ボナパルティズム

マルクスが「ボナパルティズム」という言葉を使っているかどうか、大月書店の『マルクス・エンゲルス全集』の事項索引(別巻4)をつかって、「ボナパルティズム」の項にあがっている箇所を調べてみました。

その結果分かったことは、

  • 事項索引には、直接、ボナパルティズムという言葉が出てくるかどうかにかかわりなく、マルクス、エンゲルスが、ルイ・ボナパルトや第二帝政に触れている箇所が拾い上げられていること。
  • したがって、ずいぶんとたくさんの箇所が拾われているけれども、「ボナパルティズム」という言葉が登場する箇所は、意外に少ない。

そのなかで、邦訳『マルクス・エンゲルス全集』の中で、マルクスの文章で、そのなかに「ボナパルティズム」という言葉が出てくるのは、次の3カ所であることが分かりました。

  1. 「フランスにおけるパン価格統制計画」(全集第12巻)
    「最後に、問題はなお純粋のボナパルティズムの観点から考えられなければならない」(同、616ページ)
  2. 「コシュートとルイ・ナポレオン」(全集第13巻)
    コシュートが「12月の人の面前で、ボナパルト主義のサルダナパロスであるプロン?プロンにハンガリーの王冠を捧げることを申し出た」(505ページ)、云々。
  3. 「フランス=プロイセン戦争についての第一のよびかけ」(全集第17巻)
    「プロイセンは、自国の旧来の制度の固有の長所をすべて注意深く保存したばかりか、まだそのうえに、第二帝政のあらゆる詭計、その内実の専制主義とみせかけの民主主義、その政治上の欺瞞と財政的汚職、その高尚ぶったおしゃべりと卑しい手品をつけくわえた。それまではボナパルティズムの制度はライン川の一方の岸だけに栄えていたのに、いまやもう一方の岸にもその模造品ができたのだ。こういう事態からは、戦争以外のなにが起こりえただろうか?」(同、5?6ページ)

しかし、さらに英語版、ドイツ語版を調べて分かったのですが、これらはすべてBonapartist(英)あるいはbonapartisch(独)という形容詞でした(ちなみに英語版のページは、<1>が第16巻、114ページ、<2>は同、502ページ、<3>は第22巻、5ページです)。つまり、これらの箇所は、邦訳でこそ「ボナパルティズムの」となっていますが、「ボナパルト的な」とか「ボナパルト支持者の」と訳しても良いところで、エンゲルスのように名詞で「ボナパルティズム」Bonapartism(英)、Bonapartismus(独)という言葉が用いられているのではない、ということです。

したがって、これらは「ボナパルティズム」の用例からは外れることになります。

そうなると、マルクスは「ボナパルティズム」という用語は使っていないということになるのかどうか。しかし困ったことに、『全集』の「事項索引」(これは、ドイツ語版著作集Werkeの事項索引をもとにしたもの)は出来が悪く、上にも書いたように、「ボナパルティズム」という言葉が出てこないところも索引に拾っている一方で、「ボナパルティズム」という言葉が出てくるにもかかわらず、拾われていないものもあるからです。

その1つとして、マルクスの「英米の紛争――フランスで起こっていること」という論文があります(全集第11巻)。これは、マルクスが「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」に寄稿し、1856年2月25日付に掲載されたもの。その最後の部分に、次のように「ボナパルティズム」という言葉が出てきます。

 この1848年革命の不吉な果実は、ボナパルティズムの時代がその盛りを過ぎたことを、見まちがえる余地なくはっきりと示すものである。(全集第11巻、597ページ)

これは、もとの英語でもBonapartismとなっています(英語版第14巻、604ページ)。

したがって、少なくとも1例は、マルクスが「ボナパルティズム」という言葉を使っている例があったということになります。しかし何にせよ、エンゲルスのように、「ボナパルティズム」を概念化して、1つの国家類型として定義づけている訳ではありません。その意味では、「ボナパルティズム」を一般概念化したのはもっぱらエンゲルスで、マルクスにはそうした用例は見られない、というのは、まさにその通りです。(もちろん、なお引き続き文献を調べなければ、ほんとうにそうかどうか最終的な断定はできませんが)

しかし、ではマルクスは、ボナパルティズムについて何も言っていないかというと、そうではなく、ルイ・ボナパルトの独特の支配体制、支持調達、その内政、外交のさまざまな問題について、いろいろと鋭い分析をくわえています。プロイセンとの比較もあります。「民主主義に支えられた皇帝専制政治」といった特徴づけや、あるいは戦争をしかけることによって国民の支持を調達しようとするやり方など、いわゆる「ボナパルティズム国家論」として論じられてきたような枠組み――階級均衡論や例外国家論など――に縛られない、実に自由かっ達な、生き生きとした、多面的で、なおかつ本質をついた鋭い分析を繰り広げています。

そういう目で問題を捉え返してみると、マルクスのボナパルティズム論として、いろんなことが引き出せるような気がします。

ところで、この問題で、あらためて西川長夫氏の『フランスの近代とボナパルティズム』(岩波書店、1984年)を見てみると、氏が1972年の論文「ボナパルティズム概念の再検討」のなかで、すでに次のように指摘されていたことが分かりました。

 マルクスのボナパルティズムにたいする態度はエンゲルスの場合とかなり異なっている。マルクスはボナパルティズムそれ自体を考察の対象に選び執拗な追求を続けたが、その期間はルイ・ナポレオンが支配した時代、とりわけ第二共和制から第二帝政の前半期に集中している。またマルクスはエンゲルスのようにボナパルティズムの特色を定義あるいは命題として述べておらず、「ボナパルティズム」という用語自体もほとんど用いない。まれに用いるとしても「この1848年革命の不吉な果実は、ボナパルティズムの時代がその盛りを過ぎたことを、見まちがえる余地なくはっきりと示すものである」といった『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』の一節(「英米の紛争――フランスで起こっていること」1856年2月25日付)に見られるように、概念化された用語であるよりは、その時代の一般的な用法にしたがっている。(同書、52ページ)

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