国民は疲れている

今日の朝日新聞「オピニオン」欄で、作家の高村薫氏が、最近の国政選挙の投票率の低さについて、70?80年代の低さと90年代以降の低さの質的な変化ということを指摘して、次のように述べられています。

バブル崩壊後に進行した経済のグローバル化は、「市場原理に基く自由競争」をこの国に広く浸透させた。小泉改革もこれにそったものだが、その結果、人々はこの社会で生きていくことにひどく疲れているように見える。
非常な競争が当然視され、老後の生活設計も含めた「未来」が自己責任とされ、経済格差の広がりも放置されるような状況に、人は耐えられない。選挙へ行って社会を変えようと言う能動的な発想が生まれにくくなった内面的な要因は、この疲労感だろう。

そして氏は、こうした低投票率の結果について、「民主的な多様性を失いつつある」「政治をする側から見れば、国民の意思なるものが存在しないことを意味している。1億の人間が1億のことを考えていたとしても、いまや政治的には『無視できる雑多』でしかないのだ」と指摘。さらに、「大衆が経済や社会のシステムに取り込まれたままに声を上げない社会は、結果的にのっぺりした画一的な社会になる」「新しい全体主義も予感させる」と、深刻な危機感を明らかにされています。

しかし大事なことは、高村氏が、だからといって絶望するのでなく、つぎのような態度を表明されていることです。

混乱の中で、とりあえず明日を持ちこたえていくために今とれる唯一の手段が、投票へ行くことなのだと私は思っている。

氏が指摘されるように、グローバリズムによって「世界の枠組みが流動化」すればするほど、国による国際環境の調整や、社会保障の整備など「国家という枠組み」を私たちは必要とするのだと思います。国家によって痛めつけられ、疲れ果てさせられているからこそ、日本という国家のあり方を変えていかなければならないと思います。

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