画期的な靖国神社論――赤澤史朗『靖国神社』

赤澤史朗『靖国神社』表紙カバー

ようやっと赤澤史朗『靖国神社』(岩波書店)を読み終えました。

この本の靖国神社論は、画期的なものです。なぜなら、戦後の靖国の「平和主義」の可能性というものを考察の軸の1つに据えているからです。靖国神社の「平和主義」? と思われるかも知れませんが、これは言い換えると「殉国」「顕彰」か「追悼」かの対立。靖国神社も戦後の再出発の時点からずっと今のような靖国神社ではなかったということです。

もちろん、靖国神社の「平和主義」は、靖国神社の戦前の伝統からきちんと抜け出すことができず、結局は、「殉国」「顕彰」の流れに飲み込まれてしまう訳ですが、同じ、「殉国」と「追悼」との対立は、広く日本国民の戦争犠牲者にたいする態度のなかにあったわけで、敗戦からの絶対的な「時間」の経過とも重なって社会的な変化を重ねていくことになります。そこを、「靖国問題」にたいする国民各層の動きというかたちで追っていったところに、この本のおもしろさがあるように思いました。

他方で、「日本のおこなった戦争は正しかった」とする立場も根強いものがあって、1978年7月に戦時中は海軍軍人で戦後は陸上自衛隊に勤務していた松平永芳が宮司に就任しますが、松平は、のちの回想で「私は就任前から、『すべて日本が悪い』という東京裁判史観を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました」といいます。いわゆる“靖国史観”を掲げた運動センター化はこのあたりに始まるのでしょう。この延長上に、1978年10月のA級戦犯の合祀がおこなわれるわけで、国家護持論の破綻→公式参拝論への転換とからんで理解する必要がありそうです。

本書でもう1つ関心をもったのは、立正佼正会の動きについての解明です。「先祖供養」から出発しながら、やがて強制連行中国人犠牲者の「慰霊」、そして靖国神社の国家護持に対する国民護持論を展開していった立正佼正会の動きは、日本人の神仏習合的な宗教意識に根ざしながら、それが必ずしも靖国的な方向にだけ向くものでないことを具体的に示したものとして、実に興味深いものがあります。

いずれにしても、『靖国』を丹念に読み込んだ赤澤氏の研究は、これまでにない靖国論として、ぜひ読まれるべきだと思います。

【書誌情報】著者:赤澤史朗/書名:靖国神社 せめぎあう〈戦没者追悼〉のゆくえ/出版社:岩波書店/出版年:2005年7月20日/定価:本体1800円+税/ISBN4-00-002322-5

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