永原慶二氏の歴史学をどう受け継ぐか

昨日、明治大学で開かれたシンポジウム「永原慶二氏の歴史学をどう受け継ぐか」に参加してきました。プログラムは以下の通り。司会は、池享氏。

  • 中村政則「趣旨説明」
  • 保立道久「永原慶二氏の歴史学」
  • 井原今朝男「永原慶二氏の荘園制論」
  • 池上裕子「永原慶二氏の大名領国制論」

1年前に永原先生が亡くなられてから、いろんなきっかけもあって、先生の本をいろいろ読みました。とくに、ちょうど『荘園』(1998年)を読み終えつつあったこともあって、あらためて先生の研究の視野の広さ、奥深さ、がっちりした理論的な組み立てなどを強く思っていたので、中村先生のご挨拶といい、そのあとの3人の報告といい、なるほどとと思う部分と、それから自分の気づいていなかった新しい問題を教えてもらったり、大変勉強になった研究会でした。

保立道久さんの報告は、<1>その「アカデミズム」歴史学論、<2>その「マルクス歴史学」論、<3>永原さんの歴史学、の柱。『二〇世紀の歴史学』などを中心に、永原先生にとっての歴史学を論じられらたものと思って拝聴しました。実証史学の「無思想」にたいする厳しい批判は、シンポジウムの全体討論で出された網野「史学」への批判とも重なる論点で、大事な指摘だと思っています。<2>では、戦後歴史学にたいする「単系発展段階」論という批判について、むしろそれは戦前からのアカデミズム実証史学の「文明史観」「進歩史観」の問題で、それが戦前の「講座派マルクス主義」にも受け継がれていたと報告されていた点は、興味深く思いました。講座や講座派、あるいはその後の歴史学研究に即して、その点を具体的に跡づけてみたいと思いました。
で、保立さんの報告で一番面白かったのは<3>のところです。ただし、詳細なレジュメが、この部分になると文献の引用だけになってしまったのがちょっと残念でしたが。高橋幸八郎『市民革命の構造』はまだきちんと読んだことがないので、これから勉強したいと思います。

井原今朝男さんの報告は、<1>最近の荘園制研究では、荘園制が土地制度・収取制度なのか、統治組織・流通社会システムなのか、2つの理解があって曖昧、<2>土地所有制論では、そもそも前近代に私的所有があったのか、物件中心の私的所有権論(中田薫)の再検討、という2つの視点から、永原先生の荘園制研究をふり返ったもの。中田薫は、名前こそ知ってはいてもまったく読んだことがないので、とても勉強になりました。中田説を再評価しつつ、石母田氏が班田を農民の土地私有として論じていたことも初めて聞きました。

なおこの点は、関口裕子氏の『日本古代家族史の研究』でも重要な論点となっているし、戸田芳美氏が「片荒らし」や「見作」の研究などで強調されていたところ。永原先生も「イエの未成立」を論じられています。その意味で、私的所有権とか農民的土地所有というカテゴリーの議論の前に、実証の問題として中世史研究のなかでどう考えられているのかもう少し詳しく聞いてみたかったです。

それから、報告の最後で、今後の課題として、「室町・戦国期の中世国家論の具体化」として、レジュメには3つの課題を提起されていたのですが、2つめの「国人・大名・一揆・惣・講などヨコの結合原理とタテの編成原理を結ぶ社会統合原理の解明」に報告では触れておられなかったようで、その点もぜひお聞きしたかったと思いました。

3つ目の池上裕子氏の報告は、僕自身、一番最初に永原先生の学説を勉強したのが領主制論だったので、素人の僕にもよく分かりました。ただ、最初のところで、基本的枠組みは1955年『日本封建社会論』でできあがり、その後、重点の移動などはあるけれども、大きな変化はない、と報告されていたところは、永原先生ご自身は『日本封建制成立過程の研究』(1961年)のはしがきで「部分的に論旨の相違が存在する」と指摘されているので、もう少し詳しい説明がほしいと思いました。また、池上さんが今後の課題のところで、「封建制」概念の検討を上げて、「封建制」概念の放棄を提唱されている保坂さんを“挑発”されていたのですが、議論が発展しなかったのも残念でした(永原先生の歴史学をどう受け継ぐか、という当日のテーマから離れすぎることになりますが)。
それから池上さんが一番最後に、永原中世史論はやっぱり封建的土地所有論、つまり領主の土地所有から社会をとらえたものだとして、非農業民や村落論が抜け落ちてしまうといった趣旨のことを指摘されていましたが、永原先生は、領主的土地所有の発展と、その対極に農民的土地所有の発展について、いろいろ書かれていると思うので(そのことは、井原さんの報告でも論点になっていたのではないでしょうか)、非農業民はともかく、村落論が抜け落ちると括ってしまうのはちょっともったいないと思いました。

全体討論では、さらにいろんな論点が飛び出し、1つ1つなるほどと思いながら拝聴しました。とくに、永原先生が、歴史研究と歴史教育の結びつきを重視して、教科書裁判をふくめ、大変な力を注がれたこと、その点を統一的に取り上げよという指摘は、永原先生の業績全体をみるときに非常に重要だと思います。あと、吉谷さんが、戦前から永原先生などと一緒に『ロシアにおける資本主義の発達』などを読んでいたことを紹介されていました。治安維持法の厳しい時代に、真剣に学問に立ち向かわれた先輩方の姿勢には、本当に学んでいかなければと思いました。

僕自身は、もともと中世史は専攻でなかったし、すでに15年以上前に研究職を離れてしまって、最近の日本中世史の議論はまったく知らないので、ただただ報告と議論を拝聴しておりました。ただ、僕は、前にこのブログでも書いたように、永原先生の本として1冊だけあげるとしたら断然『体系日本の歴史<6>内乱と民衆の世紀』(小学館、親本1988年、小学館ライブラリー1992年)をあげています。永原先生は、他にも、中公版日本の歴史<10>『下克上の時代』(親本1965年、文庫新装版2005年)、小学館版日本の歴史<14>『戦国の動乱』(1975年、現在は小学館ライブラリー『戦国時代』上下、2000年)など、一般向けの通史の本をたくさん書かれています。そのなかでも、『内乱と民衆の世紀』では、在地領主制や農民の成長といった土台での変動が、上部構造の変動を引き起こしていることが立体的に明らかにされていて、実に見事だと思います。

それだけに、この日のシンポジウムで、そうした歴史叙述との関係で、永原先生の研究をどう見たらよいかという議論が報告テーマに取り上げられなかったのが、僕にはちょっと残念でした。シンポジウムに出席してみて、予想以上に「プロ向け」の議論だなぁと思ったのですが、司会の池さんが、『歴史学研究』に歴史叙述の問題を書かれていただけに、それを含めた議論を聞いてみたかったと思いました。

いうまでもなく、史料に書かれている「事実」を並べただけでは歴史叙述にはなりません。それを理論化・概念化して、1つの歴史像として浮かび上がったとき、初めて読者は面白いと思うし、なるほどと理解することもできるのだろうと思います。もちろん、そうした理論化・概念化自体が、史料に裏づけられていなければならない訳で、外から「観点」を持ち込むようなやり方では、歴史の一側面は描けても、時代全体を描くことは不可能です。領主制や荘園制、大名領国制といった議論は、そういう歴史をどうつかむかという理論化・概念化の“道具”として、これまでも議論されてきたし、理論と実証の問題として、さまざまな研究が蓄積されたきたのだと思います。そういうものとして、永原先生の歴史研究の業績をどう受け継ぐか、そのことが問われているのだろうと思いました。

当日のシンポジウムには、大ベテランの研究者の先生方とともに、若い院生?の姿もちらほら見えていました。この日の報告や、『歴史評論』6月号の中世史研究の特集も、そうした若い研究者への“励まし”と中世史研究者諸氏の決意の現われと思いながら聞いておりました。

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  1. 雑記@史華堂 - trackback on 2005/07/11 at 03:24:55

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