石原知事の無責任発言

石原都知事が、阪神・淡路大震災で、知事の自衛隊出動要請が「遅くて2000人が死んだ」と発言したことにたいし、当時の兵庫県知事の貝原氏が反論。

石原知事の発言にいかに根拠がないかは、毎日新聞の「記者の目」欄で、同紙記者が詳しく明らかにしています。

しかし、それ以上に重大なのは、当の石原さんが、27日の記者会見で、この問題について「佐々淳行さん(元内閣安全保障室長)の受け売り。詳しくは佐々さんに聞いてください」と発言したこと。こんな人物が首都東京の防災行政の責任者かと思うと、怖ろしくなります。

記者の目:石原・都知事の阪神大震災発言(毎日新聞)
前兵庫知事、「石原発言見当違い」 阪神大震災巡り反論(朝日新聞)
自衛隊出動要請「遅れた」 大震災で石原知事再び(熊本日日新聞)

記者の目:石原・都知事の阪神大震災発言=小園長治(豊岡支局)
[毎日新聞 2007年4月26日 東京朝刊]

◇根拠、ぜひ聞かせてほしい――遺族・被災者へ説明責任

 石原慎太郎・東京都知事が3選直後の記者会見で、阪神大震災について、「首長の判断が遅くて2000人が死んだ」と述べた。神戸・ポートアイランドの自宅で震度7の直撃を受けたあの時のように心が震えた。当時神戸支局員で、その後もずっと震災にこだわってきた私だが、初めて聞く数字だった。石原知事は同じ会見で、「(選挙中)陰湿に根拠のないバッシングをされた」と、「根拠」にこだわり、不満をぶつけている。ならば、きっと、自分の発言には根拠があるのだろう。ぜひ聞かせてほしい。知事には震災遺族や被災者に対し、説明責任がある。
 阪神大震災による死者は、その後の関連死も含めて6434人。このうち1995年1月17日の当日に命を失った人は約5200人とされる。兵庫県警の検視によると、83.7%が家屋の下敷きになった圧死や窒息死。ほとんどが、ほぼ即死状態で、ドーンと揺れてから15分以内に亡くなっていたと分析されている。
 だからこそ、建物の耐震性が、その後、社会問題となり、ホテルの耐震強度をごまかした建築士や、経営者が社会の大きな非難を浴びたのではなかったのか。どういうわけで2000という数字が出てきたのだろう。
 おそらく、石原知事は、当時の兵庫県知事、貝原俊民さん(73)の登庁時刻と自衛隊派遣要請時刻を問題視し、「オレなら違うよ」とアピールしたかったのだと思う。これについて貝原さんは「石原さんは、とんでもない見当違いをしています。あぜんとしました」と驚きを隠さない。未曽有の地震で災害対策本部の責任者をした者として、自衛隊派遣要請の早さと、犠牲者数の多さを安易に結びつけようとする考えに、違和感を覚えているようだ。
 確かに、貝原さんが県庁に到着したのは午前8時20分ごろで、地震の発生から2時間35分後だった。自著「大震災100日の記録 兵庫県知事の手記」(ぎょうせい)で、「どうにかして早く登庁しておればとの悔いは今も残る」と率直に反省し、心情を吐露している。
 しかし、当時、神戸は電話回線がズタズタになっており、貝原さんの官舎と県庁がつながったのは、ようやく7時過ぎだった。「110番に電話しても通じないので、単独で登庁することも考えたが、優に40?50分はかかるだろう。その間、音信不通のまま、私が所在不明となるわけにはいかないし、公舎が県庁の次に連絡がとれやすい場所なので、状況をある程度把握できるまで連絡を待った」と、公舎待機の理由を書いている。難しいが、一つの判断だったことは間違いない。
 自衛隊派遣要請が遅れた最大の理由も、通信機能のマヒだ。午前7時ごろに県庁入りできた私は、官舎の貝原さんから指示を受けた職員が、懸命に自衛隊と連絡をとろうとしている姿を見ている。初めて交信できたのは、午前8時10分。ただ、被災状況が不明なため、出動準備だけを依頼しており、正式な「出動要請」は、姫路市に駐屯している陸上自衛隊第3特科連隊と電話が通じた午前10時となった。
 ただ、伊丹市に駐屯する陸自第36普通科連隊は、午前6時半に伊丹警察署と協議し、伊丹市に午前7時58分、西宮市に午前8時20分に隊員をそれぞれ派遣するなど、実際には活動は始まっていた。
 もっとも、石原知事ならご存じだろうが、自衛隊は、自己完結型の出動が鉄則だから、出動準備に数時間はかかり、大規模になればなるほど、現場展開までに時間を要する。だから地震発生直後から、自衛隊の災害派遣部隊が組織だって救出活動にあたるというようなことは困難で、期待してはいけないのだ。
 京都大防災研究所の調査でも、家屋に閉じこめられた被災者総数約16万4000人のうち▽自力で脱出した人が約12万9000人(約79%)▽家族や隣人に救出されたのが約2万7100人(約16%)▽消防、警察、自衛隊による救出は約7900人(約5%)。もし東京で大地震が発生した場合、がれきの中から住民を最初に助け出すのは隣人や家族になることは間違いない。
 兵庫県は地震から100日目に「自衛隊への感謝の集い」を開いた。自衛隊が被災者をさまざまな意味で助けてくれたことは、万人が認めるところだ。しかし、大震災から命を守るもの、言い換えれば防災・減災の要は建築建造物の耐震化であり、人命救助は「自助」「共助」「公助」の順に進むものである。石原知事は、この阪神大震災の教訓を素直に受け取り、対策を誤らないでほしい。

前兵庫知事、「石原発言見当違い」 阪神大震災巡り反論
[asahi.com 2007年04月27日11時53分]

 東京都の石原慎太郎知事が3選を果たした今月8日、「神戸の地震の時なんかは首長の判断が遅かったから、2000人余計に亡くなった」と発言したことについて、95年の阪神大震災時に兵庫県知事だった貝原俊民氏(73)が26日、「とんでもない見当違い」とする反論を冊子にまとめ、公表した。
 「阪神・淡路大震災の教訓」と題した冊子で貝原氏は、地震直後について「県庁は通信システムや災害対策の部屋が壊れ、情報空白、交信途絶の状態だった」と説明。「自衛隊の本格出動には一定の時間が必要で、ようやく出動できる状態になったのは(県が派遣要請した)午前10時ごろ」とし、「当時の状況の中で最善の対応をしたと自負していた」と記した。
 さらに、震災の教訓の一つは「都市にすべてを集中させた文明のもろさ」だったと総括。一極集中が進んだ東京について、「教訓をしっかり生かした施策が展開されることを期待してやまない」とつづっている。

自衛隊出動要請「遅れた」 大震災で石原知事再び
[熊本日日新聞 2007年4月27日 20:20]

 東京都の石原慎太郎知事は27日の定例記者会見で、阪神大震災発生時の兵庫県知事の対応について「自衛隊の出動がもう少し早ければ、いろんな形での(被災者の)救済はできたと思う。内閣官房にも責任はあるが、知事の(出動)要請は遅れました」と述べた。
 石原知事は当選後の今月8日の会見で「首長の判断が遅かったから2000人余計な人が死んだ」と発言したが、この部分は「ちょっと数字が違うかもしれない」と釈明。知事選で選対本部長となった「佐々淳行さん(元内閣安全保障室長)の受け売り。詳しくは佐々さんに聞いてください」と述べた。
 その上で「崩れた現場で結局火が迫ってきて、それを持ち上げる重機がないまま人がむざむざ死んだ。だから法改正で自衛隊の判断で出動できるとなったのです」などと話した。

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  1. 毎日新聞の記事、読みました。記者に共感しながら読みました。私も被災者の一人ですから、この知事の発言を聞いた時、怒り心頭でした。

    佐々さんの話ははじめて知りましたが、佐々さんって確か、「危機管理なんたら」の専門家ですよね? 「自衛隊の活用ありき」で危機管理を論じるというのは、「軍事対応ありきの安全保障」という発想とよく似てるなと思いました。

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