防衛省スタートを社説はどう取り上げたか

発足を前に掛け替えられる「防衛省」の看板=8日、東京・新宿(日本経済新聞)9日、防衛省が発足。新聞社説はこの問題をどう取り上げたか、眺めてみました。

「戦後一貫して掲げてきた平和主義が揺らがないか」(神戸新聞)、「専守防衛や文民統制(シビリアンコントロール)、非核三原則など平和国家としての機能が今後変更されはしないか」(沖縄タイムス)、「専守防衛に徹する」という「姿勢を忘れては困る」(京都新聞)、「戦争をする『普通の国』」に「なし崩し的に転換することのないよう、今こそ国民論議を深めなければならない」(愛媛新聞)、「文民統制の歯止めは本当にかかるのか」(中国新聞)、「専守防衛政策が変容する心配が募る」(信濃毎日新聞)などなど。同時に、米軍と一体になって「集団的自衛権」の行使に踏み込むことへの危惧、批判も共通しています。

防衛省発足/政治の責任はさらに重く(神戸新聞社)
[「防衛省」発足]憲法こそブレーキ役だ(沖縄タイムス)
社説:防衛省スタート 大きな一歩の先が気になる(毎日新聞)
「防衛省」発足  国民の理解あってこそ(京都新聞)
防衛省発足 文民統制を徹底する必要がある(愛媛新聞)
防衛省発足 歯止めのかかる組織に(中国新聞)
防衛省発足 あくまで専守を忠実に(信濃毎日新聞)

防衛省発足/政治の責任はさらに重く
[神戸新聞 2007/01/10]

 にぎにぎしい記念式典を行って、防衛省がスタートした。1954年7月に誕生した防衛庁は、半世紀以上にわたる悲願をかなえ、省昇格を果たしたことになる。
 「戦後レジーム(体制)から脱却し、新たな国づくりを行うための基礎、大きな一歩になる」
 記念式典で安倍首相は、こう訓示した。首相の視野の先にあるのは集団的自衛権の行使の研究、そのさらに先に憲法改正を描いているのだろう。省昇格は単なる名称変更ではなく、安全保障政策、ひいては国の針路の転換につながる可能性がある。
 防衛を担当する国の組織を「庁」にしてきたのは、先の大戦の教訓から再び軍事大国にならない決意を込めていたからだ。自衛隊を軍と名乗らなかったのも、軍事を前面に出さないという自制を働かせてきたためだった。あえて“世界の常識”とは違う選択をし、普通の軍隊ではないことを内外に示してきた。
 この戦後一貫して掲げてきた平和主義が揺らがないか。省昇格に伴って、自衛隊の海外派遣が従来の付随的任務から本来任務に格上げとなったことで、その心配が増す。海外派遣が増えていけば、随時派遣が可能になる恒久法制定への議論にも弾みがつくだろう。
 首相は「国際社会から高い評価をされている活動を迅速に的確に対応していく。そのための法整備が必要だ」と前向きの姿勢を示している。イラクに派遣した陸上自衛隊は一発の銃弾も撃たずに済んだが、憲法をはじめ、自衛隊の活動に課したさまざまな制約が歯止めになっていたことを忘れてはなるまい。
 また、久間防衛大臣は在日米軍再編への取り組み強化として組織改編を明らかにしている。日米防衛協力やミサイル防衛に関する連絡調整を担う日米防衛協力課の設置などだ。日米の軍事一体化が進み、海外派遣で他国の軍と活動することが増えてくれば、武器使用基準の緩和、集団的自衛権の行使に突き当たる。
 だからこそ、文民統制(シビリアンコントロール)の原則は、いささかの緩みがあってはならないが、先の国会審議をみる限り、国会に緊張感がみなぎっているようにはみえない。与党の政策責任者や閣僚から核武装論議の発言が飛び出すなど、勇ましさを競うかのような風潮さえある。
 複雑さを増した国際環境の中で、求められるのは冷静で、的確な判断である。政治の責任が一段と重くなったことを自覚してもらいたい。

[「防衛省」発足]憲法こそブレーキ役だ
[沖縄タイムス 2007年1月10日朝刊]

首相「新たな国づくりの一歩」

 防衛省が発足した。昨年12月に防衛省昇格関連法が最大野党の民主党を含めた圧倒的多数で成立、自衛隊にとっては1954年の防衛庁設置から半世紀余の悲願が達成された。
 省昇格で権限は大幅に増すことになる。形式上、主務大臣の首相を経ていた予算要求や法案提出が可能となり、防衛出動の承認を得る閣議開催も独自に要求できる。「自衛隊管理庁」と揶揄されていた時代と比べ、政治力は格段に強まる。
 記念式典で、安倍晋三首相は「戦後レジーム(体制)から脱却し、新たな国づくりを行うための基礎、大きな第一歩となる」と指摘。さらに、集団的自衛権行使について個別の事例研究を進めるとの考えをあらためて表明した。
 北朝鮮の核実験強行により、日本を取り巻く安全保障環境はかつてなく厳しい状況に陥っている。政策官庁としての防衛省が果たすべき役割はこれまでにも増して大きく、責任は重い。
 省昇格でなお懸念が払拭されないのは、日本の防衛政策の基本原則である専守防衛や文民統制(シビリアンコントロール)、非核三原則など平和国家としての機能が今後変更されはしないかという点だ。
 野党共闘を重視してきた民主党も、文民統制の徹底などを盛り込んだ付帯決議が採択されたからこそ賛成に回った。
 しかし、問題は今後、海外派遣がさらに増える自衛隊の活動がどこまで憲法の枠内にとどまることができるのか、ということだ。
 海外派遣を重ねその存在感を増していくのに伴い、シビリアンコントロールの確保も重要な課題となる。
 自衛隊は、カンボジアやゴラン高原などでの国連平和維持活動(PKO)に加え、現在も航空自衛隊がイラク復興支援特別措置法に基づき同国で空輸活動に当たっている。
 インド洋では海自がテロ特措法により米国などの艦船に補給活動を続けている。インドネシア・スマトラ沖地震をはじめ、自衛隊による国際緊急援助活動も年々増えている。

中国「軍事大国化への一歩」

 これらの海外活動は、これまで自衛隊の「付随的任務」とされてきたが、省昇格に伴い、PKOや周辺事態法に基づく米軍の後方地域支援などを含め国土防衛と並ぶ「本来任務」に格上げされた。
 安倍首相は今後、集団的自衛権に関する研究に加えて自衛隊の海外派遣を随時可能にする「恒久法」制定にも弾みをつけたい考えだ。
 これに対し、初の防衛相に就任した久間章生氏は「恒久法としてまとめ切れるかどうか難しい」と否定的で、足並みは必ずしもそろっていない。
 だが、安倍首相が目指すように自衛隊の海外派遣が本格化し、米軍など他国軍とともに活動するケースが多くなれば、集団的自衛権行使や武器使用基準の緩和などにもつながりかねない。
 中国の国営通信社・新華社は、防衛省昇格について「日本の軍事大国化に向けた重要な一歩。日本の軍事発展に深遠な影響を及ぼすのは必至だ」と論評し、警戒感をあらわにした。
 安倍首相の「新たな国づくりのための一歩」とは、中国の指摘する「日本の軍事大国化に向けた一歩」なのか。私たちは、日本の安保政策の転換点に立たされていることを認識しなくてはなるまい。

求められる慎重な改正論議

 安倍首相はまた、集団的自衛権行使の可能性を研究する具体例として、ミサイル防衛(MD)システムで米国に向けて発射された弾道ミサイルの迎撃を挙げている。海外派遣を随時可能にする「恒久法」とともに、憲法に抵触しかねない危険性をはらんでいる。
 政府の解釈によって集団的自衛権の行使や恒久法制定に安易に踏み込むことは、軍事大国化につながる懸念が大きく許されるものではない。
 解釈改憲をさらに進め、既成事実を積み重ねていけば「なし崩しの改憲」にもつながりかねない。
 逆にいえば、現憲法は軍事大国化への「ブレーキ」の役目を戦後六十余年間も果たしてきたといえよう。
 安倍政権は、そのブレーキを解釈改憲でなし崩しにし、集団的自衛権の行使など新たな安保政策の「アクセル」をふかし始めているように映る。
 憲法がブレーキなら、その改正論議は性急にならず、より冷静で慎重でなければならない。

社説:防衛省スタート 大きな一歩の先が気になる
[毎日新聞 2007年1月10日 0時06分]

 防衛省が9日発足した。米軍再編や北朝鮮問題など、防衛省が取り組むべきテーマは難しく多岐にわたる。その責任の重さを自覚し、国民の信頼に応えてほしい。
 発足に当たり次の3点を指摘したい。9日の記念式典で、安倍晋三首相は省発足について「戦後レジーム(体制)から脱却し、新たな国造りの基礎、大きな一歩となる」と語った。
 これまでの防衛庁は否定されるべき旧体制の象徴であり、昇格を機に一段先に進みたいとも受け取れる。その先にあるのは、自衛隊の海外での活動を恒常的に展開できるようにする「恒久法」制定なのか。首相は集団的自衛権の研究にも改めて意欲を示した。
 省昇格の国会審議では恒久法や集団的自衛権について突っ込んだ議論はなく、むしろ「省になっても大した変化はない」という説明がなされてきた。
 今回、自衛隊法が改正され、これまで付随的任務とされてきた国連平和維持活動(PKO)協力法や国連緊急援助活動などが本来任務となった。前のめりにならず、まずこれらの活動を憲法の枠内で地道にこなすことが大切だ。
 国民の一部には、専守防衛の原則をはみ出すことがないか心配する声もある。安保政策は国民の理解が前提である。恒久法などは今回の省昇格とは、別個の話であることを確認しておきたい。
 2つ目はシビリアンコントロール(文民統制)の徹底だ。これまで、内閣府外局の「庁」として存在した理由がある。戦前の軍部の独走を許した教訓を踏まえ、組織を首相の直属にし防衛庁長官と二重にチェックするという精神だ。
 もちろん省になっても自衛隊の最高指揮官は首相であり、防衛出動や治安出動は首相が命令することに変わりはない。
 ただ、MD(ミサイル防衛)など防衛システムが高度化し、日米の基地の共同利用や情報交換の必要性が増し、日米関係は一層緊密化する。専門能力を持つ制服組(自衛官)への依存は、これまで以上に強まることが予想される。
 このため防衛相の補佐は防衛局長など背広組(官僚)が当たるという防衛参事官制度を廃止し、補佐役として専門知識を持つ制服組を組み入れるべきだとの意見も一部に出ている。
 しかし、その専門性を最大限に生かしながらも、国会における政治家と省内の背広組が、自衛隊をきっちりとコントロールしていくのがあくまで基本である。
 3つ目は防衛省が、国家戦略を練る政策官庁への脱皮を強調している点である。その一例として、省内に戦略企画室を設け、中長期的な戦略を検討するという。
 外交安保政策は日米安保条約を所管する外務省が主導し、防衛庁が注文を付ける構図だった。
 現在、官邸で安保政策のコントロールタワーになる日本版NSC(国家安全保障会議)導入の検討が進められている。それと外務、防衛両省の調整など官邸の責任は一層、重くなる。

「防衛省」発足  国民の理解あってこそ
[京都新聞 2007年01月09日掲載]

 きょうから防衛庁が「防衛省」に昇格する。
 関係者にとっては、長年の念願がかなった省昇格だが、軍事拡大への国民の不安は消えていない。新しい省が信頼されるためにも、国民の理解を求める新たな努力が要る。
 中央政府の役割は、外交と軍事、金融政策などに代表されるといわれる。その意味では、防衛庁が省になることは当然との見方もできる。
 ただ、「庁」に留め置かれていたのは軍部に引きずられた苦い過去と無縁でない。憲法の下で、専守防衛に徹する意思表示でもあったろう。省に昇格したとはいえ、その姿勢を忘れては困る。
 昨年12月の関連法成立で、これまで「付随的任務」だった自衛隊海外派遣が「本来任務」に格上げされた。25日から始まる通常国会で論議を呼ぶことになろう。その前に、まず組織の整備や閉鎖的体質の改善を求めたい。
 近年の防衛庁は不祥事が相次いだ。防衛施設庁の官製談合やウィニーを介した防衛秘密漏えい、自衛官の薬物汚染など言語道断の事件ばかりだった。
 久間章生長官(新防衛相)は、防衛施設庁を9月1日付で廃止する方針を年明けに表明した。在日米軍再編を担当する調整官、審議官ポスト新設や、ミサイル防衛(MD)などで連絡調整を行う日米防衛協力課、朝鮮半島情勢などを研究する戦略企画室の新設も表明した。
 一連の改編で、組織としての一貫性と機能性を高めることは大切だろう。同時に文民統制が損なわれない十分な配慮が要る。組織の風通しをよくし自衛隊員の倫理意識を高める方策も必要だ。
 国民に開かれた組織に変えることも欠かせない。特に海外活動では、情報開示に消極的すぎる。イラク・サマワへの陸自派遣でも、同じ地域を担当した英国軍が報道陣受け入れに積極的なのと好対照だった。帰国後もサマワ派遣の何が成功し、何が失敗だったかが、国民にはさっぱり分からない。これでは、国民の理解や支持は得られない。
 災害時の救援は、国民に最も頼りにされている活動だ。有事法制との関係では地方自治体との協力態勢も問われよう。こうした点でも、積極的に情報や見解を発信できる組織となるべきだ。
 米国との関係では今後、「集団的自衛権」の取り扱いが論議を呼ぼう。内閣法制局が示してきた「集団的自衛権は保有しているが憲法解釈上行使できない」との解釈を変更しろ、との議論もあるが、それには反対だ。国会で論議を重ね、必要なら法改正するのが筋ではないか。沖縄の基地問題解決も喫緊の課題だ。
 安倍晋三首相は憲法改正に積極姿勢を見せる。自民党内には自衛隊海外派遣の恒久法制定を求める声も強い。だが省昇格をばねにしようというのなら反対だ。まずは国会での安全保障論議を活発にして、日本をとりまく状況をきちんと確かめることから始めるべきだ。

防衛省発足 文民統制を徹底する必要がある
[2007年01月09日(火) 愛媛新聞]

 防衛庁から昇格した防衛省がきょう発足する。防衛庁長官も防衛大臣(相)という呼び名に変わる。
 もちろん、看板や名前が変わるだけではない。これまでは内閣府の外局という位置付けだったが、ほかの各省と肩を並べる組織となる。防衛相はほかの閣僚と同様の権限を持ち、防衛に関する重要案件を閣議にかけたり、財務相に直接予算要求することが可能となる。
 同時に自衛隊法の改正によって、自衛隊の海外派遣が「付随的任務」から「本来任務」になる。日本の防衛政策は大きな転機を迎えたといえよう。
 省昇格の構想は約半世紀前の防衛庁発足直後から持ち上がっていたが、軍部の暴走で悲惨な敗戦に至った戦前への反省から長く実現しなかった。
 ここへきて省への昇格が実現したのは、災害救助や、国際情勢の変化に伴う海外派遣の積み重ねなどで、国民の自衛隊に対する認識が変わってきたのが大きな要因といえる。
 防衛省は、これまでの「自衛隊管理庁」的な存在から政策官庁としての色彩を強めていくだろう。責任が重くなるだけに、いっそう自覚と自戒が求められる。何より必要なのは、シビリアンコントロール(文民統制)をより徹底することだ。
 省になっても、自衛隊の最高指揮監督権や防衛出動命令など「内閣の首長」としての首相の権限は変わらないが、米軍への物品提供など自衛隊に関する「内閣府の長」としての権限は防衛相に移る。
 権限がより第一線に近いところに移れば、自衛隊の運用で即応性や柔軟性が増す半面、なし崩し的な運用にブレーキがかかりにくくなるのではないか。そんな懸念を持つのは当然だ。
 戦前は、軍部が「統帥権の独立」を掲げて暴走した。戦前とは社会のシステムが大きく異なるため、全く同じことが起きるとは思えないが、軍は組織の増殖を自己目的化しやすい存在であることも確かだ。
 そのために政治によるシビリアンコントロールが不可欠であり、内閣や国会、国民の不断のチェックが肝要となる。
 ただ、現在は日本の安全保障政策をどう進めるかという確固とした理念のないまま、なし崩し的に自衛隊の任務拡大が進められている。危うい状況といわなければならない。
 その典型が自衛隊の海外派遣の「本来任務」化だろう。海外派遣が本格化すれば戦闘に巻き込まれる危険が高まり、他国の軍隊と行動を共にする集団的自衛権の行使につながる可能性が大きくなる。ともに憲法に抵触しかねない事態だ。
 自民党は新憲法草案で集団的自衛権の行使を容認する立場をとっており、海外派遣を随時可能にする恒久法制定に向けた作業も進めている。こうした動きが加速すれば、日本は戦争をする「普通の国」になってしまうのではないか。そうした事態へなし崩し的に転換することのないよう、今こそ国民論議を深めなければならない。

防衛省発足 歯止めのかかる組織に
[中国新聞 2007/1/9]

 「省」の語感は重い。「庁」の時代に比べて、存在感がぐっと増したようだ。きょう付で防衛省が発足した。
 北朝鮮の「核保有」をめぐって東アジアが不安定化している時だけに、頼もしさを感じる人がいるかもしれない。しかしそれ以上に「肥大化するのでは」「暴走は防げるのか」という不安を抱く人が多いのではないか。
 防衛省は、文民統制(シビリアンコントロール)を徹底し、何を考えているのかが見える透明感のある組織になることで、国民の懸念を解消しなければならない。
 省への昇格で何が変わるのか。 対外的には国際標準並みの「格」が得られ、信用度が上がるという。対内的には、予算を財務省に直接要求したり、閣議開催を求めたりできるようになる。現業官庁から政策官庁に転身することと合わせて、ほかの官庁並みに発言力が強まる。
 変わらないものは何か。
 相手の武力攻撃を受けて初めて力を行使する「専守防衛」や「非核三原則」「文民統制」など日本がこれまでに示してきた平和国家としての基本方針だという。
 つまり組織は強化するけれども中身は変わらないから心配はご無用、と政府は言いたいようだ。
 ただ私たちはどうしても旧軍の歴史が忘れられない。統帥権を盾にして議会の論議を封じ、自分たちの言うことを押し通した結果、アジアの恨みを買い、日本を破滅に導いた元凶である。
 その反省から生まれたのが先の基本方針だった。制服組がはやろうとした時、文民統制の歯止めは本当にかかるのか。現場の「専門知識」に引きずられないか。疑問はなかなか氷解しない。
 自衛隊・防衛庁の創設は一九五四年。東西冷戦のさなか、米国の強い働き掛けによる。その後の装備の充実で、今や米国からイラクへの派遣を求められ、米軍再編では指揮系統に組み込まれるほどになる。その過程は「日米同盟」深化の歩みといっていい。
 省への昇格を、自衛隊の在り方を本格的に考える機会にしたい。それは、今回の法改正で「専守防衛」と並ぶ本来任務とされた「海外活動」の限界を問うことに重なる。平和憲法の下、多くの国民が米国の意向をくんだ軍事的な国際貢献を望んでいる、とは思わないからである。
 どこまで米国にお付き合いするのか。開かれた議論をする時だ。

防衛省発足 あくまで専守を忠実に
[信濃毎日新聞 2007年1月8日(月)]

 防衛省があす9日に発足する。1954年に設置された防衛庁からの昇格だ。関係者にとっては数十年来の念願がかなう。安倍晋三首相、歴代防衛庁長官らが出席して記念式典を開く。
 1つの節目ではあるけれども、歓迎する気持ちにはなれない。むしろ心配の方が先に立つ。独立した「省」に生まれ変わることで自衛隊の性格が変わり、専守防衛の基本が揺らがないか、気にかかる。
 省に昇格しても、従来の防衛政策は不変――。政府はこう言い続けてきた。それが本当かどうか、政府の説明責任は重みを増す。国会のチェック機能もこれまで以上に問われることになる。
 防衛省誕生の核心は、自衛隊の役割の見直しだ。これまで「付随的任務」の位置づけだった海外派遣が「本来任務」に格上げされる。外国の侵略に対する防衛出動などと肩を並べる任務だ。
 国連平和維持活動(PKO)や周辺事態法に基づく後方地域支援、大規模災害などに対応する国際緊急援助活動がこれに当たる。
 テロ対策特別措置法、イラク復興支援特別措置法に基づく活動も本来任務に位置づける。インド洋への海上自衛隊の派遣、イラクへの陸自、空自の派遣が該当する。
 問題は、正規の仕事になることで自衛隊の海外活動の間口が広がり、専守防衛の基本を踏み外す可能性も広がることだ。米軍などと一緒に活動する機会が増えれば、憲法解釈で禁じられている集団的自衛権の行使につながる恐れも大きくなる。
 陸上自衛隊は事実上の戦地といえるイラクに足跡を残した。空自は内戦状態の首都バグダッドなどで活動している。海外で武力行使をしない、とする安全保障政策の基本は、今でも揺さぶられている。
 本来任務化の先に、随時派遣を可能にする恒久法制定や武器使用基準の緩和などがやって来るのではないか、との懸念がぬぐえない。
 安倍首相は年頭会見で、在任中に憲法改正をめざす考えを強調した。集団的自衛権の行使についても研究を進める意向をあらためて示した。防衛省昇格や自衛隊と米軍の協力強化と絡めると、専守防衛政策が変容する心配が募る。
 専守防衛には先の戦争への反省が込められている。軍事大国にはならないという決意でもある。なし崩しになれば国際社会の信頼を失う。
 海外での自衛隊の活動は今も見えにくい。本来任務化にきな臭さを覚える国民もいる。透明度を上げないと警戒心が膨らむばかりだ。

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