教育基本法衆院強行採決にたいする地方紙の社説を読む

昨日、教育基本法改悪案が衆院特別委員会で強行採決されました。これにかんする地方紙の社説を拾ってみました。


中国新聞は、「普遍の真理ともいえる基本法の理念は、約六十年の時を経た今でも輝きを失ってはいない」と指摘し、教育への政治の介入や「愛国心」教育などをあげて「国民の暮らしが一変しかねない法案」だと警鐘を鳴らしています。沖縄タイムスは、「全国の公立小中学校長に対する調査では66%が反対し、改正に疑問を呈している」として採決強行を批判。高知新聞は、「なぜ改正が必要かは一向にはっきりしていない」、教育の問題を教育基本法のせいだとするのは「筋違いも甚だしい」と厳しく指摘しています。南日本新聞は、「教師が子どもを決められた枠にはめ、達成度を問われることになれば、学校現場の創意工夫の余地はないに等しい状況に陥る」「現行基本法が『教育は国民全体に対し直接に責任を負って行われるべき』と、一般行政からの独立をうたったのに、政府案でこの規定がなくなったのも問題だ」と、教育への国家統制強化に疑問を投げかけています。神戸新聞は「具体的課題の解決にどう結びつけるかを優先して考えるべきだ」と指摘。岩手日報山陰中央新報は、PTA全国協議会の調査で保護者の88%が改正の「内容をよく知らない」と回答していることをあげて、徹底した審議を求めています。

こうやってみると、自民・公明与党の採決強行に賛成の地方紙はないようですね。当たり前ですが…。

単独採決 なぜ変える教育の理念
[中国新聞 2006/11/16]

 自民、公明の与党が、きのうの衆院教育基本法特別委員会で、野党欠席のまま採決を強行し、政府案を原案通り可決した。
 教育の「憲法」といわれる法律の改正論議である。数を頼んだ拙速審議が、なじむはずもあるまい。幾世代にもわたり、子どもや国民の将来を規定する基本法規が、論議の一致を見ないで改正される事態は容認できない。
 平和憲法と並び、戦後社会に溶け込んできた法律の改正を、なぜそれほどまでに急ぐ必要があるのか。現行憲法を「戦勝国の押しつけ」として、新憲法制定を最大の政治課題と位置づける安倍晋三首相の思いが強く反映されていることは間違いあるまい。自民党の文教族も「教育基本法の改正は憲法改正への一里塚」とみている。
 「国家の誤った意思で、二度と悲惨な戦争に迷い込むことがないように」。現行の基本法の前文には、戦争放棄を誓った憲法と同じ精神が、色濃く流れている。普遍の真理ともいえる基本法の理念は、約六十年の時を経た今でも輝きを失ってはいないはずだ。
 確かに、連日のように続くいじめに伴う児童、生徒たちの自殺や高校の必修科目の履修漏れ問題は、課題が山積する教育現場の苦境を端的に示しているといえる。抜本的な対策を講じることは急務である。
 だが、そうした教育を取り巻く難問解決への糸口が、基本法を変えれば本当に見えてくるのか。
 安倍首相は改正の目的について「志ある国民を育て、品格ある国家をつくっていくため」と力説している。政権構想の「美しい国」と同様、理念だけが先行し、真の目的が見えてこない。
 これまでの審議を見る限り、国の指示や関与が一段と強まることは予測できるが、首相の言う「教育再生」への手掛かりが得られるのかどうか。国民の納得がいく説明は果たされないままだ。
 今国会に対案として出されている民主党案も、「愛国心」の醸成などを強調している点で、与党案とそれほどの違いはない。
 与党側は、きょうにも衆院本会議での与党単独採決を経て、法案を参院に送付する。来月半ばの今国会会期末までの成立を図る方針とされる。
 参院での審議を含め、与野党とも疑問点を解消する努力を怠るべきではない。国民の暮らしが一変しかねない法案である。厳しい監視の目を注ぎ続けたい。

社説[教基法改正案採決]与党単独は数の暴力だ
[沖縄タイムス 2006年11月16日朝刊]

 教育の憲法ともいえる教育基本法の改正案が、衆院教育基本法特別委員会で野党が欠席する中、自民、公明両党の賛成多数で採決された。 与党は十六日の衆院本会議でも可決し参院へ送付する構えだ。が、教育の根幹をなす法律が与党単独で採決されていいものだろうか。
 改正案は、「愛国心」をめぐる表現について「我が国と郷土を愛する態度を養う」とし、「公共の精神」などの新しい理念を盛り込んでいる。
 だが、教育改革の本来の理念はこれらの点にあるのではあるまい。
 教育は子どもたちの自立と人格の完成を目指すものであるはずだ。何よりも多くの国民には、改正が本当に必要かどうかもはっきりしない。
 改正すべきであれば、まず改正する理由とどこを変えるかを明らかにすべきだろう。教育現場の声を聞き反映させることも当然必要だ。
 しかし実態はそうなっていない。与党がこだわったのは今国会での成立だ。そのためには特別委での採決が不可欠であり、参院採決から逆算して審議を進めてきたといっていい。
 これでは慎重さを欠き、国会として将来に禍根を残すのではないか。
 これまでも触れてきたが、教育は国家百年の大計である。その根本法はこの国の将来像も映し出す。軸足を国家、社会に置く改正案には戦前回帰との批判があることを忘れてはなるまい。
 全国の公立小中学校長に対する調査では66%が反対し、改正に疑問を呈している。この事実を無視した国会審議に加えて、与党単独の強行採決に私たちは不安を覚える。
 少しでも法案に疑問があり、なおかつ審議が足りないとの声があるのであれば、徹底的に論議すべきであり、採決にこだわるべきではない。
 二階俊博自民党国対委員長は「審議は百時間を超えた。(採決の)機は熟したと思う」と述べているが、当を得た発言とは思えない。
 この問題では、二〇〇三年十二月の岐阜県岐阜市に始まったタウンミーティングなど今年九月の青森県八戸会場を含む五回のミーティングで内閣府による「やらせ質問」が明らかになったばかりではないか。
 内閣府が改正に賛成する質問を地域の教育委員会などに依頼し、しかも質問案まで与えている。発言者への謝礼問題も発覚した。
 このままでは教育改革の名が泣く。本会議では数を頼んで与党単独で強行採決してはならない。子どもたちの未来のためにも、審議を差し戻して時間をかけて論議することが肝要だ。

【強行採決】教育はどこへ行くのか
[高知新聞 2006年11月16日]

 自民、公明両党が、野党欠席のまま衆院特別委で教育基本法改正案を強行採決した。
 「せまい日本 そんなに急いで どこへ行く」という交通標語を思い出させるような急ぎっぷりだ。数を頼んだ強引な手法は「教育の憲法」に最もふさわしくない。
 改正案をめぐる論議の問題点などについて、これまでも述べてきた。繰り返しになるが、あらためて指摘したい。
 改正が必要という以上、現行法のどこにどんな問題があったのかがまず明らかにされなければならない。ところが、国会審議が百時間を超えたといういまも、なぜ改正が必要かは一向にはっきりしていない。
 相次ぐ自殺を引き起こしているいじめをはじめ、教育が危機的な状況にあるのは確かだ。だが、それらの問題を基本法のせいにするのは筋違いも甚だしい。
 基本法第一条は教育の目的として「人格の完成」をうたう。それに勝る目的があるとは思えない。教育をめぐるさまざまな問題は、その理念の実現に向けた努力が不十分だったから起きているのではないか。
 政府の教育改革タウンミーティングで、基本法改正に賛成する「やらせ質問」が明らかになった。「真理と正義」(第一条)に反し、国民を欺くこうした行為も、基本法の責任にするつもりなのだろうか。
 現実をきちんと検証することを抜きにした政府や与党の姿勢は、「はじめに改正ありき」と言わざるを得ない。強引な改正で教育をどこへ持って行こうとしているのか。鍵は政府の改正案にある。
 新たに盛り込まれた「国と郷土を愛する態度」「公共の精神」「伝統の尊重」などは、いずれも心の働きにかかわる。教育の目標に心の問題を掲げることは、憲法が保障する内心の自由に踏み込む恐れをいや応なく増大させる。
 教育行政の役割を強化した点も見逃せない。一見、当然のようにみえる改正だが、学校教育法などで定めさえすれば行政は教育を思う方向に進めることができるようになる。政府が策定する教育振興基本計画で、教育内容への国の介入も容易になるとみられている。
 教育の荒廃に対する国民の危機意識は強い。政府や与党がそこを突いて、国家を個人より優先させる体制づくりを狙う構図が浮かび上がってくる。論理のすり替えを容認するかどうかは国民にかかっている。

社説=教育基本法 論議はまだ十分でない
[信濃毎日新聞 11月16日]

 教育基本法改正案が衆院特別委員会で可決された。野党が反発して委員会を欠席する中、今国会中の成立を目指しての無理押しである。
 教育の基本理念を示す重要な法律だ。憲法と並んで、戦後日本の歩みを方向付ける役目を果たしてきた。改正には慎重さが欠かせない。与野党が対立する中で採決を強行するような法律では、本来ないはずだ。
 教育現場の反対も根強い中で、なぜ改正を急ぐのか、基本法を変える必要がどこにあるのか、いまだ納得のいく説明はない。拙速な対応は避けねばならない。
 改正案の審議は、先の国会と合わせて100時間を超えた。公聴会の開催など野党の要求を受け入れ、十分な審議を尽くしたとの判断で、与党は採決に踏み切った。
 しかし、今国会では高校の未履修問題、いじめ自殺への対応が論議の中心になり、後にタウンミーティングでのやらせ質問が浮上した。民主党が提出した対案は、政府案と共通する部分が多いこともあり、「愛国心」条項をめぐる問題など、本質的な論議は深まっていない。
 15日午前に開いた中央公聴会では、改正による教育現場への影響を心配する声が上がった。
 日本大学の広田照幸教授は、改正案が多くの道徳的な教育目標を掲げていることで「個性に合わせた教育ができない窮屈な学校になる心配がある。規範意識を教えれば、教育がよくなるわけではない」と主張。理念を変えるよりも、教育予算を増やし、現場にゆとりを持たせることが必要だと訴えた。
 このほか「改正案では中央で教育の目標を決めて地方に下ろす、硬直的な運営になりかねない」「これまでのタウンミーティングは、親や教師の生の声を吸い上げたとはいえない」といった意見も出ている。
 いずれもうなずける指摘である。こうした意見に対する論議をしないまま、与党は採決に踏み切った。乱暴な手法と批判されても仕方ない。
 「やらせ」質問についての本格調査はこれからだ。子どもに規範意識を教え込もうとする文部科学省が、世論を操作しようとしていた。そうまでして改正しても、国民の理解は決して得られない。
 子どもたちを取り巻く環境をよくしたいという願いは多くの人が抱いている。しかし法律を変えて、規範意識を教えれば、いじめや不登校といった問題が解決できるほど、簡単な話ではない。
 衆院本会議、そして参院には、問題の重要性を踏まえた慎重な審議を求めたい。

[教育基本法] 国民的合意なしの単独採決は残念だ
[南日本新聞 11/16 付]

 今国会最大の焦点である教育基本法改正案が、衆院教育基本法特別委員会で自民、公明の与党単独で採決され、可決した。与党は、16日の衆院通過を目指している。
 教育基本法は「教育の憲法」といわれ、憲法に準ずる教育の根本法である。国民の賛否も分かれ、改正論議が十分に尽くされたとは言い難い。数を頼りの強行突破はきわめて遺憾である。
 与党が単独採決に踏み切ったのは、通常国会からの審議時間が目標としていた約80時間を上回り、野党側の慎重審議要求に応えたと判断したからだ。会期末を来月15日に控え、今週中の衆院通過は譲れないとの判断もあったろう。
 2000年の教育改革国民会議報告は「新しい時代にふさわしい教育基本法については、国民的議論と合意形成が必要」と指摘した。だが、日本PTA協議会の調査では、保護者の9割近くが「内容をよく知らない」と答えている。国民的合意が形成されたとは言えまい。
 青森県内などのタウンミーティングで、内閣府の指示を受けた県教委が政府案に賛成の質問を依頼していた「やらせ」も明らかになった。政治的策謀で基本法改正を図るとすれば言語道断だ。
 国会での質疑でも、なぜ基本法見直しなのか説得力のある説明はない。政府案が教育目標に掲げた「公共の精神」「国を愛する態度」などの理念が、一体何を示すのか突っ込んだ議論もない。
 政府案で、学校教育は「教育目標が達成されるよう、体系的教育が組織的に行われなければならない」とされた。学校は達成度を問われることになる。
 だが、教師が子どもを決められた枠にはめ、達成度を問われることになれば、学校現場の創意工夫の余地はないに等しい状況に陥るのではないか。
 現行基本法が「教育は国民全体に対し直接に責任を負って行われるべき」と、一般行政からの独立をうたったのに、政府案でこの規定がなくなったのも問題だ。国民統合の象徴である教育が政治的対立の象徴になるような事態は困る。
 教育現場では今、いじめや、高校の必修科目未履修など問題が山積している。毎日のように生徒や校長らの自殺が報道される状況は異常である。
 そんな状況下で国会がなすべきことは、基本法改正案を力ずくで通す姿勢ではあるまい。教育の危機をどう打開し、国民の信頼を取り戻すかの模索である。危機的状況の教育を置き去りにした改正案の“強行採決”は残念である。

教育基本法可決/審議はまだ十分ではない
[神戸新聞 2006/11/16]

 安倍内閣が臨時国会の最優先課題と位置付ける教育基本法改正案が十五日夕、衆院特別委員会で、与党の単独採決により可決された。衆院通過も確実で、与党は今国会内の成立をめざす方針だ。
 教育基本法は、国民教育の根本理念をうたい、憲法に次ぐ重要な法律といわれる。政府・与党による改正法案は、一九四七年の制定以来初めて、全面改定に踏み切る内容だ。それだけに賛否も分かれ、先の通常国会では継続審議となっていた。
 今国会の法案審議中には、高校必修科目の未履修や、いじめによる小中学生の自殺といった深刻な問題が相次いだ。さらに政府主催の教育改革タウンミーティングでの「やらせ質問」問題まで発覚した。あろうことか、改正法への賛成発言を参加者に文案まで示し、求めていたのである。
 こうした状況下、野党議員不在のまま採決を急ぐ必要があったのか。政府与党は、審議は百時間を超え、十分に尽くしたという。しかし、未履修など目の前の教育問題を扱った時間が長く、法案本体の審議はまだ不十分ではないか。与党が数の力で「強行可決」したといわざるを得ない。
 教育基本法改正をめぐる、これまでの論点は、「愛国心」という表現をどうするのか、に尽きるといってよい。
 与党案づくりでは、自民党が「国を愛する心」の明記を主張したのに対し、公明党が「戦前の国家主義を想起させる」と反発した経緯がある。結局、政府案では「伝統を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」との表現となった。
 民主党案は「日本を愛する心を涵(かん)養(よう)する」という表現を打ち出した。「この方が自民党案に近い」との指摘もあったが、いまひとつ、違いが分かりにくい。一方、社民党や共産党は改正自体に反対という構図だ。
 国の教育理念を説く基本法の練り直しは、慎重の上にも慎重でなければならない。それが愛国心論議だけ前面に出る形になったのは、一面不幸なことでもあった。「なぜ変える必要があるのか」という本質論議を薄めてしまったのは否めない。
 いま、いじめ自殺や教育委員会のあり方など、緊急の教育問題が噴出している。理念論議を拙速に終わらせるのでなく、具体的課題の解決にどう結びつけるかを優先して考えるべきだ。その過程にこそ教育改革へのヒントが見えるはずだが、そうした審議が尽くされたとはいいがたい。
 舞台は参院に移る。「法案成立ありき」ではなく、十分に時間をかけ、修正を含めて、しっかりと審議すべきだ。

教育基本法可決・数頼り単独採決でいいのか
[琉球新報 11/16 9:52]

 安倍晋三首相が最重要法案と位置付ける教育基本法改正案が15日、衆院教育基本法特別委員会で野党が欠席する中、自民、公明の与党単独で採決され、可決された。与党は今国会での成立に全力を挙げる方針を示している。
 与党側は、審議は十分尽くしたとするが、果たしてそうだろうか。なぜ改正が必要かなど、国民の理解を得られたといえるだろうか。説明は不十分だったと言わざるを得ない。
 野党側の審議継続要求を押し切り、数を頼りの単独採決でいいのだろうか。
 教育改革タウンミーティングで改正に賛成する発言をするよう参加者に依頼したことに象徴されるように、改正を急ぎ過ぎた感は否めない。
 与党側はこの間、改正理由として「モラル低下に伴う少年犯罪の増加など教育の危機的状況」や「個人の重視で低下した公の意識の修正」などを挙げてきた。
 いじめによる相次ぐ子どもたちの自殺など、悲痛な出来事が続発している。少年犯罪も相変わらずである。
 その原因が現行の教育基本法にあると言い切るには無理がある。
 社会のありようを改善することでしか、事態は解決しないことは明らかである。
 教育基本法改正案は「個人」より「国家」に重きを置いていることが大きな特徴である。
 改正案は前文に「公共の精神」などを盛り込み「公」を重視している。「個人」よりも「国家・社会」が優先することを打ち出している。
 教育現場は今、多くの問題を抱え、難しい局面に立っている。それが「個人」の重視に起因するものとは言い切れないだろう。かえって「個人」を十分に尊重できていないことが、子どもたちを苦しめているのではないか。
 子どもたち一人一人を大切にすることを基本にし、それぞれの個性に合った教育こそが今、求められているのである。その状況を改めることに力を尽くすべきだ。
 教育基本法を「個人」より「国家・社会」を重視するという改正案は、子どもたちにとってマイナスに作用する懸念がある。
 改正案は焦点だった「愛国心」の表現が「国と郷土を愛する態度」に改められている。
 しかし、言葉を換えても、心の問題を法律で規定することに変わりはない。
 特定の価値観を押し付け、内心の自由を侵害しかねない危険性は何ら解決されてはいない。
 自民党文教族は教育基本法改正を「憲法改正の一里塚」と位置付けている。改憲への動きが加速することを危惧(きぐ)する。

教育基本法改正 強引な採決は遺憾だ
[徳島新聞 2006年11月16日]

 教育基本法改正案が衆院教育基本法特別委員会で可決された。野党が採決に反対して欠席する中、自民、公明の与党単独で採決に踏み切った。
 私たちは、教育基本法改正をめぐる議論はまだ不十分だとして、審議を尽くすよう与党に求めてきた。野党の反対を押し切り、採決を強行したことは極めて遺憾である。
 いま、教育は多くの問題を抱えている。教育の在り方を見直す必要があると考えている国民は少なくない。しかし、与党のこうした強引な採決は、広く国民の理解が得られるとは思えない。
 教育基本法は一九四七年に制定され、約六十年にわたって「教育の憲法」として戦後教育の支柱となってきた。その改正には、国民的な議論と合意形成が欠かせない。
 改正案は先の通常国会に提出され、継続審議されてきた。安倍晋三首相は総裁選の公約の柱に位置づけ、今国会の最重要法案として掲げた。
 一方、民主党は独自の対案を提出しており、共産、社民両党は政府案の廃案を求めている。
 「我が国と郷土を愛する態度を養う」と規定した「愛国心」をめぐる議論が大きな焦点となり、「公共の精神」や「伝統の継承」など新たに前文に盛り込まれた表現も議論された。
 野党からは、国家による「愛国心」の押し付けになるといった指摘や、子どもに価値観を強制するものだという反対意見が出た。管理強化につながることへの懸念も強い。
 いじめや不登校など深刻な問題の解決につながらない、という声も国民の中に多かったが、政府から納得のいく説明はなかった。
 与党は来月の国会会期末をにらみながら、強行採決も辞さない構えで審議に臨んできた。十九日投開票の沖縄県知事選への影響も考慮した上で、採決に踏み切ったとみられる。
 政府・与党の幹部は「審議は百時間を超えた。採決の機は熟した」などと説明しているが、そうだろうか。
 高校の必修科目未履修が社会問題化したのに続いて、教育改革タウンミーティングで、内閣府が教育基本法改正案に賛成する立場から質問するよう出席者に依頼した「やらせ質問」が明らかになり、発言者に謝礼金が支払われた疑いも浮上している。
 教育現場の混乱は収まらず、政府の不手際が次々に表面化している。これらの問題が審議の中心となり、改正案の本質的な議論が深まったとは到底言い難い。
 国の根幹をなす教育基本法の改正を、選挙などの政治日程と関連づけるのも疑問である。与党はなぜ、そこまでして採決を急ぐのか。じっくりと、本腰を据えて取り組まなければならない。
 いじめによる自殺を予告する子どもからの手紙が、文部科学省に次々と届き、現実に子どもたちの自殺が後を絶たない。異常事態である。法改正よりも、こうした問題への対応が先だろう。
 野党は今後、すべての衆院の委員会と本会議への出席を拒否するとし、徹底抗戦の構えだ。教育基本法を「政争の具」にしてはならない。
 与党はきょう衆院本会議を通過させ、今国会で成立させる方針だが、強引な採決はすべきではない。

論説:教育基本法の改正 仕切り直しが筋だろう
[岩手日報 2006年11月15日]

 日本の教育の現状が、今のままでいいと思っている国民は、恐らくほとんどいないだろう。
 いじめ自殺の続発、必修科目の履修逃れ、さらに政府主催の教育改革タウンミーティングで発覚した「やらせ質問」などに加え、またも秋田で発生した子殺しを究極とする児童虐待の深刻化は、家庭教育にも重大な欠陥が存在することを示す。
 教育にかかわる問題に、即効的な対応が強く求められている状況で、なぜ教育基本法はバタバタと全面改正されなければならないのだろうか。
 今国会の会期末は12月15日。安倍首相初の予算編成作業に支障をきたさぬよう、成立を急ぎたい与党側と、与野党激突の構図で19日投開票の沖縄知事選への影響をにらみ、反発を強める野党側の思惑が絡む。
 こうも騒然とした社会情勢、政治情勢の中、通常国会からの継続とはいえ、先月25日に衆院特別委で審議が再開されてから、法案の中身の議論が尽くされたとは言い難い。
 まさか、改正そのものが目的とは言うまい。教育は政治の具ではない。仕切り直しを望む。

 何をそんなに焦るか

 教育基本法は「教育の憲法」だ。その理念の下に、学校教育法や社会教育法といった個別法が整備される。
 逆に言えば、教育基本法が実際の教育施策に直接的に影響しているわけではない。先の通常国会から議論が続く「愛国心」の扱いにしても、それに類した教育は、学習指導要領により既に学校現場で実践されている。
 乱暴な言い方をすれば、教育基本法を変えなくても「教育」を変えることはできる。指導要領に基づく「愛国心」教育をはじめ、習熟度別指導や学校選択制など、小泉前政権の方針を踏襲する「改革」は、大都市圏を中心に粛々と進んでいる。
 個人の思想信条にかかわる問題を「教育」することの是非、経済格差と直結する教育格差の顕在化など、「改革」は既に種々の課題を提示してもいる。
 これらの課題を置き去りにして、先行する「改革」を追認すべく理念法たる基本法の改正を急ぐことに、果たしてどれほどの国民が納得できるだろうか。
 ましてや、八戸市などで明らかになったタウンミーティングでの「やらせ質問」は、国民的議論のでっち上げ。何をそんなに焦るのか。その理由が、どうにも理解できない。

 「よく知らない」88%

 教育基本法改正案は、個人の価値を尊重する現行法に比べて「公共心」を強く打ち出しているのが特色だ。「愛国心」も、その延長線上にある。
 そこに議論が集中するのは、グローバルの時代に内向きに輪を掛けるようなものだが、もとより論点はそれだけではない。
 例えば現行法の第一〇条(教育行政)に対応する改正案第一六条(同)。現行法は「教育は…国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」と一般行政からの独立を規定する。
 この部分が、改正案では削られ、新たに「教育は…この法律および他の法律の定めるところにより行われるべきもの」との文言が加えられた。
 新設の第一七条では、政府に教育振興基本計画の策定を義務付けており、政治が表立って教育内容に介入する根拠になるだろう。折々の政治に教育が振り回されるようではたまらない。
 日本PTA協議会の調査によると、保護者の88%が改正案の内容を「よく知らない」と答えているという。「やらせ」とも相まって、国民的議論となり得ていない改正案では、審議の前提から崩れることになる。
 大与党は、郵政選挙の「置き土産」だ。その威を借りてごり押しするのでは筋が通るまい。
遠藤泉(2006.11.15)

論説:教育基本法改正審議/政治対立の象徴にするな
[山陰中央新報 2006年11月15日]

 衆院の教育基本法改正案審議が緊迫している。週内の衆院通過を目指して単独採決も辞さない構えの与党側に、継続審議を求める野党側は一段と抵抗姿勢を強めている。ことは憲法に準ずる教育の根本法だ。「国民的議論」の成熟もない。数を頼りの強行突破で基本法を政治対立の象徴に落とし込むようなことであってはならない。
 基本法見直しを提起、今回の改正案へ道を開いた二〇〇〇年の教育改革国民会議報告は「新しい時代にふさわしい教育基本法については、広範な国民的議論と合意形成が必要」としている。基本法の重さを考えれば当然の感覚だ。
 だが、日本PTA協議会の調査によると、保護者の88%が「内容をよく知らない」と回答。国民的議論とするには、時間をかけ丁寧な手続きを踏まなければならぬということである。
 しかし、現実は丁寧な手続きどころではない。青森県八戸市などでの政府主催のタウンミーティングで、県教育委員会が内閣府の指示を受け、政府案に賛成する立場から質問するよう依頼していた。「やらせ」質問で教育を政治的に引き回す。とんでもないことだ。
 小坂憲次前文部科学相は「教育改革フォーラム、タウンミーティング、一日中教審など各般の意見を踏まえた上で法案提出に至った」と答弁している。教育の根本法の改正には国民合意が不可欠との判断があるからだろう。
 議論の成熟を待つどころか、国民的論議をでっち上げていたのではお話にならない。法案審議の前提条件を欠いている。
 国会での議論を聞いても、なぜ見直しなのか、いまだに説得力ある説明はない。政府案が教育目標に掲げた「公共の精神」「国を愛する態度」「伝統と文化の象徴」―。それぞれの理念が一体何を意味しているのか、突っ込んだ議論もない。
 国を愛する態度というのは例えば、国を憂い反政府運動をすることまで含むのか。尊重すべき伝統や文化とは何なのか、それを誰が決めるのか。「顔」が見えない日本人、と言われるように自分の考えを明確にしない日本人の優柔不断さも尊重すべき文化なのか。
 政府案では、学校教育は「教育目標が達成されるよう、体系的な教育が組織的に行われなければならない」とされ、学校はその達成度を問われることになる。
 理念の解釈を官僚が一手に握り、教師は子どもを決められた枠にはめ、その達成度を評価される。そんなことになれば学校現場の創意工夫の余地などないに等しい。
 現行基本法は「教育は、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」との規定を置き、一般行政からの独立をうたっている。だが政府案ではこの規定がなくなり、代わりに「教育は法律の定めるところにより行われるべきもの」との規定が入った。政治、行政は基本計画などを通して教育内容に堂々と踏み込めるようになるということである。
 政治が、教育内容に簡単に口を出せるようになれば、教育は政争の真っただ中に投げ込まれる。教育は国民統合の装置でもあるはずだ。なのに、それが政治的対立の象徴になる。そんなばかげた事態は願い下げにしたい。

教育基本法改正案/審議を十分に尽くすべき
[東奥日報 2006年11月10日]

 衆議院の特別委員会で行われている教育基本法改正案の審議が、採決をめぐる重要な局面にさしかかってきた。
 与党は、前の国会で約五十時間審議されたこと、野党の要求を入れて地方公聴会の開催を増やすなどしたことから来週中に委員会で採決して本会議へ上程し、参議院に送る方針だ。
 対案を出している民主党を含む野党は改正案に反対しているが、安倍首相が「今国会の最重要法案」と位置づける改正案を会期内に何としても成立させたい。与党はそう考えている。
 ただ、一九四七年に公布された現行法は戦後教育の柱になってきた。教育の憲法と言われる重要な法律だ。改正すべきかどうかについての国民的な議論や関心の高まりが欠かせない。
 だが、今国会での議論は、いじめ自殺、高校の必修科目の未履修、教育改革タウンミーティングやらせ発言など目の前の問題が中心になっている。改正案そのものの審議は影が薄い。十分とは言えない。なお議論すべきではないか。
 改正案には教育のあり方を大きく変え、賛否が分かれる論点もある。教育と政治の距離をどう考えるかも、丁寧に議論してもらいたい大事な点だ。
 現行法は、教育は教員が国民に直接的に責任を負って行われるべきとし、政治や行政は、自主的に行われるべき学校・家庭教育に口を出さないよう求めている。
 改正案にも現行法と同じ「不当な支配に服することなく」という言葉があるが、教育はこの法律(改正案)などの定めで行われるべきとする。国が関与できる道を開こうとしている。
 保護者によって考え方が違う家庭での子育て、教育のあり方を国が定めるという現行法にはない新しい条文も設けている。踏み込みすぎではないかという批判がある。
 もう一つ大きな論点になっているのは、教育の目標として徳目を掲げることの是非だ。
 現行法は、子どもたち一人一人が自発的な精神を養いながら人格を形成していくのを教員が支えていくこと、つまり自主性を大切にしている。背景には、国が上から国家観や生き方を国民に強制した戦争中の教育に対する深い反省がある。
 改正案では「公共の精神を尊ぶ」とか「伝統と文化を尊重し…我が国と郷土を愛する態度を養う」などの道徳規範も教育の目標に掲げている。
 これにも、国にとって望ましい国民を育成するかのような内容だという異論、公共の精神や国を愛する態度とはどんな内容でどう評価できるのか、心のあり方まで法律で定めていいのかという疑問がある。
 東京大学の基礎学力研究開発センターが全国の公立小・中学校の校長を対象にアンケートをしたところ、66%が改正案に反対という結果が出た。教育現場の抵抗感は強いようだ。
 地方公聴会でも、改正案に賛成している出席者から愛国心は法律で押し付けない方がいい、改正を急ぐべきではないといった意見が出されている。
 そうしたさまざまな声に応えるためにも、じっくりとした改正案の審議が必要ではないか。

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  1. かわうそ実記 - trackback on 2006/11/17 at 00:46:09
  2. GK68's Redpepper - trackback on 2006/11/17 at 01:01:40
  3. 関係性 - trackback on 2006/11/17 at 12:56:35

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