今週の「九条の会」(11月16日まで)

インターネットを流れるニュースの中から、全国各地の「九条の会」の活動を拾い集めています。今週は、韓国でも「九条の会」が結成されるというニュースがありました(毎日新聞 11/10付)。

「憲法9条守ろう」イベントに1000人
[日刊スポーツ 2007年11月16日22時12分]

 憲法9条を守ろうと、首都圏の大学生らが16日夜、「Peace Night 9」と題したイベントを早稲田大(東京都新宿区)で開き、約1000人が参加した。
 作家の大江健三郎氏らが2004年につくった「九条の会」の呼び掛けで東京、慶応、明治、中央、和光など各大学につくられた「九条の会」の学生らが企画した。
 評論家の加藤周一さんが「老人と学生」とのテーマで講演。最後に「日本のこれからを担う私たちは、主権者として9条の道を選びたい」とするアピールを採択した。
 賛同人としてあいさつした「九条の会」事務局長の小森陽一東大教授は「各地で九条の会がつくられ草の根の運動が広がって以降、九条を変えない方がよいと考える人が増えた」と分析。早稲田大の水島朝穂教授は「9条を守ろうと主張するよりも、『憲法を変えてもよい』と考えている人と憲法の役割について議論してほしい」と訴えた。

川崎市の多摩市民館でたま九条の会が創立一周年の集い
[k-press 2007年11月15日]

 川崎市多摩区の平和団体「たま九条の会」が、創立1周年を記念して11月16日午後6時20分から多摩市民館で記念のつどいを催し、この日んために結成した市民合唱団が平和への祈りを込めて、美しいハーモニーを聴かせる。
 同会は、2004年6月に発足した「九条の会」をきっかけに、自分たちの町でも九条を守る声を上げようと準備が進められ、区内に住むさまざまな市民が呼びかけ人となって結成された。毎月9日を「九条の日」と決め、黄色ものを身につけ「九条を守る。戦争はしない。憲法前文の平和宣言はゆずれない」の意思表明をする行動のほか、講演会、音楽会などイベントを開催している。
 つどいは、和太鼓によるオープニングと基調講演とコンサートの二部構成で、1部は東京大学大学院教授の高橋哲哉さんが 「いま、戦争に反対する?何がおこっているか、どうすればよいのか」を演題に講演。コンサートは、この日のために結成され10月10日から練習を続けてきた「 11.16 たま平和を歌う大合唱団」が、『森は生きている』から「うさぎとリス」「森の夜は暗い」「十二月(じゅうにつき)の歌」「一瞬の今」「雨の音楽」「告別」「花の歌」「ばらを植えよう」「歩く歌」「希望の歌(フィンランディア)」を歌う。また、コンサートには、ミュージカル俳優の佐山陽規さん劇団こんにゃく座の青木美佐子も特別出演する。
 参加は協力券500円。問い合わせはたま九条の会事務局電話044(922)4045または044(922)8639。

韓国九条の会:初めて結成へ 金子・県被団協理事長ら訪韓へ/広島
[毎日新聞 2007年11月10日]

 県被団協の金子一士理事長らは9日、今月17日に韓国で初めて結成される「韓国九条の会」の結成式に出席すると発表した。金子理事長は「機会があれば被爆証言もしたい」と意気込みを語った。
 派遣されるのは金子理事長の他、松本真・県原水協事務局長▽紫垣敏捷・日朝協会県連副会長▽大中伸一・県被爆2・3世の会事務局長の3人。今月15?18日にソウルを訪問する。
 韓国九条の会は、金子理事長らが今年5月にソウル大学で開かれた国際会議に出席した際、韓国の平和統一活動家らと話題になり、韓国内での結成につながったという。朝鮮半島統一時に日本の憲法9条を基本とする平和憲法の制定を目指すという。【吉川雄策】

名護市民投票10年/23日に名護でシンポ
[沖縄タイムス 2007年11月14日(水) 朝刊 24面]

 大学人九条の会沖縄は十三日、一九九七年の名護市民投票で米軍普天間飛行場代替施設の同市辺野古沖への移設反対が過半数を占めた「民意」を再確認し、新基地建設に反対するアピールを発表した。県庁で記者会見した代表の高良鉄美琉大法科大学院教授は「市民投票から十年、沖縄の民意は何かを再確認したい」と訴えた。同会は二十三日、名護市で「民意はどこにあるのか」をテーマにシンポジウムを開く。
 アピールは「沖縄の民意に反する辺野古新基地建設に反対するアピール―名護市民投票から十年を迎えて―」。米軍再編や、自衛隊の海外派遣を可能とする「恒久法」制定の動きなど基地建設につながりかねない国内の現状に、「沖縄の民意は憲法九条の『恒久平和』を志向したもので、自衛隊派兵の『恒久法』や基地の『恒久化』は、沖縄の民意をないがしろにする」としている。
 琉大大学院の高作正博准教授は「十年前の基地を造る問題が、今はどういう基地を造るかに大きく変わっている。市民や国民の民意が問われないまま推移しているのではないか」とした。
 シンポジウムは二十三日午後一時から名護市労働福祉センターで開催。沖国大の照屋寛之教授、高作准教授、沖縄大の宮城公子准教授が選挙と民意などについて報告する。入場料は三百円。

代表に牧師、北海道釧路市の鳥取地域で「九条の会」発足
[クリスチャントゥデイ 2007-11-06]

 平和憲法の象徴ともいえる「憲法9条」を守るための学習や活動を広めるため、北海道釧路市で3日、新しく「釧路市鳥取地域・九条の会」が発足した。同会の代表となる運営委員長には、日本メノナイト鳥取キリスト教会牧師の三本昭氏(同会世話人代表)が選ばれた。地元の釧路新聞が伝えた。
 同紙によれば、三本氏の他11人が世話人となり、約5ヶ月間に渡り同地域周辺の有志を募ったという。これにより、約120人が集まり、会設立に至った。
 「九条の会」は作家の大江健三郎や井上ひさしなど日本の護憲派知識人・文化人によって04年に結成された。同会の呼びかけに応じて、各地、各界で自発的な「九条の会」が結成され、その数は5000以上に上るという。

釧路市鳥取地区にも「九条の会」発足
[釧路新聞 2007年11月04日]

  「戦争の放棄」をうたった憲法9条を守るための学習や活動を広めようと、釧路市鳥取地域・九条の会が3日設立された。代表である運営委員長には世話人代表の三本昭氏(鳥取キリスト教会牧師)を選出した。同会は04年に作家の井上ひさし氏らが全国各地での設立を呼び掛けた「九条の会」の鳥取地域版。三本牧師ら僧侶、元教師、主婦ら11人が世話人となり、主に新釧路川以西地域の有志を募った。準備期間の5カ月の間に約120人が会員となり、総会には30人が参加した。先輩格の釧路九条の会世話人佐藤昌之氏も出席、自らの戦争体験を交えて平和憲法擁護の大切さを訴えた。

講演会:ダグラス・ラミスさんが護憲の講演――あす、相模原/神奈川
[毎日新聞 2007年11月3日]

 「護憲運動の重要性と限界」と題したダグラス・ラミスさんの講演会(さがみ九条の会主催)が4日午後2時から、相模原市の橋本駅前サティビル6階ソレイユさがみである。ラミスさんは米国出身の政治学者で「なぜアメリカはこんなに戦争をするのか」などの著書がある。定員は180人で資料代500円。問い合わせは松井さん。【高橋和夫】

憲法集会:きょう・あす、下京などで/京都
[毎日新聞 2007年11月2日]

 憲法公布61周年の3日午前、大谷ホール(下京区、東本願寺北側)で憲法集会が開かれる。山内敏弘・龍谷大法科大学院教授(憲法学)の講演や真宗大谷派僧侶でシンガーソングライターの鈴木君代さんのミニライブのほか、終了後に京都市役所前まで行進する「憲法ウォーク」もある。
 府内の「九条の会」や労組など48団体と個人80人でつくる実行委員会(委員長、大谷心基・日本バプテスト京都教会牧師)が、「いのち・くらし・平和 いまこそ憲法!」を掲げて主催する。
 山内教授は「平和憲法の真髄」と題し、海上自衛隊のインド洋での給油のための新テロ対策特措法案についても話す。児玉暁洋・真宗大谷派元教学研究所長と、民主、共産、社民、新社会の各党のメッセージもある。
 参加無料で午前9時40分開会。日本バプテスト京都教会内の事務局。

  ◇     ◇

 京都憲法会議と自由法曹団京都支部、憲法を守る婦人の会も、2日午後6時半から、中京区の京都弁護士会館で「憲法記念秋のつどい」を開く。「集団的自衛権とは何か」(岩波新書)などの著書がある豊下楢彦・関西学院大教授(国際政治学)が「テロとの戦いと集団的自衛権」と題して講演。一般500円、学生300円。京都第一法律事務所。【太田裕之】

ネットワーク:つどい/東京
[毎日新聞 2007年11月2日]

☆文化と講演の夕べ「施行60周年輝け憲法9条!」
 7日18時半、北区赤羽南1の13の1、赤羽会館講堂。「九条の会」事務局長で東大教授の小森陽一さんが参院選が終わった後の状況の中どう憲法9条を守るかを語る。戦時中、米軍の施設として使われた所を中央公園や自然観察公園に変えた区民運動を朗読、音楽、映像によって構成した「北区平和の詩(うた)2」の上演。無料。問い合わせは北・九条の会事務局電話3907・2105。

特集ワイド:「9条守ろうおじさん」が行く コツコツ署名集め、声かけ1万人
[毎日新聞 2007年11月1日 東京夕刊]

◇愚痴言う前に自ら動かなきゃ
◇出会い、短歌集に

 「憲法9条を守ろう」と、1人で7600人分もの署名を集めた人がいる。東京都小金井市の蓑輪喜作さん(78)。聞けば山の小学校の用務員を44年務め、今年の春には短歌集「九条署名の一年」(光陽出版社)も出したという。11月3日の憲法公布の日から61年。ふと会ってみたくなった。【太田阿利佐】

 小金井市にある武蔵野公園(23ヘクタール)。公園を流れる野川の岸にはススキが白く光り、ピンクと白のコスモスがたくさん揺れている。ハナミズキはすっかり紅葉して、小さな赤い実をたくさんつけている。
 平日の午後4時ごろ。迷彩柄のズボンに黒いシャツの青年がスケートボードをしていた。
 「声かけてみましょうか」。蓑輪さんはすたすたと歩み寄る。「楽しんでいるところ申し訳ないねぇ。私、9条を守らないかんと署名を集めているんです」
 青年が驚いたように、蓑輪さんを見つめる。
 「ほら、こんなふうにね。あなたみたいな若い人が戦争に持っていかれたら困るから」と署名用紙を見せる。沈黙。
 「いいですよ」。ペンを持つ青年の顔から汗が落ちた。左腕にはタトゥー(入れ墨)がのぞいていた。
 「若者は政治に関心が薄いなんてうそ。署名の半分は若い人ですよ。話しかければ答えてくれる。語りかける人間がいなかっただけでね」
 これまでに声をかけた人はゆうに1万人は超える。どこからそんなパワーが?
 「去年の今ごろまではね、使命感というのがあったんです。頑張らないといけないというね。でも今は、署名集めがただただ楽しくて。行かないと逆に体調が悪いの」
 相好を崩して、蓑輪さんは笑う。なんて笑顔だろう。

   *

 署名を始めたのは05年12月。「9条の会・こがねい」の発足がきっかけだった。近所を一軒一軒訪ねてまわったが、集まったのは3カ月で210だけ。

 希望とはたたかうこととわが思う 今日も出でゆく氷雨の中を
 きちがいとそしられながら廻りゆく 「九条」署名三百を超す

 当時の歌には悲壮感もただよう。06年5月、近所の武蔵野公園や野川公園で遊んだり、バーベキューをする人に声を掛けるようになると、署名数が伸び始めた。「ドアごしじゃなく顔を見て話すのがよかったみたいです」。小泉純一郎元首相が靖国参拝をした8月には急増した。公園に日参し、1年間で3800超を集めた。猛暑の今夏も「帽子の下に水でぬらしたハンカチをのせ」連日歩いた。

 コツコツと署名に歩くわれを見て 越後魂と言う人のいる

   *

 蓑輪さんは新潟県松代町(現十日町市)の、雪が4、5メートルも積もる山村に生まれた。軍国少年で、国民学校高等科を出て、通信兵になるため講習所に行く予定だった。でも雪で郵便が届かず、面接に行けなかった。夏に延びた入所を待つうちに、終戦を迎えた。
 当時、身長1メートル47で少年兵試験に合格できた。友人には少年兵になり、戦死した者もいる。「紙一重で生き残りました」
 終戦の翌年、16歳で母校の用務員に。「教科書に墨を塗る手伝いが最初の仕事。それから教育基本法ができ、憲法ができ、民主主義、自由、平等…… 山の学校にも新しい言葉がたくさんやってきた。食べ物も着る物もなかったけれど、先は明るく、希望がありました。なんでもあるのに希望がない今とは、ちょうど逆でした」
 44回の春夏秋冬を子どもたちと過ごした。雪が降れば休日も正月もなく、雪かき。そのかたわら出稼ぎ労働者の権利を守ろうと農村労働組合も結成した。

 にこやかに署名に応じる青年に 用務員の日の生徒重なる

 「私はもう80歳近いでしょう。『(署名は)私自身のためじゃない。あんたたちがかわいいからやっているんだよ』って話すんです。9条が無くなって日本が戦争を始めたら、戦場に駆り出される若者は『前の戦争経験者はなぜもっと反対してくれなかったのか』と思うでしょう。そう思われたくなくて」
 定年後、体を壊し、豪雪と過疎にやむなく14年前、妻と一緒に息子の住む東京に移ったが、新しい出会いが待っていた。
 署名が1000を超えた時、ある青年に言われた。「おじさん、オレたちのために2000まで頑張ってよ」。就職できないと嘆く青年の話をただただ聞いたこともあれば、「こんなもの」と署名板を取り上げられたこともある。「オレの兄貴は自衛隊員だけど、9条に守られてると思う。兄ちゃんのために頑張ってくれよ」と言われたことも。戦争のことを教えてと家まで訪ねて来る人も増え、いつしか「9条おじさん」と呼ばれていた。

 村捨てし痛み消えねど若者に 「九条」署名出来るしあわせ

   *

 署名を断る人には「3年後、国民投票があったら、こんなじいさんもいたな、と思い出してね」と語る。最近は、改憲に積極的だった安倍晋三前首相が退陣したからそんなに頑張らなくても、と言う人もいる。でも「一時はあんなにたくさんの人が安倍さんを支持していた。油断はできません。それにこの署名は普通の署名とは違う。人生最後の仕事だなぁと思ってやっているんです」。
 最後の仕事……。
 「よく『マスコミが悪い』と言う人がいるでしょう。でもね、私のような人間でもコツコツ積み上げれば、新聞だって取材に来る。あなたみたいにね。愚痴を言う前に自分が動かなきゃ。そう言うと、カッとくる人が多いけれどね」
 一通の手紙を見せてくれた。蓑輪さんの歌集を読んだ大阪の女性からだ。「出歩けない私にもできることはないかと、軒下平和展を始めました」。写真が同封されていた。自宅の塀に小さな看板を出し、たくさんの色紙には見事な字で「なくそう核兵器」などと書いてある。
 「どんな大変なものでも、努力を続けていれば、必ず道は開けてくる。自分なりの哲学ですね、私が生きてきたなりの」

   *

 今後の心配事、それはお天気だ。「土日が雨だと、人の集まりが悪いからね。お天気続きなら、なんとか春には1万に届くように思うんだけれど」
 公園の一角でカメラを向けた。笑顔の後ろの秋空に、いわし雲が広がっていた。

 「九条」とは母と子どもがいつの日も 公園で遊ぶ姿見ること

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◇日本国憲法(1946年11月3日公布、47年5月3日施行)
 第九条 【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

埼玉「おがわ町九条の会」で、元兵士の証言を聴く学習会
[JANJAN 2007/10/30]

 埼玉県・小川町の「おがわ町九条の会」の主催で10月27日(土)、小川町民会館「リリックおがわ」で戦争体験者の話を聴く「学習会」が開かれた。
 当日は2002年に解散した中国帰還者連絡会(中帰連)に所属していた金子安次さんが招かれ、『金子安次さんの戦争?中国戦線の現実』と題して、金子さんが体験を証言した。
 金子さんは1940年12月に現役入隊し5年間の戦争体験の後、シベリアに捕虜として5年間抑留され、更にその後、今度は戦犯として約1000人の仲間と共に中国に引き渡され、6年間「撫順戦犯管理所」に収容された。
 そして、56年の軍事裁判で政府・軍高官の45人を除き「起訴免除」とされ帰国、その翌年に設立された「中国帰還者連絡会」に参加し、02年の解散まで自らの体験や加害の事実を証言しながら反戦平和と日中友好運動を続けて来た。
 入隊の時、金子さんは母親の「コンペイトウ(階級)はいらないから無事帰って来い」との発言に、当時は「何と不甲斐ない母親か」と思っていた。
 山東省で59師団だった金子さんは、初年兵訓練で罪もない農民を柱に縛り付け、中国人を兵士が銃剣で刺し殺す(実的刺突)訓練をさせられた。また、多くの虐殺、略奪、そして、強姦させないと怒った上官に「足を持て」と言われ、一緒にその女性を井戸に投げ込んだこと、その子が母親の後を追って井戸に飛び込み、上官の「苦しまない様に」との指示で、その井戸に手榴弾を投げ込んだ事などを証言した。
 収容された「撫順戦犯管理所」では何の制裁も強制もなく、当時、中国人がコウリャン飯を1日2食しか食べられない時代に、白米を食べさせ肉野菜など十分に与えられた寛大措置を受けた。当初、彼らはこれで「処刑か?」と疑心暗鬼であったが、管理所の待遇や扱いはその後も変わらなかった。
 それは周恩来の指示で、「処刑すれば家族は悲しみ恨むであろう。それでは憎しみの連鎖は切れない。20年後には解る」と死刑も無期も認めなかった。そんな中で、かれらは徐々に「認罪」し鬼から人間に戻って行った。
 帰国直後、近所の友人の母親は16年ぶりに帰国した金子さんを見て、「10年経とうと、20年経とうと、おめーは帰ってきた。おらの倅は死しんじまったよ? 」と泣き崩れ、慰める言葉もなかった。そして、母親は帰宅した金子さんをしばらくの間じっと見つめ、自分の手でそっと金子さんの足を払う仕草をし、「お前はお化けじゃねえだろうな〜」と喜んだという。しかし、その母親は金子さんの帰宅を待っていたかように、その2ヶ月後に亡くなった。
 戦後も中帰連の人たちは公安に付け回され、多くの人が「赤だの、洗脳者だの」と就職ができず、金子さんも自営業で頑張って来た。金子さんが心底反省したのは、帰国後、自分が所帯を持ち「妻や子がどんなに大切なものか」を知り、自分は中国でその家族に何をしたかを振り返った時、心から詫びたという。
 また、金子さんは00年に従軍慰安婦問題を裁いた民間「女性国際戦犯法廷」で加害証言したが、NHKは「実名を出してもいいか?」と電話確認までしながら、証言部分を「カット」して放送した憤りも話した。
 金子さんは同じ「過ち、苦しみ、悲しみ」を繰り返さないために、今でも高齢を押して証言を続けている。

筆者の感想
 この金子さんの体験は決して彼だけの特殊なものではなく、同じ部隊や地域にいた兵士達はほぼ同じ体験をしている。戦争体験は部隊や地域で違い、全ての兵士が同じ体験ではなく、南方の殆どの兵士は「餓死と栄養失調」であるが、それも名誉の「戦死」扱いで靖国に祀るのである。「餓死」がどうして立派で名誉の戦死か。つまり、「靖国」はその責任追及を逃れるために利用されている。
 戦闘と補給は一体であり、その補給が切れ餓死したのでり、イラクでの自衛隊補給活動は共に戦っている事を示す。「補給無くして戦闘無し」である。敵が一番犠牲が少なく狙われるのは「補給」である。あの戦争で一番「死亡率」の高かったのは陸軍兵士でも海軍兵士でもなく、徴用された輸送船とその船員なのである。金子さんは「戦争で一番被害を受けるのは女性である(敵も味方も)」と証言した。(芹沢昇雄)

「憲法フェスタin天神」の開催について
[ネットIB 2007年10月29日 10:07]

 11月3日(土)は、文化の日であると同時に、「日本国憲法公布の日」でもある。憲法論議が国民の間で真に展開されることを願って、11月3日に「九条の会・福岡県連絡会」が、「憲法フェスタin天神」を開催する。
 フェスタは毎年警固公園で行なわれている。過去2回はプロ歌手の出演をメインにしてきたが、今回はアマチュアの団体により、憲法九条を考える、手作りの催しを行なうことをテーマとしている。
 フェスタでは演奏や合唱、バザーの他、九条の会・福岡県連絡会代表世話人の石村善治氏と牧師の木村公一氏による対話も行なわれる。会場が一体となって憲法九条について考える催しとなっている。
 会見で石村氏は、
「地域で憲法九条を守ろうとする動きが大切です」
 と、フェスタ成功への思いを語った。

◆ 憲法フェスタin天神

日  時:11月3日 午後1時?午後4時
場  所:警固公園(福岡市中央区天神)
※入場無料、バザー等有料

問合せ先
【九条の会・福岡連絡会】
事務局:はかた共同法律事務所

作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

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