「国家」をめぐる対立

今日の「毎日新聞」夕刊の文化欄「想像力のゆくえ」の第2回で、仲正昌樹・金沢大教授が、こんなことを書かれています「『国家』はやがて意味を失うのか?」)。

 結果的に、再配分重視のリベラル左派と共同体主義的な旧保守の双方が、グローバル化の荒波から「国民」を守るための楯として「国家」による規制を強化する方向で合流しつつあるのに対し、新自由主義とポストモダン系左翼がそれぞれ正反対のゴールをめざしながらも、「国家」による「国民」の抱え込みを止めて“自然な流れ”に委ねるべきことを主張するという変則的な構図が生まれている。自国民に特化した再配分機能を備えている国民国家の本質が再認識されたことによって、冷戦時代には固定化した左/右の境界線が変動してる。(「毎日新聞」2005年10月17日付夕刊)

氏の結論(「天皇制に象徴される『何となく日本的なもの』にこのまま安住し続けるわけにはいかないだろう」、「自分たちで自覚的に選択した憲法的価値へのコミットメントを基盤とする憲法愛国主義(ハーバーマス)的な政治文化への転換が求められている」)に限って言えば、そんなに異論はありません。

しかし、上記引用部分についていえば、日本にかんしては、そう簡単に「左/右」の境界線はゆらいでいないのではないでしょうか。

とくに、「右」の側でいえば、小泉「構造改革」路線が、靖国参拝など「復古主義」的傾向と不可分に進んでいることを見れば、仲正氏のいうような「変則的構図」が起きているとは思えません。むしろ、あらためて伝統的左翼とリベラル左派との結集が求められる状況になっており、ポストモダン的系左翼のなかでも、「ポストモダン」よりも、小泉政治への危機感から、左翼への結集傾向を強めている部分が生まれている。これが、現在の日本の思想状況の特徴ではないでしょうか。

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