引き続きネグリを読む(4)

アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート著『マルチチュード』上(NHKブックス、2005年)

ネグリ『マルチチュード』(NHKブックス、2005年)の続きです。

2-2 グローバル資本という身体――搾取と階層秩序の地勢図

 「今日労働と貧困を扱うことは経済の問題だけにとどまらない」。「グローバルな階層秩序を支える政治的・社会的諸制度や、貧困と従属の地理学についても探究しなければならない。」(260ページ)

 「権力システムの階層秩序」「管理と従属の空間的関係」(同前)

 ポスト近代における労働は「コミュニケーションや協働を通じて混じり合い、ひとつに収束して〈共〉的社会存在となる傾向をもつ」。「この〈共〉的な社会存在は現代社会の生産と再生産の中枢をなす強力な母体であり、新しいオルタナティブな社会を創造する潜勢力をもっている」。しかし、「この〈共〉的社会存在はいまだ身体の形をなさない」(260?261ページ)

 だから、今重要な問題は「それらの〈共〉的特異性がどんな身体を形成するのか」という問題。それは、一方では、「資本に奉仕するグローバルな軍隊の一員となり、奴隷化と横暴な周縁化をもくろむ世界戦略に従属させられる可能性がある」。他方で、それは「自律的に自己組織化する可能性もある」。「これら2つの形態の間で政治的対立が生じる」。(261ページ)

■徹底化される不平等のメカニズム

 「私たちが言いたいのは現代の空位期間において国民国家がもはや力を失ったということではなく、その権力と機能が新しいグローバルな枠組みのなかで変容しつつあるということである」(266ページ)。「国民国家は今なお重要だ」という議論と、「国民国家などもはや重要ではない」とする議論との排他的な二者択一をとらない。「そのいずれもが真実だ」(267ページ)。

 サスキア・サッセンのいう「脱国家化」のプロセス。(267ページ)。「サッセンによれば、国家はこれまでどおり法的・経済的秩序を決定し維持するうえで決定的な役割を果たしているが、その行動は国益ではなく、現出しつつあるグローバルな権力構造に向けられる度合いが増している」。

 「不均等発展と不等価交換」(267ページ)。「これらの概念は、根強く存在するグローバルな分断と階層秩序……を解明するのに一役買った」。「こうした不平等のシステムは、ある一定の政治的状況の下では資本主義的支配の足場を丸ごと崩壊させる危険性をはらんだ、資本主義的発展に内在する矛盾を表わすものだと考えられた」(267?268ページ)。「ところが資本主義的グローバリゼーションは、この問題を可能な限り最悪な形で、すなわち世界中の国々の労働関係を平等にすることによってではなく、不均等と不平等の倒錯したメカニズムを世界の隅々にまで浸透させ一般化することによって解決した」(268ページ)。

 「ロサンゼルスのサウスセントラル地区でも、ナイジェリアのラゴスでも、労働力の価格に格差をつけることを通じて生政治的なダンピングが行われており、その結果、ある労働者の労働の価値が別の労働者の労働の価値よりも高く、一部の労働者の労働はほとんど経済的価値がないという状況が生じている」(268ページ)。

 「グローバルなシステムにおいて分業と権力の階層秩序はきわめて密接に絡まり合っており、両者はひとつのものとして理解されなければならない」(269ページ)。「労働と権力のグローバルな分割」(同前)。

 「グローバルな分割は権力闘争の結果であると同時に、目的でもある」(同前)。「分割を常態化および自然化するとともに管理するようなルールを課すことによってのみ、安定した分割という均衡状態が達成できる」(同前)。

 たとえば、IMF。
 たとえば、先進国による「人口管理プロジェクト」(270ページ?)。ネグリは、「自発意志にもとづく産児制限や家族計画」には賛成。しかし、先進国による「人口管理」は、「貧者の生活の向上や地球の能力に合致した持続可能なグローバル総人口の維持」に向けられるのではなく、「どの社会集団が子どもを産み、どの集団が産まないかという点に最大の関心を向けている」。「支配地域と従属地位の両方で貧困人口が増加している」ことが問題なのだ。(271ページ)

 「私たちはいわば、グローバルなアパルトヘイト体制のなかで生きている」。「今日のグローバルな〈帝国〉にけるアパルトヘイトは、……一握りの人々の富を大多数の人々の労働と貧困を通じて恒久化する、階層的包含からなる生産システムにほかならない」(272ページ)

グローバル経済機関のもくろみ――ダボスへの旅から

 グローバリゼーションは、「しばしば『新自由主義』という名で呼ばれる自由市場と自由貿易をともなう規制されない資本主義によって決定されたもの」のように思われているが、ダボス会議を見れば「規制されない資本主義」という概念は、たちまち崩壊する。「大企業のリーダーたちが支配的な国民国家の政治指導者や超国家的な経済機関の官僚たちと交渉したり協働する必要性が明白に見てとれるから」。「国家的およびグローバルなレベルでの政治的・経済的管理が互いに対立するどころか、実際には緊密な連携のもとに進められていることも明らかになる」(273ページ)

 ダボスは「グローバルな政治的身体の中枢神経そのもの」。(同前)

 ネグリは、グローバルな政治的経済的関係を「身体」になぞらえるが、これは、従属理論と同じように「単一の世界資本主義」論ではないのか?

 「グローバリゼーションとは、企業や経済市場に対する政治的・法的管理の終わりや緩和を意味するのではなく、管理の種類の転換を意味する」(275ページ)。

 グローバルな市場勢力と法的・政治的諸制度との相互作用の3つのレベル(275ページ)――

  1. 企業自身によって創出され管理運営される私的契約や権威の私的源泉のレベル
  2. 国民国家間の貿易協定を通じて確立される規制メカニズムのレベル。特定の国際的取引や生産を直接的に管理する。
  3. 国際的またはグローバルなレベルで適用される全般的な規範=規律のレベル。国際機関や超国家的機関によって設定される。

第1のレベル
 企業が国家や政府の管理の外側でおこなっているグローバルな経済活動のなかで生まれている形態。グローバル・ビジネスの領域において、どの国の法制度にも依存せず、国家機構の外部で機能する法的枠組み。商法の習慣体系が、グローバル・ビジネスのなかでつくり出しつつある共通の枠組み。多国籍・超国家企業をクライアントとする法律事務所によって作成されたもの。(276ページ)
 資本自身がつくり出した「そのもっとも弱い形態における一種の『政府なきグローバル統治』」(277ページ)。「成文法あるいは前もって制定された法規の形もとらない、純粋に慣例と習慣にもとづくもの」(同前)。「資本を規制する外tけいな制約ではなく、資本間で同意された事項の内的表現」(277?278ページ)。
 「もっとも重要なのは、資本の権利――たとえば財産・所有権を守り、労働を管理する権利――が異なる国内市場でも同様の形で保証されること」(278ページ)。
 しかし、「私法は義務と制裁の保証という点では常に公法に依存している」から、「国際的なビジネス契約の背後には国民国家がしっかりと控え、常に制裁の脅しをちらつかせている」(同前)。「ここでいう方とは現実には、万人の機会ではなく少数者の特権を代表するものだ」(同前)。

第2のレベル
 「国民国家が提供するグローバル統治」。「より実質的なものとなり、これを通じてより強力な権威の諸要素が導入される」。(279ページ)
 2国間および多国間の貿易協定。WTO(世界貿易機関)。「WTOはグローバルな貴族層のための本格的なフォーラム」であり、「国民国家間のあらゆる敵対性や矛盾」を見て取ることができる。(2579ページ)
 この矛盾は、「現在が、国内法と国際法からグローバルな法あるいは〈帝国〉の法へと……移行する途上の空位期間であること」を示すもの(279ページ)。「国際協定を通じて姿を現しつつある……新しいグローバルな経済秩序」は矛盾に満ちているが、それは、「グローバル化へ向かう傾向と国家主義的要素の復活、自由主義的な提案と自由主義的理念の自己利益にもとづく歪曲、地域的な政治的連帯と商業的および金融・財政的支配の新植民地主義的な動き、といった相反する2つの傾向がないまでになっている」からだ。(同前)

第3のレベル
 「グローバル経済の規制装置の制度化された要素」を示す。世界銀行、IMF、国連の経済開発機構を初めとする超国家的な経済機関。
 これらの超国家的な経済機関の運営は、加盟国の代表者によって行われるが、各国の投票権は平等ではない。WTOは各国1票だが、世銀とIMFは拠出額に比例する。にもかかわらず、これら機関は投票権を持つ国々によって完全にコントロールされているわけではない。「一定の自律性を獲得し、もはや国際機関としてではなく、本来のグローバル機関として機能している」(281ページ)。IMFは「経済的手腕に長けた専門家に支配されている」。
 しかし、これらの超国家的な機関は「共通の首尾一貫した経済的・政治的管理を行っている」(同前)。
 「超国家的な経済機関のなかでもっともイデオロギー的に首尾一貫しているのは、おそらくIMFだろう」(同前)。
 世界銀行は「一連のグローバル経済機関のなかでIMFの対極に位置する」(282ページ)。それは、「主に特定のプロジェクトへの融資を通じて従属諸国の経済発展を支援することを目的にしている」からである。「世銀はその歴史を通じて……貧困に対する関心を強めてきた。」(283ページ)

■3つのレベルをまとめ上げる構図

 「最終審級における一般的制約が、それらの機関のすべての活動を規定するとともにひとつに結びつけている」(284ページ)。「それらの機関の正統性は、最終的に、それらが練り上げる政治的構想の目的――もっとも基本的なレベルでは、グローバル資本主義至上のために自由主義的秩序を確立するというプロジェクト――にあるからだ」(同前)。
 「第3のレベルは新しいグローバルな権威の創出という構成的なプロジェクトである」(285ページ)
 「超国家的な経済機関に抗議する者のなかには、……これらの機関は世界の富と権力の分割と階層秩序を維持することにしか役立っていないのだから、改革するか、さもなければ廃止すべきだという声もある。だが必要なのは、これらの機関が他の2つのグローバルな経済規制のレベルとどのようにかかわり合い、一緒に機能しているかを常に念頭におくことだ。……IMFや世銀をなくしたところでグローバルな階層秩序は軽減されないことは明らかである。」(285?286ページ)
 「超国家的な機関は現行のグローバル秩序の再生産を強いられている以上、その改革には一定の限界がつきまとう。とすれば最終的により重要なのは、抜本的な改革を阻むシステム上の限界が存在することだ。……この点で残されている柔軟な改革の余地はごく小さいものでしかない。これこそが本格的な改革を目指す真摯な試みをことごとくうちくだく根本的な原因なのだ」(286ページ)。

大きな政府の復活

 「市場の秩序を保証する大きな政府」。「その一部に軍事力を含む」。「資本は時として開放を渋る市場を強制的に開放し、既存の市場を安定化するために軍隊の助けを求める必要がある」(287ページ)。
 アメリカの軍事行動。アフガニスタン、イラクで、ソマリアやハイチ、パナマにおける軍事行動。「安価な石油の確保」といった「特定の目標は二次的なものにすぎない」(同前)。
 「軍事行動と経済的利害との主要な結びつきは、いかなる特定の国益をも捨象した、はるかに一般的なレベルにのみ存在する。軍事力は世界市場が良好に機能するための条件を保証しなければならない――すなわち、グローバルな政治的身体に属する労働と権力の分割を保証しなければならない。」(287?288ページ)

 「現在出現しつつある主権形態は完全に軸足を資本の側に置き、資本と労働との対立関係を乗り越えるための調停メカニズムは一切もっていない」(288ページ)。「世界は危険な場所であり、大きな政府と軍的介入の役割は現在の秩序を維持する一方でリスクを減らし、セキュリティを提供することにある」(同前)

 「大きな政府は経済的な調整や規制にとっても必要とされる」(289ページ)

私的所有権の拡大――〈共〉が市場にのせられる

 「大きな政府の基本的な役割の1つは私有財産[=私的所有権]の保護にある」(291ページ)。
 「非物質的生産のパラダイムにおいては非物質的財産が拡大するため、物質的財産よりはるかに流動的で管理しにくいこれらの財産を守るために、新たな安全上の問題が浮上してくる」。「その結果、主権的権威の側は保護のために活動の拡大を求められる」(291ページ)
 「こうした非物質的財産の接続可能性を利用した破壊や不正利用より重大なセキュリティ上の問題は、その複製可能性である。複製可能性は財産そのものではなく、その私的性格を破壊するものだ」(292ページ)。「非物質的形態の財産が無限に複製可能であることは、そうした希少性の構成のものを直接的に危うくする」(同前)。
 ナップスターによる実験。(同前) ――しかし、この説明では十分ではないと思うのだが…。

 「バイオ所有権」の合法化(293ページ)。「私的所有権となった生命-形態」。ホルスタイン種の牛やマッキントッシュ種のリンゴを所有することはできるが、ホルスタイン種やマッキントッシュ種そのものを所有することはできない、と考えられてきた。
 しかし、「生命体の種そのものに対する私的所有権の合法化」。新しい生物開発のプロセスだけでなく新しい生物そのものに特許を認めた米連邦最高裁の判決。(294ページ)

 「今日ではその反対に、私的所有権によってアイディアや情報へのアクセスが制限され、創造性や革新にマイナスの影響が及ぶことが増えつつある。」(300ページ)
 「コミュニケーションが生産の基礎であるとき、私有化はたちまち創造性や生産性を阻害する」(同前)

 「新自由主義的私有化のプロセスがこのまま続けば、最終的にヨーロッパ・ルネサンスの危機から生じたバロック時代さながらの状況を迎える可能性すらある」(300?301ページ)。「労働の生産性が急速に減少してマニュファクチュアの初期の発展が危機を迎え、さらに共有地の決定的な私有化と軌を一にした農業の再封建化という大きな流れが生まれた」(301ページ)。「今日、知識や情報から、コミュニケーション・ネットワーク、情動的関係性、遺伝子コード、自然資源にいたる多種多様なものを対象にした私有化には、明らかにバロック的な、新たな封建制のにおいがつきまとう」(同前)。

 「一方では、……資本主義的な私的所有権は生産者の個別的労働にその基礎を置いている。だが他方で、資本は絶えず、より集団的で協働的な生産形態を導入しつづけている。労働者が集団的に生産する富は、資本家の私有財産となるのだ。この矛盾は、非物質的労働と非物質的財産の領域においてますます極端なものになりつつある。」(303?304ページ)

 「現代では遺伝情報や知識、植物、動物といった新たな材が私有財産の仲間入りをしている。これは…「〈共〉の収奪=収用と呼んだものの一例である。だが、……人間生活を成立させている慣習実践の大部分が〈共〉的なものでなければ、日常生活における人間同士の相互作用やコミュニケーションはまったく成り立たない。……〈共〉なくして社会的生は成り立ちえないのだ」(304ページ)

これで、上は終わり。

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