肌が粟立つような緊張感! 都響第637回定演 ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ほか

都響第637回定期演奏会 ショスタコーヴィチ交響曲第8番ほか

先週の「メサイア」に続いて、水曜日、またまた都響の定期演奏会で、こんどはサントリーホールへ。

  • シュニトケ:ハイドン風モーツァルト 2台のヴァイオリンと2つの小オーケストラのための
  • ショスタコーヴィチ:交響曲第8番 ハ短調 op.65

会場に着いてみると、舞台の上は、2曲目で使うであろう椅子などが隅の方に押しやられていて、中央はいくつか譜面台が並べてあるだけ。そして、開演20分前から、指揮者のデプリースト氏は指揮台の上に登場。う〜む、これはいったい? と思って、プログラムを読むと、1曲目のシュニトケ「ハイドン風モーツァルト」(1977年)は、なかなか相当に変わった曲のようです。

で、開演時間になると、まず舞台が暗転。いつもだと、客席の明かりがかすかについているのですが、それも消えて、本当に真っ暗。その中で静かに音楽が始まります。プログラムノーツによれば、「個々の奏者が自由なテンポでモーツァルトの断片を点滅させるように」演奏しているのだそうですが、僕には、いわゆる“ぎゅわぎゅわ、もぞもぞ”の現代音楽にしか聞こえません。(^_^;)

で、やがて舞台が明るくなると、デプリースト氏を中心に、独奏ヴァイオリンが2台、その後ろに、中央にコントラバス1台をはさんで、左右に、外側からヴァイオリン3、ヴィオラ1、チェロ1が並んで、オケはそれだけ。ところどころにモーツァルト風の旋律が聞こえてくるけれど、それがすぐに現代音楽風の不協和音にかき消されたり、またモーツァルトが復活したり…という感じで、2つのパートが競い合うようにすすんでいきます。と思っていたら、途中で、独奏ヴァイオリンが後ろに下がり、弦楽のヴァイオリン3が前に出てきて、全体が一体になって旋律を奏でて、そうしてまた最後になると、ふたたび独奏と弦楽に分かれて、と、対立(というより、競い合い、掛け合いという感じですが)と協調の対比が面白くできています。そして、最後近くになると、舞台はふたたび薄暗くなり、演奏者が、ハイドンの「告別」よろしく、静かに舞台を去っていって、とうとう誰もいなくなった空間にむかって、指揮者だけが腕を振り続ける。そこで暗転して、ようやく作品は終了しました。

これは、「あたかも、これまで全体を率いてきたものがまだ権力にしがみつこうとしている」(プログラムノーツ)様子を表しているそうですが、1977年に作曲されたこの作品、なるほど当時のソ連の体制に対するシュニトケの批判を表している訳ですね。

さて、こんな不思議な曲に続いて、休憩後は、ショスタコーヴィチの「交響曲第8番」。この作品は、第2次世界大戦でソ連の優勢とドイツの敗北がほぼ明らかになりつつあった1943年という時期に作曲されたにもかかわらず、戦争の結末への明るい見通しなどまったくなく、非常に陰惨で悲劇的な雰囲気が基調になりつつ、ところどころでは実にショスタコーヴィチらしい諧謔的な部分などが登場する、重い曲です。そこには、対独戦の勝利の後にくる「スターリン体制のさらなる強化」であることを予見したショスタコーヴィチの複雑な心理が現われていることは明らかです。

こうやって2曲を並べてみると、そこに、スターリン的体制の非人間性との厳しい緊張関係を見て取ることができます。なかなか、よく考えられたプログラムだと思いました。

そう思いながら、後半、第1楽章が始まってみると、凄まじい緊迫感が迫ってくるようで、思わず座席に座り直し、姿勢を正してしまいました。本当に、内面の“思い”がこもったような演奏で、お客さんもそれに引き込まれ、それこそ咳一つでないような緊張感があふれていました。たまたまコンサートに出かける直前に、食堂で、職場の同僚と「デプリーストは、いわゆる名指揮者ではないけれど、職人的なうまさがある」などと話していたのですが、この演奏を聴いて、もうまったくの前言撤回。エンタテイメントとして聴かせるうまさ、などという水準ではありません。インバル氏の振った「1905年」もよかったけれど、この日の8番は、それ以上!! デプリースト氏の作品に対する理解と表現の深さに圧倒されて帰ってきました。

【演奏会情報】都響第637回定期演奏会Bシリーズ
指揮:ジェイムズ・デプリースト/ヴァイオリン:矢部達哉、双紙正哉/コンサートマスター:山本友重/会場:サントリーホール/開演:2006年12月20日 午後7時

【関連ブログ】
Thunder’s音楽的日常: …
Where Sweetness and Light Failed – アルフレット・シュニトケ
善福寺日記 : ショスタコーヴィチ生誕100年?
瞬間の音楽: デプリースト=都響のショスタコーヴィチ/交響曲第8番
くらしっく日記
Takuya in Tokyo:デプリースト/都響 ショスタコーヴィチ8番ほか

ほかのブログを覗いてみると、賛否両論。僕は、ショスタコーヴィチといえば硬質な演奏、という常識を覆したところに、この日の演奏のすごさがあるように思うのですが…。(takuyaさんの指摘するように、第1楽章の物凄い集中力がそのまま持続しなかったのは、確かにその通りですが)

【さらに追加】
はろるど・わーど 東京都交響楽団 「ショスタコーヴィチ:交響曲第8番」他
あれぐろ・こん・ぶりお – スターリン体制下での苦闘と抵抗@東京都交響楽団 第637回定期演奏会 Bシリーズ

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  1.  TBありがとうございます。
     「お話にならない!」とかなり憤慨して帰ってきてネットを見たら賛否両論だったので、面白いものだと思いました。
     胃の痛くなるような緊張感を軸とした、いわゆる「伝統的ショスタコーヴィチ演奏」とは違うスタンスであることが第1楽章でよく伝わってきて、これがずっと続けば名演になるだろうなと思っていたのですが、その緊張感に取って代わるような「確固とした意志」が第2楽章当たりから徐々に感じられなくなっていって、結局最後は何も残らなかった・・・という印象でした。
     もっとも他の方々の感想を読むと、そこまでけなさなくてもよかったかな、という気もちらりとしています。体調がよくなかったのかなあ、とも思います。

  2. はろるど・わーど - trackback on 2006/12/22 at 22:44:29
  3.  初めまして! トラックバックいただきましたpic1025です。
     「硬質な演奏、という常識を覆したところ」とは確かに仰る通りで、まさにそこがこの日の特質だったと思います。
     個人的にはデプリーストのマーラーが余り粘らない硬質の演奏だっただけに、やや逆のベクトルのショスタコはとても意外でした。 あとは好みの問題かもしれませんね。
     今後とも興味深い記事をよろしくお願いいたします!

  4. あれぐろ・こん・ぶりお - trackback on 2006/12/24 at 00:04:29

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