靖国供物問題をメディアはどう論じたか

安倍首相が靖国神社の例大祭に真榊の供え物をしていた問題で、新聞の論説を眺めてみました。

北海道新聞は、「道理のない宗教的行為」だとする社説を掲載。「供え物の奉納も参拝も宗教的行為である」「もし首相が『この程度だったら中国も韓国も反発するまい』と考えているのなら、浅慮である」と批判。さらに、安倍首相が「供物をそなえたかどうかもコメントしない」としたことにたいしても、「不誠実な態度」「首相には説明責任がある」と指摘しています。

中国新聞も社説で、「サカキの鉢植えにつけられた木札には『内閣総理大臣 安倍晋三』と書かれていた。……これで私人の立場だと言えるのか」と批判しています。

毎日新聞は、「否定も肯定もしない」という安倍首相の「あいまい戦略」に中心をおいて批判的な社説を掲載した。外交上の問題とともに、政教分離原則との関係でも疑問を呈しています。社説とは別に、大きな特集記事も掲載(「靖国神社:首相の例大祭供物問題 論争再燃が必至」)していますが、ここでも「あいまい路線」の「是非が内外で問われる」、「『宗教的意義』が焦点」というスタンスは明確です。

朝日新聞の社説は、「靖国神社は、隣国を侵略し、植民地化した戦前の軍国主義のシンボルだ。その歴史はいまもなお神社内の戦争博物館『遊就館』で正当化されている」と指摘。外交、政教分離の問題だけでなく、靖国神社の本質論に踏み込んでいます。ただし、残念ながら“半歩踏み込んだ”という程度で終わっていますが…。

社説:靖国への供物*道理のない宗教的行為
[北海道新聞 2007年5月9日]

 安倍晋三首相が靖国神社の春季例大祭で「真榊(まさかき)」と呼ばれる供え物を奉納していたことが分かった。「内閣総理大臣」の肩書を添えて、である。
 首相は就任以来、靖国に参拝するかしないかは明らかにしない、あいまいな態度をとり続けている。中国や韓国との外交関係への配慮からだ。
 参拝ははばかられるが、靖国にまつられた「英霊」を尊崇する気持ちは変わらない?。そんな思いを、靖国関係者をはじめ信条を同じくする人たちに具体的行為で示したかったのだろう。
 しかし、供え物の奉納も参拝も宗教的行為であることに違いはない。もし首相が「この程度だったら中国も韓国も反発するまい」と考えているのなら、浅慮である。
 案の定、韓国、中国両政府は警戒感を強めている。
 せっかく改善に向かっている両国との関係がまた悪化すれば、これまでの首相の努力を自分で台無しにする愚かな行為だったということになる。
 首相は周辺に「私人」として奉納したと話しているそうだが、公私の別を強調してもあまり意味はない。
 首相の言動は、どんなにささいなものであっても政治性をもって受け止められる。それは政治指導者の宿命ともいえる。5万円の真榊代をポケットマネーで払ったからいい、ということにはならないのだ。
 たとえ供え物の奉納であっても慎むべきなのは、隣国の反発を招くからということだけが理由ではない。
 参拝にしろ奉納にしろ、憲法の政教分離原則を無視するような行為なのだ。小泉純一郎前首相の靖国参拝をめぐる各地の訴訟でも、違憲判断はあるが合憲とする判決はまだないことを、わきまえてもらいたい。
 首相は記者団に対し、真榊奉納について「靖国が外交問題化している」として説明を拒否した。これも不誠実な態度だ。
 靖国に関しては国民の間にさまざまな考え方がある。侵略戦争を正当化するような靖国の歴史観に共鳴する首相に不信感を抱く国民も少なくない。
 そもそも外交問題化が懸念されることをなぜしたのか。首相には説明責任がある。
 最近、靖国へのA級戦犯合祀(ごうし)に昭和天皇が不快感を示したことを裏付ける資料が相次いで見つかった。日本遺族会ではA級戦犯の分祀が可能かどうか検討する勉強会がスタートした。
 自民党内には分祀論に根強い抵抗があるが、仮に分祀が実現したとしても靖国が宗教法人である限り、政教分離の問題はついて回る。
 小泉前首相が約束した国立の追悼施設建設構想は、ずっと宙に浮いたままだ。靖国問題の根本的な解決のためにも真剣に取り組む必要がある。

社説:靖国神社に供物 総理大臣名で私人とは
[中国新聞 2007/5/9]

 サカキの鉢植えにつけられた木札には「内閣総理大臣 安倍晋三」と書かれていた。五万円の「真榊(まさかき)」料はポケットマネーで支払ったといっても、これで私人の立場だと言えるのか。
 安倍首相が四月二十一―二十三日に行われた靖国神社の春季例大祭に、供え物を奉納していたことが明らかになった。首相による奉納は中曽根康弘元首相以来、二十二年ぶりだ。首相の参拝を求める神社側や自民党内の参拝支持勢力に対し、一定の配慮を示す狙いもあったとみられる。
 外相や自民党幹事長ら政府与党は「私人としての事柄なので問題はない」と外交への影響を否定する。だが、韓国政府は「非常に遺憾」と批判。中国政府も「重大かつ微妙な政治的問題」と指摘し、慎重な対応を求めた。またあつれきを生じてしまった。
 日中関係は、小泉純一郎前首相の時代に「敵対関係」といわれるほど悪化していた。昨年十月の安倍首相の訪中で小泉政権以前の関係に戻った。そして、中国の温家宝首相が今年四月に来日。首脳会談でも日中対立のトゲ「靖国神社」には触れなかった。「戦略的互恵関係」をキーワードに、未来志向で対立を避けた。
 この「友好関係」はお互いの演出が目立つ。対立や傷口を表面化させない「薄氷を踏む」ような状態といってもよい。歴史認識に限らず、東シナ海のガス田開発など先送りされた懸案も多い。
 日中関係は単なる二国間関係にとどまらない。経済関係、環境、エネルギー問題、北朝鮮の核開発や台湾問題など東アジアの将来にかかわってくる。対立、論争はあっても、信頼関係を回復するには首脳会談を重ねる必要がある。
 安倍首相は官房長官当時の昨年四月、春季例大祭直前にひそかに参拝している。首相になってからは「外交問題、政治問題になっている以上、行く、行かないということは言うべきではない」と明言を避け続けている。
 しかし、いつまでもあいまいなままでは済まないだろう。私人の思想、信条をとやかくいうつもりはない。首相が「国のために戦った方々のご冥福をお祈りし、尊崇の念を表する思いは持ち続けたい」というのも分かる。ただ、一国の首相ともなると「個人の心情の問題」では片付けられない。信頼回復の一歩を踏み出したばかりの日中関係を、靖国参拝問題で損なっては元のもくあみである。

社説:首相と靖国 もう「参拝せず」と明言しては
[毎日新聞 2007年5月9日 0時11分]

 安倍晋三首相が4月21?23日の靖国神社春季例大祭に「内閣総理大臣」名で「真榊(まさかき)」と呼ばれる供え物を奉納していたことが明らかになった。首相は奉納費として私費で5万円を納めたという。現職首相の奉納は中曽根康弘首相以来のことだ。
 今回の一件で分かった一番のポイントは何か。
 安倍首相は自身の靖国参拝について「行くか、行かないか、行ったかどうかも明言しない」という戦略をとっている。だが、供え物の奉納がそうであったように、仮に首相が極秘に参拝したとしても秘密を保持し続けられるものではなく、いずれは公になるということではなかろうか。つまり、首相の「あいまい戦略」は現実にはなかなか通用しないということだ。
 今度の奉納は靖国神社側の打診を受けたものだという。安倍首相は自身の参拝を見送る代わりに供え物をし、神社側や首相の靖国参拝を求める勢力に配慮したと見ることもできる。
 ただ、もしそうだとしても、その趣旨を首相が説明すれば、参拝しない意思を明確にすることになり、参拝支持派の反発を招く恐れがある。一方、中国などの反応を考慮すれば「奉納もしたし、参拝もする」とも言えない。今回の件に関しても首相はだんまりを決め込むのはそのためだろう。
 裏を返せば、あいまい戦略は結果的に首相の行動を縛り、内外への説明の機会も奪っているのである。それは多くの人たちには中途半端で姑息(こそく)な対応と映るだろうし、首相の本意でもあるまい。
 私たちは首相が就任直後、持論を抑制し、日中、日韓首脳会談を再開させた点を高く評価した。しかし、両国との間にある氷はまだ解け切ってはいない。今回の奉納は温家宝・中国首相の訪日直後である。首相が何も説明をしないと、中国、韓国に再び疑心暗鬼ばかりが募る可能性も否定できない。
 従軍慰安婦問題を思い出そう。安倍首相は、旧日本軍の関与を認めた河野(洋平官房長官=当時)談話の見直し論に、いったんはくみするような姿勢を見せながら、日米間がぎくしゃくすると一転、火消しに回った。その経験は首相にも反省として残っているはずだ。中途半端な対応はかえって話をこじらせるだけだ。この際、「参拝しない」と明言するのが最も分かりやすいのではなかろうか。
 靖国問題は依然、決着がついていないことも改めて指摘しておく。外交関係だけでない。参拝のみならず、首相の肩書での奉納は憲法の政教分離の原則に照らして問題はないのか。明確な結論が出ているわけではない。
 折しも日本遺族会は靖国神社に祭られているA級戦犯分祀(ぶんし)などの検討を始めた。A級戦犯合祀に対し、昭和天皇が不快感を示したという証言・資料が昨年来相次ぎ、遺族会にも分祀容認論が広がっているという。
 いい機会だ。政界も忘れ去ったようになっている新たな国立追悼施設建設などについて、議論を再スタートさせるべきである。

社説:首相と靖国―抜け出せぬジレンマ
[朝日新聞 2007年5月9日]

 靖国神社の春季例大祭で、安倍首相が神前にささげる供え物を出していた。「真榊(まさかき)」と呼ばれるサカキの鉢植えだ。「内閣総理大臣」という木札が付けられていた。首相の奉納は中曽根元首相以来約20年ぶりのことである。
 政府は、首相のポケットマネーで払い、私人としての事柄だから、「コメントすべきことではない」(塩崎官房長官)という立場だ。
 首相の肩書で、神事に使う供え物を奉納し、神社側も「お気持ちを示されたのだと思う。ありがたい」と歓迎している。これが「私人としての事柄」とは、なんとも奇妙な話である。
 政教分離の原則から疑問があるのはもちろんのこと、忘れてならないのは靖国神社の性格だ。
 靖国神社は、隣国を侵略し、植民地化した戦前の軍国主義のシンボルだ。その歴史はいまもなお神社内の戦争博物館「遊就館」で正当化されている。さらに、先の大戦の責任を負うべき東条英機元首相らA級戦犯を合祀(ごうし)したことで、天皇の参拝も75年を最後に止まり、首相の参拝をめぐって国論も分裂した。
 首相名で供え物を奉納することが政治色を帯びないわけがない。
 そのことは首相もわかっているだろう。本当は参拝したいが、中国や韓国との外交問題になるので控えている。一方で、参拝しないままでは本来の支持層である参拝推進派に見限られてしまう。せめて供え物ぐらいはしておきたいということではないか。
 こうしたどっちつかずの態度をとるのは、いまに始まったことではない。
 昨年の春季例大祭のころは、自民党総裁選を前に、靖国神社参拝が争点になっていた。当時小泉内閣の官房長官だった安倍氏は「外交問題化している中、行くか行かないか、参拝したかしないかについても言うつもりはない」と述べた。その実、ひそかに靖国神社に参拝していたのだ。
 安倍首相は就任直後に中韓両国を訪問し、両国との関係を劇的に改善した。その後、靖国神社に参拝していない。
 首相は慰安婦問題でも、日本の責任をあいまいにする発言をして国際社会から批判されると、訪米時にブッシュ大統領に謝罪した。
 こうしたことが保守の支持層からの批判を招き、ここにきて「安倍氏の登場が保守つぶしの巧妙な目くらましとなっている」(評論家の西尾幹二氏)と嘆かれるほどになった。首相としては気が気ではあるまい。
 だが、首相がかつて掲げた勇ましい右寄りの課題は、実際に政権を担う身になると、実行することはむずかしい。
 国際社会の一員としての日本の地位や9条の改憲を望んでいない世論などの制約の中で、ナショナリズムの地金を小出しにする。そんなやり方を続ける限り、首相がジレンマから抜け出す道はない。

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