現代の蟹工船 「毎日新聞」で連載始まる

連載「働けど '08<1>小刻みに殺される」(「毎日新聞」2008年8月19日付朝刊)
「毎日新聞」2008年8月19日付朝刊から

『蟹工船』の一節を紹介しながら、低劣な条件で働かされる現在の労働実態を紹介する連載企画が、「毎日新聞」で19日から始まりました。

悲惨な実態を伝えるだけでなく、毎回、どうしたら働く権利が守れるか、簡単な自衛策の紹介もあります。注目したいと思います。

働けど:'08蟹工船/1 小刻みに殺される(毎日新聞)
働けど:'08蟹工船/2 求人広告、甘いワナ(毎日新聞)

働けど:'08蟹工船/1 小刻みに殺される
[毎日新聞 2008年8月19日付朝刊]

◇11年間で11社を転々…うつ病に

 「9月いっぱいで辞めてください。正社員を入れるそうだから」。人材派遣会社のこの言葉、何度聞いただろう。契約は11月6日までのはずなのに。
 昨年8月中旬、埼玉県に住む狗又ユミカさん(34)は「首を切られた」。11年間で11社目。勤務先が変わる度に傷つき、自分には能力がないと落ち込む。
 そんなとき、地元の漫画喫茶で「マンガ蟹工船」(東銀座出版社)を手にとった。原作はプロレタリア文学作家、小林多喜二(1903?33年)の代表作。カニを取り缶詰にする船の労働者が、過酷な労働に怒り立ち上がる戦前の物語だ。

 「周旋屋に引っ張りまわされて文無しになってよ」

 「周旋屋=雇い主と求職者との仲立ちを業とする者たち」と注釈のついた漁師の一言にくぎ付けになった。周旋屋を派遣会社に置き換え、「私のことだ」と思った。
 東京都内の専門学校で生命工学技術を学んだ。「一生働きたくて」研究職を目指し、1年半の就職浪人後、大手企業にパートで採用された。研究用の虫の飼育。時給1000円で年収210万円。残業代は出ないが残って実験し、自費で京都のセミナーに行った。が、4年半で雇い止め。
 この時、ふとひらめいたのが派遣という働き方だ。研究開発の正社員は、大卒以上の募集が多い。「でも派遣なら、研究開発に携われるかも」。実際、登録先からすぐに大手検査会社を紹介された。
 ここから、派遣労働の波にのみ込まれる。「スキルの高い人が欲しかった」と契約を打ち切られたり、無理な技術を求められ辞めざるをえなかったり。8つの派遣会社に登録し10社に勤めた。「研究にこだわったが、正社員のように能力開発もできない。早く見切りをつければよかった」。今はうつ病で療養中だ。

 「今、殺されているんでねえか。小刻みによ」

 「蟹工船」の登場人物のセリフが自分に重なる。思いをしたためて昨秋、小樽商科大と白樺文学館多喜ニライブラリーの主催で行われた「『蟹工船』読書エッセーコンテスト」に応募した作品はこう結ばれている。「私の兄弟たちが、ここにいる」

      *

 山口さなえさん(26)は兵庫県に生まれ、04年3月、関西の美術大学を卒業。翌年2月、電気製品の卸会社に正社員として入社した。手取りは13万5000円、残業代も休日手当もない。半年後、友人に「就業規則があるはず」と助言され、社長に直接尋ねた。翌日から上司のいじめが始まり、数カ月後、伝票の改ざんを指示された。拒否すると、即日解雇。涙が止まらなかった。
 翌日、ネットで調べ地域の労働組合を訪ねると、「パンドラの箱を開けた君が悪い」と門前払いされた。ハローワーク、市の相談窓口、社会保険事務所、労働基準監督署を訪ね歩き、労働局のあっせん制度で金銭的に解決した。「無能」「君が悪い」。会社や相談先で言われた言葉がこだまし、胸が苦しかった。2カ月で体重は10キロ減った。
 一段落すると、門前払いした労組の対応が許せなくなった。「批判するには労組を知らないと」と、勉強会などに参加するうちに個人加盟労組「首都圏青年ユニオン」に出合った。
 近年、非正規労働者の増加などを背景に、個人で加盟できる労組が増えている。首都圏青年ユニオンの河添誠書記長は「労組の組織率が下がり、職場の労組に入れない非正規雇用が増える中、個人加盟の労組は自分の身を守る手段」と話す。
 山口さんは蟹工船のエッセーコンテストで受賞した作品で、個人加盟労組を「『ポスト蟹工船』の物語」と書いた。1人で立ち上がり、仲間が支える。職場内で立ち上がる蟹工船とは違う、新しい連帯の形。解雇をめぐり1人で苦しんだ分、「仲間を見つける人が1人でも増えたら」と願う。【柴田真理子】

      *

 「蟹工船」は今年だけで約50万部(新潮文庫)という空前の売れ行きだ。過酷な労働現場を描いた小説がこれほどの共感を集める現象は、経済大国・日本の迷走ぶりを象徴しているようだ。痛みを伴わずには働けない、働いてもなかなか報われない厳しい現実を、「蟹工船」の一節を交えて伝えたい。=つづく

◇資料整理、実態記録し自衛を

 3人に1人は非正規雇用という現状を生んだきっかけは、日経連(現日本経団連)が95年に発表した提言「新時代の日本的経営」といわれる。提言では、企業が従業員の増減調整をしやすくするよう、終身雇用や年功序列の見直しを求めた。
 派遣労働も規制緩和が進み対象職種が拡大する中、給与からの違法天引きなどの問題も出ている。自分の身をどう守ればいいのか。NPO派遣労働ネットワーク理事長の中野麻美弁護士は「不当解雇や賃金不払いなどに立ち向かうには、就業条件明示書、雇い入れ通知書、給料明細などの資料を整理しておき、解雇に至る過程や実際の業務時間、内容を書き留めることが大切。働くことは生きること。安定した雇用を求めることは生きる権利だと、自信を持って行動してほしい」と話す。
 労働基準法に基づく相談は労基署、労働者派遣法、パート法などその他の相談は労働局で行っている。労働局には局長が事業者に解決を促す助言・指導、弁護士らが双方の主張を聞いて解決策を示す「あっせん」があり、無料で利用できる。

働けど:'08蟹工船/2 求人広告、甘いワナ
[毎日新聞 2008年8月20日 東京朝刊]

◇「高給」「休み融通」信じ、故郷を出たが

 彼等(かれら)は少しでも金を作って、故里(ふるさと)の村に帰ろう、そう思って、津軽海峡を渡って、雪の深い北海道へやってきたのだった。=「蟹工船」から

 「月収31万円以上可」「賞与30万円以上」「カップル大歓迎」――。有効求人倍率が全国最低の沖縄県。無料情報誌に躍る甘い誘い文句は、職を求める若者たちを闇夜に浮かぶ常夜灯のように強烈に引きつけた。
 那覇市に住む祖慶麻乃(そけいあさの)さん(21)が自宅近くのドラッグストアで情報誌を手にしたのは07年1月。夫清勝さん(23)は鉄筋工で、手取りの少ない月は8万円。麻乃さんも飲食店でパートをしたが月4万円ほど。親や消費者金融から金を借り、家計は火の車だった。「県外で働いて借金を返し、貯金もしよう」と決めた。
 翌月。夫婦で愛知県内の人材派遣会社の求人に応募し、住み込みの派遣労働者として採用された。一人娘の美優ちゃん(4)を連れて故郷を後にした。派遣先は、有効求人倍率が全国最高の愛知県内にある自動車部品メーカーの工場。立ちっぱなしでブレーキ関連部品を作った。
 働き始めて2カ月たった07年4月。派遣会社の担当者から電話で「麻乃さんは来週から工場に来なくていい」といきなり解雇を告げられた。理由を聞くと、「休みすぎじゃない?」と言われた。
 当時2歳の美優ちゃんの看病で2月と3月に各5日間、4月に半日ずつ2日間休んだ。3月に休んだ時には、美優ちゃんが通う保育園でインフルエンザが流行し、美優ちゃんも40度近い高熱とけいれんなどの症状が出た。麻乃さんだけでなく、幼子を預ける母親が軒並み仕事を休んだ。
 すると、沖縄駐在の社員が「子どもを病院に入院させ、工場に出るように」と説得に来た。「子どもの病気でも融通がきくと言ったのに」と拒み、自分で看病した。会社の担当者は、麻乃さんが既に看病で5日間休んだことを挙げ、「こんなに休むとクビになるよ」と口にした。
 しかし、麻乃さんが採用前の面接で「小さい子どもがいても大丈夫ですか」と聞くと、沖縄駐在の社員に「今、愛知にいる人も子連れが多い。子供が病気で休んでも融通がきくから大丈夫」と言われたため安心していた。
 解雇を告げられた時、労働基準監督署に相談した。「解雇証明書」を会社からもらうようにアドバイスされた。予告のない解雇ならば、一定の手当をもらえるからだ。解雇証明書を求めると、担当者は社宅に現れ、別の書面に署名しないと証明書は渡せないと言った。書面に日本語は数行だけで、大半は外国語。せかされて中身をよく見ないまま署名し、書類を渡された。
 書類を労基署に見せたところ、解雇理由が書いていないため、書類は解雇証明書の要件を満たさないと告げられた。署名した書面は「退職届」で、一身上の都合で退職を願い出る内容。外国語はポルトガル語で、工場で働いていた日系ブラジル人用と想像できた。労基署の担当者は「サインしており、手遅れだ」と言った。
 給料も沖縄での説明と違った。面接の際に「家賃などを差し引いても手取りは男性が約20万円、女性約15万円」と聞いた。しかし、夫は多い時でも手取りは13万円。そこから保育園料の5万3000円を払う。ボーナスは夫の約2万円だけだった。結局、夫の実家からさらに借金を重ねた。夫は8月に退職し、家族で沖縄に戻った。
 今年2月、元同僚と計7人で派遣会社や派遣先のメーカーを相手取り、虚偽の求人広告や不当解雇への慰謝料などを求めて名古屋地裁に提訴した。派遣会社側は「給料は沖縄で説明して納得してもらった。休みも融通したが配慮にも限界がある」と主張している。

     *

 沖縄に戻り、夫は再び鉄筋工となった。手取りは15万円ほどだ。麻乃さんはパン屋のパートなどをしたが、2人目を授かり、5月にやめた。生活は楽ではない。「私たちはゴミ扱いでした。こんなことは自分たちで最後にしてほしい」
 沖縄労働局によると、06年度に就職した県民は2万4075人。3割が県外に出て、そのうち63%の4954人が愛知県だ。求人格差に背中を押され、多くの労働者が海を渡っている。【遠藤和行】

◇契約前に労働条件確認して

 全国の6月の有効求人倍率(季節調整値)は0.91倍で、前月を0.01ポイント下回った。景気は後退局面に入ったとみられ、有効求人倍率は低下傾向が続くと予想される。職探しが厳しくなりそうな中で、雇用後にトラブルにあわないためにどんな注意が必要か。
 東京都労働相談情報センターの山本純子係長は「求人広告の賃金などの労働条件は、会社の最も良い条件を載せ、募集職種の条件と一致しないことがある」と注意を促す。
 トラブルの予防には、雇用契約を結ぶ前に労働条件を確認することだ。チャンスは、面接と、その後の契約時がある。契約時には、労働基準法が「企業は労働条件を文書で明示する義務がある」と定めている。にもかかわらず、文書で明示しない会社もある。せめて求人広告を示し、内容を確認する。
 「解雇を通告され、何らかの文書に署名を求められたら、その場では署名せず持ち帰ってよく読むように」と山本係長。解雇ではなく、自主退職や合意の上で契約を終了する内容にすり替わっていることもあるからだ。

【追記】

21日付に連載第3回が掲載されました。次回は26日付。

働けど:'08蟹工船/3 睡眠2時間、昼夜仕事(毎日新聞)

働けど:'08蟹工船/3 睡眠2時間、昼夜仕事
[毎日新聞 2008年8月21日付朝刊]

◇暴力夫から子5人を連れて逃げ

 ……母親が、林檎(りんご)の皮をむいて、棚に腹ん這(ば)いになっている子供に食わしてやっていた。子供の食うのを見ながら、自分では剥(む)いだぐるぐるの輪になった皮を食っている。=「蟹工船」から

 朝5時。疲れ切った体をなんとか持ち上げ、ふとんからはい出る。食べ盛りの5人の子どものために1升の米を炊く。朝ごはん用にごま塩、おやつにみそ、夕食用はふりかけと味を変えて40個ものおにぎりを握る。掃除、洗濯。下2人の子を保育園に送り、8時過ぎに家を出る。
 午前9時から午後5時までアルバイトや派遣社員として働く。時給680円の製造工場のパート、保険外交員、給食センターと職種は次々と変わった。夜も仕事は続く。午後5時半過ぎに保育園のお迎え、午後7時から午前1時まで居酒屋で時給1000円のアルバイト。午前2時に帰宅、就寝は3時を過ぎる。
 福島市在住の西脇佐知子さん(42)=仮名=は、こんな暮らしを10年近くも続けてきた。
 19歳の時、10歳年上の夫と結婚した。夫が脱サラして始めた会社は5年後に倒産。借金取りと夫の暴力が毎日続いた。12歳の長男から3歳の長女まで5人の子どもを連れて逃げた。西脇さんは婦人相談所に入り、子どもは養護施設に預けた。
 「子どもと一緒に暮らしたい」と、独身寮の管理人として住み込みで働き、1年後、6畳2間に4畳半のキッチン、風呂つきの木造アパートを借りた。家賃は月4万7000円。
 「月20万円あれば暮らせると思い、子どもを迎えた。でも朝から夜中まで働き、児童手当の5万円を加えても届かなかった」。修学旅行費、入学金などの出費は本当に困った。消費者金融に150万円の借金が残った。
 今は市民団体で事務職として働き、休日は旅館の仲居をする。正社員を望んで40社近く入社試験を受けたが、採用を断られた。「地元は就職口そのものが少ない。資格もスキルもないので、よくて契約社員になれるかどうか」とつぶやく。
 長男と次男が相次いで専門学校を卒業し、東京へ出た。高校生の2人の息子もアルバイトで家計を支えてくれる。「少しだけど、余裕が出てきた。でも老後を考えると、やはり社会保障がしっかりしている正社員になりたい」。調理師免許やパソコン3級の資格を取った。今は簿記3級に挑戦している。寝る間を惜しんで働いても楽にならない生活をいつか変えるために。【小川節子】=次回は26日掲載

◇母子世帯、平均年収213万円

 女性の正規雇用者は全体のわずか3割。パート・アルバイトの割合は年々上昇し、85年の32%から07年は53%に増えている。母子世帯の平均年間収入(05年)は213万円で全世帯の平均収入を100とすると38と低い。
 母子家庭を支援するNPO法人「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」理事の赤石千衣子さんは「ここ3、4年間で暮らしはさらに悪化している。パート・アルバイトで時給600円台の最低賃金で働かざるをえない人が増えている。いまやダブルワークからトリプルワークの時代。母子家庭の女性たちは今生きるのに精いっぱいで将来の年金保険料を払う余裕もない」と話す。

働けど:'08蟹工船/4 正社員も使い捨て(毎日新聞)
働けど:'08蟹工船/5 日雇い、漂泊10年(毎日新聞)
働けど:'08蟹工船/6止 「安心」求めて団結(毎日新聞)

働けど:'08蟹工船/4 正社員も使い捨て
[毎日新聞 2008年8月26日 東京朝刊]

◇店長昇進、残業代なしで月300時間労働

 お前なんぞ、船長と言ってりゃ大きな顔してるが、糞場(くそば)の紙ぐれえのねうちもねえんだど=「蟹工船」から

 「私はただ普通に働きたかっただけです。正社員になって自分で将来をひとつひとつ積み上げ、築き上げたかっただけなのです」
 コンビニエンスストア「SHOP99」の元店長で、未払い残業代やうつ病になった慰謝料計約450万円を求めて提訴した清水文美(ふみよし)さん(28)=東京都八王子市=は7月16日、東京地裁八王子支部で開かれた初弁論でそう訴えた。いわゆる「名ばかり管理職」の一人だ。
 清水さんは高校卒業後にフリーターとして8年間過ごした後、06年9月にSHOP99を経営する九九プラス(本社・東京都小平市)に入社した。念願の正社員。わずか9カ月後の07年6月に店長に昇進したが、待っていたのは月300時間を超す長時間労働だった。
 清水さんの出勤記録によると、同年8月は▽7日23時間半▽8日23時間▽9日16時間45分▽10日22時間と、4日間の労働時間が85時間を超えた。棚卸し、レジ打ち、商品の発注や管理。正社員は店長1人のため、アルバイトの人繰りがつかなかったり、トラブルがあれば、休日や深夜も関係なく呼び出されて穴埋めに入った。それでも「店長は管理職」として残業代は支払われず、手取りは月21万円程度と、一般社員のころに比べ最大約8万円下がった。
 昨年7月に精神科でうつ病と診断された。疲れているはずなのに眠れない。「死んでしまうのかな」。それでも「もうフリーターには戻りたくない」という一心で働き続けた。医師の強い説得で休職したのは3カ月後。周りの店長も次々と辞めていた。
 清水さんは休職するまでの日々を振り返り、「野菜の皮むき器のように自分の命を削っているようだった。商品の低価格は店長の犠牲の上に成り立っていることに気付いた。裁判を通じて異常な長時間労働をなくし、普通に働くことを実現したい」と語る。
 同社は「裁判で係争中なのでコメントは差し控えたい」と話す。

   *

 神奈川県在住の岡田秀明さん(40)=仮名=は大学を卒業後、主に営業マンとして働いてきた。しかし、転職を重ねるうちに短期間で一方的に解雇されることが増えていった。「中途採用の営業は使い捨て。中小では人を育てる前に、経営が苦しいから切ればいいという考えだ」と嘆く。
 05年10月から約9カ月勤めた医療機器メーカーの東京支店では、数人で東北から北陸までの約50の病院を担当した。社員20人程度の会社は、創業者社長によるワンマン経営。手取りは28万円ほどだったが、就業規則を見たこともなかった。
 機器の故障などがあれば、営業マンが病院に向かい、部品の交換などを行った。社長の指示で移動はすべて車。青森県八戸市にも東京から約8時間かけて行った。1カ月のうち2?3週間は家に帰れず、車で病院を転々とした。「長時間の運転→病院→ホテル」の繰り返しだった。
 東北への支店開設を要望しても、社長は「そんなことをしたら会社がつぶれる」。支店に修理担当の配置を求めると、岡田さん自身が本社で修理技術を学ぶよう命令された。拒否すると解雇を通知された。個人加盟労組「東京管理職ユニオン」に支援されて東京都労働委員会の救済を受けた。約50万円の解決金で和解し、退職した。
 その後入社した会社でも1カ月や3カ月単位で結果を求められ、「売れないのは君のせいでしょ」などと一方的に解雇された。経営状況が悪いことを理由に社会保険に加入させてくれなかったり、雇用契約書を渡してくれないこともあった。
 職探しを始めて3カ月。年齢と転職歴の多さが災いしてか、何枚履歴書を送っても面接にたどりつけない。
 「若い人には、隣の芝生は青く見えることもあるけど安易な転職はしない方がいいと、言いたい」。過去への後悔と将来への不安が不惑の心をかき乱す。だが、人と話す時、笑顔だけは絶やさない。「なぜって? 営業マンですから」【小林多美子】=つづく

◇労働審判手続きで紛争解決迅速に

 人件費抑制の動きが広がる中で、正社員に人手不足やサービス残業による長時間勤務など過剰な負担がかかっている。
 「人が壊れてゆく職場」(光文社新書)の著書がある笹山尚人弁護士は「労働基準法など労働関連法がきちんと守られていれば、労働者には▽1日8時間、週40時間を超える労働時間の制限▽時間外労働への残業代の支払い▽有給休暇の取得▽契約の一方的な不利益変更は認められないこと??などが保障されている。だが、多くの職場で守られていないのが実態だ。自分の置かれた労働環境がどの程度の違法状態かを知ることは大事」と話す。
 労組と雇用者の紛争を解決する各都道府県労働委員会の審査や裁判以外で、個別の労使紛争の解決手段として笹山弁護士が勧めるのが、06年4月に創設された労働審判手続きだ。
 地裁に申し立てると、裁判官である労働審判官1人と民間から選ばれた労働審判員2人による労働審判委員会が労使に調停を試みるか、審判で解決策を提示する。原則として3回以内の期日で審理するため、裁判よりも迅速だ。「少額のケースでも短期間での集中的な審理による解決が可能」という。07年の申し立ては全国で1494件に上る。

働けど:'08蟹工船/5 日雇い、漂泊10年
[毎日新聞 2008年8月27日 東京朝刊]

◇限界感じ脱出…畳で「大の字」に万感

 てんでんばらばらのもの等(ら)を集めることが、雇うものにとって、この上なく都合のいゝことだった。=「蟹工船」から

 「ネットカフェで暮らした10年、リラックスしたことは一度もない」。埼玉県の中島孝さん(45)=仮名=は日雇い派遣で食いつなぎながら、昨年7月まで続けた長い漂泊生活を振り返る。
 きっかけは離婚だった。妻と2人の息子を残し、住んでいた賃貸マンションを出た。運送会社で月収約30万円の正社員だったが、うまい話を持ちかけてドライバーを集める営業の仕事が嫌で、同じころやめた。
 新たにアパートを借りる蓄えはなかった。引っ越し作業などのアルバイトをし、サウナやカプセルホテル、ネットカフェなどを転々とした。2、3年後、派遣会社計5社に登録した。友人に借りた携帯電話で、翌日の仕事の有無を聞く。「あしたはないよ」。次々に断られると、「寝るところはどうしよう。食べ物は」と焦りと不安に胸が締め付けられた。
 仕事は、倉庫内の仕分けや工場での製品箱詰め、ごみの回収・分別などの軽作業や肉体労働だった。中島さんは「どんな現場でもしょっぱなからガンガン働いた」。派遣先に気に入られるためだ。
 東京都内のごみ分別工場で働いた時。ごみやほこりがたちこめていた。1日働き、「また来てよ」と呼ばれて2日目に行った時、工場の社員が「はい」と手袋とマスクを差し出した。社員が使っているのと同じ丈夫なものだ。派遣先の目にとまれば、小さな役得もあり、指名されれば仕事にあぶれなかった。
 「普通は5000円払っても断りたい仕事。でも、その日の5000円や6000円のために、一生懸命やるのがオレたち」と声に自嘲(じちょう)がこもる。それでも仕事があるのは週に4回ほど。月収は約8万円だった。
 稼ぎは食費や宿泊費に消える。その中から1000円程度は残さなくてはならない。仕事のない日曜に備え、土曜に6000円はないと不安だった。大型連休や正月は1週間ほど仕事が途絶える。年始には「毎日100円浮かせば次の年越しができる」と考えた。金のない時は野宿だ。怖くて眠れなかった。
 家族連れを見るのも苦痛だった。「あの時、家を出なければ」。後悔にも襲われた。しかし、脳裏に浮かぶ息子の姿も振り払った。「生きるのに邪魔になる」。思い出に浸るのはぜいたくだった。
 午前0時まで時間をつぶせば、ネットカフェは5時間1200円の割安料金になる。窓のない1畳ほどの空間。いすの背もたれはいっぱいに倒しても45度。無理に目を閉じても終電を逃した酔客がなだれこむ。外から鍵が掛からず、「シャワーの間に荷物がなくなった」と盗難騒ぎも珍しくない。早朝に出て、コンビニ弁当を買い、仕事に向かう。疲労が蓄積されていく。病気になっても保険はなく、医者に行けない。風邪を押して仕事に行き、あまりの顔色の悪さに帰されたこともあった。

   *

 暑くなり始めた昨年5月、ふと思った。「夏を越せるのか」。全財産は財布の数千円。保証人もおらず、アパートを借りるなど非現実的な夢だと思いこんでいた。「だれもあてにできない」と張りつめてきたが、精神的にも、肉体的にも、限界が近づいていた。
 ネットカフェのパソコンに「ホームレス」「生活保護」と打ち込んで検索してみた。さいたま市で、住居確保などのホームレス支援をしているNPO法人「ほっとポット」を見つけ、半信半疑でメールを送った。代表理事の藤田孝典さん(26)らは、生活保護申請や部屋探しをてきぱきと進めた。他人のために動く人たちに驚いた。
 家賃2万5000円、4畳半一間のアパートに落ち着いた。大の字になって寝ころび、手足を伸ばした。「ああ、10年ぶりだ」。今年から派遣先で倉庫管理の仕事に就き、月収は15万?16万円。生活保護は2カ月計約20万円を受給後、辞退した。
 派遣のままで不安はあるが、生活は格段に安定した。地に足をつけ、少しでも金をためるつもりだ。【亀田早苗】=つづく

◇緊張強いられる短期派遣労働者

 厚生労働省が昨年、派遣会社10社を対象に行った調査結果によると、契約が1カ月未満の短期派遣労働者は1日平均約5万3000人、日雇いは同約5万1000人。短期派遣労働者の月平均就業日数は14日、平均月収は13万3000円だった。
 厚労省の有識者研究会は、禁止業務への派遣や不正天引き、労災多発など問題が多い日雇い派遣の原則禁止を報告書に盛り込んだ。この報告書をたたき台に労働者派遣法の改正案がまとめられ、秋の臨時国会に提出される予定だ。
 NPO「自立生活サポートセンター・もやい」の湯浅誠事務局長は「今日明日を生きるため、人間的な諸権利を放棄するまでに追い込まれるのが派遣労働者。希望を失い、自分を大切に思えなくなるのが問題」と指摘している。また、連合本部は「日雇い労働者は、派遣先が頻繁に変わるため、緊張を強いられストレスをためやすい」として労働相談窓口(0120・154・052)の利用を呼びかけている。

働けど:'08蟹工船/6止 「安心」求めて団結
[毎日新聞 2008年8月28日 東京朝刊]

◇労組結成、請負契約の環境変えたい

 まず第一に、俺達(おれたち)は力を合わせることだ。俺達は何があろうと、仲間を裏切らないことだ。=「蟹工船」から

 「自転車でめしを食いたい」。上山(うえやま)大輔さん(31)は中学生の時、マウンテンバイクに夢中になって以来、そんなあこがれがあった。自転車やバイクで書類などを運ぶ「メッセンジャー」という仕事を知り、バイク便、自転車便の大手「ソクハイ」(本社・東京)に入ったのは20歳の時。何気なくサインした「運送請負契約書」に実は重要な意味があった。
 請負という形態ではメッセンジャーは個人事業主、自営業者とされる。労働基準法など労働関連法は適用されない。事故に遭っても労災保険の給付もない。しかし、午前8時半に営業所に出勤し、朝礼の後、会社の指示で荷物の集配に走る。
 上山さんが疑問を持ったのは06年、全約180人のメッセンジャーのリーダーである役職についた時だ。当時、非正規労働者の組合が生まれ、個人請負が問題になり始めた。報酬は完全歩合制だが、前年に基本歩合率が引き下げられていた。交通事故に遭い、働けずに医療費負担に耐えきれずやめた仲間も多い。「こんな働き方はおかしい」。疑問をぶつけてくる後輩たちを見て、「みんなで変えるしかない」と昨年1月に労働組合「ソクハイユニオン」を結成し、執行委員長に就いた。
 会社は「従業員としての雇用関係はない。組合活動ができるのか」と言った。それでも当初は団体交渉に応じ、「賃金体系の見直し」「労災への加入」などを要求する組合と話し合う余地があるかに見えた。
 しかし、同年12月、会社が団交に応じなくなったとして、労組は労使間の調整をする東京都労働委員会に不当労働行為の救済を申し立てた。上山さんは営業所長だったが、執行委員長として都労委の調査に出席した。会社は、無断で営業所を空け、呼び出しに応じないとして所長を解任。上山さんは20万円を超す役職手当を失った。この件も都労委に救済を申し立て、審査中だ。
 だが、逆風ばかりでもない。昨年9月、厚生労働省が会社から時間的拘束や業務の指揮監督を受けるメッセンジャーには労働者性があるとし、全国の労働局に通達を出した。
 上山さんたちが今年6月、労働基準監督署に3人分の労災申請を行うと、受理された。
 組合を結成し、配送先でも「頑張れよ」と声をかけられる。上山さんは「いい方に動いていると感じる」と話す。
 好きな仕事を続けたい。生活できる収入が得られ、安心して働ける職場に変えたい。上山さんと仲間に共通する思いだ。【亀田早苗】

◇法逃れの手段、後絶たず

 実態は労働者なのに、請負や業務委託などの契約を結ばされるケースが後を絶たない。非正規雇用の問題に詳しい龍谷大の脇田滋教授は「究極の労働法逃れで古くから使われてきた」と言う。顧客に直接派遣される仕事で使われやすく、家庭教師派遣会社がアルバイト講師と「指導委託契約」を結ぶケースも。
 脇田教授は、契約書が「雇用契約」となっているか、残業代は出るかなどを確かめるようアドバイス。契約後なら「自分たちは労働者だと声を上げるしかない。個人が入れる組合もあるので相談して」と話す。

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