靖国参拝、自ら判断し潔く中止せよ

今日の「毎日新聞」4面の「記者の目」欄。地方部の大西督人記者が、小泉首相の靖国参拝について真正面から論じています。

大西記者は、首相の参拝を違憲とする確定判決が2件あるのにたいして、合憲とする確定判決はないことをあげ、「首相の靖国参拝には当初から問題が多かった」と指摘。そのうえで、「首相の論理に従って検証しても整合性を欠く」として、次のように述べています。

 靖国神社の祭神約250万柱は、時の権力のために戦って亡くなった人が大半。賊軍兵や空襲などによる戦災死者は含まれない。一方で、日本兵として戦った朝鮮半島、台湾出身者らを、遺族の了解を得ずに日本名で祭っている。つまり、批判に対する首相の弁明で、参拝理由を「戦没者全体に哀悼の誠をささげる」(昨年5月の衆院予算委答弁)などとしているのは、事実に反するのだ。

で、大西氏は、「首相は、自らの論理にさえ合わない参拝を、自身の判断でやめるべきだ」と主張しています。

大西氏の主張でさらに注目されるのは、その後の部分。

首相が靖国参拝をやめれば一件落着、とも考えていない。日本人の多くは、あの戦争が起きた経緯と戦争責任について真正面から考えたことは少なく、A級戦犯らに戦争責任を押し付けていはしないか。そうした風潮が首相の靖国参拝を漫然と許してきたのではないか。

そして、学校で近現代史教育が十分やられているか、ハワイや中国、韓国へでかける旅行客で戦争の実相に近づき、日本人の戦争責任を考えようという人がどれぐらいいるだろうかと問いかけ、次のように訴えています。

 首相が過去の侵略や植民地支配について公式謝罪をするだけではなく、日本人一人一人が世代を超えてそうした努力を積み重ねてこそ、実を伴った反省だと周囲は認めるだろう。
 紛糾し続ける小泉首相の靖国参拝を、日本人が戦争責任について再考するきっかけにしたい。

日本人として、日本の戦争責任について、もっと真正面から向き合うべきだ、という大西記者の提案に僕は全面的に賛成です。

ただし、首相が「公式謝罪」をすることがいまの問題だとは思いません。不十分であれ、日本政府は、これまでに謝罪の立場を明らかにしてきました。アジア諸国から出されている声も、“あんな謝罪では不十分だ、もっと謝罪しろ”というものではありません。そうではなく、これまで謝罪の立場を明らかにしたにもかかわらず、それが守られていない、それに反することがやられている、そこにアジア諸国の批判があるのではないでしょうか。その中心が首相の靖国神社参拝にあることはいうまでもありません。

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