マルクスは世界の「片隅」で愛をさけぶ…?!

不破哲三『「科学の目」で見る日本と世界』(新日本出版社、2011年)
不破哲三『「科学の目」で見る日本と世界』

不破さんが新刊『「科学の目」で見る日本と世界』(新日本出版社)のなかで、マルクスがヨーロッパ資本主義を、それが大きな発展を遂げたあとでも、世界全体から見れば「小さな隅」にすぎないと指摘していたことを紹介されています ((不破哲三『「科学の目」で見る日本と世界』新日本出版社、2011年、98ページ。もとは2010年10月に日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会の記念集会でおこなった講演。))。

この出所は、マルクスの1858年10月8日付のエンゲルス宛の手紙です。ところが、『全集』(第29巻)の翻訳と、『資本論書簡』(岡崎次郎訳、大月書店)の翻訳とでは、かなり文章が違っています。

『全集』所収の訳文は次のようになっています。

われわれにとってむずかしい問題は次の問題だ。大陸において革命は切迫しており、そしてまたすぐに社会主義的特長を帯びるだろう。この小さな隅におけるこの革命が――それよりもはるかに広大な地域においてブルジョア社会の動きがまだ上昇的だから、必ずしも弾圧される不可避性はないではないか? ((『全集』第29巻、282〜283ページ。))

『資本論書簡』の文章は、こうなっています。

われわれにとって難しい問題は、ヨーロッパ大陸では革命が切迫していて、すぐにも社会主義的な性格をとるだろう、ということだ。革命はどうしても小さな片隅で圧しつぶされてしまうのではないだろうか? というのは、もっとずっと大きな地域でブルジョア社会の運動は今なお上昇中だからだ。 ((岡崎次郎訳『資本論書簡』大月書店、<1>、259ページ。))

ご覧のように、相当に文章のニュアンスが違っています。もちろん、どちらであれ、不破さんが指摘したように、マルクスが、資本主義がすでに相当発達した段階のヨーロッパを指して「小さな片隅」と論じたことは明らかで、そういうヨーロッパ中心主義でない視点をマルクスが持っていたというのは重要な点です。

しかし、手紙のこの部分でマルクスが何を言いたかったのか、ということになると、どうもよくわかりません。それで、原文を確かめて見ました。ヴェルケ版では、この部分は次のようになっています ((MEW,29, S.360.))。

Die schwierige question für uns ist die: auf dem Kontinent ist die Revolution imminent und wird auch sofort einen sozialistischen Charalter annehmen. Wird sie in diesem kleinen Winlkel nicht notwendig gecrusht werden, da auf viel größerm Terrain das movement der burgerlichen Gesellschaft noch accendant ist?

まず問題なのは、Die schwierige question für uns ist die: のdie: がどこまでをさしているか、ということです。日本語で言えば、「われわれにとってむずかしい問題は次のことだ」というときの「次のこと」とはどこまでか、ということ

全集訳は、これは最後のクエスチョンマークまでかかっていると解釈した訳文になっています。それにたいして、『資本論書簡』の訳文は、途中までで切った翻訳になっています。たしかに、annehmen のあとにピリオドがあって文が切れているので、形式的には『資本論書簡』の翻訳の方が正しいように見えます。

しかし、マルクスにとってみると、ヨーロッパで革命が起ころうとしていること、そしてもしそれが起これば社会主義的特徴を帯びるだろうということは、ある意味、当然の与件、疑問がわくような問題ではなかったはずです。

マルクスにとっての問題は、その先にこそあったはずです。ヨーロッパで革命が起きたとして、それが社会主義的特徴をもったとき、ヨーロッパ以外の広大な地域がブルジョア社会としてなお引き続き上昇・発展しているとすれば、ヨーロッパの社会主義革命がそれに必然的に飲み込まれてしまうことになりはしないか、ヨーロッパ以外の地域が資本主義的発展を遂げているときに、世界の「片隅」のヨーロッパの革命が社会主義革命として発展することは可能なのか――これこそがマルクスにとって「むずかしい問題」だったはずです。

ですから、この点で、『資本論書簡』の訳文はマルクスの真意を取り損ねていると言わざるを得ません。

もう1つややこしい問題は、ドイツ語の nicht notwendig の翻訳です。独文法では、nichtはその直後にある単語を打ち消す、とされています。この文では、notwendig「必然的に」が否定されているわけです。要するに、部分否定です。

ところが、文全体としては疑問形になっているので、話が紛らわしくなります。そこで、全集では、「必ずしも弾圧される不可避性はないのではないか」という、かなりもってまわった訳文になっているのだろうと思います。しかし、「弾圧される不可避性」というのは、ちょっとひねりすぎでしょう。

それにたいして、書簡集の訳は、「どうしても……押しつぶされてしまうのではないだろうか」となっていますが、これでは「必ず押しつぶされてしまう」という意味になってしまいます。

マルクスにとってみれば、「ヨーロッパ大陸の社会主義革命が押しつぶされない可能性があるかどうか」に最大の関心があるのですから、ここはそういうふうに読まなければなりません。

ということで、私なりに訳して見ると、こんな感じになります(直訳風)。

われわれにとって難しい問題は、次のことである。大陸では革命は切迫しているし、すぐにも社会主義的特徴を帯びるだろう。この小さな片隅における革命は、いっそう広大な領域においてブルジョア社会の運動がなお上昇中なのだから、必然的に押しつぶされることにならないだろうか?

これでも、日本語としてはまだごちゃごちゃしているので、もっと大胆に訳すと、こんな感じになります。

いっそう広大な領域においてブルジョア社会の運動がなお上昇中であっても、この小さな片隅における革命が押しつぶされない可能性はないのだろうか?

ここまで大胆に訳すと、かなり異論も出そうですが、マルクスの真意がそこにあったことは間違いないと思います。

出版社のサイトはこちら↓。
/新日本出版社/一般書/分野別/政治・社会・経済/政治・社会/日本共産党/政策・路線/「科学の目」で見る日本と世界

【追記】

不破さんは、すでに『マルクス、エンゲルス 革命論研究』(新日本出版社、2010年)上巻、147〜153ページで、この問題を取り上げています。そこにこの手紙も引用・紹介されていますが、該当部分は、不破さん独自の翻訳になっています。

不破哲三『マルクス、エンゲルス 革命論研究』(新日本出版社、2010年)
不破哲三『マルクス、エンゲルス 革命論研究』

作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

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