秘教的章標の奥義?!

『資本論』第1部第3章「貨幣または商品流通」の第1節「価値の尺度」に、こんなくだりが出てきます。

 ある物の名称は、その本性にとってまったく外的なものである。ある人の名がヤコブであると知っても、私はその人物についてはなにもわからない。同じように、ポンド、ターレル、フラン、ドゥカートなどの貨幣名においては、価値関係のすべての痕跡が消え失せている。これらの秘教的章標の奥義をめぐる混乱は、貨幣名が商品の価値を表現すると同時に、ある金属重量の、すなわち貨幣の度量基準の、可除部分をも表現するだけに、なおさら大きくなる。(新日本新書版『資本論』第1分冊、171ページ)

この「秘教的章標の奥義」という部分。いくら読んでも、これだけでは???だらけ。「秘教」の部分には「カバラ」とルビがふってあるのですが、「カバラって何?」と、ますます疑問符が増えるだけです。(^^;)

ドイツ語原文は、以下のとおり。(ヴェルケ版、115?116ページ)

Der Name einer Sache ist ihrer Natur ganz äußerlich. Ich weiß nichts vom Menschen, wenn ich weiß, daß ein Mensch Jacobus heißt. Ebenso verschwindet in den Geldnamen Pfund, Taler, Franc, Dukat usw. jede Spur des Wertverhältnisses. Die Wirre über den Geheimsinn dieser kabbalistischen Zeichen ist um so größer, als die Geldnamen den Wert der Waren und zugleich aliquote Teile eines Metallgewichts, des Geldmaßstabs, ausdrücken.

「秘教的章標の奥義」というのは、下線部です。なるほど、kabblistischen と書かれています。

さっそく電子辞書で調べてみると、「[形]カバラの、(比)神秘的な、素人には通じない、難解な」(小学館『独和大辞典』)とあります。で、名詞形 Kabbala を引くと「1、カバラ(中世ユダヤ教の神秘説)。2、(カバラに基づく)密教的神知論(ドイツでは13世紀に盛んであった)。」と書かれています。

とりあえずこれで「秘教的」という訳語になった理由はわかりましたが、「で、カバラって何?」ということで、疑問は尽きません。

で、さらに電子辞書で『ブリタニカ国際大百科事典』を調べると、こんなふうに書かれていました。

 12?13世紀頃に形成されたユダヤ神秘主義および神智学の発展した形態をいい、さらに一般的には、古代にまでさかのぼるユダヤ教の一連の秘教的な教理をいう。カバラは語源からいって「受取られたもの」をさし、モーセ五書以外のユダヤ教の諸書および予言書を意味した。12?13世紀にライン地方で始まった敬虔主義的な運動のなかでは、父祖伝来の祈祷を解釈するために、各アルファベットに一定の数を当てて文章の数値を発見したり、頭文字の組み合わせによる造語を行うなどの方法が用いられた。こうした解釈技法は、また瞑想の技法としても体系化され、やがて南フランスからスペインにかけて広まって、最盛期を迎えた。ナハマニデスのモーセ五書注解はその代表作の1つとされる。そのなかでは、注釈の形を借りて、正統的ユダヤ教では触れられることのない無限なる神の隠れたる秘義が探究されている。こうした方向は、その後ユダヤ教思想の展開に大きな影響を及ぼし、18世紀にはハシディズムという形態をとって、東ヨーロッパのユダヤ人の多くに浸透した。

これで、とりあえず「カバラ」も分かったとして、ではなぜ、『資本論』のこの場所にカバラが出てくるのか? その疑問は解消しません。

そこで、今度はインターネットを「カバラ」でグーグって見ました。すると、一番たくさん出てくるのは、「カバラ占い」とか「カバラ数秘術」「カバラ誕生数」などの言葉。

さらに、今度は自宅パソコンにインストールされている平凡社『世界大百科事典』を調べてみると、お終いの方で、こんなふうに書かれていました。

カバラ Kabbalah

 (前略)
 カバラの哲学は〈生命の樹〉に集約されている。それは図のような構造をもった図式で、この中に天上天下のいっさいのものを封じ込めることができる。この〈樹〉は右側の〈力の柱〉と左側の〈形の柱〉および中央の〈均衡の柱〉からなり,同時に上から〈流出界〔アツィルト〕〉〈創造界〔ベリアー〕〉〈形成界〔イェツィーラー〕〉〈活動界〔アッシャー〕〉からなる四重構造をもっている。それは聖なる神の名〈YHVH〉に対応する。この三本の柱と四つの世界の交錯点に10個のセフィロト sephirot(数)が生じる。この10個の数を通して、創造主たる〈神〉が顕現世界に現れるのである。1から10までのセフィロトはそれぞれ固有の属性をもつ。それは一なる神の多様な位相を表す。キリスト教の〈三位一体〉に擬していえば,カバラは〈十位一体〉の体系なのである。1のセフィラー(セフィロトの単数形)は〈ケテル〔王冠〕〉、2は〈ホクマー〔知恵〕〉、3は〈ビナー〔理解〕〉、4は〈ヘセド〔慈悲〕〉、5は〈ゲブラー〔公正〕〉、6は〈ティフェレト〔美〕〉、7は〈ネツァー〔勝利〕〉、8は〈ホド〔栄光〕〉、9は〈イェソド〔基盤〕〉、10は〈マルクト〔王国〕〉と呼ばれる。至高の〈ケテル〉は〈神〉の最初の顕現形態、最下の〈マルクト〉は〈神〉の最終的顕現形態、つまり物質界を表す。この2極の間が他の八つのセフィロトによって分節され、〈ケテル〉から〈マルクト〉への〈神〉の流出を示すとともに、〈マルクト〉から〈ケテル〉への〈神〉の帰還をも表すのである。セフィロトの間は22本の小径で結ばれている。これには22のヘブライ語のアルファベット、およびそれが表現する数値が配当され、さらにそれぞれの文字と数値と照応する象徴が割り当てられている(ゲマトリア)。カバラの修行者はこの〈生命の樹〉にのっとって、〈ケテル〉から〈マルクト〉までの各位階を自由に往来し、宇宙と人間のいっさいの秘密に通じるのである。カバラではこのことを家の真中に階段をもってだれにも妨げられることなく、自在に昇り降りできる男にたとえている。(大沼 忠弘)

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要するに、数字やアルファベットに特別な意味をもたせて、その数字であれこれの占いをやるのが、カバラ占いとかカバラ秘数術、のようです。

そういうふうに分かってみると、ここでマルクスは、貨幣の価値尺度としての働きと、価格の度量標準としての役割とについて解明し、その2つを混同することで生じる混乱を批判しているわけだし、その場合、たとえば1オンスの金=3ポンド・スターリング17シリング10.5ペンス、といった数字が問題になるわけですから、そういう数字にかかわる「秘教」として「カバラ的」と書いたのではないか、ということが見えてきます。

実際、重さの単位としては1ポンド=16オンス(貴金属の場合は=12オンス)であるのにたいして、金の価格の度量標準としては、重量1オンスの金=3ポンド・スターリング17シリング10.5ペンス(3.89375ポンド・スターリング)なので、おおよそでいえば1オンス=4ポンドになります。1ポンド=16オンスがなぜ1オンス=4ポンドになるのか、まさに「カバラ」的な秘密、というわけです。

ひょっとしたらマルクスの時代には、まだまだ「カバラ占い」や「カバラ秘数術」が流行っていたのかも知れません。「カバラ」についての宗教学・宗教史的な説明よりも、なぜマルクスがここで「カバラ的」と書いたのかが分かるような注釈がほしいところです。

ちなみに、大月書店版『資本論』(岡崎次郎訳)では、この部分は「不可思議な章標の秘義」となっています。こちらは「カバラ的」という部分の翻訳を完全に放棄したかっこうですね。

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作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

2件のコメント

  1. いつも参考にさせていただいております。とてもいいブログですね。

    この記事は非常に参考になりました。ありがとうございます。

    最近の電子辞書には小学館の『独和大辞典』も搭載されているのですね…。便利になったものです。

    さて、私も学生時代ドイツ語をちょっとかじったのですが、この「秘教的章標の奥義」という訳語はわかりにくいですね…。

    資本論の文脈上、「章標」(貨幣章標)という言葉が出てくるので、「この訳語でもまあ理解できるでしょ?」ということかと思います。

    ただ、さすがにGeheimsinn(直訳すると「隠された意味(あるいは意図、目的など)」)を「奥義」というこなれた訳にしてしまうと、日本語だけではさすがに理解しにくいですよね…。

    原文を素直に翻訳し、「カバラ的な章標の秘密」として、「カバラ」の部分に注を入れてくれたほうが分かると思いました。

    要するに、ここでは「価値」と「価格」は違うということを言っているだけなのですが、

    マルクスが生きていた当時は「貨幣章標」が、とりわけ金の重量を表現するときの単位にも用いられていたために混乱が余計に大きくなった、というわけです。

    金本位制が崩壊した今日では「秘教的章標の奥義」も暴かれたということでしょうか。。。

  2. カミザワさん、お早うございます。

    「章標」や「奥義」についてはあえて触れなかったのですが、ご指摘のとおり。とくに「奥義」の訳は、翻訳した側としては「秘教」と対応させたもので、苦労したところなのかも知れませんが、読む側からいえば、かえって分かりにくいですね。

    僕も、素直に「カバラ的な章標の秘密」もしくは「カバラ的な章標の隠された意味」と訳して、「カバラ的」に訳注をつけるのが一番分かりがいいと思います。

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