マルクスと有料道路

本城靖久『馬車の文化史』(講談社現代新書)

マルクスの『1857-58年草稿』を読んでいると、有料道路の話が出てきます。たとえば、

 a–b 間のある道路を前提する……と、この道路が含んでいるのは一定分量の労働、つまり価値だけである。それは、道路を建設させるのが資本家であろうと国家であろうと、同じである。それでは、資本家は、ここで、剰余労働を、したがって剰余価値をつくりだすことによって、利得を手にするだろうか? ……問題なのはまさに、資本家が道路を価値実現できるかということ、資本家が道路の価値を交換によって実現できるか、ということなのである。(大月書店『資本論草稿集』<2>、193ページ下段?194ページ上段、および194ページ上段?同ページ下段)

労働者を、6労働時間相当の賃金で、1日12時間働かせて道路を建設したとすれば、完成した道路にはすでに剰余労働が対象化されている。しかし、道路は普通の商品のように売るわけにはいかない。だとすれば、どうやったら資本家は剰余価値を実現できるか、というのです。

 さて、資本家が道路建設を事業として、自分の費用で営む……ためには、さまざまの条件が必要であるが、これらの条件はすべて、資本にもとづく生産様式がすでにきわめて高度な段階にまで発展している、ということと重なるものである。(同前、201ページ)

そこで、云々かんぬんと、マルクスは考察をめぐらしています。あまり明確な結論は出てこないところは、草稿ならではというところでしょうか。

ともかく、資本家がカネを出して道路を建設するとして、どうやれば資本家はできあがった道路から、剰余価値を実現するのか? という問題は、いたくマルクスの関心を呼んだようです。マルクスは、それを前近代社会で国家が道路建設をおこなう場合と対比したりして、あれこれ論じています。

しかし、そうなると当然思い当たるのが、そもそもマルクスの時代、つまり19世紀のイギリスに有料道路というものがあったのか? あったとしたらどういうものなのか? という素朴な疑問。

そう思っていたら、とある先輩から教えてもらったのが、頭で紹介した本城靖久『馬車の文化史』(講談社現代新書、1993年刊)です。

同書第4章は「有料道路の国イギリス」というタイトルで、実は、18世紀から19世紀にかけて、イギリスでは馬車用の有料道路(ターンパイク)が多数建設されたという話が紹介されています。

おもしろいのは、こうしたターンパイクが国家の手によってではなく、民間の手で建設されたということ。ターンパイク・トラストが作られて、資金を募って、道路をつくり、通行料金を取って配当?を払っていたようです。

同書によれば、1700年から1790年までの90年間に2,000もの有料道路が新たに造られたが、1つ1つのターンパイクは10kmとか30kmといった細切れだったそです。また、馬車で快適に走れるように舗装してあることになっていたのですが、実際には管理の悪いでこぼこ道路もあったようですし、料金所で通行料をふっかけられることもあったそうです。

それでも、ドーヴァー・ロンドン間の114kmのうち88kmがターンパイクというほど、有料道路が普及していました。1840年には、総延長3万5,200kmにもなったとあります。

もちろん、こうした有料道路が作られたのは、馬車の利用がひろがってきたから。18世紀初めには、駅馬車が走り始め、当時(1712年)はロンドン・エジンバラ間を所要日数13日で走ったそうです(料金は4ポンド10シリング)。1784年には、駅馬車より速い郵便馬車の運行が始まり、ロンドン・ブリストル間の192kmを16時間で走破したそうです。

マルクスは、マンチェスターにいたエンゲルスとしばしば手紙を交換していますが、その手紙も、こうした郵便馬車で運ばれたに違いありません。そう思って、マルクスの草稿を読むと、有料道路にたいするマルクスのこだわり方もなるほどと思えてきます。(^_^;)

作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

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