『資本論』第10分冊を読了

時間がかかっているのは、途中、別な本を読んだりしたこともありますが、第3部第5編にはいって、マルクスの論述も込み入ってきたし、草稿からのエンゲルスの編集も輻輳して、すらすらとは行かなくなってきたため。

しかし、現代経済を考える上では、信用論が一番おもしろい部分の1つ。当時の信用制度の発達を理論的に解明し、イギリス経済の現実にせまってやろうというマルクスの意気込みみたいなものが感じられて、わくわくするところでもあります。

第25章「信用と架空資本」は、該当する草稿にもとづいて不破さんが、この部分でマルクスが本文として書いていたことは何か、を再現しています[1]が、それにしたがって、ここは草稿の本文部分、ここは注の部分と、新書に赤ペンで書き込んでから、もう一度読み直すと、驚くほどよく分かってきます。あら不思議 (^_^;)

第26章は、議会証言録からの長い長い抜粋で、マルクスが資本論を仕上げた後に、別の著作を書こうと思って、その準備のために抜き書きをした部分だといわれているところ[2]。それでも、長い長い抜粋のところどころに、マルクスなりの論点整理とまとめがあって、マルクスが銀行や信用の発達にかかわって、どこに目をむけていたのかが分かっておもしろい。

第27章は、ふたたび、まとめ的な論述部分。マルクスの株式会社論が登場します。株式会社は「資本主義的生産様式そのものの内部での資本主義的生産様式の止揚」(新書版760ページ)である、など。協同組合工場についても、「資本主義的生産様式から結合的生産様式への過渡的形態」で、株式会社では、対立が「消極的に止揚」されるのにたいし、協同組合工場では「積極的に止揚される」(764ページ)、という指摘も。そのほか、信用制度の二面性(765ページ)、など。

第28章は、銀行の役割についてのトゥック、フラートンの理論に対する批判。770ページの訳注に指摘されているように、マルクスの草稿では、I)、II)、III)という大きなくくりがしてあって、エンゲルスは、I)から第28章を、II)から第29章を、III)から第30章、第31章、第32章を編集したので、これらを全体として読んでいくことが必要。だから、第28章だけで考えてもよく分からない上に、批判の対象となっているトゥックやフラートンが何を主張したのかがそもそもよく分からないので、苦労します[3]

しかしよく読んでいくと、銀行が取り引き相手である資本家に貸し付けるものは何か? という問題が議論されているような気がします(はたしてそれでいいのか、自信はありませんが)。なにせ、当時は、イングランド銀行だけでなく、いろんな銀行が独自の銀行券を発行していたので、ややこしいのです。(^_^;)

  1. 不破哲三『「資本論」全3部を読む』第6冊、198?205ページ、新日本出版社、2004年 []
  2. 不破哲三、同前、185?196ページ、213?214ページ []
  3. 不破さんも、当時はトゥックやフラートンの見解が最大の権威だったが、それが「歴史の過去の問題」になってしまった現在では、「トゥックやフラートンの間違った見解を苦労して勉強して、さらに、それにたいするマルクスの批判を苦労して勉強するという必要性は、あまり大きくないのではないか」(同前、228ページ)と書いています。 []

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