社会的バリケードを奪取する

不破さんは最新著『マルクスは生きている』の中で、イギリスの10時間労働法に関連して、『資本論』から次のようなマルクスの言葉を紹介しています。

責め苦の蛇(ドイツの革命詩人ハイネの詩からとった言葉――不破)から自分たちの「身を守る」ために、労働者たちは結集し、階級として、1つの国法、1つの強力な社会的バリケードを奪取しなければならない。(第1部第3篇第8章)

これは、新日本新書版『資本論』でいえば第2分冊、525ページ(ヴェルケ版320ページ)にでてくる部分ですが、訳文は、だいぶ分かりやすく改められています。新日本新書版では、この部分の訳文は次のようになっています。

自分たちを悩ます蛇にたいする「防衛」のために、労働者たちは結集し、階級として1つの国法を、資本との自由意志的契約によって自分たちとその同族とを売って死と奴隷状態とにおとしいれることを彼らみずから阻止する強力な社会的防止手段を、奪取しなければならない。

不破さんが「社会的バリケード」と言い換えたのは、下線の部分です。ドイツ語原文で見ると、この部分は次↓のようになっています。

Zum "Schutz" gegen die Schlange ihrer Qualen müssen die Arbeiter ihre Köpfe zusammenrotten und als Klasse ein Staatsgesetz erzwingen, ein übermächtiges gesellschaftliches Hindernis, das sie selbst verhindert, durch freiwilligen Kontrakt mit dem Kapital sich und ihr Geschlecht in Tod und Sklaverei zu verkaufen.

「社会的防止手段」というときの「防止手段」にあたる単語は、Hindernis です。Hindernis は、辞書を引くと、「妨げになるもの、邪魔もの、障害〔物〕;《比》支障、困難;《スポーツ》障害物」(小学館『独和大辞典』)とあります。「妨げる、邪魔する、阻止する」といった意味の動詞 hindern の名詞形です。

ドイツ語には、バリケードという意味の別の単語 Barrikade があります。48年革命当時の「新ライン新聞」でも、たとえば、パリの6月事件を報じた「六月二三日」「六月二四日」など一連の論文にはBarrikade という単語がたくさん登場します。「フランスにおける階級闘争」でも使われています。

ですから、マルクスの時代に Barrikade という単語が存在し、マルクスたちも使っていたことは確かです。それだけに、この部分を「社会的バリケード」と訳したのは、なかなか大胆といえば大胆です。

しかし、マルクス自身が手を入れたフランス語版を調べてみると、この部分は "une barrière infranchissable, un obstacle social"(MEGA II-7, S.256)となっています。江夏さんたちの『フランス語版資本論』(江夏美千穂・上杉聰彦訳、法政大学出版局、1979年)では、「乗り越せない柵、すなわち社会的障害物」(同、311ページ)と訳されています。

この barrière というのは「バリア」と発音し、辞書を調べると「<1>柵、(踏切の)遮断機、<2>障害、障壁」といった意味が出てきます(旺文社『ロワイヤル仏和中辞典』第2版)。そして、 "du même [de l'autre] côté la barrière" という例文が載っていて、「同じ(反対の)陣営に」という意味だと説明されています。つまり、barrière というのは、たんなる障害物という意味だけでなく、敵・味方を隔てるようなバリア、柵という意味があるということが分かります。

昔、子どものころのSFだと、敵から攻撃を受けたらすぐに「バリアを張れ!」というパターンでしたが、あの「バリア」ですね。文字どおり、資本家の攻撃から労働者階級自身を守る「バリア」です。

ちなみに、辞書にはbarrière のすぐ前に、baricade という単語が出ています。こちらは正真正銘の「バリケード」です。

こうやって調べてみると、なるほどこの部分にバリケードという単語は使われていませんが、「社会的バリケード」という翻訳は、実にマルクスの本意にぴったり来る訳文だといえるのではないでしょうか。

【追記】

フランス語には、barricade(バリケード)という名詞のほかに、barricader(バリカーデ)という動詞まであります。意味はもちろん、「バリケードでふさぐ」です。さすが、街頭でバリケードを築いてきた革命的伝統の国ですね。(^_^;)

【追記その2】 2009/06/05

Hidernisを独独辞典で調べてみると、「道を封鎖するもの」「前進を困難あるいは不可能にするもの」「Barriere」と出てきます(Langenscheidt Großwörterbuch Deutsch als Fremdsprache, 2003による)。Barriereは、フランス語のbarrièreと同じで、柵、遮断機、障害、障壁、あるいは馬術競技で馬が飛び越える飛越物のことです。

他方、独独辞典(Langenscheidt, Großwörterbuch Deutsch als Fremdsprach)で Barrikade を引くと Hindernis と出てきます。だから、Hindernis を「バリケード」と訳すのはあながち大胆な意訳ではないかもしれません。

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作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

2件のコメント

  1. マルクスはHIndernisを用いて表現しました。
    ドイツ語にはBarrikadeの語があるのに、用いなかったのです。
    どうしてバリケードが「適訳」と言えるのですか。
    フランス語を引っ張り出してみたり、類語の中にあるからといっても、ドイツ語で書かれた論文の中にドイツ語に存在する語を用いなかったのですよ。
    用いなかった語の訳を、「適訳」だと言い張るセンスは、翻訳の趣旨に背きます。
    翻訳は、なるだけ原作者の表現意図に沿うことを旨とすべきです。

  2. yutaka yabuno様

    マルクスは、ここで労働者がかちとるべき積極的なものとして強調しているのですから、「社会的バリケードを奪取する」というのが、一番その意図に沿った翻訳になると思います。

    なお、その後調べたところでは、三省堂『クラウン独和辞典』(第3版)にはHindernisの訳として「バリケード」と出ていることが分かりました。それでもなお、「翻訳の趣旨に反する」と言われるのであれば、苦情は三省堂にどうぞ。

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