントン=古森義久】戦時の日本軍の慰安婦に関して、日本側の民間業者が慰安婦候補とした女性家族にまず現金を支払って彼女らを取得していたことを示す米陸軍の調査報告書があることがわかった。報告書は、この業者が朝鮮で商業利益を目的に慰安婦の徴募に直接あたっていたことを示し、現在の米側の一部の「日本軍が女性を組織的に強制徴用していた」という主張とは異なる当時の実態を明らかにしている。
 報告書は米国陸軍の戦争情報局心理戦争班により第二次大戦中の1944年9月に作成された。「前線地区での日本軍売春宿」と題され、同年8月にビルマ(現ミャンマー)北部のウェインマウ付近で米軍に拘束された日本人の慰安所経営者(当時41歳)の尋問結果が主に記録されている。
 この経営者は、日本人の妻(同38歳)と朝鮮女性の慰安婦20人とともに米軍に捕まった。この慰安婦の尋問結果をまとめた報告書は別に存在し、日米両国の研究者などの間で参照されてきたが、経営者だけについての報告書は公開の場で論じられることが少なかった。
 報告書によると、経営者は朝鮮のソウルで妻とともに食堂を開き、ある程度の利益を得ていたが、景気が悪くなり、新たに収入を得る機会の追求としてソウルの日本軍司令部に慰安婦を朝鮮からビルマに連れていくことの許可を求めた。この種の提案は朝鮮在住のほかの日本人ビジネスマンたちにも軍から伝えられていたという。
 同経営者の慰安婦集めについては「彼は22人の朝鮮女性に対し個々の性格、外見、年齢による区分で1人あたり300円から1000円の金をまずその家族たちに支払い、取得した。22人の女性は年齢19歳から31歳までで、経営者の占有する資産となった。日本軍は(この取得から)利益は得ていない。ソウルの日本軍司令部は同経営者に対し(ビルマまでの)ほかの日本軍各司令部あてに輸送、配給、医療手当などの必要な援助を与えることを認めた書簡を与えた」と記している。
 このように報告書では、この慰安婦採用の過程については日本軍が「許可」あるいは「提案」したとされ、経営者の女性集めはすべての個々人に現金をまず渡していることが明記され、「日本軍が女性たちを組織的に強制徴用して性的奴隷化した」というような米国議会の決議案の解釈や表現とはまったく異なる事情を伝えている。
 報告書によると、この日本人経営者は妻や22人の朝鮮女性とともに1942年7月10日に釜山を船でたち、台湾、シンガポール経由で同8月20日にビルマの首都ラングーン(現ヤンゴン)に到着した。女性たちはその後、北部のミッチナ(当時の日本側の呼称はミイトキーナ)地区の日本軍歩兵114連隊用の慰安所に送られたという。

この資料は、18日の記事と同じもののようですが、その示すところも、やっぱり同じで、従軍慰安所の設営や管理が日本軍の直接的な関与のもとにおこなわれていたことをあらためて実証するものになっています。

産経新聞は、この資料に「日本軍は(この取得から)利益は得ていない」と書かれていることから、日本軍による強制徴募が否定されたとしていますが、これもまったく浅薄な理解です。

  1. この資料が米軍によって、「前線地区での日本軍売春宿」と書かれていることが示しているように、この経営者の運営する慰安所が、どこから見ても「日本軍売春宿」としかみえないものであったことは明らか。つまり、どこからどうみても「従軍慰安所」だったということです。
  2. ビルマに慰安所を設置することを、軍が許可していること。さらに、この経営者がビルマまで女性たちを「輸送」したり、「慰安所」への「配給、医療手当などの必要な援助を与えることを認めた書簡」を与えた」こと。これらは、「前線地区での日本軍売春宿」の設置・運営が、日本軍の許可・便宜供与なしにはありえなかったことを示すものです。

作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

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