今週の「九条の会」(9月24日まで)

各地の「九条の会」の活動を、インターネットを流れるニュースのなかから拾っています。24日には、「九条の会・おおさか」の呼びかけ人ともなられていた人形浄瑠璃の吉田玉男さんが亡くなられました。心からご冥福をお祈りします。

生涯一人形遣い貫き、吉田玉男さん逝く 品よく静かに
[asahi.com 2006年09月24日]

 きりりと痩躯(そうく)、首をついと伸ばした独特の姿勢。24日亡くなった人形浄瑠璃文楽の最長老、吉田玉男さんの長く、細いが丈夫な腕が遣う人形は、人柄そのまま緻密(ちみつ)にして端正、気迫の中に品よき色香を漂わせ、見る者たちを魅了した。
 入門は14歳。口べたで「人形相手なら話さんですむやろ」と思ったのが動機だった。修業が面白くなってきた矢先に兵隊にとられた。終戦で戻ると、文楽は労働争議で2派に分裂。人手が足りないため経験を超える大役も遣い、芸を伸ばした。新たな観客を開拓するため「ハムレット」など“赤毛もの”にも挑んだ。
 55年の「曽根崎心中」復活上演で、徳兵衛に抜擢(ばってき)された時。手本はなく人形の所作を一から考えた。女の人形には通常、足がない。だが心中を誓う場面では、お初の足遣いにすそを割って足を出させ、その白い甲を徳兵衛が震える手で自分ののどに押し当て、抱きしめた。無言の人形のこの鮮烈なエロチシズムは伝説となり、徳兵衛は玉男さんの代名詞となった。
 理性的で穏やかな人柄への人望も厚く、左手や足を受け持つ人形遣いを決める「小割(こわり)」を長く務めた。彼にあこがれて入門した弟子も数多い。海外公演にも熱心で、文楽の顔として国内外にファンを広げた。
 自らも通信兵として出征し、仲間を戦地で失った経験から、05年4月には落語家・桂米朝さんらと「九条の会・おおさか」を結成。「子どもや孫の世代のためにも戦争を許すな」と訴えた。
 大名跡襲名を勧める周囲の声もあったが、「あいさつ回り、かなわんで」と一蹴(いっしゅう)。「眉が白うなったら玉翁(たまお)に」と語った時期もあったが結局、「めんどやな」で立ち消えになった。
 「僕は終生、玉男でええ」。巧まずおごらず名を求めず、生涯、一人形遣いを貫き通し、品よく静かに世を去った。

アジア蔑視の認識問う 九条の会さいたま ブックレット発刊
[埼玉新聞 2006年9月24日(日)]

 さいたま市内で憲法九条を守る一点で活動する「九条の会・さいたま」(事務局・浦和区)が、日韓を代表する知識人の講演と対談をまとめたブックレット「アジア侵略思想のルーツ」(五百円)を発刊した。東大教授の高橋哲哉さん(さいたま市在住)と、文筆活動で韓国民主化運動を続けてきた鄭敬謨(チョン・ギョンモ)さんが、明治維新から現代まで脈々と続く日本人の変わらぬ「地金」を明らかにする。
 ブックレットは同会が昨年八月に開いた戦後六十周年記念集会をまとめたもの。高橋教授と鄭さんは吉田松陰、福沢諭吉、岡倉天心、新渡戸稲造と幕末から明治の偉人に流れるアジア蔑視の歴史認識を問う。
 鄭さんは言う。「明治時代は果たして偉大だったのか。私たちが克服すべきは日本人に根強く残る『司馬史観』ではないか」と。
 高橋教授は「一九四五年に終わったいくさの本質とは何か。戦争が始まったのは果たしていつだったのか。そして私たちは本当に戦争に懲りたのか」と次々に問題提起する。
 問い合わせは九条の会・さいたま(TEL048・834・1298)へ。

財界からも改憲反対の声!同友会の品川氏が横浜で講演
[livedoorニュース 9/18]

【PJニュース 09月18日】? 16日、横浜本牧・山手九条の会一周年記念のつどいが開催され、経済同友会終身幹事、品川正治氏が講演した。200人の会場は満杯で、第二会場(中継)も用意される盛況だった。
 品川氏ご自身の体験で「一番嬉しかったことは、中国での捕虜から帰還したとき、憲法草案が新聞に出ていた”戦争放棄”の言葉」だったという。それから約60年。品川氏はこう続けた。「9条2項はぼろぼろになったが、それでも放さない。21世紀の世界の宝物。アメリカは戦後絶えず戦争をしている国。その国と価値観が一緒などと言っている政府、マスコミはあらゆる混乱の原因でもある」。
 そして、品川氏は「改憲を迫るアメリカは、自国の利益のために戦争費用を日本にも担わせ、戦闘現場に日本の兵隊を投入して戦わせたいのです。憲法改悪攻撃の根元にはこのことがあります」と締めくくった。
 PJにとっては目からうろこのお話でした。【了】
パブリック・ジャーナリスト 高木 信幸【神奈川県】

ひと・人・交差点:「東園田九条の会」呼びかけ人・袴田康裕さん/兵庫
[毎日新聞 2006年9月17日]

 ◇「平和」へ教会にも責任――キリスト教牧師で「東園田九条の会」呼びかけ人・袴田康裕さん(43)=尼崎市
 大学1年の時、クリスチャンになった。就職先は大阪府。90年、知事室秘書課で皇室が「花と緑の博覧会」を視察する際、連絡調整を担当した。天皇制に批判的な意見を持ち、仕事に葛藤(かっとう)も感じたが、「これを機会に学ぼう」と、天皇制に関する本を読みあさった。
 定年まで府に勤めるつもりだったが、「導きを与えられ」10年前、日本キリスト改革派園田教会牧師に。「憲法9条を改正して日本が良くなる可能性はない」と、尼崎市園田地区の「九条の会」に加わった。
 6月の会合では「キリスト教は戦争に多くの負債を背負っている。米国の多くの教会がイラク戦争を支持し、日本の教会も戦中戦前は侵略戦争に加担した」と訴えた。歴史を繰り返してはならないとの思いで毎年、終戦記念日前後に平和集会を開く。
 聖書の一節には「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」。「その教えにしっかりと立つ責任が、日本の教会にある」。信念は揺るがない。〔三田版〕

11月3日に九条1万人集会
[中国新聞 2006/9/15]

 憲法公布から60年の節目となる11月3日、憲法改正に反対する市民グループが「9条ピースフェスタinヒロシマ」を広島市中区の県立総合体育館で開く。「九条の会」の呼び掛け人で作家の小田実さんらを招き、1万人規模の集会を目指す。広島マスコミ九条の会代表の平岡敬前広島市長や広島弁護士九条の会の江島晴夫代表らが呼び掛けた。正午から、小田さんのほか池田香代子さんの講演、歌や演奏もある。

はかた9条の会結成、「福岡大空襲」に学ぶ
[livedoorニュース 2006年09月12日12時52分]

 【PJニュース 09月12日】? 「はかた9条の会」の結成総会が9月9日(土)午後2時より、博多区千代のちどりビルで開かれた。参加者は約100人。岩上栄治さんのギター弾き語りで静かにオープン。上戸晃氏(福岡市教育委員会生涯学習講師・福岡大空襲語り部の会)が「福岡大空襲を体験して」と題して記念講演をおこなった。
 上戸氏は当時19歳であった。自宅の二階が監視室で、飛来するB29の編隊を監視していたという。銀色に輝く機体が夜空にはっきりと見えたという。日本の高射砲、水上飛行機も応戦するが、高度1万メートルで飛行するB29にはとてもとどかない。そのうちに無数の焼夷弾が不気味な音をたてながら落下。周りは火の海となった。
 現在の博多駅前(当時は水田と畑)に地下壕が掘られ、隣組単位で避難したがほとんどの人は焼死した。1945年6月19日の空襲で、死傷者は2000人以上、被災家屋1万4500棟、市の中心部は灰燼に帰した。 翌日、青年たちは第十五銀行地下に閉じ込められ、焼死した数十名の遺体の搬出に動員された。上戸氏も参加したがその経験を涙を浮かべながら語った。
 上戸氏は、戦争は絶対に引き起こしてはいけないと、平和の尊さを訴えて講演を終えた。会場は静かに上戸氏の経験談に聞き入っていた。最後に次のようなアピールを採択して閉会した。
 「本日、私たちは『はかた9条の会』を結成しました。日本国憲法9条を守るという一点で手をつなぎ、一人ひとりができる努力を始めましょう。そして9条を世界に広げ、平和な世界をつくろうではありませんか」。【了】
パブリック・ジャーナリスト 徳島 達朗【福岡県】

経済同友会終身幹事の品川正治さんが、9月16日、横浜の地域の「九条の会」のつどいで講演をされたニュースが、livedoorニュースのパブリックジャーナリストによって流されています。そのなかで、記者子は、「改憲を迫るアメリカは、自国の利益のために戦争費用を日本にも担わせ、戦闘現場に日本の兵隊を投入して戦わせたいのです。憲法改悪攻撃の根元にはこのことがあります」との品川氏の指摘に 「目からうろこのお話でした」と書かれています。9条を守る運動をしている人たちにとっては、“自明”の話でも、多くの人にはまだまだ届いていないんだなぁと、つくづく実感しました。

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