舘野泉さんの手記

ピアニストの舘野泉さんが共産党の「しんぶん赤旗」に手記を連載されています(初回7月28日、毎週木曜日掲載、これまでに6回掲載)。

「輝く音を求めて」というこの手記は、2002年1月に脳溢血で倒れたときに「騒然となった会場の雰囲気は良く覚えている」という話から始まり、意識が戻ったとき、声も出ない、身体も動かない、しかし頭の中では「フランスの作曲家、デオダ・ド・セヴラックの曲」が鳴り続けていたこと、記憶力も打撃を受け、「世の中とは断絶して、ただ自分をどうにか支えていくのに精一杯であった」と、率直に書かれています。

さらに、退院してから2度目にやってきた医師が、興味なさそうに塗り薬を出したのに「はらわたが煮えくりかえって、薬は使いもせず捨ててしまった」という話や、いろいろの人から見舞いをうけ、うれしいと思う半面、「これでピアニストとしての彼の人生も終わりだなと思う気持ちが見えてつらかった」ことまで、かなりあからさまに書かれてもいます。しかし、それが本当に正直な気持ちだったのだろうと思います。8月に地元の音楽祭の最終日に、飛び入り出演でピアノを弾いたこと、そのとき「聴衆は水を打ったように静まりかえり、すすり泣きの声も漏れてきた」こと、そして「人前で弾くのはこれが最後だなと思った」と言う話は、今だからこそそんなこともあったのかと思って読めますが、その時は、聴衆にとっても本当にこれが最後だと思えるつらい出来事だったに違いありません。

それが、ご長男のヤンネさんがくれた一冊の楽譜がきっかけとなって、音楽の世界に復活する話が印象的でした。その瞬間を、「手が伸びて楽器と触れ、世界と自分が一体となる。音が香り、咲き、漂い、爆ぜ、大きく育ってひとつのまったき姿となって完成する」と書かれていますが、まさに世界が開けるようだったろうと思われます。

2003年秋に小さな演奏会を開かれたとき、横浜で、演奏が終わるなり、あるご婦人が、舘野さんに「左手だけでの演奏を余儀なくされて口惜しくはないだろうか」と質問されたそうです。それに舘野さんは、口惜しくないとは言えないといいつつ、「今感じているのは音楽の喜びだけ」と答えられたそうです。「音楽そのものをしている充実感があふれていて、なにも不足を感じない」「充足した音楽表現ができているのに、どうして不満など感じることがあろう」と。

音楽に復帰するのは右手が動くようになってからと思っていた舘野さんが、左手だけでも音楽表現ができることに気づかれたときに、作曲家・間宮芳生さんに新作を依頼し、それにたいして間宮さんが「再起に向けてがんばっておられる様子、さすがと力強く感じます」と、作曲を快く引き受けてくれたという話もじーんと来ました。

連載は、昨年5月に復帰演奏会をしたところまで来ており、そろそろ終わりにさしかかっているのかも知れません。しかし、一音楽ファンとして、毎週、この舘野さんの生き生きとした力強い手記を読むのが楽しみでなりません。

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