今週の「九条の会」(6月14日まで)

全国各地の「九条の会」の活動を、インターネットを流れるニュースから拾い集めています。できるだけ拾い集めるようにしていますが、時間とともにネットから消えてしまったものもあります。ご容赦ください。

みんなでピース!うたと語りのコンサート?能美9条の会3周年記念
[asahi.com:マイタウン石川 2008年06月14日]

 14日午後2時、能美市大成町の根上総合文化会館円形ホール。能美9条の会ピースコンサート実行委員会(寺井病院内=0761・58・6950)の主催。よさこいソーランやバンド演奏、絵本読み聞かせのほか、バザーや古本市、小松基地問題のパネル展示など。無料。

公募で戦後誕生 平和への祈り 幻の国歌 あす披露
[東京新聞 2008年6月13日 夕刊]

 戦後の復興期に草の根から生まれ、忘れ去られた“幻の国歌”が14日、東京・日比谷公園の小音楽堂で披露される。憲法改正反対の市民グループが主催する「9条改憲を許さない! 6・14フェスタ」で、埼玉県の「九条の会・草加」の合唱団が平和と自由への思いを歌い上げる。 (大西隆)

 この歌の題名は「われら愛す」。1953年、サンフランシスコ講和条約発効1周年を機に新しい国民歌を作ろうと、寿屋(現サントリー)が全国規模の新聞広告で公募。歌詞に約5万点、曲に約3,000点が寄せられ、サトウハチローや山田耕筰らが審査して選んだ。
 九条の会・草加の世話人の一人で元高校教師生井弘明さん(74)は2,005年、歌の由来を「われら愛す?憲法の心を歌った“幻の国歌”」に著した。同書によると、作詞者の芳賀秀次郎氏(1915?93年)は山形県の教師で、戦時中、軍国主義教育を推し進め、戦争賛美の国民歌謡も手掛けたという。
 「私は実にやすやすと戦陣訓を愛誦(あいしょう)した翌日に、新憲法を語ろうとしている自分を見ないわけには行かない。…そのみにくさ、そのひくさ、そのおろかさ、これを双の目に焼きつくすほど凝視…しないわけには行かない」
 49年に芳賀氏が記した「わが暗愚小傳」での述懐である。生井さんは「教え子を戦場に送り出した苦い経験から、自分の戦争責任を真正面から反省して『われら愛す』の歌詞を書いたのだろう」と推察する。
 生井さん自身は終戦前後に栃木県の疎開先で両親を失い、妹2人とともに静岡県の親類に引き取られ、高校を出て警察官に。「独身寮の食堂のラジオから毎朝五分くらい、この歌が流れた。勇気づけられた」と言う。
 しかし、米軍基地闘争でも、反核運動でも、労働争議でも、常に政府や企業という強者の味方をする形になる仕事に失望。30歳で辞めて都内の私大に入り、大学院を出て都立高の社会科教師になった。
 そして退職から8年後の02年3月。新聞に「われら愛す」を詠んだ短歌を偶然見つけて若いころの記憶をよみがえらせ、歌の歴史の調査に取り組んだ。「憲法の精神を伝える歌」として歌い継いでいきたいという。
 6・14フェスタの問い合わせは、9条改憲阻止の会へ。

 われら愛す
     作詞 芳賀秀次郎
     作曲 西崎嘉太郎

一、われら愛す
  胸せまる あつきおもひに
  この国を われら愛す
  しらぬ火 筑紫のうみべ
  みすずかる 信濃のやまべ
  われら愛す 涙あふれて
  この国の 空の青さよ
  この国の 水の青さよ

二、われら歌ふ
  かなしみの ふかければこそ
  この国の とほき青春
  詩ありき 雲白かりき
  愛ありき ひと直かりき
  われら歌ふ をさなごのごと
  この国の たかきロマンを
  この国の ひとのまことを

三、われら進む
  かがやける 明日を信じて
  たじろがず われら進む
  空に満つ 平和の祈り
  地にひびく 自由の誓ひ
  われら進む かたくうでくみ
  日本の きよき未来よ
  かぐわしき 夜明けの風よ

☆第17回千代田平和集会「100人の村から憲法9条へ?日本国憲法とわたしたち・Part5」
[毎日新聞東京版 2008年6月13日]

 18日18時半、千代田区神田駿河台3の6、全電通会館ホール電話3219・2213。翻訳家の池田香代子さんの講演、合唱団「ソレイユ」の歌。資料代500円。「千代田9条の会」ほか主催。

札幌の有志「九条の会」発足へ 「憲法を守る」俳人 29日総会
[北海道新聞 2008/06/11 14:00]

 憲法九条を守る動きを道内の俳句愛好者から広めようと、有志による札幌俳人「九条の会」が発足する。29日、札幌市中央区大通西12の道高等学校教職員センターで結成総会を開く。
 「九条の会」は2004年に作家の大江健三郎さんらが結成。平和憲法を擁護する姿勢に賛同して全国各地で設立が相次ぎ、05年には東京で俳人「九条の会」が発足している。
 俳句愛好者の細田誠さん(72)=西区=や友広昭治さん(65)=同=ら6人は、昨年、東京での俳人の活動を詳しく知り、札幌での結成に向けて動きだした。先月18日に結成準備会を開き、現在20人余りが参加を表明している。
 友広さんは「戦時中は、俳人も『報国』を強いられた。九条がなければ文芸も自由でなくなるのでは」と、俳句愛好者として活動する理由を説明する。
 活動は、年2回ほどを予定。9条がテーマの投句を会報で紹介したり、勉強会を開いたりする。年会費1,000円。
 29日は、札幌弁護士会の山内崇史弁護士が「憲法が輝くとき」との題で話すほか、「壺(つぼ)俳句会」主宰の金箱戈止夫(かなばこかしお)さんが俳句について語る。
 友広さんは「ゆるやかな連携。『俳句で九条を詠め』と強いるものではない」と話す。問い合わせは細田さんへ。(星野真)

堅田九条の会:憲法9条「平和主義」学ぶ 設立3周年で講演会――大津 /滋賀
[毎日新聞 2008年6月8日 地方版]

 堅田「九条の会」の設立3周年記念講演会「明日につなぐ憲法9条の水脈」が7日、大津市梅林1の滋賀弁護士会館で開かれた。講師は山室信一・京都大教授(政治学)で、約50人の市民が、憲法9条の掲げる「平和主義」の原点について熱心に聴き入っていた。
 同会は、改憲議論に「戦争再発」の危機感を感じた大津市の堅田地区周辺の住民らが05年に結成、定期的に憲法を巡る学習会を開いてきた。
 山室教授は、足尾鉱毒事件を告発したことで知られる国会議員・田中正造(1841?1913)の「無戦主義」や、太平洋戦争中の良心的兵役拒否者の実践を紹介、戦争に反対した先人の思いが結集された9条の価値を訴えた。
 参加した京都市伏見区の大学院生、山崎誠一さん(24)は「これまで改憲を容認していたが、その必要が本当にあるのか疑問を持つようになった」と話していた。【後藤由耶】

空襲被害の出水学区などまわる 上京で平和ウォッチング
[京都民報 2008年06月03日 12:37]

 9条の会上京連絡会は1日、上京のまち平和ウォッチングを行いました。平和と歴史をテーマに上京のまちを「探索」しようと、区内の人はもちろんお隣の北区からの参加もあり10数名がまちを歩きました。
 1945年、京都に爆弾が投下され一番被害のあったといわれる出水学区、古くからの油屋さんの店頭に飾られた爆弾の破片や空襲を忘れずにと立てられた石碑、戦争へ戦争へと国民を「駆り立てた」時代につくられた「皇紀2602年」と掘られた石づくりの「国旗掲揚台」などをめぐりました。あちこちに立てられた「平安京」の案内石碑や説明パネルも見ながら歩き、近代から平安朝の時代までの庶民と権力者との闘いに思いをめぐらせながらウォッチング。最終地点の大宮今出川、千両が辻の賑わいは参加者の記憶にも残っており、「このあたりには銀行が軒を並べていたな」と語らいました。
 上京のまちを支えてきた民衆の暮らしも、平和があればこそとの思いを強くしました。
 ウォッチング終了後、残ったメンバーでガイド役を買ってでていただいた町屋のご主人宅で昼食をとりながら語り合ったりと、有意義な時間を過ごしました。(村上栄一)

九条の会:経済同友会終身幹事・品川さん、護憲訴え――飯塚/福岡
[毎日新聞:筑豊版 2008年6月2日]

◇「戦争止めるのも人間」

 筑豊地区で護憲を訴える4つの「九条の会」が1日、飯塚市のイイヅカコスモスコモンで講演会を開いた。経済同友会終身幹事で護憲を唱える品川正治さん(83)が約600人を前に、自身の戦争体験に触れながら「戦争は国家ではなく人間が起こす。それを許さず止めることができるのも人間」などと訴えた。
 品川さんは旧制高校卒業前に召集された。その直前に学生の希望で講義に招かれた詩人の三好達治が「若い君たちの命を奪って、私が詩をつくる。そんなことはできない」と教壇でうずくまって泣いたという。
 中国での戦闘に参加したが「戦友を助けられなかったことが大きなトラウマになった」と振り返った。憲法9条との出合いは中国からの復員船内。新聞に掲載された日本国憲法草案の9条を読み上げた際に「これで戦友の霊もなぐさめられる」と自身も周囲の人たちも号泣したという。
 品川さんは「戦後はイラクの自衛隊派遣まで進み、9条の旗はぼろぼろ。でもその旗竿は国民が握って離していない。私は憲法9条を死守したい」と訴えた。【井上元宏】

京都の映画人、「9条守れ」と会結成
[京都民報 2008年06月02日 13:44]

 「京都・映画人・九条の会」の結成総会が5月30日、京都市左京区の京都教育文化センターで開かれ、映画関係者や映画愛好家ら41人が参加しました。
 同会は、映画監督の佐藤晴夫氏、カメラマンの原田裕平氏など8人の映画関係者が、映画人、映画ファンの間に憲法9条を守る運動を広げようと呼びかけたものです。 京都映画センターの竹内守代表が設立の趣旨説明を行い、土(土偏に点)橋亨映画監督が挨拶をしました。
 同会では、「京都の映画愛好家のみなさんの多くの入会を呼びかけます」と語っています。

憲法9条集いに300人参加
[asahi.com:マイタウン福井 2008年06月02日]

 「憲法9条を考える市民のつどい」が1日、福井市手寄1丁目のアオッサ8階ホールで開かれた。「九条の会・ふくい」など県内27の「九条の会」が合同して主催、約300人が集まって、戦争放棄をうたう憲法9条の意義に考えを巡らせた。
 越前市内のフリースクール「はぐるまの家」の子どもたちによる和太鼓の演奏の後、わかりやすい憲法解説で知られる司法試験塾塾長の伊藤真さんの講演があった。
 伊藤さんは安倍政権時代に唱えられた「戦後レジームからの脱却」について戦前と戦後の日本を比較して解説。戦争する国からしない国へ、教育・宗教を利用した国から教育に介入しない政教分離の国へ、国家のための個人から個人のための国家へ、と変わった戦後日本について憲法を改正し元に戻す動きだとした。
 国家権力を制御するために憲法が存在すると述べた伊藤さんは「憲法の価値を次代へ引き継ぐために、いろいろな場所で憲法を話題にしてほしい」と来場者に呼びかけ締めくくった。

講演:「戦争展」で実行委員長の小山内美江子さん、平和の尊さ守る活動を/神奈川
[毎日新聞 2008年6月1日 地方版]

 「2008平和のための戦争展inよこはま」が開催中の県民センター(横浜市西区)で31日、実行委員長の脚本家、小山内美江子さん(78)=同市鶴見区在住=が「戦争も核兵器もない平和な地球・21世紀を」と題し、約150人を前に講演した。
 小山内さんは鶴見高女に通う15歳のとき、鶴見空襲で悲惨な体験をした。人気ドラマ「3年B組金八先生」の脚本では「人を殺す場面は絶対に書かなかった」と言う。「かながわ九条の会」の発起人になり、カンボジアでの小学校建設も続けている。
 つえをついて登壇した小山内さんは「虐殺と戦乱後のカンボジアに行ったのは、92年だった。教育は無きに等しい荒廃で、日本人の学生らと学校建設のボランティアを始めた。それがついに200校となり、8月に首都プノンペンで記念式をする」と成果を話した。
 また横浜市で開かれたアフリカ開発会議に触れ「世界には餓死する人々がいる。飢えを体験した世代だけでなく、若い人々にもその現実を知り、平和の尊さを守る活動をしてほしい」と呼びかけた。【網谷利一郎】

京都映画人・9条の会:監督、カメラマンら結成総会 自由な表現で平和を発信/京都
[毎日新聞 2008年5月29日 地方版]

◇あす結成総会
 京都で映画製作にかかわる監督やカメラマン、映画愛好家らが表現の自由や平和について考えようと、「京都映画人・9条の会」の結成総会を30日、左京区の京都教育センターで開く。短編映画「日本の憲法」の上映や講演がある。
 事務局の村主(すぐり)哲夫さんによると、04年に設立され、東京を中心に活動する「映画人・9条の会」に京都の関係者約100人が参加していることから、京都でも独自に活動しようと結成を決めたという。村主さんは「映画人として、映画を通じて平和を発信していきたいので、多くの方に参加を募っていく」としている。
 総会は午後6時半、上映は同7時半から。上映後には映画演劇総連の高橋邦夫議長が、靖国神社を舞台にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映問題などについて話す。無料。問い合わせは村主さん(075・881・0566)。【小川信】

戦争の悲劇、語り継ぐ 九条の会が体験談集発行 宮城
[河北新報 2008年5月26日(月)15:00]

 太平洋戦争の惨劇を語り継ごうと、宮城県の大学教授らでつくる「みやぎ憲法九条の会」が戦争の体験談を集めたブックレット「語りつぐ『私(わたし)の戦時体験』」を発行した。
 県内の60―90代の12人の体験記を載せている。仙台市の80代の男性は元兵士で1944年、ミャンマーに駐屯した。「現地民を虐殺し、けがをした戦友も見捨てて生き延び、悔やんでいる。こんな思いは孫にはさせたくない」とつづっている。
 仙台市の80代の女性は43年、従軍看護師として中国の長春に赴いた。「戦況の悪化で退避を余儀なくされ、上官から『敵に捕まったら自殺しろ』と青酸カリを渡された」と振り返る。
 本は、敗戦から63年がたち、生存する戦争体験者が少なくなる中、戦争の悲惨さを風化させまいと、会が体験談を募った。
 会事務局の池上武さん(66)は「体験者にしか語れない戦争の惨劇を知ってもらい、平和の大切さを再認識してほしい」と話す。寄せられた体験談はほかにもあり、次号を出す準備を進めている。
 本はA5判で97ページ。価格は400円で注文販売する。連絡先は九条の会022(728)8812。

講演会
[asahi.com マイタウン三重 2008年05月22日]

 25日午後2時、四日市市本町の本町プラザ2階会議室。「自分史の中の憲法9条」をテーマに、全日写連会員で写真家の河村紀子さんが話し、写真を展示する。入場無料。九条の会・よっかいち主催。

こごた憲法九条の会:「改正反対」を再確認 かて飯の昼食会も――美里で集会/宮城
[毎日新聞 2008年5月19日 地方版]

 美里町の「こごた憲法九条の会」は18日、設立1周年の集いを開き、「憲法九条改正反対」を再確認した。
 約80人が参加。三浦弘康同会代表世話人は「賛同者は384人に達し、今年中に500人を目指す。県内の地域九条の会はこれまでに104グループに上る」と活動の広がりを紹介した。
 続いて、今年2月発足した「憲法九条を守る首長の会」発起人の1人で旧鹿島台町(大崎市に合併)の鹿野文永元町長が講演。「憲法の『戦争放棄』は、中学生だった私に希望と夢をはぐくんでくれた。九条の改憲は、地方自治や市町村住民の安全を脅かす最たるもの」と述べ、護憲をアピールした。
 集いでは、サツマイモで増量した「かて飯」での昼食会もあり、戦中戦後の苦しさをしのんだ。【小原博人】

上越九条の会:発足3年記念「今日の平和展2008」始まる/新潟
[毎日新聞 2008年5月17日 地方版]

 平和憲法の堅持を訴える市民グループ「上越九条の会」の発足3年を記念した「今日の平和展2008」が16日から、上越市立高田図書館で始まった。
 同会は、作家の井上ひさしさんらが設立した「九条の会」の活動に呼応して、05年に発足した。現在の会員は920人。
 会場では、会員や一般市民計56人が平和への思いを託して出品した絵や写真、オブジェなど約100点を展示しているほか、これまでの会の活動について紹介している。また、折り鶴作りのコーナーなども設けられ、自由に参加できる。18日まで。【新井敦】

特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 三木睦子さん
<おちおち死んではいられない>
[毎日新聞 2008年5月16日 東京夕刊]

◇背負って立つ自覚あるの――元首相夫人・90歳・三木睦子さん
◇戦後、盛り返したのは「世界と伍す」気概で立ち上がったからです

 なんせ「女総理」の異名をとった方である。門をくぐるのに、緊張した。東京・渋谷は南平台にある三木武夫記念館。通された部屋から庭をながめると、シャクナゲの花が咲いていた。そこに、三木睦子さんがツカツカと入ってくる。90歳とは思えない、軽やかな足取りだ。
 「白い花が好きだと、夫は言っておりました。夜遅く帰って来るものですから、白いほうが迎えてくれるような感じがするんですって」。今は赤い花もちらほら。「白ばかりだと寂しい感じがしますので、夫が亡くなってからは、せっせと赤いのも植えております」。政治浄化に執念を燃やし「クリーン三木」「議会の子」と呼ばれた元首相、三木武夫さんが亡くなって、20年になる。
 目の手術を終えたばかりと聞いていたが、睦子さんは、いたって健康そう。
 「9人兄弟の6番目で、私一人だけになりましたが、どこも悪くないんです。この眼鏡もいらないんですけど、格好いいでしょ。新聞も裸眼で読んでいるんです。もっとも新聞を読んでは、腹を立てていますけど」
 インタビューにうかがったのは、ちょうど、失効したガソリン税などの暫定税率を復活させる租税特別措置法改正案が衆院で再可決された日だった。
 「私は直接、政治に関与しているわけではないし、ただ傍観しているだけですけれども……。もう少し暮らしよく、年々、暮らしが楽にならなくちゃいけないのにって、思いますね」。「のに」の部分を強調し、いらだちを込めた。
 「ねじれ国会」で綱引きを演じる首相の福田康夫さんと民主党代表の小沢一郎さん。2人の政治リーダーをどうみる。
 「こういう時は、子どものころ、やたらとけんかしていた人のほうが、強いんじゃないかしら。その点、福田さんは境遇が良すぎたんでしょうか、闘争心に欠ける気がします。小沢さんは、いわゆる慶応ボーイのハイカラさがないという意味では安心してみてられますね」
 この時代に、三木さんがいたら、どう動いただろう。
 「さあ、どうしたでしょう」

 ■

 話は前首相、安倍晋三さんの父方の祖父、寛氏のことに及んだ。三木さんとともに、1942(昭和17)年の翼賛選挙で、翼賛政治体制協議会の推薦を受けずに当選し、軍部主導の政治を批判した。
 「三木とは戦時中、非戦運動の同志でした。表立っては動けない時代でしたから、夜陰に乗じて、非戦論を説いて歩いてました。夜中に『腹が減った』と帰ってきて、おむすびをかき込むと、また闇の中に消えて。特高警察の目をかいくぐらなきゃいけなかったんです」
 それより先、日米の武力衝突が必至となっていた38(昭和13)年2月19日、三木さんは日比谷公会堂で「日米戦うべからず」と銘打った国民大会を開く。睦子さんの著書「信なくば立たず」(講談社)には、そのときの三木さんの演説の要旨が記されている。
 <日米両国が戦争にあらず、平和的に今日の対立を解決するよう全力を尽くすことが、両国の政治家の責務ではないか。日米首脳の会議で解決は不可能とは言えない。国民の憎悪をあおり、戦争にかり立てることは無責任な態度といわねばならない。この戦争の流れをかえようではないか>
 終戦直後、三木さんは戦争をとめられなかった責任を感じて、政治家を辞めると口にした。「家庭内野党」を自任する睦子さんは、それを許さなかった。
 「三木が『田舎に帰って、グロサリー(食料雑貨店)でもしようかな』と言うから、『とんでもない。米国のことをよく知っている政治家は、あなたしかいないんだから、これまで通り働いてよ』って言ったんです」。三木さんは戦前、米国に留学している。「戦争に負けて、日本がクシャーンとなって、何も言えなくなってしまった時期もありましたけれど、『世界と伍(ご)していく』という気概を持って、ともかく、ここまで盛り返したのは、戦後、何をという思いで、日本人が立ち上がったからじゃないかと思うんです」

 ■

 睦子さんは一度だけ尋ねたことがある。「あなた、なんで自民党にいるの?」と。「三木はこう言ったんです。『もし、ここで僕が離れたら、自民党は憲法を改正するぞ。それでも、きみ、いいかい』って。『そういうわけにはいかないわね』って、引っ込んだんですけど」
 4年前、護憲を訴える「九条の会」に、最年長の呼び掛け人として加わった。
 「なるべく外へ出ないようにしておりますが、黙り込んでいるわけじゃないんです」「戦争を体験した人たちの中には、もう一度、力を持ってやり返したいという考えをもっている人もいます。私たちは敗戦国として、つらい思いをしてきました。はやる人たちをなだめないといけないんでしょうけど」。昨年、国民投票法は成立し、2年後には憲法改正が可能となる。
 「うっかりしていられませんよね」。それまでの静かな語り口とは打って変わって、語気を強めた。「おじいさんも、おばあさんも、ここでシャンとしないと」。ヨチヨチ歩きの男の子が入ってきた。「ひ孫です。この子らのために、戦争をしない平和な静かな世界にしてやりたいと思うんです」

 ■

 居宅を改装し、予約制で見学を受け入れる三木武夫記念館の2階。三木さんの書や絵を展示した部屋や愛用した茶室を案内してもらった。陶芸も並ぶ。睦子さんの作品だ。「これが唯一の楽しみ」。目を輝かせた。「どんなものを作ろうかと夢を膨らませながら、土をこねるときの手の感触がいいんです」
 最後に、若い世代へのメッセージをいただく。
 「いまの若い人たちに、これから自分たちが日本を背負って立つんだという自覚があるんでしょうか。ただ流されて過ごしているような気がするんです。もっと元気よく、世の中のために働いてほしいですね」
 謙虚で、物腰は柔らかいけれど、言うべきことはピシッと言う「女傑」の一面を垣間見た気がした。【大槻英二】

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■人物略歴
◇みき・むつこ
 1917年、千葉県生まれ。父は衆院議員で昭和電工創業者の森矗昶(のぶてる)氏。22歳のとき、後に第66代首相となる三木武夫氏と結婚し、以後、半世紀にわたって夫の政治活動を支える。著書に「毎日あきれることばかり」など。

「9条大切に」、井上ひさし氏が講演
[asahi.com:マイタウン岩手 2008年05月11日]

 作家で「九条の会」よびかけ人の井上ひさし氏を招いた「憲法」がテーマの講演会が9日夜、一関市の一関文化センターで開かれ、約千人が詰めかけた。
 「思い出の一関、そして憲法」と題して講演した。市内の書店で生涯一度の「万引き」が店番のおばさんに見つかった話を披露。「300円の本を盗まれると、同額の本を5冊売らないといけない。万引きは『私たちを殺すのと同じです』と諭された」とのエピソードを紹介し、「私の一生に本当に大きな意味を持つまちです」と振り返った。
 続いて20世紀の戦争の歴史について語り、第1次世界大戦では戦死者の95%が軍人、ベトナム戦争はそれが5%になったとした。庶民が犠牲になる現代の戦争は「戦争に賛成、反対する人々のいずれも死ぬ悲惨なものだ」と指摘した。さらに「私たちの憲法は海外で尊敬されている」と説明、憲法前文と9条の大切さを訴えた。
 井上氏は中学3年の49年4月から9月まで、母親らと一関市内の酒造会社の石蔵に住み込んだことがある。市民らで組織する実行委が3年越しで講演を依頼し実現した。

平和の祈りはばたけ 憲法記念日各地で集会
[asahi.com:マイタウン鳥取 2008年05月07日]

◆憲法の現状・問題点探る
 憲法が61回目の「誕生日」を迎えた憲法記念日の3日、県内各地でも平和の大切さや9条の意味などを考え合う集会が開かれた。
 鳥取市のJR鳥取駅前の「風紋広場」では午前中、「鳥取市『9条の会』」が集会を開いた。約70人が参加。ハトの形をした風船に、「平和憲法を守ろう」などというメッセージをつけ、一斉に空に放った。「世界中で平和が大事にされますように」と書いた同市の小川瑞穂さん(10)は「メッセージを遠くの人に読んで欲しい」。
 午後からは、同市富安2丁目の「さざんか会館」で、中村英樹・鳥取大学講師(憲法学)を迎え、自民党の新憲法草案を学ぶ会を開催。中村さんは、改憲を目指す動きの歴史的経緯を説明したうえで、自民党の草案は憲法観を国家権力を制限するものから、国民の行為を規定するものへ転換させるものだと指摘。「どちらの憲法観もあり得る。後はどちらがいいのかという話だ」と述べた。
 倉吉市駄経寺町の倉吉未来中心では、「県中部・九条の会」の発足2周年の集いがあり、約80人が参加した。会員らが1年前に結成した「中部九条バンド」が70年代のフォークソングをアレンジした曲に歌詞を付け、「憲法を大切にしよう」と訴えた。続いて、県九条の会の浜田章作事務局長が講演し、「各種の世論調査で『憲法9条は変えないでおくべきだ』と考える人の割合が増えている。九条の会の学習会などの成果だ」と話した。
 米子市錦町1丁目の「ふれあいの里」では、憲法改悪反対西部地区共同センターなどが講演会を開催。約80人を前に、岩国基地(山口県岩国市)への米空母艦載機の移転に反対する同市の「住民投票を力にする会」の吉岡光則・事務局長(62)が、米軍再編をめぐる憲法上の問題点などを話した。

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