日米「核持ち込み密約」、首相にも知らせず外務次官が管理

今日の「東京新聞」1面と3面に、核兵器の「持ち込み」にかんする日米密約が存在し、それを外務省中枢官僚が代々引き継いで管理していたことが、複数の外務事務次官経験者の証言から明らかになった、という重大なニュースが載っています。これは共同通信が配信したもの。

日米間では、タテマエでは、米軍が日本の領土・領海内に核兵器を持ち込む場合には「事前協議」を申し入れることになっています。そのため、歴代の日本政府は、「事前協議がない以上、核兵器は持ち込まれていない」と答弁してきました。しかし、実際には、1960年の安保改定時に、日米間で、核兵器を搭載した艦船や航空機が日本の港や飛行場を通過・寄航するケースについては、事前協議の対象としない(つまり、米軍は自由に核兵器を持ち込める)旨の「密約」が交わされていました。

これは、日本共産党の不破哲三元議長が、衆議院議員だった2000年3?4月に、初めてアメリカ側資料から「密約」の存在を明らかにして、党首討論や予算委員会の場で政府を追及した問題です。政府は、不破さんの追及にたいして「密約は存在しない」と答弁しましたが、今回の報道でそれがまったくのウソであったことがあらためて確認されたということです。

核持ち込み密約、外務次官ら管理 首相、外相の一部に伝達(共同通信)
次官経験者の証言要旨 核持ち込み日米密約(共同通信)

不破さんは、国会追及のなかで、この「核兵器持ち込み」密約が、1959?60年の安保改定交渉のなかで「討論記録」(レコード・オブ・ディスカッション)の形でまとめられたこと、そして、1963年に当時の池田首相が国会で「私は、核兵器を持った船は、日本には寄港してもらわないということを常に言っております」と答弁したため、アメリカが「日本政府は秘密取り決めを知っているのか?」という疑念をもち、大平・ライシャワー会談がもたれたこと、その会談で大平外相(当時)と「完全な相互理解に達した」こと、などを明らかにしました。

今回の証言では、「(密約の内容を)メモ書きした文書」と、「大平、ライシャワー両氏のやりとりについては自分も聞いており、外務省にはそれを記した内部文書があった」と、2つの内部文書があったと述べられており、不破氏の追及どおりであることが確認できます。

さらに、不破さんが明らかにしたライシャワー駐日米大使の報告には、「われわれの解釈と秘密記録の存在自体が、いずれも大平氏にとっては明らかにニュースだった」と書かれていますが、これは、歴代の首相、外相全員に報告することはせず、「(話していい首相とそうでない首相を)選別していた」とする今回の証言と一致しています。

ちなみにこれまでも、たとえば「東京新聞」2007年11月14日付夕刊は、「核搭載船密約確認迫る 佐藤元首相らに米側 『寄港拒否』で危機感」と題する記事を掲載。アメリカの公文書から、1968年1月に、アレクシス・ジョンソン駐日米大使(当時)が、三木武夫外相との会談で三木氏が「密約を知らないのではないか」と感じ、外務省の牛場信彦次官や東郷文彦アメリカ局長らにたいして、「大きな誤解」を取り除くよう要請したことが明らかになったと報じていました。ここでも、外務省が「選別」していたという今回の証言が裏づけられたことになります。

核持ち込み密約、外務次官ら管理 首相、外相の一部に伝達

[2009/05/31 16:58 共同通信]

 1960年の日米安全保障条約改定に際し、核兵器を積んだ米軍の艦船や航空機の日本立ち寄りを黙認することで合意した「核持ち込み」に関する密約は、外務事務次官ら外務省の中枢官僚が引き継いで管理し、官僚側の判断で橋本龍太郎氏、小渕恵三氏ら一部の首相、外相だけに伝えていたことが31日分かった。
 4人の次官経験者が共同通信に明らかにした。
 政府は一貫して「密約はない」と主張しており、密約が組織的に管理され、一部の首相、外相も認識していたと当事者の次官経験者が認めたのは初めて。政府の長年の説明を覆す事実で、真相の説明が迫られそうだ。
 次官経験者によると、核の「持ち込み(イントロダクション)」について、米側は安保改定時、陸上配備のみに該当し、核を積んだ艦船や航空機が日本の港や飛行場に入る場合は、日米間の「事前協議」が必要な「持ち込み」に相当しないとの解釈を採用。当時の岸信介政権中枢も黙認した。
 しかし改定後に登場した池田勇人内閣は核搭載艦船の寄港も「持ち込み」に当たり、条約で定めた「事前協議」の対象になると国会で答弁した。
 密約がほごになると懸念した当時のライシャワー駐日大使は63年4月、大平正芳外相(後に首相)と会談し「核を積んだ艦船と飛行機の立ち寄りは『持ち込み』でない」との解釈の確認を要求。大平氏は初めて密約の存在を知り、了承した。こうした経緯や解釈は日本語の内部文書に明記され、外務省の北米局と条約局(現国際法局)で管理されてきたという。

次官経験者の証言要旨 核持ち込み日米密約

[2009/05/31 17:32 共同通信]

 核持ち込みの日米密約をめぐる外務事務次官経験者(80?90年代)4人の証言要旨は次の通り。

▽A氏
 一、次官引き継ぎの時に「核に関しては日米間で(非公開の)了解がある」と前任者から聞いて、次の次官に引き継いでいた。これは大秘密だった。
 一、米軍艦船や米軍機に積まれた核は事前協議の対象にならないということは、60年から日米間で了解されている。だから日本政府は国民にうそをついてきた。
 一、(密約の内容を)メモ書きした文書が外務省に存在し、自分はそれを読んだ大平正芳氏が外相だった時に(日米間で)確認したということも秘密の文書に書いてあり、それも読んだことがある
 一、当時の首相や外相に伝えたことはなかった。政治家に話をすると漏えいするから

▽B氏
 一、大平、ライシャワー両氏のやりとりについては自分も聞いており、外務省にはそれを記した内部文書があった。(その時々の)次官はもちろんそれを知っていた。
 一、形式論としては時の首相、外相に必ず報告すべき事項だが、大きな問題なので、せんえつかもしれないが、役人サイドが(密約の内容を話していい首相とそうでない首相を)選別していた

▽C氏
 一、(艦船や航空機に積まれた核が事前協議の対象にならないという米側の解釈を記した)日本側文書が外務省にある。(米国で既に開示され、密約内容を記した英語の「秘密議事録」と)全く一言一句変わらないことが書かれている。
 一、外務省で日米安全保障条約を担当している者は(密約のことを)みんな知っている。(大平、ライシャワー両氏が密約を確認した内容を記した)記録も外務省に残されているはずだ。
 一、小渕恵三氏には彼が首相となる前の外相の時にこのことを伝えた。橋本龍太郎氏にも外務省から伝えている。両首相経験者とも事実関係を知っていた。

▽D氏
 一、条約課長になった時に聞かされた。私自身は首相に(密約の内容を)話すことはなかった。
 一、(国会で事実と違う答弁を続け)何か恥ずかしいなという思いがあった。
 (共同)

実は、不破さんが国会でこの問題を追及した相手は、小渕恵三首相でした。今回の証言では、「小渕恵三氏には彼が首相となる前の外相の時にこのことを伝えた」とされています。小渕氏は、「密約」のことを知っていながら、国民の前で「そのような密約が存在しないことは、歴代の総理、外相が明確に述べており、私も確信をもって、密約でないと、ここで申し上げたい」(2000年3月29日、党首討論)と答弁していたことになります。

当時の不破さんの追及は、不破哲三『日米核密約』(新日本出版社、2000年、本体950円)として出版されていますので、興味のある方はぜひお読みください。

なお、どうして、この時期に、外務事務次官経験者がそろって、こうした事実を証言するつもりになったのか? その背景にどんな政治的な意図があるのか? ということも気になりますが、それは別に考えるべき問題です。小渕、橋本両氏がすでに亡くなり、おそらく歴代の首相、外相で「密約」の存在を知らせた人物が全員物故したので、もうそろそろ公表してもいいだろうという判断が働いた、ということもあると思います。また、自衛隊艦艇がソマリア沖にまで派遣されるような御時世だから、そろそろ公然と「核持ち込み」を認めるように国の方針を変えるべきだ、という意図もあると思います。

そうした政治的な意図は軽視できないものの、しかし、この証言は重大です。

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作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

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