教育基本法についての各紙社説を眺めてみました

教育基本法改悪の動きについて、各紙の社説を集めてみました。

そもそも法律で「愛国心」教育を押しつけることへの疑問・批判はもちろん、教育にかかわるさまざまな問題を何でもかんでも教育基本法のせいにする与党の議論、教育にたいする国家の介入・統制への危惧、自民・公明の教義の密室性への批判、それに民主党案なるものへの批判も含め、ほぼ論ずべき点はすべて何らかの形で指摘されています。

社説:教育基本法改正 必要性と緊急性が伝わらない(毎日新聞 5/17)
教育基本法 改正論議の行方が心配だ(信濃毎日新聞 5/17)
教育基本法*拙速審議は禍根を残す(北海道新聞 5/7)
社説[教育基本法改正案]国民の疑問に応えよ(沖縄タイムス 4/30)
教育基本法・改正急ぐ状況ではない/理念を生かす施策こそ必要(琉球新報 4/29)
教育基本法改正案 論議がもっと必要だ(徳島新聞 4/16)
教育基本法/改正への理解得られるか(神戸新聞 4/14)
なぜそんなに急ぐのか 教育基本法改正案(中国新聞 4/14)
教育基本法改正案・愛国は強制するものでない(琉球新報 4/14)
【教基法改正】荒廃は解決できない(高知新聞 4/14)

社説:教育基本法改正 必要性と緊急性が伝わらない
[毎日新聞 2006年5月17日 東京朝刊]

 後半国会の焦点となっている教育基本法改正案の審議が16日、衆院で始まり、本会議で政府による改正案の趣旨説明と質疑が行われた。会期延長がなければ国会閉会まで残り1カ月というタイミングでの審議入りだが、基本法をなぜ今、改正しなければならないのかという必要性と緊急性は、この日の政府側の説明でも相変わらず伝わってこなかった。
 現行の教育基本法制定から半世紀余りで、情報化、国際化、少子高齢化など教育をめぐる状況の変化やさまざまな課題が生じ、道徳心や自立心、公共の精神、国際社会の平和への寄与などが求められている。新しい時代の教育理念を明確にして国民の共通理解を図り、未来を切り開く教育の実現を目指す――。これが、小泉純一郎首相や小坂憲次文部科学相が繰り返し語った提案理由である。
 しかし、状況の変化は今に始まったことではなく、教育を取り巻く課題は基本法を改正したからといって解決するわけでもないだろう。現行法のどこに問題があり、どのように変えればどんな課題が克服されるのか、という具体的な「設計図」が見えてこない。
 毎日新聞の全国世論調査(電話)では、改正案を「今国会で成立させるべきだ」と答えた人が17%に対し、「今国会にこだわる必要はない」は66%に上った。改正の必要性・緊急性が国民に十分理解されていない以上、国民の多くが早期改正を望まないのは当然だ。
 対案の法案をまとめた民主党の鳩山由紀夫幹事長は本会議で「1年、2年をかけて議論しよう」と呼びかけた。民主党案は焦点の「愛国心」表記で「日本を愛する心を涵養(かんよう)する」との表現を盛り込んだ。改正案で公明党に配慮した自民党への揺さぶりを狙ったとも受け取れるなど、改正にどこまで熱心か分からない部分もあるが、じっくり議論すべきなのはその通りだ。
 改正案が成立した場合、教育現場にどのような影響があるのかという説明も、この日の政府側答弁ではほとんどなかった。現行法で「9年」と定めている義務教育期間を改正案で削ったことについて、「将来の延長も視野に入れている」と答えた程度だ。
 教育目標の一つとして盛り込んだ「我が国と郷土を愛する態度を養う」との表現については「児童・生徒の内心にまで立ち入って強制するものではない」と答弁した。しかし、国旗・国歌法の国会審議で当時の小渕恵三首相が「内心にまで立ち入って強制するものではない」と答弁したものの、実際は卒業式の国歌斉唱をめぐって混乱する自治体もあり、教育現場への影響ははっきりしない面もある。
 また、改正案は教育行政に関する条文で「全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため」として、国に教育施策の策定と実施の権限があることを明記した。しかし、実際には文科省が教育指針となる学習指導要領を作成したりしている。わざわざ明文化して念押しする必要があるのだろうか。文科省はその意図をきちんと説明する必要がある。

社説=教育基本法 改正論議の行方が心配だ
[信濃毎日新聞 5月17日(水)]

 政府が提出した教育基本法改正案が衆院本会議で審議入りした。民主党が対抗して準備中の改正案も含め、内容には問題が多い。国民の意向を幅広く踏まえた論議が欠かせないテーマである。今国会で成立を急ぐのは避けるべきだ。
 愛国心が改正の主な論点になっている。「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」。政府案にはこんな表現で盛り込まれている。
 なぜ今、愛国心をうたう必要があるのか、政府から納得のいく説明はない。日の丸・君が代をめぐるトラブルが学校で続いている実情を考えると、現場に新たな摩擦が持ち込まれないか、懸念が募る。
 民主党案はある面で、政府案以上に問題が多い。「日本を愛する心を涵養(かんよう)し」と、政府案も踏み込めなかった愛国「心」をずばり、前文でうたっている。
 現行法は教育行政について、「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われる」と定めている。軍国主義的な考えで教育がゆがめられた過去への反省に立った規定である。
 民主党案はここを「民主的な運営を旨として行われなければならない」と言い換えている。基本法の根幹に触れる修正だ。
 民主党案にはほかに「公共の精神」「自由と責任」など、保守的な意味合いもある文言がちりばめられている。現行法にはない家庭教育の項目も、新しく設ける。
 教育の目標を定めた第一条からは、「個人の価値をたつとび」「自主的精神に充ちた」など、個人の自立を重視する現行法の表現が消えている。政府案と同様に、あるいは政府案以上に、現行法の理念から隔たった改正案といえる。
 教育基本法は憲法とセットで、戦後日本の平和の歩みを方向づけてきた。今の教育が学校の荒廃など問題を抱えているのは事実としても、解決の道は、「人格の完成」を教育の目的に掲げる現行法の理念を踏まえ直して開くほかない。
 政府案、民主党案を見ると、自民・公明両党と民主党に任せたのでは、改正論議が間違った方向に進む心配が否定しきれない。特に民主党案は、党内の総意をどこまで踏まえているかの疑問も残る。
 国会の会期はあと1カ月ほどしかない。論じなければならないテーマは米軍再編、社会保険庁改革、「共謀罪」問題など山ほどある。
 これら懸案を差し置いて、基本法に手を加える必要は認められない。

教育基本法*拙速審議は禍根を残す
[北海道新聞 2006年5月7日]

 政府は、教育基本法の改正案を国会に提出した。与党は大型連休明けに、衆院に特別委員会を設け、今国会での成立を目指す方針だと言う。
 基本法は「教育の憲法」と言われ、戦後教育の根幹をなしてきた。一九四七年の制定以来およそ六十年ぶりの改正は、教育のあり方に大きな転機をもたらすだろう。だというのに、会期が残り少なくなった、この時期にあえて提出したことに、疑問を感じる。
 しかも、改正案は「愛国心」や「公共の精神」を盛り込み、国の規制も強めて、現行基本法や憲法の理念を骨抜きにしかねないものだ。賛否も、大きく分かれている。
 教育は、社会の将来を左右する重要な事柄だ。国民的な議論も経ずに、変えていいはずがない。与野党は、国民の意見を十分に聞き、改正の是非を含めて徹底的に議論する必要がある。
 国民も無関心でいられない。審議の行方を注意深く見守っていきたい。
 現行の基本法は、前文と十一条からなっている。改正案は、前文を変更するとともに、新たに「教育の目標」や「家庭教育」「教育振興基本計画」などを加えて十八条にした。
 全体を通じて言えるのは、現行法が高く掲げている「個人の尊厳」の理念を極力薄めようとする意図が、見え隠れしていることである。
 前文に「個人の尊厳」の文言を残したとはいえ、新たに「公共の精神を尊び」や「伝統を継承し」といった表現を登場させた。
 第一条からは「個人の価値」や「自主的精神」の文言が消えている。個人主義と利己主義を同一視して批判する勢力に、後押しされたものだろう。
 国の規制を強める意図も見える。
 「愛国心」は、与党案のまま「我が国と郷土を愛する」との表現で盛り込まれた。条文化することで、国が心の領域にまで踏み込み、強制する法的根拠を与えてしまう恐れがある。
 愛国心だけでない。現行法は、教育は「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」としているのに、改正案は「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」として国の関与を明確にした。
 まだある。保護者が子どもの教育に第一義的責任があることを盛ったほか、学校や家庭、地域住民が相互の連携や協力に努めることも条文化した。これでは、国が家庭や地域に介入する口実にされかねない。
 改正案は、さまざまな問題をはらんでいる。改正によって教育はどう変わるのか、愛国心はどう教え、達成度の評価までするのか。政府は、疑問や不安に、丁寧に答える責任がある。
 与党も、昨年の衆院選大勝に乗じて押し切るようなことがあってはならない。拙速審議は将来に禍根を残そう。

社説[教育基本法改正案]国民の疑問に応えよ
[沖縄タイムス 2006年4月30日朝刊]

 教育は国家百年の大計である。にもかかわらず、その根幹を成し「教育の憲法」といわれる教育基本法の改正をなぜそんなに急ごうとするのだろうか。
 三年間の与党検討会で自民、公明両党の教育基本法改正協議会は「愛国心」を「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する(略)…」にすることで合意した。それを受けて政府が二十八日、教育基本法改正案を閣議決定したのである。
 与党は連休明けに衆議院に特別委員会を設けて審議入りを目指すという。
 自民党は公明党の意をくんで「愛国心」という表現を避けたが、それでも本音の部分には「愛国心」の文言を盛り込みたいとする議員が多く、党内で駆け引きが続いている。
 むろん国を愛する心は大事であり否定すべきものではない。ただ、本来、個人の心情の問題であるはずの愛国心をなぜあえて法律に書き込もうとするのかが腑に落ちないのである。
 法律で定めた場合、教師が子どもたちに「国の愛し方を教える」ことにつながる。評価の対象になれば画一的になり強制にも結びつくはずだ。それでは本当の意味での愛国心が生まれるはずがない。
 心の問題を法律で定めることが憲法が保障する思想信条の自由に反するのは言うまでもない。
 国が心を統制していくことを許してはならず、絶対に「ノー」だと叫び続けなければならない。
 確かに教育現場ではいじめや不登校、学力低下などを理由に、教育が荒廃しているという言葉を耳にする。
 だが現行の教育基本法がいまの教育の状況をつくり出しているのかどうか検証されたとはいえず、国民に対して説得力のある説明もなされていない。
 本当に改正が必要なのかどうか。あるとすればどう変えなければならないのか。
 民主主義の原理と個人の自由を守るという憲法の理念に照らして、きちんと分析していくことが求められよう。
 改正案を国会に提案した小泉内閣はまた、現行法のどこがどうおかしいのか――国民に対し具体例を提示し、一緒に論議していかなければなるまい。
 国民主権という憲法の精神を踏まえた現基本法に比べ、国民に義務を強いる“教育勅語”に似ているという批判にもきちんと応える責務があろう。
 国の将来にも深くかかわる問題だけに国会での審議は当然として国民への周知も重要となる。拙速な改正は国を危うくするだけであり、国民に情報を開示し慎重に論議すべきだ。

教育基本法・改正急ぐ状況ではない/理念を生かす施策こそ必要
[琉球新報 2006-4-29 9:55:00]

 政府は教育基本法の改正案を28日、閣議決定した。政府は法案を国会へ提出し、与党は衆院に特別委員会を設置し、今国会での成立を目指す方針だ。「教育の憲法」ともいわれ、戦後の教育制度の根幹となってきた同法の改正に向けての国会審議が近く始まることになった。
 同法の全面改正が国会の議論の場に上るのは、1947年の制定以来初めてだ。約60年ぶりの改正に向けて、大きく動きだしたことになる。
 決定された政府案は自民、公明の与党で合意された折衷案そのままだ。教育の将来的なビジョンを政府内で十分に検討したのか、はなはだ疑問が残る。

なぜ改正が必要か

 教育基本法の改正は、2003年3月に中央教育審議会が遠山敦子文部科学大臣(当時)に対して改正を答申して以来、自民、公明の与党内で議論が続けられてきた。
 自民党内には、もともとGHQ(連合国軍総司令部)によって制定された憲法と教育基本法の改定を求める声は強く、今回の改正案は自民党内での基本法への批判を大筋で取り込んだものだろう。
 基本法改正について与党は「モラル低下に伴う少年犯罪の増加など教育の危機的状況」や「個の重視で低下した公の意識の修正」などを改正の理由に挙げる。戦後教育の弊害としてこれらの問題をとらえている。
 確かに少年犯罪の増加や学級崩壊など、子供たちを取り巻く環境は憂慮すべきものがある。しかし、これらの問題を戦後教育の弊害としてだけとらえるのは無理があるのではないか。現在の学校教育の中で果たして「個」が過度に尊重されているのだろうか。「個」を尊重する理念は、教育基本法が制定された当時よりも後退しつつあるのではないか。
 社会や学校で起こっている問題の原因を教育基本法だけに押し付けているのではないか。問題は、社会のありようにかかっているはずで、基本法を改正しただけでこれらの問題が解決するとは思えない。なぜ改正が必要なのか。政府は国民に説明すべきだ。
 今回の改正案では、愛国心について「国と郷土を愛する態度」としたほか、教育目標に「公共の精神」「伝統と文化の尊重」など、徳目的色彩の強い理念が盛り込まれている。
 「個人」より「国家」により重きを置いた形の改正であり、「愛国心」を法律で規定し、心の問題を法律で規定することを危ぶみ、警戒する国民は多い。憲法の保障する思想、信条の自由を侵害することになるという懸念だ。
 法律で「心」を縛るといった批判に対して、改正案では「心」といった言葉を避け、「態度」に表現を変えている。しかし、表現を変えたからといっても基本的な精神は変わらない。

改憲の動きと連動

 自民党の憲法改正案も、国や社会を愛情と責任を持って支える責務を持つことが強調されている。個人よりも国家に重きを置いており、教育基本法の改正と改憲の動きは連動している。改正案では、家庭教育の項目も盛り込み、「家庭は子育てに一義的に責任を有する」と規定している。家庭の中にまで国家が入り込むようなものだ。
 中教審が改正答申を行って以来、3年。議論は非公開の中で行われてきた。広く国民の意見を反映させるといった形にはなっていないし、改正に対する異論や懸念の声に耳を傾けて、その疑問、疑念に応える姿勢はとっていない。
 「教育をどうするのか」。現在のわたしたち社会の重要な課題であることは間違いないが、教育基本法を改正することで問題が解決するものではない。教育をどうするのか、具体的なビジョンを国民に提示すべきではないか。
 政府、与党は残り2カ月余りに迫った今国会の会期中に成立を目指すというが、これだけ異論のある法案を2カ月で成立させようとするのは拙速だ。
 教育基本法は、戦前の国家主義の反省の上に立って「個人の尊厳」「個人の価値」を尊重することをうたっている。憲法に基づいたものだ。その基本的な理念は、国民に受け入れられており、その理念を生かすことこそが必要だ。改正を急がなければならない状況にあるとは思えない。

教育基本法改正案 論議がもっと必要だ
[徳島新聞 2006年4月16日]

 「教育の憲法」といわれる教育基本法の改正案を、与党が正式決定した。
 政府は五月の大型連休前後の国会提出を目指しており、同法は一九四七年の制定以来、約六十年ぶりの改正に向けて大きく動き出した。
 最大の焦点だった「愛国心」は、「我が国と郷土を愛する態度」といった表現で「教育の目標」に盛り込まれる。
 自民党が「国を愛する心」を主張したのに対し、公明党は「戦前の国家主義を連想させる」と反発、「国を大切にする心」を唱えた結果、「我が国を愛する態度」といった妥協案で決着した。
 しかし、表現がどうであれ、愛国心を盛り込んだことに変わりはない。
 教育基本法は、国民に愛国心を強要して、戦争に駆り立てた戦前の軍国主義教育への反省から生まれたものだ。同法に愛国心を盛り込むことは、戦前回帰と受け取られても仕方がないだろう。
 「教育の国家統制が進み、憲法が保障する思想、良心の自由の侵害につながる」「国旗掲揚、国歌斉唱の強要に歯止めがかからなくなる」
 そんな危機感を抱く国民も少なくない。もちろん理由があってのことだ。
 国旗・国歌法ができたとき、政府は「強制しようというものではない」としたにもかかわらず、東京都などでは「日の丸」掲揚時の起立や「君が代」斉唱を教員らに強制し、従わない場合は懲戒処分にしている。
 福岡市の小学校では、学習指導要領に盛り込まれた愛国心を通知表で評価するという事態まで起きた。
 こんな息苦しい教育を、子どもたちが喜ぶだろうか。国の根幹にかかわる教育基本法である。改正には慎重が上にも慎重でなければならない。
 「個人」の尊重を基調とした現行法に比べ、改正案では「公共」重視の姿勢も打ち出された。「個性ゆたかな文化の創造をめざす」とした前文は、「公共の精神を尊び、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す」と明記される。
 もちろん「公共心」は必要だ。しかし、いじめや学力低下、学級崩壊など、教育の荒廃が問題になる度に、その原因を「個人」を尊重した戦後教育や教育基本法に押し付けるのは無理がある。
 同法には、憲法に基づいて「真理と平和を希求する人間の育成」や「教育の機会均等」「男女共学」など、自由で伸びやかな教育の理念がうたわれている。
 その精神はすっかり国民に浸透しており、今どうしても変えなければならない必然性があるとは思えない。なぜ改正を急ぐのか、政府は国民の納得がいくように説明する責任がある。
 改正案には「家庭教育」の項目を設け、父母らに「生活のために必要な習慣を身に付けさせ、自立心を育成するよう努める」ことも求めている。一見もっともな条文だが、国家が家庭の中にまでずかずかと踏み込むことは許されない。
 何より問題なのは、二○○三年に中央教育審議会が同法改正の必要性を明記して以来三年間、論議が”密室“で行われてきたことだ。教育の在り方より、「愛国心」の表現に関する不毛な言葉いじりに終始してきた感も否めない。
 「百年の計」といわれる教育基本法を、時の連立政権の妥協案で安易に改正していいわけがない。国民の活発な論議を期待したい。

教育基本法/改正への理解得られるか
[神戸新聞 2006/04/14]

 自民党と公明党が、教育基本法の改正で合意し、与党案が決定した。「教育の憲法」ともいわれる重要な法律が、一九四七年の制定以来、初めて全面改正へ大きく踏み出すことになる。
 中央教育審議会が三年前に「改正答申」を出した。これを受けて与党協議を重ねたが、ずっと平行線をたどってきた。「愛国心」をめぐって、両党間に大きな考え方の相違があったからだ。
 自民党が「国を愛する心」の記載を主張するのに対して、公明党は「戦前の国家主義を連想させる」などと反発してきた。
 ようやく、与党の検討会が「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」との表現で合意した。また公明党が求めていた「他国を尊重し国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」との文言も盛り込まれた。ここでは「『国』は政府など統治機構を含まない」ことを両党で確認している。
 合意文を見る限り、まさに自公両党の折衷案そのものといえるだろう。問題は、いま改正しなければならないという必要がどこまで国民に理解されたか、だろう。
 答申は改正の理由として<1>モラル低下に伴う少年犯罪や学級崩壊などの教育危機の克服<2>個人の尊厳を重んじるあまり、欠如した「公意識」の修正<3>グローバル化など社会変化への対応-などを挙げた。
 自民党は、戦後教育の弊害是正を理由にしている。しかし、教育現場や社会で起きているさまざまな問題の要因を、教育基本法だけに押し付けることには無理がある。まして、法を改正するだけで、問題が解決するとも思えないのだ。
 現行法は約六十年が経過し、カバーできない分野があることも否定できない。改正案には、「生涯学習」「家庭教育」など数項目の条文も新たに加えられる。
 ただ、三年に及ぶ検討は非公開だった。見直しが、これからの教育にどう生きるのか――など本質的な議論がどこまで尽くされたのか。目立ったのはもっぱら愛国心をめぐる字句の調整であり、改正論議が国民に浸透したとはとてもいえない。
 国民の間では、「国を愛するのは自然な心で、明記は当然」とする一方で、「心の問題に法律で枠をはめる必要があるのか」「国歌斉唱や国旗掲揚の強制に歯止めがかからなくなる」との声も根強い。こうした異論や疑問の声を軽視してはならない。
 愛国心論議だけでなく、改正法の全体像について、いま一度広く意見を求めるべきである。成案化はそれからでも遅くない。

なぜそんなに急ぐのか 教育基本法改正案
[中国新聞 2006/4/14]

 どうしてそんなに急がねばならないのか。教育基本法改正をめぐって、与党の動きがにわかに慌ただしくなってきた。
 自民、公明両党による同法改正協議会はきのう「我が国と郷土を愛する…態度」などの文言を加えた改正案を正式決定した。改正を目指す理由として「教育の荒廃」などがあげられてきたが、改正で「荒廃」が解消するわけでもなかろう。慎重な取り扱いと野党を含めた幅広い議論が要る。
 日本国憲法を受けて基本法は前文で「真理と平和を希求する人間の育成を期する…」としている。改正案は「教育の目標」に両党間で論点になっていた愛国心を「愛する…態度」に直して合意した。妥協が図られたといえよう。
 基本法が一九四七年に施行されて約六十年。この間、自民党は「軍隊を持てない平和憲法」の改正と併せて教育基本法の見直しに意を注ぎ「愛国心」にこだわってきた。その下支えとして徹底させたのが、教育現場における君が代斉唱、日の丸掲揚だった。
 自民と公明は二〇〇三年から協議を始めた。公明には「愛国心」への拒絶感が根強くあった。戦前、支持母体の創価学会が愛国を声高に叫ぶ国家主義政府によって弾圧されたからだ。
 その拒絶が、ここに来てオブラートに包まれだしたようにみえる。背景の一つには、昨秋の衆院選で自民が絶対多数を確保した力関係の変化があろう。もう一点は公明のお家の事情との見方がもっぱらである。
 来年の参院選と統一地方選が控える。与党である限り、ついて回る自民の「攻勢」。それを、一定の譲歩を引き出したうえで今年決着させたい考え方だ。選挙年における内部の路線上の混乱を避けたい思いがあったとしても不思議でない。もしそうであるなら、党利党略に「教育」が利用されることにならないか。
 自民内部には国会の会期延長論も出始めているとも伝えられる。何はともあれ通すとも受け取れる。自民多数のおごりの表れと見なされても仕方なかろう。民主党の失敗に続いて与党のごり押しで、国会が混乱するようなことがあってはならない。格差、年金問題など多くの政策課題がある。
 「我が国と郷土を愛する…態度」といった文言はあいまいだ。いったいだれが判断するのか。心の領域とする人も少なくない。拙速は国民の一体感を損なう。

教育基本法改正案・愛国は強制するものでない
[琉球新報 2006-4-14 9:40:00]

 与党は教育基本法改正協議会で、改正案を正式に決定した。焦点だった「愛国心」の表現は「我が国と郷土を愛する態度」になった。前文には「公共の精神」などの文言を新たに盛り込み、「公」重視の姿勢を打ち出している。
 教育基本法の改正案がまとまるのは1947年の同法制定以来、初めてだ。案通りに改正されたら、戦前の国家主義の反省を基に「個人の尊厳」「個人の価値」を中心にした現行法の基本理念が大きく変わることになる。
 60年前の反省は忘れ去られたのだろうか。そもそも、国を愛するのを法律で求めるのはふさわしくない。愛するのは、優れて個人の内面の領域の問題だ。国が強制するのはおかしい。ナショナリズムをかき立てる動きで危うい。
 国による心の統制は、憲法が保障している思想、良心の自由を侵害することにならないか。
 改正は、2000年、当時の森喜朗首相の私的諮問機関・教育改革国民会議が、伝統や文化の尊重、家庭、国家などの視点から基本法の見直しを提言したことから大きく動きだした。中央教育審議会(中教審)は03年の答申で、新たな理念として「郷土や国を愛する心」や「家庭教育」を明記した。
 自民党は「国を愛する心」を主張したが、公明党は「国を大切にする心」を主張した。与党合意案は双方が歩み寄った形だ。ただ、愛する「心」や大切にする「心」でなく、「態度」に表現を変えたとしても、懸念はぬぐえない。
 教育現場では、02年に福岡市の小学校で愛国心を通知表で評価していることが表面化した。
 国旗・国歌法が制定される際も、当時の小渕恵三首相は「強制するものではない」と国会で答弁したにもかかわらず、学校現場では国歌斉唱のときに起立させられることがある。現に、東京都立高校の定時制に通っていた石川弘太郎さんは、ことしの卒業式を前に学校側から君が代斉唱時に起立するよう要請された。要請は計3回あったという。教育現場では強制が強まることを心配する声が強い。
 改正されたら、通知表で「愛国心」に対する評価を求めたり、国歌斉唱・国旗掲揚の強制が強まるのではないか。懸念は消えない。
 自民党の改憲案でも、国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支える責務をもつことが強調されている。個人より国家に重きを置いている。改憲の動きと教育基本法改正の動きは連動している。
 沖縄は多数の住民が犠牲になった戦争体験をした。「愛国心」を植え付ける動きには「戦前の歩みを連想させる」と警戒したり、批判したりする人が多い。
 法律で「愛国」を求めるべきではない。

社説=【教基法改正】荒廃は解決できない
[高知新聞 2006年4月14日]

 自民、公明両党が教育基本法の改正案を正式決定した。
 これを受けて、政府は改正案の作成、国会提出へと進むことになる。だが、現行法のどこに問題があり、なぜ改正が必要なのか。その検証も不十分なままの「はじめに改正ありき」の姿勢は極めて問題だ。
 改正を主張する人たちは、いじめや不登校などの教育荒廃、少年による凶悪犯罪などと基本法を絡める。「個人の尊厳が行きすぎた結果」という認識だ。そこで、与党改正案は「公共の精神」「道徳心の涵養(かんよう)」を盛り込もうとする。
 だが、それらの問題と基本法を結び付けるのは筋違いだ。基本法をきちんと読めば分かる。
 「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充(み)ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」
 第一条は教育の目的をこううたっている。「人格の完成」、言い換えれば「人間的な成長」に目的を置いているのであり、教育の使命としてこれ以上のものがどこにあるというのだろう。
 教育をめぐるさまざまな問題は、基本法の施行から59年間、目的実現への努力が十分ではなかったために起きているのではないか。「公共の精神」などを新たに加えたからといって、教育の荒廃が解決するわけではない。
 十分な論拠がないにもかかわらず、与党協議に先立つ中央教育審議会への政府の諮問段階から、「公共の精神」は「伝統・文化の尊重」などとともに方向付けがされていた。その狙いは何なのか。解き明かす鍵は「愛国心」にあるだろう。

内心の自由

 「愛国心」の記述をめぐっては、自民党と公明党が対立してきたが、最終的に「我が国と郷土を愛する態度」で決着した。だが、問題の本質はそうした表現、言葉の使い方にあるのではない。
 多くの国民は生まれ育った古里、そして国に対し何らかの愛情を抱いているだろう。一方では、国を愛するが故に、現状の国の姿には愛情を持てないという人もいよう。それはあくまでも心の問題だ。
 どういう表現であれ、「愛国心」を法律に書き込めば、強制力を伴って心の領域にまで踏み込み、内心の自由を侵すことにつながりかねない。その危うさは日の丸・君が代にみることができる。
 国旗・国歌法の施行後、東京都などでは教員処分を背景にした強制が進んでいる。「愛国心」の基本法への明記によってその動きが加速し、さらに「愛国心」の強制へと突き進む可能性は否定できない。
 戦前の教育は教育勅語に代表されるように、家族間のモラルを忠君愛国的なモラルに結び付け、国家への犠牲的協力を要求した。その反省に立ち、国家主義的な方向を排したのが教育基本法だ。
 ところが、改正案には国家重視の志向が色濃く出ている。自民党の新憲法草案とも相通ずる。むろん、戦前のような国家主義体制に戻ることはあり得ないにしても、国家を個人の上に置こうとする流れには十分に注意する必要がある。
 教育基本法の改正は子どもたちの未来を左右する。だが、国民の関心はまだまだ低い。苦しんでいる子どもたちを救い、将来を展望するために、いま何をすべきなのか。その視点を持ちながら、今後の論議を注視していかなければならない。

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