今週の「九条の会」(10月16日まで)

各地の「九条の会」の活動を、インターネットで配信されているニュースからピックアップしました。

「大和高田・九条の会」きょう結成

 戦争をしない国であり続けるため、市民の力を集めて平和憲法を守ろうと14日、大和高田市に住む医師や弁護士、宗教家ら13人が呼びかけ人になって「大和高田・九条の会」が結成される。
  作家の大江健三郎さんらが昨年6月に出した「九条の会」アピールに賛同した同市の住民たちが、約6千人の署名を集めるなどして結成準備を進めていた。結成集会は14日午後6時半から、同市本郷町のさざんかホールで。鈴木良・元立命館大教授(日本近代史)が「今、憲法九条を考える」のテーマで講演した後、結成アピールなどを採択する。
 代表世話人の一人、NPO法人顧問の稲葉吉彦さんは「地域から平和を願う輪を広げるため、ぜひ参加してほしい」と話している。問い合わせは稲葉さんへ。[asahi.com 2005/10/14]

九条の会:憲法9条改正に反対 活動の輪拡大へ――賛同者が交流集会/熊本

 憲法9条改正に反対する「くまもと九条の会」(千場茂勝代表)は8日、会に賛同して組織された県内の団体を集めた「全県経験交流集会」を熊本市で開いた。現在、自民党を中心に憲法改正の動きが具体化しており、約100人の参加者は「今が正念場」とさらに活動の輪を広げることを確認した。
 千場代表は「小泉首相は郵政問題だけを争点として総選挙をし、終わったらすぐ憲法改正を始め、近く新憲法草案を出すといっている。衆院は与党だけで3分の2の議席を占め、参院も民主党の代表は改憲論者。今こそ我々が声を上げなければならない」とあいさつした。集会は県内団体の情報交換や連帯が目的。天草九条の会は天草在住の被爆者の体験談を聞く学習会などを開いていることを報告した。
 くまもと九条の会は、作家の小田実さんや大江健三郎さんが組織した「九条の会」の支持者らで昨年10月に発足。3年で県民の過半数の署名集めを目指し、学習会の開催などに取り組む。運動は広がりをみせており、現在、県内の地域や職場で40以上の「九条の会」ができている。【山田宏太郎】[毎日新聞 2005年10月14日]

「シリーズぎふ戦後60年 平和を守り継ぐ」
本当の国際貢献とは 世界の実情を伝える

 「ユネスコでは、平和は戦争の反対語ではないという。私もそう思う」
 岐阜・九条の会の呼びかけ人の一人として、六月の対話集会で平和について話した平井花画さん(59)=岐阜市北一色=。
 デザイナーの仕事の傍ら、岐阜県ユネスコ協会初の女性会長としてすでに八年。一九八九年に発足した平和と人権、暮らしや子どもの未来を考える市民団体「岐阜・2001年の会」に加わり活発に活動を続けるが、平和について本気で考え始めたのは、そう古い話ではない。集会での話?。
 「二十三歳の時に英国に一年留学。『ヒロヒトをどう思う』と質問され『誰、それ』と。そこで初めて『戦争責任』と訳すらしい内容の話を聞いたが『それ、なあに』で帰ってきた。それから何か身に付けようと中国語を習い、韓国語を習い。中国語の最初の先生が北川四郎さん(旧満州国外交部でモンゴル国境調査に従事、故人)で、現地の話を時々されたが、チンプンカンプン。話しがいのない生徒でした」
 そういう平井さんに転機が訪れた。八七年夏。岐阜市民会館で「ポーランドの子どもの目に映った戦争原画展」を開いた。二人の子はまだ小学生のころ。主婦をしながら、少しずつ仕事を始めたばかり。資金から何から、手探りで取り組んだ。何より絵に感動したからだ。
 「アウシュビッツ強制収容所に行く前、父親が鉄砲で撃たれて血だまりの中で倒れているとか、ある日突然ゲシュタポが家に入ってきて『外に出ろ』と言われた時の恐怖とか。戦争は国がするものだが、一人一人の悲しみこそ戦争だと思った」
 平和のための取り組みを本格的に始めたのは八九年から。九〇年の「国際識字年」を機にユネスコが進める“世界寺子屋運動”は、世界から字の読み書きができない人を無くすための資金作りに一枚四十五円になる書き損じはがきを回収する。
 「金があるから支援ではない。学校に出かけて世界の学校に行けない子らの話をし、読み書きできることの大切さや、彼らの貧しさが日本の私たちにも関係があるかもしれないことを理解してもらい、思い思いのやり方で協力してもらう。そういったことも支援先に伝えている。援助するだけでなく、彼らからも学ぶこと、国際貢献とは、本当はこういうことでは」
 十月。岐阜市の繁華街柳ケ瀬の一角にある店でその話の続きを聞いた。
 「平和を維持するのは戦争するよりエネルギーがいる。平和を維持していくのは、政府でも、国連でも、世界の政治、経済、宗教などの指導者でもない。一人一人の心が平和でないと」
 心に平和のとりでを?が、ユネスコの理念。平井さんは「一人一人が自分に引き寄せて、自分の問題として平和を考えることが大切」と話す。(永井豪編集委員)[岐阜新聞 2005/10/14]

「しずおか憲法9条の会」1周年

 戦争の放棄と戦力の不保持をうたった憲法9条を守ろうと訴える「しずおか憲法9条の会」は11月3日、結成1周年を迎える。今月16日には全国の「九条の会」の呼びかけ人を招き、静岡市・グランシップで記念の集会を開く。国会は、総選挙での与党の圧勝で改憲論が加速しそうな情勢だ。会の事務局長を務める小沢隆一静岡大学教授(憲法学)に現状を聞いた。(聞き手・清野貴幸)

民意問わず改憲へ加速/権益のため財界も介入

 ――改憲をめぐる国会の動きをどうみますか。
 総選挙は特に改憲派の政党から争点にされず、民意が問われていない。それでも衆議院だけで改憲案をつくれる結果だから、決して無視できない。民主党も前原代表が改憲派で鳴らしてきた人なので、憲法を変える動きが加速すると思う。

 ――世論についてはどう考えていますか。
 5月の朝日新聞の世論調査によれば、憲法一般についてはかなり高い率で変えた方がいいという声がある一方、9条は変えない方がいいとの声が5割を超えていた。改憲派の動きは、今の憲法下でできている自衛隊の海外派兵を超えたことをやりたいからだと思う。その部分については国民はかなり、警戒している。

 ――改憲したい人たちはなぜそうしたいと考えているのでしょうか。
 注目したいのは、ここ数年の財界の動き。日本経団連の奥田会長の時代になって憲法問題に口を挟むようになった。1月に9条を真っ正面から変えろという意見を発表した。経団連の主力は奥田会長のトヨタに代表される世界的な大企業や、多国籍で活躍する企業だ。海外での自分たちの権益を守るため自衛隊にも出てきてほしいという気持ちを強く持っている。政治献金のあっせんにより、政治への財界の声の反映度が高まっている。

 ――9条以外なら憲法を変えてもいいと考えているのですか。
 第2次大戦を踏まえ、日本に必要な手かせ・足かせでつくられたのが9条だ。そして弱者の生活を国家が支える生存権を保障する25条は、20世紀前半の人類が苦労して勝ち取った重要な成果だ。それを先駆的に掲げている日本国憲法を今捨ててしまうのは惜しい。憲法が人々の命と暮らしを守るという原点に立てば、守るに値する憲法だ。

 ――国民の間に9条を守る声が強いとする根拠は何ですか。
 一例だが、授業でイラク戦争についてアンケートを取ると、日本にとっても世界にとっても役に立たないとの回答が合わせて8割あった。最近の若い人は保守化したと言われるが、憲法を教えている実感からはストレートには感じない。じっくり理屈を含めて考えさせると、自衛隊派兵がよくないという声が8割になってしまう。決して今、国民が雪崩を打って自衛隊派兵賛成、改憲賛成となっているとは実感できない。逆に国会の数字(勢力図)とのギャップが大きいと感じる。
    ◇
 会によると、この1年で県内では市町や職域ごとに9条の会が約50できたという。会は大学教官や弁護士、宗教者ら30人余りが呼びかけ人となり、各会の活動を結びつけたり、勉強会を開いたりしている。16日は全国九条の会呼びかけ人の作家澤地久枝さんが講演し、県内各地の9条の会の代表者らがリレートークをする。[朝日新聞:マイタウン静岡 2005/10/10]

「シリーズぎふ戦後60年 平和を守り継ぐ」

在日朝鮮人2世の思い 「九条」の志、消さないで

 岐阜・九条の会が今春初めて開いた対話集会。会場から在日朝鮮人2世の卞元守(ビョン・ウォンス)さん(68)=岐阜市長森岩戸=が「体調は悪いが、出掛けねばと思って来た」と話し出した。
 「私は日本で国民学校に入った。中学2年の時に新憲法ができ、これで日本でも生きられると思った。その後、在日に対しては裏切られたが、今の状況はもっとひどい。2000万人の命を奪い、2度と戦争しないと誓った憲法九条は日本にとっても大事な宝。過去を消したら未来も無い。日本人一人一人が、自分の問題として考えてほしい」
 その後も、平和に関する市民の集まりでよく見かけた。時に会場から、差別と貧困に苦しんできた「戦後体験」を、やはりとつとつと語るのだ。
 日中戦争が始まった1937年に韓国・慶尚南道に生まれ、40年に一家5人で下関に渡日。国民学校1年の時に島根に移り、高校に入ってすぐ肺浸潤で退学。「なべ底不況」で土木業などをしていた父は57年、亜炭景気の可児郡御嵩町に移住。卞さんも合流、一時は東京に出たが、働く場も希望も無くして「帰国申請」。それも父の急病で断念し、そのまま岐阜に居着いて今日に至る。
 「クリスチャンの父から厳しく朝鮮語を教えられ、学校で『ヘン君』と間違って呼ばれて訳も分からず返事していた。軍国少年だったが、中学2年の時に『アリランの歌?ある朝鮮人革命家の生涯?』という本を読み、初めて民族の問題を自覚した。それまで、そんなことにかかわっていたら日本で生きていけないという意識しかなかった」
 聞けば苦労の連続だ。母は御嵩に来て間もなく自死。父も既に他界。教員、日雇い、廃品回収など何でもやって生計を立てたが、交通事故に作業事故、心臓病発病と災難続き。「苦労ばかりかけた」妻は四児の巣立ちを見届け去っていった。
 この間、愛知の「在日朝鮮人作家を読む会」に入り、機関誌「架橋」に詩や短編を書いてきた。
 だが、89年、長距離運転手時代に書いた一文は最も広く知られることになる。「長崎市長への7300通の手紙?天皇の戦争責任をめぐって」(径書房編)に収録され「天皇の逝(ゆ)く国で」(ノーマ・フィールド著)にも再録された。
 〈今日を生きる人間にとって過去をおそろかにしていいことがあろう筈(はず)がありません。戦争というような犯罪を侵略国の国民として、今日、世界に向けて頬(ほお)かむりして素通りすることがこれからの歴史を担う生きた人間のためによかろう筈がありません。…〉(同書より)
 10月。体調がいまだ回復しない卞さんは言う。
 「日本人が真に民主主義や人権ということを自分のものにしていたら、こうはならなかったはず。日本が再び戦争できる国になろうとしている流れを止める力に少しでもなればと思って、今もあちこち出掛けている」(永井豪編集委員)[岐阜新聞 2005/10/09]

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  1.  こんにちは。熊本県の阿蘇郡西原村の村議をしています。ようやく阿蘇郡でも9条の会を作ろうと、呼びかけ人が決まりました。

     そして、わが阿蘇郡西原村でも何とか9条の会を立ち上げたいと思っています。

     とりあえず、県立劇場で11月22日に行われる記念講演会の案内を私のブログでしています。西原民報でも紹介せねば・・・

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