傲慢というべきか、語るに落ちるというべきか

ファルージャ総攻撃についての記者会見でのラムズフェルド米国防長官の発言。「多数の犠牲者が出ることにはならない」というのは、「多少の犠牲者が出るのは仕方ない」ということ。これを傲慢といわずして、何を傲慢と言うべきか。さらに、語るに落ちたというのは、現在市内に民間人がどれだけいるかは「分からない」というコメント。民間人がどれだけいるか分からなければ、どれだけ犠牲が出たかも分からない訳で、結局、「多数の犠牲者が出ることにはならない」というのは口先だけの“申し訳”に過ぎないことが自ずと明らかになる、というものだ。

ファルージャの民間人犠牲「多数出ない」 米国防長官(asahi.com)

ファルージャの民間人犠牲「多数出ない」 米国防長官

 ラムズフェルド米国防長官は8日の記者会見で、イラク・ファルージャでの本格的な攻撃について「米軍によって民間人に多数の犠牲者が出ることにはならない」と述べた。多数の民間人犠牲者が出たことでイラクの国内世論だけでなくアラブ世界にも反米感情が強まった今年4月のファルージャ攻撃の二の舞いは避けたい意図が強いようだ。
 民間人犠牲者については、米軍が市街戦に備えて十分な訓練を受けていることや、精密誘導兵器を使うことで最少に抑えられると主張したが、現在市内にいる民間人の数については「だれも分からない」と述べた。
 米軍は大規模攻撃開始前に、市民に対して退避勧告をしている。武装勢力側は、自動小銃や機関銃のほか、対航空機用の機関銃などで武装しており、道路脇に偽装した爆弾や自爆用の自動車爆弾などを仕掛けているとみられるという。 [ asahi.com 11/09 12:52 ]

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