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井上勝生『幕末・維新 シリーズ日本近現代史<1>』(岩波新書)

2006年12月13日 at 00:57:07

井上勝生『幕末・維新 シリーズ日本近現代史<1>』(岩波新書)

「維新史を書き直す意欲作」という宣伝文句。もちろん、この間の資料発掘や研究によって明らかになった新事実をもりこんだ最新の通史という意味で、僕自身、いろいろ勉強にもなったし、なるほど考えなおさないといけないなと思ったところもたくさんあります。

たとえば、日経新聞(12月3日付)では、以下のような紹介が出ていましたが、こういうふうに持ち上げられると、「う〜ん、何だかなぁ…」と思ってしまいます。

井上勝生著『幕末・維新』(岩波新書)は、幕末の江戸が実は農民の訴訟なども認める成熟した社会であり、黒船の来航にも慌てることなく開国はゆっくり定着したという見方を示す。その中で、不平等条約といわれる日米和親条約は幕府の弱腰外交の結果という一般論に疑義を呈し、幕府は国内市場を守るために粘り強く米国と交渉し、外国人の行動範囲を制限することに力を尽くした事実などを明かす。国力や軍事力の差を考えず、理屈を無視して欧米に対抗しようとした攘夷派のほうが、よほど「前近代的」だったと著者は見ている。

とくに疑問なのは、幕末を「成熟した伝統社会」として評価している点。専門外の江戸時代史の研究にまで目を配っておられる姿勢は評価したいのですが、ここ20年来の「社会史」的な研究が中心なので、戦後歴史学が築いてきた幕末研究の到達点を十分ふまえた議論になっていません。たとえば、横浜売り込み商の問題などは古くから研究されてきたこと。それを、まるでここ20年ぐらいの研究の中で明らかになったことのように書かれているのは、いかがなものでしょうか。開国の与えた影響について、中国との比較という問題も、ずいぶんと以前から議論されてきたものです。しかも、氏の議論は、日本は経済的に発展していたが、中国は遅れていたという、単純な「中国停滞論」の蒸し返しのようにも読めてしまいます(ご本人はそんなつもりはないと思いますが)。遠山茂樹先生の『明治維新』以外にも、いろんな研究成果があるのですが、そういうものが視野に入っていないように思われます。

幕末の江戸時代を「成熟した伝統社会」として、それなりに豊かな社会だったというのも疑問。こういう立場からみたとき、江戸時代後半、人口が停滞していたという事実は、いったいどう評価されるのでしょうか。

また、幕末農民闘争の水準の高さをしめすものとして、氏は、畿内を中心とした国訴に注目されていますが、国訴は、もともと所領が入り組んでいた地域だからこそおこった闘争形態で、一国全体が所領になっているような外様大藩の全般一揆などと比べて、どちらが歴史的に進んでいるかを論じるのはちょっと乱暴でしょう。さらに氏は、国訴において、「大参会」にでかける「郡中惣代」「惣代庄屋」に村の側から「頼み証文」を出しているのを「代議制の精神」があると位置づけておられます(これは、近世史の藪田貫氏の研究に依拠されたものですが)。しかし、これはまるっきりあべこべではないでしょうか。「代議制の精神」というなら、代表として選ばれた「惣代」の側が、選んだ主体である村民に対して誓約書を出すのが本来の姿。村から惣代に誓約書を出すというのは、国訴が村落の共同体的規制に依拠していたという事実を示しており、近代的な代議制どころか、国訴の前近代性を示すものといわざるをえません。

徳川幕府が、農民の一揆・訴願を受け入れたというのも、近世史の分野では、「公儀」論として、ずっと議論されてきたもの。これも、ここ20年の研究で初めて指摘されたことではありませんので、念のため。

もう1つ。井上氏は、幕末の日本の対外的危機について、民族的危機の一般的可能性は認めつつも、実際には危機はなかったと主張しておられます。しかし、そうなると、幕末以来英仏両軍が横浜に駐屯し続けた事実は、どのように評価されるのでしょうか。確かに、幕府=フランス、倒幕派=イギリスとして国家分裂、植民地化の危機に直面していた、というのは過大評価だとしても、氏の立論は、民族的危機の過小評価というより、否定論だといわざるをえません。

ということで、開国や明治維新をめぐる政治史としてはおもしろいのですが、幕末社会論としては疑問符だらけというのが、僕の感想です。

【書誌情報】著者:井上勝生/書名:幕末・維新 シリーズ日本近現代史<1>/出版社:岩波書店(岩波新書・新赤版1042)/発行年:2006年11月/定価:本体780円+税/ISBN4-00-431042-3

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3 Responses to “井上勝生『幕末・維新 シリーズ日本近現代史<1>』(岩波新書)”

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  3. 同書につき、書評を書いてみました。TB致しますが、ご参考になれば幸いです。

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