あり方いろいろ 定在、実存、現存

『資本論』第2部の精読は、ようやく第6分冊を読了。

『資本論』を読むときに、ぶつかるのは訳語の問題です。もちろん、ドイツ語と日本語とはまったく別の言語なんだから、ドイツ語の単語と翻訳の日本語を1対1対応させることは不可能なのだから、その場その場に応じて訳せばいい、という考え方もありますが、完璧な1対1対応は無理だが、マルクスが書き分けていることが分かるように、原語にあわせて別々の訳語を当てるべきだという考え方もあります。

そこで、タイトルにつけた「定在」「実存」「現存」、それにたんなる「ある」を含め、存在、あり方を表わす表現の訳し方です。

結論だけ言ってしまえば、新日本訳の場合、ドイツ語と日本語の対応関係は以下のとおり。

名詞 動詞 日本語(新日本版)
Sein sein ある
Dasein da sein 定在(する)
Existenz existieren 実存(する)
 (Vorhandensein) vorhanden 現存(する)

まず個人的な好みを言えば、Existenzを「実存」と訳すのは勘弁してほしい…、という感じです。「資本の実存」などと言われると、資本が「To be or Not to be, that is the question!」といって悩んでいるみたいで、なんだか落ち着きません。

また、Daseinにあてられている「定在」という言葉は、『大辞林』(三省堂CD-ROM版)にも『広辞苑 第4版』(岩波書店CD-ROM版)にも『国語大辞典』(小学館)にも出てきません。同じ原語で「定有」という翻訳もありますが、こちらも国語辞典には出てきません。

このことばは、daが「そこ」で、seinが「ある」。平たく言ってしまえば、「そこにある」という意味です。「定在」というのがそういう意味だというのが分かる人はどれぐらいいるでしょうか。

これにたいしてExistenzは、ヘーゲルが論理学のなかで、同じ存在をDaseinと区別して、認識の深まりとともにとらえた概念です。つまり、Daseinが、目の前に存在しているモノを、そのまま与えられるがままに「そこにあるもの」としてとらえたのにたいし、それを分析し、「あるもの」と「他のもの」、「向自有」と「向他有」、「制限」と「限界」において把握された結果として、同じように目の前に存在してるモノではあっても、その中味が何であるかを分かった上で、そうしたことをあれこれ言わずに、「そこにあるもの」として捉え直したものがExistenzです。同じ存在でもDaseinが、ただそこに与えられているだけであるのにたいし、Existenzと言った場合には、それが媒介されたもの、規定されたもの、ある本質の必然的に現象したもの、ある実体が特定の形態をとったものであることが了解されており、なおかつ、そうした媒介そのものは止揚されたものとして、表面には現われていない、そういう存在を意味します。

そういうことが分かっていれば、Existenzは、「ある」でも「存在」でもよいのです。たとえば、マルクスが「資本の実存形態」と言っている場合、要するに「資本がある」というときの「資本のあり方」を問題にしているのですが、それを言うときに、「資本とはどういうものか」「なぜ資本がそういうあり方をとるのか」という問題がそこにある、あるいはそうしたことはすでに分かっている、という意味が込められている訳です。そこさえ掴んでおけば、「資本の実存形態」などと難しく訳す必要などなく、単純に「資本のあり方」と考えればよいのです。

では、新日本訳で「現存」と訳されているvorhandenはどういう意味かというと、これは、いままさに「目の前にある」「手もとにある」という意味で「ある」ということを意味しています。

たとえば、第17章「剰余価値の流通」には、こんな文章が出てきます。

 Aの場合には、この資本部分は――全部または大部分――生産開始のさいには前貸しされない。それは、利用されうる状態にある必要もないし、現存する必要さえもない。(新日本版『資本論』第6分冊、505ページ)

ここでマルクスは、「固定資本の修理と保全のために必要な追加資本」を問題にしているのですが、5週間で還流する資本Aの場合、修理のための追加資本は剰余価値のなかから支払うことができるので、一番最初に生産を開始するとき、つまり最初に資本を投下するときに、修理費用のための追加資本を用意する必要がないが、それにたいし、還流するのに1年かかる資本Bの場合は、あらかじめ修理のための追加資本を用意しておかなければならない、というようなことを言っています。

ですから、ここでマルクスが言っているのは、資本Aの場合、修理のための追加資本は、あらかじめ準備しておく必要もないし、「目の前に存在する必要さえもない」、と言っているのです。「現存する」という訳からは、そういう意味が伝わりにくいと思いますが。

作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

3件のコメント

  1. 定在と訳された履歴を知りたくて、このページに行きつきました。この記事を読ませていただいて、同じことを考えている人がやっぱりいたのだ!と感激しています。
    地元で資本論ゼミナールをやることになり、その準備を進めています。関連記事も参考にさせていただきます。ありがとうございました。
    メーデー参加お疲れさまです。今年は、留守番です。

  2. 感激、そして安心しました。
    70歳を記念して「資本論」の学習をはじめたものです。
    最初は、「頭が悪いから『資本論』学習は無理のようだ」と思い悩みました。挫折するのが悔しくて、ドイツ語の原書(ディーツ社刊)とドイツ語入門書、それに独和辞典を買い込みました。こうして解読を進めましたところ、「資本論」の日本語各版に、かなり間違いや不十分さが見つかりました。「実存」について全く同感です。むろんGAKU様のように高い認識には至ってませんでしたので、高名な先生方の労作に疑問をもつことへの不安感を、同時に抱いてました。あなたのプログのおかげで自信を持つことができました。有難うございます。
     なお、いずれホームページを開設して、論文「日本語版「資本論」 翻訳上の諸問題」を発表するつもりです。その節は案内しますのでご高覧くださいますようお願い致します。

  3. Kenken Sensei!

    It is really marvelous.

    私は50代半ばの韓国人です。
    先生に勇気をもらっていまから始めます。

    Thank you.
    ご健康をお祈り申し上げます。

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