小泉首相の靖国発言に関する社説

小泉首相が年頭記者会見で自らの靖国参拝について「外国政府が心の問題に介入するのは理解できない」と批判したことについて、各紙の社説などを調べてみました。

日本外交の課題/中韓の関係改善を急げ(山陰中央新報 1/7付)

 日本外交にとって急務かつ最大の課題は、小泉首相の靖国神社参拝が主因となって悪化した中国、韓国との関係改善である。首相は年頭の会見で「外国政府が心の問題に介入するのは理解できない」と語気を強め、参拝を中止する意向はみじんも感じさせなかった。
 これに対して韓国の潘基文外交通商相が直ちに反発、中国外務省の報道局長も批判するなど年初から気まずい雰囲気に包まれた。隣国の首脳同士がまともに対話できない状況はお互いの国民感情にも悪影響を及ぼさずにはおかない。
 内閣府が年末に発表した世論調査で、「中国に親しみを感じる」と答えた人は過去最低の32.4%。韓国に対する親近感は51.1%あったものの、前年比5.6ポイント減。反日デモなどの影響もあるだろうが、小泉首相の意固地な姿勢が偏狭なナショナリズムを募らせる要因ともなっているのではないか。
 外務省の事実上の機関誌「外交フォーラム」一月号に、栗山尚一元駐米大使が「和解―日本外交の課題」と題する論文を寄稿。「首相ら政府の責任者による靖国神社参拝は、同神社の『大東亜戦争』肯定の歴史観を共有しているとの印象を与えかねないので控えるべきだ」と指摘。「加害者と被害者の和解は世代を超えた双方の勇気と努力が必要」と訴えている。
 栗山氏は外務事務次官も務め、日本外交の主軸を担ってきた。そうした立場からの苦言を首相は真摯(しんし)に受け止めるべきだし、国民も過去の歴史に正面から向き合う努力が必要だ。
 中韓両国との冷却した関係は各方面に悪影響を及ぼしている。日本政府悲願の国連安全保障理事会常任理事国入りも、首相の靖国参拝を格好の口実にした両国の反対に遭うなどして挫折した。戦略を練り直すにしても、アジア諸国の賛同なくして常任理事国のポストを得るのは不可能と知るべきだ。
 中国はもはや小泉政権での関係改善をあきらめている節がある。九月の首相退陣まで事態を放置するわけにはいかないが、打開の足掛かりになるはずだった無宗教の追悼施設建設も二〇〇六年度予算での調査費計上が見送られた。
 日米同盟さえしっかりしていれば日本は安泰という首相の認識は危うい。ブッシュ米大統領でさえ昨今の日中関係悪化に懸念を表明している。日中の経済交流は拡大しているとはいえ、「政冷経涼」になりつつあるとの指摘もある。
 中韓両国との良好な付き合いは、対北朝鮮外交を進めるうえでも不可欠だ。日朝間では今月中にも拉致問題や国交正常化など三分野で並行協議が始まる。拉致と核問題の解決なくして国交正常化はあり得ないが、六カ国協議の議長国である中国の影響力を日朝対話に生かさない手はない。
 懸案の北方領土問題は、プーチン・ロシア政権の強硬姿勢に阻まれて打開の糸口を見いだせていない。今年七月にはロシアが初めてホスト国となる主要国首脳会議(サンクトペテルブルク・サミット)が開催される。そうした機会や二国間対話を通じ粘り強く解決を働き掛ける必要がある。
 自衛隊のイラク派遣や在日米軍再編問題なども正念場を迎える。政府には世論の動向を見据えた賢明な取り組みを求めたい。

心配な近隣外交/首相は国益擁護を第一に(東奥日報 1/8付)

 小泉純一郎首相は年頭の会見で、自らの靖国神社参拝を「心の問題」として「外国政府が心の問題に介入、外交問題にするのは理解できない」と強く批判した。
 中国、韓国が首相参拝をきっかけに首脳会談を拒否している姿勢を「一つの問題で他の交渉の道を閉ざすべきではない」としたのに続く反論である。
 首相の強気は一体、どこから出てくるのか。一貫して高い内閣支持率からか。十年後、百年後、後世は小泉内閣をどう評価するだろう。
 それでなくとも、首相の靖国参拝を契機に無残に荒れ果てたアジア近隣外交である。立て直すべき最高責任者の、これが取るべき態度であろうか。これでは外交再建はおろか、一段の悪化が心配になる。
 国民の支持率がいかに高かろうと、首相は謙虚に隣人、隣国の声に耳を傾けるべきではないか。そして日本の国益にかなうステーツマン(立派な政治家)らしい隣人愛のある行動に徹してほしい。
 靖国参拝が外交問題化したのは、首相自身が二〇〇一年の自民党総裁選公約に毎年八月十五日の参拝を掲げてからだ。
 中韓の反発で終戦記念日は参拝していないものの、最近は年一回の参拝を信念と言って譲らない。自分で火種をまき「外交問題にするな」とはいかにも自己中心的にしか見えない。
 なるほど、戦争で亡くなった兵士の弔いに一般国民が靖国に参る気持ちは理解できる。当然の人間的気持ちである。
 しかし、靖国神社には戦争の指導者A級戦犯をまつっている。侵略を受けた中国、植民地だった韓国には、靖国参拝に別格の不快感を抱く人が多いのも客観的事実である。
 首相は日本の最高責任者である。その参拝は一般人とは当然、意味が異なる。周辺国が強い反発感情を抱く現実を無視するのが、為政者の取るべき態度と言えようか。
 最大の務めは首相在任中、近隣外交を含む国益追求にあるのではないか。日本の国益を犠牲にしてまでの参拝や正当性強弁は必要あるまい。
 そもそも、日中韓三国は今後末永く、平和で安定した友好的近隣関係を築く必要の最もある東アジアの中核である。一時の宰相の個人的信念だけで土台を揺るがしてはならない。
 「何かあれば小泉の印籠(いんろう)が『目に入らぬか』とばかりかざす。印籠があるから皆黙っているだけだ」
 参院自民党幹部の述懐だ。自由で民主的な言論が同党から消えたとすれば、末恐ろしいことで、事態は由々しい。
 首相は「『改革なくして成長なし』の路線が正しかったという決着をみた」とも述べ、九月の退任まで構造改革路線継続の決意を強調。後継の条件に「国民の支持」を挙げた。
 巨額財政赤字の中で財政再建と安定経済成長を両立させつつ追求するには、構造改革と規制緩和の道が正しいと多くの国民は思う。
 同時に、国民は外交への不安も禁じ得ない。小泉首相は毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人である。

小泉首相の靖国発言 国益損なうかたくなさだ(徳島新聞)

 なぜ、ここまでかたくななのか。そんな思いを抱かせる、小泉純一郎首相の年頭会見であった。
 首相は自らの靖国神社参拝を批判する中国、韓国を逆に批判し、次のように言い放った。
 「一国の首相が一政治家、一国民として戦没者に感謝と敬意、哀悼の念を持って参拝することに、日本人からおかしいとの批判が出るのはいまだに理解できない。まして外国政府が心の問題にまで介入して外交問題にしようとする姿勢も理解できない」
 一政治家、一国民が靖国神社を参拝することに問題はない。しかし、一国の首相となれば話は別である。首相が靖国参拝のときだけ一政治家、一国民として勝手に立場を使い分け「心の問題」にすり替えることが容認されないのは当然だ。
 首相の発言に早速、両国から反発する声が上がっている。中韓両国の神経を逆なでする発言が、関係修復への道を遠のかせるのは、十分予測できたはずだ。それにもかかわらず、そうした発言を繰り返すのは国益を損なう行為である。
 首相は相手国の立場も含めて総合的に判断し、常に国益を最優先に考え、慎重に行動すべきではないのか。
 中国や韓国も国内に政権基盤の不安定要素を抱えており、靖国問題で日本批判を強めることは政権の求心力を高める効果もある。しかし、外交を内政に利用すべきではない。
 内閣府が昨年末に発表した「外交に関する世論調査」では、中国に「親しみを感じる」と答えた人が32.4%で過去最低、関係が「良好だと思わない」も71.2%と過去最高だった。韓国に対する親近感を持つ人も51.1%と、四年ぶりに前年を下回った。
 こうした傾向は、中韓両国にとってもマイナスである。A級戦犯が合祀(ごうし)された靖国神社への首相の参拝は、譲れない一線であろうが、これを外交カードに反日感情をあおるのは自重すべきだ。
 国民の中には、この問題で「外国に言われてどうこうすべきではない」と、首相の姿勢を支持する声もある。首相の発言が国民のナショナリズムを刺激するのだろうが、それでは中韓との関係が一層抜き差しならないものになる。
 首相は昨年の年頭会見では「粘り強く中国の理解を得られるよう努力したい」などと、一定の配慮を示していた。しかし、今年はそれがなかった。
 「一つの問題で中国側、韓国側が他の交渉の道を閉ざすべきではない。日本側はいつでも話し合いに応じる。あとは先方がどう判断するかだ」
 こんな発言を聞いて、小泉首相の在任中は中韓両国との関係修復は無理だとの見方をする人も増えている。
 現状打開のためには、野党第一党の民主党の役割も大事だ。しかし、前原誠司代表は中国脅威論や集団的自衛権の行使容認を主張しており、小泉政権との対立軸を示せていないのが残念である。
 結局、関係修復は九月に退陣する小泉首相の後継者に託すしかないのかもしれない。だが、有力後継候補にも、強硬な発言が目立つのが気がかりだ。
 中韓両国との経済的な結びつきは強まる一方だ。政府間の関係がぎくしゃくしたままでは経済にも悪影響を与えかねない。早くなんとかしないと、国民不安が広がることが懸念される。

首相年頭会見・中韓との関係改善実現を(琉球新報 1/5付)

 小泉純一郎首相は年頭の記者会見で、自らの靖国神社参拝をきっかけに中国、韓国が首脳会談を拒否していることを批判した。「外国政府が心の問題に介入して、外交問題にする姿勢は理解できない」と述べるなど、中韓両国との関係改善はことしも厳しい状況が続きそうである。
 小泉首相は「一つの問題で中国側、韓国側が他の交渉の道を閉ざすべきでない」と述べ、中韓両国を批判した。
 首相が言う「心の問題」は個人的な問題である。その個人的なことで、重要な外交が滞っている事態への危機意識を、首相は持ち合わせていないのであろうか。
 小泉首相は「靖国神社参拝は外交問題にしない方がいい」とも述べた。中韓が外交問題にし、日本にとって外交上の大きな問題になっている中での発言としては不適切と言わざるを得ない。
 小泉首相は「日本はいつでも話し合いに応じる。あとは先方がどう判断するかだ」とも述べている。
 中韓両国の靖国参拝への反発の強さからして、中韓に丸投げすることだけでは、関係改善はさらに遠のいてしまう。中韓との関係改善を図ることをまず第一に考える姿勢がほしい。
 小泉首相は昨年、シンガポールのリー・シェンロン首相との会談で「首脳間の往来はなくても中国、韓国とはよい関係にある。関係が深まっていることの表れ」と言ってのけた。このような認識では中韓との関係改善はできないことを自覚するべきだ。
 小泉首相は2001年、「公約」としていた終戦記念日(8月15日)を外して8月13日に靖国神社を参拝した。その際の談話で「持論は持論としても、現在のわたしは幅広い国益を踏まえ、一身を投げ出して首相の職務を果たし、諸問題の解決に当たらなければならない立場だ」と強調した。
 「持論より国益」とのことだが、その後の小泉首相の言動や参拝継続からしてその場しのぎの感はぬぐえない。
 「心の問題」一辺倒では、中韓の理解を得ることはできないことを小泉首相は認識してほしい。

小泉政治/強気一辺倒では済まない(神戸新聞 1/8付)

 ことし九月に自民党総裁の任期切れを迎える小泉純一郎首相にとって、「政権最後の一年」がスタートした。
 年頭の記者会見や初閣議で首相が強調したのは改革継続への意欲だ。小泉構造改革の「旗印」を守り、求心力を維持しようという思惑があるのだろう。会見でも、首相の強気の姿勢が目についた。
 景気回復の足かせになっていた金融機関の不良債権問題を克服したと実績を誇示し、「『改革なくして成長なし』の路線が正しかった」と述べている。後継者にも改革路線の継承を求める意向を示すなど、政権末期にありがちなレームダック(死に体)化の不安も視野にないかのようだ。
 実際、この時期になっても首相への国民の支持は高い。多くの壁があった郵政民営化を実現させ、派閥や族議員の力をそいだ。その執念や指導力に新鮮なものを感じ、評価していることは確かだろう。
 しかし、小泉改革には負の部分や危うさ、荒っぽさが伴っているのも間違いない。大事なのは、そうした問題点にしっかり向き合うことではないか。
 景気の回復基調が鮮明になっている一方で、競争や効率優先の小泉路線が「格差社会」につながるという懸念は膨らんでいる。勝ち組と負け組に二極化する社会への不安に首相はこたえようとしない。
 目標に掲げる「小さな政府」も、全体の姿や暮らしの将来像などが明確にならないまま、掛け声ばかりが飛び交う。
 首相の強気は外交でも変わらない。自らの靖国神社参拝が冷却化を招いた中国、韓国との関係改善を問われて「日本はいつでも話し合いに応じる。あとは先方の判断」と問題を相手に投げ返している。
 そこには、昨年の年頭会見で述べた「理解を得られるよう粘り強く努力したい」など、両国に一定の配慮を見せた言葉は見当たらず、内外で高まっている懸念が耳に届いた様子はうかがえない。
 いまや党内で首相を批判する声は、ほとんど聞こえなくなっている。その権限集中は際立つ。昨年の衆院選大勝や党を「ぶっ壊した」結果で、首相の自信を支えている要因といえるだろう。
 だが、そんなときこそ異論や批判を正面から受け止めることが重要だ。
 たしかに、首相が掲げた構造改革は進みつつあるが、本当の成否は今後に待つべきものは多い。不十分な部分、先送りされた問題も残っている。バトンタッチが迫っているいま、小泉政治の到達点を正しく見極める姿勢を忘れてはならない。

西日本新聞の社説は、ちょっと角度は違いますが、憲法改正の動きや小泉首相の日米同盟一辺倒の姿勢と絡めてアジア外交の行き詰まりを問題にしています。

構想力鍛え「信頼される国」に 安心できる明日へ(西日本新聞 1/6付)

 このままアジアの中で日本の存在はたそがれていくのではないか。
 戦後六十年を迎えた昨年、アジアの国々、とりわけ隣国の中国、韓国で起きた反日現象は、私たちにそんな不安を抱かせるほど重いものであった。
 国内に目を向ければ右肩上がりの成長神話はとうに過去のものとなり、急速に進む市場万能、規制緩和の流れは強者を生みだし社会格差は拡大した。
 平和憲法で専守防衛のたがをはめられた自衛隊が海を渡り、いまや八千二百キロも離れた中東、イラクに駐留して同盟国・米国の戦争の後始末とも言える復興支援活動を担う。
 私たちが「戦後の崩壊」を複雑な思いでかみしめざるを得なかったとき、アジアとの関係に浮かび上がったのはいまだ「戦後の克服」ができない日本の姿だったのではないか。
 小泉純一郎首相の靖国神社参拝をめぐる中韓両国との関係険悪化は首脳会談、首脳交流の断絶に発展し、経済協力協議にも影を落とす。日本の宿願でもあった国連常任理事国入りも中韓の横やりで東南アジア諸国連合(ASEAN)が動かず、かなたに遠のいた。
 この現実は何なのか。私たちはいま謙虚に自国の「自画像」に向かい合い、生き方を再考しなければならないときではないか。
 潮目を読み違えてはならない。将来、あの時が転機だったと気付いても手遅れだ。

関係損なう危険なゲーム

 注視すべきなのは近隣諸国との外交摩擦が生じたのは、小泉政権下で米国との軍事連携の極点とも言える「日米融合」の段階へと踏み込んだのと軌を一にしていることだ。
 在日米軍の再編を例に挙げれば、米広域作戦司令部を日本国内に移し、自衛隊は米国が対テロ作戦の主戦場に想定する朝鮮半島から中東に至る「不安定の弧」での対米支援活動の拡大をうかがう。
 政界でも自衛隊の共同作戦遂行の手足を縛る集団的自衛権の行使容認など憲法改正の動きは急だ。
 日本の国民レベルからすれば、改憲を支持しても軍国主義復活を望む声はなかろう。
 だが、一連の動きが軍国主義の残影を引きずる靖国神社への参拝を重ねる小泉首相の政権下で進んでいることがアジア諸国には「戦前回帰」と映り、強い警戒感を喚起している。
 もう一つは偏狭なナショナリズムの悪循環である。
 東アジアでは中国の台頭の一方、アジア諸国の戦後の経済発展をリードした日本の経済は停滞し、盟主としての地位に陰りが生じつつある。
 日本国内にくすぶる閉塞(へいそく)感や警戒心がより「強い日本」を希求する偏狭なナショナリズムに結び付き、靖国参拝問題など歴史認識で中韓両国には「一歩も譲るな」という強硬姿勢をあおっている側面もある。
 同様に中韓両国にもナショナリズムを国民結束の手段にする傾向が強まっている。日本が与えるゆがんだイメージは格好の演出装置となっている。
 同じ次元で応酬を繰り返す外交ゲームはあまりに危険に満ちている。
 日米の固い絆(きずな)を振りかざし信条貫徹を図る小泉首相の強気の外交姿勢は出口の見えない混迷を招くばかりだ。
 東アジアはいま対立と協調の岐路に立たされている。

「戦後の克服」できるのか

 冷静に見詰めなければならないのは東アジアで進む劇的な構造変動だ。
 中国の台頭はまた、この地域に相互依存関係の深化をもたらし、経済統合の推進力にもなっている。
 小泉政権の四年間、日中、日韓の確執が増幅される一方、日本とは緊密な関係だったASEANは対中傾斜を強めている。
 このままでは日本は地域統合の動きから取り残され、アジアで孤立する恐れも否めない。
 日本が危機を克服するには、東アジアの将来像を大きく描く外交構想力が問われている。
 エネルギーや食糧、金融などアジア諸国と実利を共有できる連携を積み重ね、互いに理性的な交渉ができる枠組み創設を提起するのも有効だろう。
 日本にとって市場開放など大きな「痛み」は伴うが、中国に出遅れたASEANとの自由貿易協定(FTA)の推進を急ぐのは当然である。
 この地域の将来には日本の民主主義や基本的人権などの価値観も重要になろう。
 いずれもアジアの国々が日本を信頼できるパートナーとして認めることにつながるはずだ。
 日本の構想力を提示する好機となるのは昨年からスタートした東アジアサミットである。中国との主導権争いにエネルギーを費やすときではない。
 日本が対米関係を重視することには異論はない。だが予想外の構造変動が出現する世界情勢を考えれば、三十年、四十年後に米国がいまの姿でいられるのか、その保証はなかろう。
 これまで米国ばかりだったまなざしをアジアにも向け、日本独自の外交構想力を鍛えねばなるまい。
 それを怠っていてはアジアの戦後はいつまでも終わらない。

小泉氏と靖国 その居直りがいけない(東京新聞 1/13)

 これが国の最高責任者の発すべき言葉だろうか。「靖国参拝自体がいけないのか、中国、韓国がいけないからいけないのか、はっきりしてほしい」と、小泉首相は言った。その居直りがいけない。
 外遊先のイスタンブールでも首相は靖国にご執心だったようだ。年頭会見と同じ発言を繰り返した。おれの勝手だ、余計な口を挟むな、と言わんばかりに。まるで批判されるのを楽しむように。
 物事を単純化して異論を退けるような、発展性のない議論につきあうつもりはさらさらないが、理解に苦しむ点はただしておきたい。
 首相は自民党総裁選の争点に関して「靖国の問題を自分から提起したことはない。参拝しろとか、してはいかんとか、誰にも言うつもりはない」と述べている。
 二〇〇一年総裁選で八月十五日参拝を公約して、党の有力支持団体、日本遺族会の票獲得に動いたのは誰だったか。小泉氏である。
 それでいて、ポスト小泉の総裁選は靖国を争点にするな、と言うのなら、そんな身勝手はない。
 盟友であった山崎拓氏が「外交問題でないと強弁しても、内政問題であり、争点になる」と言っている。その通りだ。次の総裁は小泉スタイルを継ぐのかどうか、党員も、国民だって、知っておきたいだろう。
 そもそも、靖国参拝をわざわざ目立たせて、外交問題に発展させたのは首相自身だ。いまさら「精神の自由、心の問題だ」と自分の殻に閉じこもるのでは、無責任だろう。
 参拝自体がいけないのか、外国が駄目だと言うからいけないのか、と居直ってみせる首相に、日米・日中戦争、その責任の所在をめぐっての思慮分別は感じられない。極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判と、そこで断罪されたA級戦犯の評価を抜きにして、靖国は語れないのに。
 次期総裁候補の一人、安倍晋三氏も小泉氏と同類らしい。先日こう言った。「先の戦争をどう評価するかを政治家が言うと、外交的、政治的意味を持ち、あまり賢明ではない。それは歴史家に任せたい」。意味が分からない。歴史認識を語れぬ総理総裁候補など、候補たりえない。
 連立与党にあって控えめな公明党の神崎武法代表が、さすがに次の首相の参拝自粛を求めている。(1)歴代首相は侵略戦争を深く反省する談話を出している(2)靖国神社はA級戦犯が合祀(ごうし)され、かつての戦争を称賛している(3)そこに首相が行くのは内閣の方針と矛盾する?というものだ。
 また口先だけかと軽んじられないよう、神崎氏にはお願いしておく。

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