最古の万葉歌木簡見つかる


万葉歌が刻まれていた石神遺跡出土の木簡(奈良文化財研究所提供、読売新聞)

「万葉集」というのはすでに存在していた歌を集めたものだから、歌集成立前に、万葉集に収められた歌が見つかってもおかしくはないけれども、それでも、和歌が広く親しまれていた可能性を示す証拠が見つかると、ちょっと感動しますね。

最古の万葉歌木簡、明日香村・石神遺跡から(読売新聞)

最古の万葉歌木簡、明日香村・石神遺跡から

[2008年10月17日 読売新聞]

万葉集の成立考えるうえで画期的な発見

 奈良県明日香村の石神遺跡で出土した7世紀後半の木簡に、万葉集に収められた和歌が、万葉仮名で刻まれていたことがわかった。万葉歌を記した木簡は、万葉集編纂(へんさん)とほぼ同時期とされる滋賀県甲賀市の紫香楽宮(しがらきのみや)(742?745年)跡から出土したものがあるが、それを60?70年さかのぼる最古の例となる。飛鳥時代に万葉歌が詠まれていたことを示す物証となり、歌集がどのように成立したかを考えるうえで、画期的な発見となる。
 木簡は羽子板を逆さまにしたような形で、長さ9.1センチ、幅5.5センチ、厚さ6ミリ。万葉集巻7に収められた「朝なぎに 来寄る白波見まく欲(ほ)り 我はすれども 風こそ寄せね」のうち、万葉仮名で左側に「阿佐奈伎尓伎也(あさなきにきや)」、右側に「留之良奈你麻久(るしらなにまく)」の計14文字が2行にわたって、クギのようなもので刻まれていた。歌の大意は「朝なぎに寄せて来る白波を見たいと私は思うが、風が吹いてくれない」で、作者は不明。
 木簡は奈良文化財研究所の2003年の調査で、溝付近から出土。近くで「己卯(つちのとう)年(679年)」と記された木簡が見つかり、この時期のものとみられる。
 当初、同研究所は右側から読んだため意味がとれなかったが、土器に左側から歌を書く例もあり、森岡隆・筑波大准教授(日本書道史)が左から「あさなぎにきや るしらなにまく」と読め、万葉歌と指摘。「寄る」を「やる」としたのは刻んだ人のなまり、「白波」を「しらなに」としたのは「弥」を「你」に間違ったとみられる。
 石神遺跡は、朝鮮半島からの使節らをもてなした饗宴(きょうえん)施設や役所などがあったとされ、宴席などで詠み上げられた可能性がある。万葉集の成立過程については謎の部分も多いが、森岡准教授は「飛鳥時代には万葉仮名の形で、歌が一定の階層に広く流布していたことがはっきりした。万葉集を編纂する過程で、どのように歌を収め、表記を工夫していったかを知る手がかりになる」とする。
 犬飼隆・愛知県立大教授(国語学)の話「饗宴で詠まれた歌を参加者が書きとめたか、歌を詠み上げる際の下書きだったのだろう。7世紀から歌が1字1音で書かれていたことを実物で証明した」

 万葉集 現存するわが国最古の歌集。全20巻で、天皇や庶民ら幅広い階層の約4500首を収める。恋や自然などを素朴に表現した作風が特徴。745年以降の数年間に15巻と付録が成立し、その後、大伴家持の歌などが加えられて、785年までに編纂作業が終了したと推定されている。

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