戦後も統治者のつもりだった人…

朝日新聞が、一面トップで、米公文書の公開で、1953?72年の昭和天皇の発言が確認されたと報道しています。

たとえば、1953年4月20日には、離日するロバート・マーフィー大使に、昼食会の席で次のように発言したそうです。

 朝鮮戦争の休戦や国際的な緊張緩和が、日本の世論に与える影響を懸念している。米軍撤退を求める日本国内の圧力が高まるだろうが、私は米軍の駐留が引き続き必要だと確信しているので、それを遺憾に思う。

天皇の政治的発言というと、進藤栄一氏が発掘した1947年9月の発言が有名です。すなわち、宮内庁御用係の寺崎英成氏を通じてアメリ側に、「天皇は、アメリカが沖縄を初め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している」「天皇が更に思うに、アメリカによる沖縄(と要請があり次第他の諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の――25年から50年ないしそれ以上の――貸与をするという擬制の上になされるべきである」と伝達させました(進藤栄一「分割された領土」、岩波書店『世界』1979年4月号、岩波現代文庫『分割された領土』2002年、所収)。

これらを読むと、戦後、新しい憲法によって、たんなる「象徴」となって、「国政に関する権能を有しない」とされたにもかかわらず、このおじさん、戦前と何も変わらず、相変わらず自分が日本の統治者であるようなつもりだったことがよく分かります。

他に、朝日新聞が紹介しているのは、以下の通り。

1956年2月17日 駐米大使赴任直前の谷正之氏に
「米国の軍事的・経済的援助が、戦後日本の生存に重要な役割を果たしてきたことに深く感謝し、この援助の継続を希望する。日米関係が緊密であることを望み、それが両国にとって持つ意義を十分認識している」と語り、このことを米側要人に伝えるよう依頼。
1958年10月6日 来日したニール・マケルロイ米国防長官に
「強大なソ連の軍事力から見ると、北海道の脆弱さに懸念を持っている」と発言。日米協力は極めて重要だとし、米国の軍民両分野の援助に深く感謝。長官が日本の発展に驚いたと述べると、天皇は笑みを浮かべ、「それは米国の援助と理解によるものだ」と応じた。(同席のマッカーサー駐日大使の国務省宛電報)
1962年10月30日の園遊会で、ジェイコブ・スマート在日米軍司令官に
「最近の出来事を注意深く見ていたが、平和的な結果に安心した。米国の力と、その力を平和のために使ったことに個人的に賞賛と尊敬の念を持つ。世界平和のために米国がその力を使い続けることを希望する」。
1972年3月2日 アーミン・マイヤー駐日大使との会見で
大使の「米中接近と世界の緊張緩和にもかかわらず、米政府はアジアの平和にとって日米関係ほど重要なものはないと考えている」の発言に、「目に見えて感動し、感謝の意を表した」(駐日米国大使館発米国務長官宛て電報)

もちろん、昭和天皇のこうした発言が、現実の日米関係や日本の政治方針を左右することはなかったと思います。しかし、そういうことは関係なく、新しい駐米大使の赴任にあたり、アメリカ要人に自らの謝意を伝えさせようとか、国内での反米世論の高まりに対し、自らの「遺憾」の意を伝えようとするあたりに、本人の“統治者”然とした意識がよく現われていると思います。

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