阪神大震災から18年

阪神大震災の当日に僕が受けた衝撃の大きさは、8年前に書いたので、ここでは省略します。

ただ、その前にもいろいろと大きな地震や津波被害があったけど、それを見る僕の視線は同情はしていても「どこか遠くで起こった出来事」を眺めるものでした。しかし、自分が中高6年間通った街がつぶれ、壊れ、燃えているのを見るというのは、それとはまったく違った、締め付けるような痛みをともなうものだったことは、今でもありありと思い浮かべることができます。

それはある意味、いまだにその時の衝撃を「引きずっている」ということなのかもしれません。それは、3・11の大津波の映像を見た時にも、鮮やかに甦ってきました。「もし、あそこに自分の知っている人がいたら」という、一種の「疑似体験」。それがおこがましい思いであることは重々承知していますが、それだけに改めて自分の何もできないことに苛立ちを覚えます。

うかつにも、1・17のあと、僕の生きているあいだにはもうあれ以上大きな震災は起こらないだろうと、どこかでそう思い込んでいました。

あと2カ月あまりで東日本大震災から2年を迎えます。仮設住宅の入居期限が切れるわけです。とてもそんな状況にないことは明らかです。もっと早く、持てるすべての力を福島と東北の復興に、なぜ注ぎ込めないのか? 不況も深刻だけども、GPD500兆円の日本の国力をもってすれば、それができないはずはありません。もっと早く、持てるすべての力を挙げて復興・支援の手を差し伸べてほしい。そう思わずにはいられません。

作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

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