今週の「九条の会」(6月11日まで)

今週の「九条の会」関連ニュースです。

「鎌倉・九条の会」記念講演会

 「憲法9条、今こそ旬」――作家井上ひさしさんらが呼びかけた「鎌倉・九条の会」発足記念講演会が10日夜、鎌倉市の鎌倉芸術館で開かれ、ほぼ満員の1400人が参加した。全国に先駆けて平和都市宣言をした同市が、いったん了承した名義後援を取り消しており、雨をついての大勢の参加は市民らの意思表示、とスタッフらは受け止めている。
 井上さんは「憲法は国の基本的な枠組みです。国民がつくった民定憲法です。内容は主権者である国民が権力者に命じているものです。国民の税金で生計を立てている首相を含む公務員は憲法を守る義務があるのです」とした。
 その上で憲法9条について「軍備なしで国を守れるのか、と言われる。しかし、いまだかつて軍隊が国民を守った例はありません」。すかさず会場から拍手。「大事な憲法をアメリカのために変えるのは許せない。改憲で世界中の人々の水虫が治るのであれば許せるのですが……」に爆笑。
 経済評論家の内橋克人さんは、黒っぽい背広姿。「小泉首相らと違ってあえて重々しい姿で参りました」とまず笑わせた。そして「平和憲法は非現実という声が出ている。しかし、技術でもビジネスの分野でも世界に先駆けたものは『夢のごとく』『理想論』と言われる。日本の憲法は世界に先駆けたものなのです」。
 そして「現実対応というのは追随です。追随でなく、もっと人間を大切にする対応をしなければなりません。憲法を改めるのでなく、もっと深めるべきです」と訴えた。
 元首相夫人の三木睦子さんは、戦時中に子育てした体験を基に「これから生まれてくる子供たちに二度と同じ苦しみを味わわせてはなりません」。医師なだいなださんは、フランスに滞在しておりメッセージを寄せた。
 会場は中年以上の人たちが目立った。夫婦連れや幼い子供と一緒の主婦らも。8割は市内在住だが、横浜や東京、徳島から駆けつけた人もいた。座席では手帳を開いてメモを取る姿も見られた。
 同会は、昨年6月に発足した「九条の会」を受けて、鎌倉在住の井上さん、内橋さん、なださんが呼びかけ人となった。[朝日新聞マイタウン神奈川 6/11]

県九条の会:平和憲法守ろう メッセージ集、口コミで広がる/長崎

 戦争放棄をうたう憲法9条を守ろうと発足した「県九条の会」が、メッセージ集「平和憲法を守ろう 被爆地市民の熱い思い」を出版した。全国各地で活動が始まっている九条の会だが、各界の思いを1冊の本にまとめたのは異例。被爆地・長崎の体験を踏まえた訴えも多く、県内外から反響を呼んでいる。【横田信行】

 同会は、作家の大江健三郎さんら著名文化人9人が呼び掛け人となって04年6月に結成された「九条の会」に賛同し、被爆地・長崎で9条を守る活動を繰り広げようと、同年10月、県内の大学、医療、教育、宗教、平和団体などの25人が呼び掛け人となって発足した。
 メッセージ集では、呼び掛け人が、宗教者や被爆者・戦争体験者、研究者、医師、母親などさまざまな立場・視点から、9条や平和、憲法への思いなど書いた。このうち土山秀夫・元長崎大学長は「他国の圧力に流される日本の現状を見過ごし、戦争の何たるかを理解していない世代の人たちの勇ましい大国意識や、偏狭なナショナリズムに委ねることは、私たち一人ひとりの無責任さとなって跳ね返ってくる」とつづっている。
 このほか、県九条の会の呼びかけを受けて発足した城山、大村の9条の会の活動報告や、憲法をお国言葉で語ったメッセージも掲載した。事務局長の前原清隆・長崎総合科学大教授は「メッセージが皆さんの心に届いたら周囲に広げてもらい、自分自身の言葉で9条を語ってほしい」と話している。
 A5判、129ページ。1000円。口コミで広がり、作製した1000部も残部わずかに。[毎日新聞 2005年6月10日]

↓タウンニュースは、神奈川県を中心に配布されている無料情報紙。190万部発行だそうです。

現役と変わらぬ情熱で 元茅ヶ崎市議「九条の会」の発起人
佐々木 良文さん 浜竹在住 78歳

 ○…5月30日に発足した元茅ヶ崎市議で構成する「九条の会」の発起人。市議を9期連続、36年間務めた。「現在の茅ヶ崎市を作り上げてきた責任ある立場として、日本平和の根幹である九条を改憲する潮流は防がなくては」と決意。市議時代の人脈を活かして元市議に参加を呼びかけた。
 ○…宮城県の村田町にある農家の三男として生まれる。夏にはホタルが生息し、秋には柿が実るなど恵まれた自然の中で「ワンパクに、のんびり」と過ごしていたが、戦時中に学徒動員で北海道小清水町の農家へ。「ビート畑の除草作業中に連合軍の艦載機の空襲を受けました。命からがら唐松林へ逃げ込んだのを覚えています」と当時の辛い戦争体験を語る。幼少から青年時代にかけての戦争体験と、それを乗り越えた強さが「会の設立に繋がった」という。
 ○…茅ヶ崎へ越して来る以前は中学校教諭の経験も。「同じように教師を務めていた父親の影響もありました」と話す。「空襲でボロボロになったプールを生徒と一緒になって修繕し、プール開きをした時のことは今でも忘れられないね」と思い出を大事そうに振り返る。また、教師を務める一方で、日本大学の夜間部で法律の勉強に励んでいた。昼は教師、夜は学生の生活は厳しかったが、勉強をすることで自分の視野が広がるのを感じ、充実していたという。
 ○…市議を務めていた現役時代の思い出深い出来事の一つに新湘南港建設問題を挙げた。「茅ヶ崎の綺麗な海を公害まみれにしてはなるものかと必死に反対をしたもんです」と述懐する。会の発足後は多忙な日々に追われているが、間を見つけては大好きな芝居と映画を観る。先日茅ヶ崎市民文化会館で開催された「父と暮らせば」の上映会を鑑賞し、心を強く打たれた。同映画のパンフレットを片手に、映画の素晴らしさを語る様子は市議現役時代の情熱を彷彿とさせた。[タウンニュース茅ヶ崎版 2005年6月10日号]

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