今週の「九条の会」(6月22日まで)

全国各地の草の根で活動する地域の「九条の会」の様子を、インターネットを流れるニュース記事から拾い集めています。日付は新聞掲載日もしくはインターネット配信の日付です。

海自護衛艦入港に怒り 西表上原港

[八重山毎日新聞 2009年6月22日]

 【西表】「西表を基地の島にするな」「西表の平和を崩すな」。21日午前、西表島の上原港に民間のダイビング船で上陸する海上自衛隊に、島内外から集結した平和団体や労組の代表、地域住民ら約30人が怒りの拳を突き上げシュプレヒコールを連呼。横断幕で浮桟橋の出入り口を塞ぎ、自衛隊員の上陸に激しく抗議した。
 今回の海上自衛隊の入港は隊員の休養が目的。護衛艦は上原港沖合で停泊。午前9時前から民間のダイビング船で4回にわたり120?130人が次々に上陸した。
 これに対し憲法を守る八重山連絡協議会(仲山忠亨会長)と、昨日結成された同協議会西表島住民の会(津嘉山彦会長)が午前8時から上原港で「平和な西表に軍隊はいらない」と大書した横断幕を掲げて抗議集会を開き、加盟団体の代表が次々にマイクをにぎり、自衛隊の上原港への入港に反対の声を上げた。
 このうち沖教祖八重山支部の平地ますみ副支部長は「慰霊の日を前に各学校で平和学習をしているなかの入港に大きな怒りを覚える」。いしがき女性9条の会の藤井幸子事務局次長は「黙っていると自衛隊の入港を認めることになる。平和な八重山に軍隊はいらないと大きな声を上げよう」と呼びかけた。
 この後、母艦からボートで港湾内に入った自衛隊に「自衛艦の入港反対」「地域の平和を守るぞ」とシュプレヒコールを浴びせ、午前9時30ごろから民間ダイビング船で入港する私服の自衛隊員に対し、浮桟橋の出入り口を横断幕で塞ぎ、「自衛隊は帰れ」と怒りの声を張り上げながら抗議した。
 自衛隊員は、横断幕の横や下をくぐって上陸。歩いて集落内に入った。
 抗議行動に参加した児玉奈翁一さん(81)は「戦争中は私も参加していたので軍隊がどれだけ非情か骨身にしみている。絶対に反対」。西表西部地区在住の女性は「ここで何もしなかったらこれからどんどん来る」、自衛隊の入港に怒りをあらわにした。 
 住民の会を立ち上げた津嘉山会長は「ヤマネコとカンムリワシとともに平和に豊かに暮らしているこの島に自衛隊はいらない」と話し、町内各島で九条の会を立ち上げ、連絡協議会の一員として活動する考えを示した。
 八重山地区労働組合協議会の前石野裕和副議長は「こういう自然とともに生きてきた住民がいる地域に自衛隊は似合わない。非現実的だ」と話した。

「九条の会広島」設立の集い

[中国新聞 2009/6/22]

 子どもたちのために憲法9条を守ろう―と、広島県内の児童文学作家や読み聞かせ活動に取り組む人たちが「子どもの本・九条の会広島」を結成し、21日、広島市中区のアステールプラザで設立の集いを開いた。「九条の会」呼び掛け人の1人で作家の井上ひさしさんや、広島市出身で安曇野ちひろ美術館(長野県)の竹迫祐子副館長が講演。約1200人が耳を傾けた。
 井上さんは、南極の領有権凍結や核爆発を禁じた南極条約に日本国憲法の精神が生きていると紹介。「そこから南米や東南アジアへ非核兵器地帯条約が広がり、地球上の3分の2は非核地帯になっている」と、憲法9条の力を訴えた。
 「子どもの本・九条の会」設立は昨春の東京に続き2番目。憲法の大切さをどう伝えるか学び合っていく。

イラク:「現状知って」 バグダッド出身・シャキルさん、戦争の真実語る/滋賀

[毎日新聞 2009年6月21日 地方版]

◇市民団体が憲法のつどい

 憲法9条を守ることを訴える市民グループ「こうか9条の会」は20日、湖南市中央1の市中央まちづくりセンターで「こうか・憲法のつどい」を開いた。イラク・バグダッド出身の医師で現在は大阪大大学院で病理学を学ぶモハメッド・ヌーリ・シャキルさん(32)が招かれ、「イラク戦争の真実」と題して講演した。【金志尚】
 シャキルさんはイラク国立サダム大(現ナッハレーン大)で医学を学び、医師の道に。06年に来日してからはがん研究に取り組む一方、イラク情勢についても積極的に発言してきた。
 シャキルさんは約70人の参加者を前に米国のブッシュ政権によるイラク戦争を痛烈に批判。「ブッシュ(大統領)はイラクにデモクラシー(democracy=民主主義)を持ってくると言ったが、実際には、全く異なる『D』を持ってきた」と話し、死(death)や難民(displaced people)の増加などを挙げ、「イラクの現状を知ってほしい」と訴えた。
 また、日本国憲法の3大原則の一つである平和主義を規定する憲法9条にも触れ、「残念なことに、日本政府は9条をなくして自衛隊を海外の戦争に参加させようとしている。非暴力で紛争を解決しようと考えなければならない」と主張した。

戦争遺跡に焦点 渥美半島九条の会結成1年

[asahi.com 2009年06月20日 マイタウン愛知]

「地上戦に備えた歴史知って」

 平和憲法を守ろうという市民有志で、昨年つくられた「渥美半島九条の会」が今月、結成1年を迎えた。観光地として知られる地域だが、終戦が遅れれば地上戦もあり得たとされる場所だったという歴史に焦点を当てようとしている。(山本晃一)

 会はこれまで講演会や集会、ニュースの発行などを手がけてきた。1周年の集いは今月14日に田原市内で開いた。渥美半島の戦争遺跡について、元福江高校校長で田原市文化財保護審議会委員などを務める同市和地町の葉山茂生さん(61)が語った。
 葉山さんによると、渥美半島は戦時中、本土決戦を想定し、陣地が設けられるなどした。ただそういった戦争遺跡をめぐっては、県がまとめた「県史」のシリーズの中にも記述があるが、すべて網羅されているわけではないという。
 戦争遺跡の中で特に目立つのは、敵を攻撃するために掘られた壕(ごう)だという。葉山さんの調査では、県史に記載されていない壕が相当数あることがわかった。一方で、雑草が生い茂るなどして存在が分からなくなってきている壕もあり、「きちんとした記録を作らないと歴史に埋もれてしまう恐れがある」と指摘している。
 他にも渥美半島には、使われず廃虚になっている軍事施設のビルなど地元住民でも意外に知られていないものがあるという。また名所で知られる伊良湖岬灯台周辺はかつて、砲弾の試射場があり、そのため、灯台が通常よりも低く、海面近くに設けられたとも言われている。神社などが移転させられた歴史もあるという。
 九条の会結成後も、現場を撮影、記録するなどの活動をしている葉山さん。市民にも情報発信することを考えている。「こうした戦争遺跡の存在は、学校での社会科の授業としても、もっと取り上げられていいのではないか」と話している。
 九条の会は、作家井上ひさしさんらの呼びかけで各地の市民の手でつくられている。全国に現在約7400あるという。渥美半島九条の会の問い合わせは、事務局の安間慎さんへ。

浜松空襲の悲惨さ生々しく 浜松で体験談を語り合う会

[中日新聞 2009年6月16日]

 1945(昭和20)年6月18日は、深夜から明け方にかけて浜松市街が空襲に遭い、1720人が犠牲になった日。悲惨な体験を忘れず、平和の誓いを新たにしようと「浜松の空襲体験を語り合う会」が14日、同市中区の市福祉交流センターであった。 (石川才子)
 年金者組合浜松支部と浜松年金者九条の会が主催。当時、18歳の歩兵で同市の三方原にいた三島市の鈴木緑郎さん(82)と、19歳の通信兵で浜北にいた松崎町の矢谷慶治さん(83)が、時代背景と体験を話した。
 鈴木さんは「翌日から3日間、がれきから焼死体を抱えて運んだ。においが今も鼻に残っている。妊婦もおり、あまりにもむごい。二度とあってはならない」と振り返り、「歴史では不況の後に戦争があり、そうなってはならない」と懸念を示した。
 矢谷さんは「浜松の夜空は、爆撃で真昼のような明るさだった。浜松駅周辺が焼け野原で、見るも無残な焼死体の多さに言葉を失った。今でも姿が目に焼きついており、胸が痛い。凄惨(せいさん)でむごい戦争は再び繰り返してはならない」と訴えた。
 135人の来場者が聴き入り、この日に合わせて「浜松空襲を記録する会」が発行した体験集も110部を完売した。一部300円。問い合わせは同会の池谷友司さんへ。

わたしとおかあさん:「九条の会ゆら」事務局長・池本護さん/和歌山

[毎日新聞 2009年6月10日 地方版]

◇倒れるほど他人のために尽くす――池本護さん(72)

 母幸子(ゆきこ)は05年10月に93歳で他界しました。亡くなる約8年前に軽い脳梗塞(こうそく)で倒れてから寝たきりになりましたが、それまでは「出たきり老人」でした。とにかく人の世話をするのが好きで、家にいることはほとんどなかったです。家の中を掃除するより、困った人のため面倒をみることの方が好きでした。
 母と父は1931年に結婚しました。太平洋戦争激化に伴い、大阪から母の実家がある和歌山市へ疎開しました。戦後は由良町に移り住み、私を含め5男2女をもうけました。子育てが一段落すると母は、地元の民生委員を務めながら障害のある人の介助と介護者の支援を始めました。献血や献眼、献腎など献体推進のボランティア活動にも力を注いでいました。
 仕事で忙しい親御さんから障害児を預かって、家で面倒を見ることもよくありました。おんぶしていて顔を引っかかれたこともありましたが、母は平気な顔をしていましたね。
 家の近くで国道の工事があった時ですが、夏の暑い時期に作業員に冷たいお茶を振る舞ったりして、大変喜ばれていました。すっかり仲良くなって、作業員らの故郷の長崎や熊本などに招待され、家族のような付き合いをしていましたね。
 母が倒れたのは佛教大に入学した直後でした。私も男手一つの介護で大変でしたが、母が通う地元のデイサービスセンターで週2日、ボランティア活動をしました。送迎車の運転や、独り暮らしの老人宅への弁当配達。愛用のアコーディオンでお年寄りの歌声に合わせて伴奏もしました。
 小中高校や市町村の社会福祉協議会に頼まれて、県内各地で社会福祉やボランティア活動に関する講演もしています。
 母がなぜ倒れるほど他人のために尽くしたのか。それは、戦前、戦中、戦後と困っている時に、いろいろな人から助けてもらったことへの恩返しだったんです。母に言われた訳ではないのですが、「地域の人々、社会のために尽くす」をモットーにしていた姿を見ていて、私も社会に少しでも恩返しできればと思っています。【聞き手、山中尚登】

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■人物略歴◇いけもと・まもる

 大阪市生まれ。和歌山大卒業後、大阪府の小・中学校と県の高校で計38年教諭を務めた。退職後97年、佛教大社会福祉学科(通信制)に入学、00年に同大学院修士課程(社会福祉学科)に進学。社会福祉士の国家試験にも合格し、社会福祉ボランティア活動を行うほか、不戦と平和問題についても取り組んでいる。

戦争や平和語り継ぐ会:従軍看護師が体験談――由良で20日/和歌山

[毎日新聞 2009年6月6日 地方版]

 戦争と平和の問題を考えてきた由良町の「九条の会ゆら」は20日午後1時半から、同町中央公民館で「戦争体験と平和への思いを語り継ぐ会」を開く。第5回の今回は「女性たちの戦争体験特集」をテーマに、従軍看護師の体験を聞くなどする。入場無料。
 これまでの講演は、戦場に赴いた男性兵士の視点からの戦争体験がほとんどだった。今回は、子どもやお年寄りらの家族を守り支えていた女性たちに、当時の苦労を語ってもらう。会は3部構成。第3部として、戦時中に中国で従軍看護師として負傷兵の治療にあたった大阪出身の祐本登美子さんに、当時の体験などを話してもらう。終了後には、祐本さんとの意見交換も予定している。
 第1部は、歌手の美空ひばりさんが74年に第1回広島平和音楽祭で平和の尊さなどを込めて歌った「一本の鉛筆」を、参加者全員で合唱。第2部は、戦中戦後の女性たちの苦労を知ってもらうため、同会が中心になり製作したスライド「女性たちの戦争体験」(約30分)を上演する。
 問い合わせは、九条の会ゆら事務局。【山中尚登】

対「貧困」 米で新たな運動 会津若松で講演

[河北新報 2009/06/06]

 格差と貧困が広がる米国に希望はあるのか、そして日本は―。「ルポ 貧困大国アメリカ」などの著作があるジャーナリスト堤未果さんが、会津若松市でこのほど講演した。堤さんは「米国では貧困問題に取り組む新たな市民運動が芽生えている」などと語った。
 「米軍兵士の多くは貧困から抜け出したくて入隊する。高等教育や医療にアクセスし、生きることと引き換えに。徴兵制が廃止され、志願兵制になっても、現実は経済的な徴兵制」と堤さん。
 入隊しても、軍は約束した金を払わず、中途退学する例も多い。また、軍の病院では大半のイラク帰還兵は予約を取るのは難しいという。
 米国のホームレスは350万人。うち50万人が元兵士だ。帰還兵は心的外傷後ストレス障害(PTSD)などに悩み、仕事もできない。堤さんは「結局、貧困から抜けられない」と指摘した。
 2001年の米中枢同時テロ後、米国は社会保障の削減や民営化の推進、個人情報の一元化を進めた。その結果、軍は容易に貧困層の情報を入手できるようになり、貧困層の青年を新兵に採用する構造が成立した。堤さんの取材に対して軍関係者は「徴兵制の必要はない。兵士に送り出すには、貧困層を作り出せばよい」と答えたという。
 米国の格差は拡大する一方だ。国民皆保険がなく、病気になると高い医療費で一気に貧困層に転落する。白人の中間層も崩れている。
 そんな中堤さんが希望を見いだすのが、市民運動の変化。帰還兵らの反戦運動と労働者とが連携するなど、新たな展開が見られる点だ。そこには「社会保障など個人の権利を守ることが、戦争を止めることになる」との視点がある。
 堤さんは「チェンジは待つものでなく、起こすもの。政治や企業、メディアを市民が育てようとの理念が生まれている」と話した。
 講演会は「福島県九条の会」が主催した。会場には約1700人が集まり、堤さんの話に聞き入った。

<崩れた”1億総中流”>

 堤さんは講演後、河北新報社のインタビューに応じ、国内でも深刻化する貧困や不安について語った。

 ―――年越し派遣村が注目を集めるなど、日本も貧困化が進んでいます。日米で違いはありますか。
 「前は米国は人種などで格差があったのに対し、日本は性別の差などはあっても、1億総中流とされました。今は日米に違いがなく、カテゴリーなきカテゴリーが生まれていると思います」

 ――貧困と不安の悪循環に陥っていると言われます。
 「貧困層を対象にするビジネスがあり、マーケットができるため、不安がつくり出されています。不安が高まるほど強いリーダーが求められます。人々が分断されると一層貧困が進んでしまいます」

 ――まだ希望があるとすれば何でしょう。
 「日本では、企業がメディアを所有し切っておらず、活字文化が残っています。日本の状況はまだ米国ほどではありません。希望の種はあると思います」(白河支局・会田正宣)

加藤周一さん:追悼講演会に2千人 東京・日比谷公会堂

[毎日新聞 2009年6月2日 22時00分(最終更新 6月2日 22時41分)]

 「平和憲法を守る一点で手をつなごう」と作家の大江健三郎さんらと「九条の会」を結成し、昨年12月に89歳で亡くなった評論家、加藤周一さんを追悼する講演会が2日、東京都千代田区の日比谷公会堂で開かれ、2000人以上が参加した。
 呼びかけ人の一人で作家の井上ひさしさんは「私にとって憲法9条や(生存権を定めた)25条は親友中の親友。彼らを裏切ることはできないことを加藤さんの本から学んだ」と語った。大江さんは、「核保有国と非核保有国の信頼関係をつくらなければ何も始まらないというのが加藤さんの考え方だった」と振り返り、「不戦を誓う憲法を本気で守り、それを周辺国に認めてもらえるなら私は未来に生きることができる」と話した。

「九条の会」発足5年記念、大江健三郎さんが講演

[asahi.com 2009年6月2日23時0分]

 憲法を守ろうと活動する「九条の会」が2日、発足から丸5年となったことを記念して東京都千代田区の日比谷公会堂で講演会を開いた。呼びかけ人の一人で、昨年末に亡くなった加藤周一さんの志を受け継ごうと、壇上には加藤さんの写真が掲げられた。
 講演した作家の大江健三郎さんは「核保有国と非核保有国との間に信頼関係がなければ、核廃絶は始まらない」という加藤さんの指摘を紹介。「そんな信頼関係などあるものかと笑いを浮かべた人もいるでしょう。例えば北朝鮮との間に。でも私は日本としてのやり方はあると思う。私たちが不戦の憲法を守り通す態度を貫くなら、信頼を作り出す大きな条件となるのではないか」と語った。

9条の会で核兵器廃絶の世論を 小森陽一氏

[京都民報 2009年6月 2日 12:31]

 亀岡、南丹両市と京丹波町の各地域の9条の会は31日、「九条の会」事務局長の小森陽一東京大学大学院教授を招いてのつどいを開きました。小森氏は9条の会で「核兵器廃絶の世論をつくろう」と呼びかけました。
 180人の参加者を前に小森氏は講演で北朝鮮の核兵器実験について批判。アメリカのオバマ大統領が『核兵器のない世界』を目指している今、世界的な世論も動いているとし、憲法9条を持つ日本が六カ国協議で北朝鮮に働きかければ北朝鮮を取り巻く問題が解決するだろうと指摘。「9条の会で核兵器廃絶の日本の世論をつくろう」と呼びかけました。
 また、小森氏は改憲の動きについて言及し、民主党の小沢一郎氏の動向を取り上げ、「1993年に自民党内で、憲法解釈で集団的自衛権を行使することができると主張した改憲勢力の中心人物。改憲のために自民党と民主党の大連立をねらっており、注意しなければならない」と訴えました。

「核廃絶、被爆国・日本の使命」  南丹 「九条の会」小森さん

[京都新聞 2009年6月2日(火)]

 作家の大江健三郎さんたちが憲法9条を守るために立ち上げた「九条の会」(事務局・東京都)の事務局長で東京大教授の小森陽一さんの講演会「今、憲法9条が輝くとき」が、南丹市園部町小桜町の市国際交流会館でこのほど開かれた。
 小森さんは、憲法改正に向けた歴史的経緯を踏まえつつ、「核を持たない国が核保有国に核廃絶を説得すれば、世界から賞賛される。これは唯一の被爆国である日本の使命。米国のオバマ大統領が核廃絶を打ち出すなど、9条の思想は世界を動かしつつある」などと述べ、憲法9条の堅持を強く訴えた。

作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

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