「ボナパルティズム」の使用例(続き)

引き続き、マルクスが「ボナパルティズム」(Bonapartism、Bonapartismus)という言葉を使っている例を調べてみました。調べてみると、いろいろと見つかるものです。

ただし、前にも書いたように、邦訳『マルクス・エンゲルス全集』では、「ボナパルティズム」となっていても原語はBonapartistだったり、逆に、原語がBonapartismなのに「ボナパルト派」とか「ボナパルト主義」と訳されていたりと、翻訳が一定しません。ここで問題にしているのは、あくまでBonapartism、Bonapartismusという言葉をマルクスが使った例という意味です。

まず、「フォークト君」(全集第14巻)のなかに、しばしば登場しています。

●405ページ下段、7行目
 「ボナパルト主義を宣伝」
 Propaganda fur den Bonapartismus

●512ページ下段、5?6行目
 「ボナパルト主義のおしゃべりなカササギ」
 die geschwatzige Elster des Bonapartismus

●536ページ下段、本文10行目
 「ボナパルト主義のこのおしゃべりなカササギ」
 Diese geschwatzige Elster des Bonapartismus

●551ページ下段、後ろから2行目?最終行
 「チューリヒのボナパルト派
 des Zürcher Bonapartismus

●557ページ上段、8行目
 「ボナパルト主義の侵略」
 die Aggressionen des Bonapartismus
 これは、ある人物の手紙からの引用のなかに出てくる部分。

●561ページ上段、13?14行目
 「オーストリア人でなくともボナパルト主義に反対できる」
 man könne dem Bonapartismus entgegentreten, ohne ein Östreicher zu sein.

●701ページ下段、後ろから5行目
 「ツァーリズムとボナパルティズム
 Czarism and Bonapartism
※これは、資料として収録されたニューヨーク・デイリー・トリビューン編集局がマルクス宛に出した手紙の一部。当時、一般的な用語として Bonapartism という言葉が使われていた例になるか?

第15巻

●「ロンドン『タイムズ』のアメリカにおけるオルレアン諸公子論」(1861年10月21日、『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』1861年11月7日付に掲載)
 「『タイムズ』はボナパルティズムの不倶戴天の反対者というその地位と…」
 原文は英語。its position of the deadly antagonist of Bonapartism

●「新聞の意見と人民の意見」(1861年12月25日、『ディー・プレッセ』1861年12月31日付に掲載)
 411ページ上段、3行目
 『モーニング・クロニクル』紙について。「この新聞はその後フランス大使館に身売りしたが、フランス大使館はその金を無駄遣いしたことを後悔した。それから反ボナパルティズム Anti-Bonapartismus に身を投じたが……」

それから、第16巻にもありました。

●マルクス=エンゲルス「『ゾツィアール・デモクラート』編集部へ」
 34ページ、5行目
 「パリのプロレタリアートが、テュイルリ宮の姿とパレ・ロアイヤルの姿と、両方の姿でのボナパルティズム Bonapartismus にたいして依然として非妥協的に対立している」

※この声明のこのくだりは、「『ゾツィアール・デモクラート』との絶縁の諸原因についての声明」(全集第16巻、84ページ)に再引用されています。

第17巻、「フランスにおける内乱」の第1草稿

●509ページ上段、後ろから5行目から
 「だから、生命力あるパリの全体――ボナパルティズムの支柱とその官許反対派、大資本家、金融仲買人、いかさま師、のらくら者、老朽した国家寄生者を除く――が国防政府に反対して決起した……」
 草稿は英語、フランス語なので、英語版を調べてみると、原語は the pillars of Bonapartism (第22巻、482ページ)。ドイツ語版(ヴェルケ)でも、Saulen des Bonapartismusと訳されています(第17巻、537ページ)。

書簡での使用例です。

●「マルクスからエンゲルスへ」1849年8月17日付(パリにいたマルクスが、スイスにいたエンゲルスに送った手紙)
 「当地〔手紙はパリから〕の一般情勢は君にわずかばかりの言葉で説明することができる。多数派はその元来の敵対的な諸分子に分解しつつある。ますます危険になりつつあるボナパルティズム。75サンティーム税の保存にたいする農民の反感。……世論における早くも再び反動に反対の風潮…。革命的機運の復活も近いと思って良い」(全集第27巻、127ページ上段)
 原文は、Bonapartismus für immer kompromittiert。kompromittierenは「信用、評判を落とす」という意味なので、邦訳とはちょっとニュアンスが違って、むしろ「ボナパルティズムが評判を落として、ますますだめになりつつある」といった意味。

●「マルクスからラサールへ」1859年2月4日付
 「戦争はもちろん、重大な結果をまねくだろうし、結局は革命的な結果をまねくことはたしかだ。しかしまず第1に戦争は、ボナパルティズムをフランスで維持し、イギリスとロシアで国内の運動を押しかえし、ドイツ等できわめてつまらない国民的情熱を復活させ、したがって僕の意見では、戦争はまずあらゆる方面に反革命的に作用するだろう」(全集第29巻、452ページ)
 ドイツ語では、hält den Bonapartismus in Frankreich

●「マルクスからエンゲルスへ」1865年2月13日付
 「彼〔シュヴァイツアー〕はボナパルティズムなどに反対する言い回し…」
 ドイツ語では、die Wendung gegen den Bonapartismus etc. となっている。

●「マルクスからエンゲルスへ」1866年1月15日付
 ベルギー出身のヴェジニエが、国際労働者協会を誹謗する匿名の記事を『エコ・ド・ヴェルヴィエ』に送ったことで、協会から除名されたことを知らせた手紙。そこに引用された、ヴェジニエが書いた記事のなかに「ボナパルティズム」という言葉が登場する。
 「それ」(委員会)「には人類の最大の希求が委ねられていた。ところが、それは軽率にもその崇高な目的を蜂起して、ボナパルト主義に引きずられて民族委員会に堕しているのだ」(全集大31巻、142ページ下段)
 原文は仏語。ヴェルケでは仏語で引用されている。それによれば、la remorque du bonapartisme 。これはマルクスの使用例ではないが、逆に、世間一般でボナパルティズムという言葉が使用されていた証拠になるのでは。

いずれにしても、マルクスについては、ボナパルティズムという言葉に特別な定義を与えて、概念化したような使用例は見つかりません。それよりも、ボナパルト帝政について、実にさまざまな問題を自由闊達に論じながら、そのなかで、言ってみれば「ボナパルト帝政」の言い換えとして「ボナパルティズム」という言葉を使っている、という感じです。

しかも、上の引用でも指摘しましたが、たとえばデイリー・トリビューン編集局が「ボナパルティズム」という言葉を使っていることからも分かるように、当時のジャーナリズム用語として、一般的に「ボナパルティズム」という言葉が使われていて、マルクスは、その言葉も使いながら、ボナパルト帝政を分析した、というのが実際のところではないでしょうか。

Similar Articles:

  1. かわうそ実記 - trackback on 2007/11/15 at 01:07:41

Leave a Comment

NOTE - You can use these HTML tags and attributes:
<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">

Trackbacks and Pingbacks: