米下院従軍慰安婦決議で社説を読む

米下院の従軍慰安婦決議について、地方紙の社説を調べてみました。

「北海道新聞」は、「慰安婦問題は重大な人権侵害問題だ。それなのに日本は心から反省も謝罪もしていない……そう見られても仕方のないような政治家の言動が絶えない」、「慰安婦問題を日米間の政治問題に矮小(わいしょう)化して見てはいけない」と指摘。「中日新聞」は、「後世に裁かれるべき歴史の暗部であったことに異論はないはずだ。時代のせいにはできない」として、歴史に学ぶことの大切さを強調している。「河北新報」は、「河野談話」を否定するような言動を念頭に置きつつ、これを「現在と未来に生かすこと」を求めている。

社説:米慰安婦決議*可決されたのはなぜか(北海道新聞)
社説:従軍慰安婦決議 歴史は学べ何度でも(中日新聞)
社説:「慰安婦決議」可決/政府は未来に向けた対応を(河北新報)
社説[慰安婦問題決議]よそ事とは思えない(沖縄タイムス)

社説:米慰安婦決議*可決されたのはなぜか
[北海道新聞 2007年8月1日]

 従軍慰安婦をめぐり日本政府に謝罪を求める決議案が、米下院本会議で初めて可決された。
 先に外交委員会で可決されているが、本会議では重みが違う。「他国の議会のことだから」と人ごとを装っていては、日本の立場をますます悪くしかねない。
 慰安婦問題は重大な人権侵害問題だ。それなのに日本は心から反省も謝罪もしていない――。決議は米国のそんな対日観を示している。
 やりきれないのは、そう見られても仕方のないような政治家の言動が絶えないことである。
 安倍晋三政権の中枢には、国の戦争責任をできるだけ認めたくないという考えの政治家が少なくない。
 そうした歴史観が、元慰安婦に謝罪を表明した1993年の河野洋平官房長官談話を否定するような発言にもつながっている。
 下院外交委のラントス委員長が日本を「歴史の健忘症」と批判したのは、ゆえのないことではないのだ。
 首相は「戦後体制からの脱却」を政権の旗印に掲げている。あの戦争の反省に立ってスタートした戦後体制を変えるとはどういうことなのか。米国ならずとも疑念を抱くのは当然だろう。
 政府内には「決議はアジア系住民を選挙区に抱える米議員の選挙対策の色合いが濃い」とみる声もあった。
 しかし、本会議での可決にまで至った米国の世論の広がりを考えれば、認識がいかに甘かったかを露呈したといわざるをえない。
 政府は決議を阻止するため米議会関係者の説得に当たってきた。可決されると、首相は「私の考えは四月の訪米時に説明した」と述べた。つまりは、日本側の説明に米国を説き伏せるだけの力がなかったということだ。
 首相は河野談話を継承すると明言してきた。では、談話の何を受け継ぐのか。狭義の強制性を否定する持論は変わらないのか。国民にも国際社会に対しても、もっと丁寧に言葉を尽くして説明する必要がある。
 政府が日ごろいうように人権は普遍的価値である。力で踏みにじることは許されないし、侵害の批判があれば謙虚に耳を傾けなければならない。それは米国にもいえることだ。
 決議では、日米同盟は人権や民主主義の尊重という価値観の共有に基づくと言明している。耳が痛い指摘だからといって無視したり感情的に反応したりするのではなく、もっと闊達(かったつ)に批判をいい合える日米関係を築きたい。
 ただし、慰安婦問題を日米間の政治問題に矮小(わいしょう)化して見てはいけない。
 慰安婦として人権をじゅうりんされたのはアジア各国やオランダなどの女性であり、政府がこれからも真摯(しんし)に向き合い続けなければならないのは、彼女たちなのだから。

【社説】従軍慰安婦決議 歴史は学べ何度でも
[中日新聞 2007年8月1日]

 後世に裁かれる歴史というものがある。米下院が日本政府に公式謝罪などを求めた第2次大戦中の従軍慰安婦問題は、日本と日本人にとっても不幸な歴史だったともいえる。直視していくべきだ。
 米下院本会議で採択された従軍慰安婦決議は「従軍慰安婦制度は20世紀最大の人身売買制度の1つ」「日本政府は歴史的な責任を認め、公式に謝罪すべきだ」「日本政府は現在および将来の世代にこの恐ろしい犯罪を伝え、元慰安婦に対する国際社会の声に耳を傾けるべきだ」などの内容である。
 6月、下院外交委員会で対日謝罪要求決議案が採択されて以来、日本政府と日本に理解を示す共和党関係者を中心に本会議での採択回避の働きかけが行われてきた。
 しかし、下院の主導権を握る民主党は議長をはじめ採択に積極的だったとされ、ラントス下院外交委員長は日本の取り組みに非難の言葉を浴びせている。
 決議には「日米同盟はアジア太平洋地域の平和と安定の要」との文言が添えられ、採択は日本の政治事情から参院選後に先送りされる配慮はあったものの、決議そのものが極めて残念だ。
 決議に法的拘束力はなく、米議会でよくある採択の一つとの見方がある。背景には韓国、中国系有権者を意識しての選挙絡みの思惑や決議に歴史事実の誤解があることも伝えられるが、決議は米国民を代表する議員の意思表示で、重い。重要な同盟国からの忠言のニュアンスもあり、真剣に受けとめるべきだ。
 従軍慰安婦問題で、日本政府は1993年の河野談話で「心からおわびと反省の気持ちを申し上げる」と謝罪し、民間によるアジア女性基金を設け、歴代首相がおわびの手紙を出すなど可能な限りの活動と誠意を示してきた。
 河野談話をめぐって一部の反発はあるが、軍による強制の有無以前にその意思に反して強いられた大量の従軍慰安婦が存在し、慰安婦システムそのものを黙認したこと自体が人道に反し、後世に裁かれるべき歴史の暗部であったことに異論はないはずだ。時代のせいにはできない。
 就任前の安倍晋三首相の河野談話への批判や就任後の「狭義の強制性」否定が反省なき日本という誤解を与えたといわれる。日本の反省が受けとめられず、対日非難が蒸し返されることに真の問題がある。
 日中戦争の盧溝橋事件から70年、加害の歴史は忘れがちだ。歴史は何度でも学ぶ必要がある。建設的未来のために。

「慰安婦決議」可決/政府は未来に向けた対応を
[河北新報 2007年08月01日水曜日]

 悲しいことだが、第2次大戦中、朝鮮半島はじめ、フィリピン、インドネシアなどで「性的奉仕」を強いられた「慰安婦」といわれる女性たちがいた。その数は、研究者によって異なるが、2万人から20万人ともいわれる。
 先の大戦が引きずる重い歴史はまだ続いている。
 米下院はきのう、本会議で従軍慰安婦に関する対日謝罪要求決議案を可決した。
 決議は「従軍慰安婦制度は、日本が第2次大戦中にアジア太平洋地域を支配した時代に行った軍用の強制的な売春」などと非難した上で、日本政府に公式かつ明確な謝罪や教育の徹底などを要求。謝罪方法として、首相声明の形を取るよう強く促した。
 今回の決議案は、多くのアジア系市民を抱えるカリフォルニア州選出の日系のマイク・ホンダ議員(民主)が今年1月に提出、6月の外交委で39対2の大差で可決した。本会議での可決は予想されていたと言ってよい。
 従軍慰安婦の問題は、米社会が最も重視する人権問題の象徴の1つとしてとらえられ、日本との同盟関係を考慮してもなお、多数の議員が決議案に賛成した流れがあるのだろう。
 決議の中にある文言は「性的奴隷」「20世紀最大の人身売買」などと強烈だ。米国は事実をきちんと調査したのか、なぜ今、この問題を米国から指摘されるのかと、国民の間には違和感を持つ向きもあるだろう。
 確かに、「狭義の強制性」という意味では国内に論争がある。慰安婦動員に関し、日本側の当時の文書や担当者の証言には、軍の強制連行を裏づけるものはないとの歴史家の研究もある。
 だが、反対に、元従軍慰安婦の女性が、官憲の立ち会いの下に連れて行かれたことを証言している。
 忘れてならないのは、1993年8月に、従軍慰安婦問題について、政府の公式見解として出された当時の河野洋平官房長官談話だ。
 談話は、政府調査で慰安婦や慰安所に、旧日本軍が直接あるいは間接に関与したことを確認。募集は軍の要請を受けた業者が当たったが、「甘言、強圧など、本人の意思に反して集められた事例が数多く、官憲が加担したことが明らかになった」とし、女性の名誉と尊厳を傷つけたおわびと反省を述べた。
 河野談話は以来、政府見解として14年間守られており、日本が国際社会の一員である以上、この談話を継続していくことが大切だ。どこの国でも、どの民族でも過去の歴史に恥部を持たないケースは、極めてまれだろう。その反省を、言葉で、態度で、丁寧に繰り返し、現在と未来に生かすことが必要だ。
 今年はちょうど日中戦争が始まって70年に当たる。拘束力のない米下院の決議への対応は慎重に検討するとして、安倍晋三首相はこの際、世界に、そして国民に向けて、従軍慰安婦問題をはじめ、先の大戦への歴史認識を語ったらどうか。もちろん、その基本は河野談話だ。

社説[慰安婦問題決議]よそ事とは思えない
[沖縄タイムス 2007年8月1日]

 米下院は第2次大戦中の従軍慰安婦問題で、日本政府の謝罪を求める決議案を本会議で可決した。
 なぜ今ごろアメリカで、と疑問を持つ人も多いに違いない。
 決議は日本政府に対して「歴史的責任を認め、公式声明で首相が謝罪すれば、今後この問題が再燃するのを防げるだろう」と公式謝罪を求めている。
 この件ではすでに政府が謝罪している。それなのになぜ再び謝罪を求めるのか、と疑問を抱く人もいるに違いない。
 確かに政府は1993年の河野洋平官房長官談話で、旧日本軍の「直接あるいは間接」の関与を認め、「おわびと反省」という言葉を使って公式に謝罪した。
 河野談話に基づいて「女性のためのアジア平和国民基金」が設立され、被害者に対する償い事業が行われたのも事実である。
 だが、そうした過去の謝罪に対して疑問を呈したのは、ほかならぬ安倍晋三首相である。
 国会答弁や記者会見などで安倍首相は「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった」と語ったり、言葉を言い換えて「狭義の強制性はなかった」と否定するなど、談話見直しとも受け取れる発言を繰り返した。
 安倍首相はその後、米紙を含む海外からの反発を受けて河野談話を継承することを明らかにした。だが、その一方で、6月には首相に近い国会議員らが強制性を否定した広告を米紙に掲載した。
 一連のちぐはぐな対応が国際社会の疑念を増幅させ、下院本会議での決議採択を招いたのである。
 実際のところ安倍首相は慰安婦問題をどう考えているのか。もう一度、国際社会と国民に向けて意を尽くして説明する責任がある。
 沖縄戦のさなか、県内にも旧日本軍用の慰安所が設けられ、朝鮮半島出身の女性たちが兵隊の相手をさせられた。戦後、身寄りもなく県内各地を転々としながら、異郷の地で生涯を終えた女性もいる。
 軍の「関与」や「強制」の事実を否定することは、尊厳の回復を求めてきた被害者にとっては、耐え難い苦痛であり、屈辱であるだろう。
 この問題は、「集団自決(強制集団死)」をめぐる日本軍関与の記述が教科書検定で削除された問題とよく似ている。
 従軍慰安婦にせよ「集団自決」にせよ、その態様は多様である。証言者の声に耳を傾け、歴史の事実に向き合うことが求められているのだと思う。

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