“帝大教授の戦災日記”

昨日の「東京新聞」(2008年8月15日付)夕刊の文化欄に、音楽評論家の東条碩夫氏が、「帝大教授の戦災日記」と題して、父上である東条健二・東京帝国大学名誉教授の戦時中の日記のことを書かれている。

手帳にびっしりと書き込まれていて、東京大空襲の様子も非常に詳しく記してあるそうで、碩夫氏は「焼夷弾攻撃にいつ襲われるかも分からない状況下にもかかわらず細かい観察をしているところは、学者ならではの几帳面さかも知れない」と述べておられる。

目黒駅近くにあった碩夫氏の自宅も、45年5月の山の手空襲で、蔵座敷を残して全焼されたそうだ。

しかし、なによりも健二氏を落胆させたのは、戦争で若者の命が奪われたことであった。43年に南方調査に出かけたときに、比較的安全と思われた船便で助手を先に帰したところ、その船が米潜水艦の攻撃を受け、助手の方は行方不明に。また、碩夫氏の御長姉も、空襲、勤労動員のために満足な治療もできず、戦後まもなく腎臓病を悪化されて亡くなられたという。

碩夫氏は、最後に次のように結ばれている。

 終戦の年に6歳だった私には、当時の記憶は断片的でしかない。先人の日記は、戦争中の人たちがどのよう生き、悲しんだかを、まるで眼前にみるように再現してくれる。歴史を風化させないためにも、それらを後世に伝える責任がわれわれにはあるだろう。

父上が残された日記は、家族にとっては特別のものであろうが、碩夫氏は、問題を家族の枠にとどめず、戦争を体験し、戦争で犠牲となったすべての人々の体験、経験を、いま生きる私たちがどう受け止めるかという問題に普遍化されている。まったく同感である。

東京の空襲というと、3月9日夜?10日未明の東京大空襲がよく知られているが、5月24日?26日にかけて、赤坂、渋谷、目黒、荏原、品川、麻布、渋谷、中野などに、いわゆる「山の手空襲」があって、4,000人以上の犠牲を出している。最近、『表参道が燃えた日――山の手大空襲の体験記』[1]という本を読んだが、表参道と青山通の交差点には、空襲の炎にまかれて焼死した黒こげの遺体が数多く残されていたそうである。

『表参道が燃えた日―山の手大空襲の体験記』(同編集委員会刊)
『表参道が燃えた日―山の手大空襲の体験記』

  1. 同編集委員会発行、定価700円。問い合わせ先、株式会社アグネ技術センター内同編集委員会、TEL/FAX:03-3409-0371 []

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