今週の「九条の会」(3月7日まで)

全国各地の草の根で活動している「九条の会」のニュースを、インターネットの中から拾い集めてみました。ずいぶんと間があいてしまいましたが、忘れずに続けたいと思います。

九条の会岩国:評論家・富山和子さん招き、あす環境問題講演会/山口

[毎日新聞 2009年3月7日 山口東版]

 憲法9条を守る「九条の会岩国」は8日午後2時から、岩国市のシンフォニア岩国で、評論家の富山和子・日本福祉大教授を講師に招き、環境問題講演会を開く。参加費990円。
 同会は07年5月に発足。広島市立大広島平和研究所の浅井基文所長や作家の早乙女勝元さんを招いて、憲法を学ぶ講演会を開いてきた。
 今回は「水と緑の国 日本?地球環境問題と日本の役割?」と題して、憲法25条の生存権の前提になる自然環境について考えようと、富山教授に講演を依頼した。
 同会事務局は「米軍基地のある岩国では、騒音などの基地公害、埋め立てや愛宕山開発がもたらす環境破壊から目をそらしてはならない。基地を中心にした町づくりではなく、森や川、海を大切にする国づくり、文化としての日本の自然、農林漁業について考えたい」と話している。【大山典男】

14日、京都ジャーナリスト9条の会結成へ 長谷川氏が記念講演

[京都民報 2009年03月07日 10:46]

 元朝日新聞大阪本社編集局長の長谷川千秋さんを迎えて、「京都ジャーナリスト9条の会結成の集い」が14日(土)午後3時から、京都市中京区の「レストランおおたや」で開かれます。
 集いは、落合健二(元朝日新聞大阪本社学芸部長、帝塚山学院大学非常勤講師)、亀井励(元京都新聞編集局次長)、隅井孝雄(日本ジャーナリスト会議代表委員、京都ノートルダム女子大学客員教授)、谷口正一(KBS京都労組委員長)、津田正夫(元NHKプロデューサー、立命館大学教授)、亘英太郎(元毎日新聞論説委員、奈良産業大学教授)の各氏らの呼びかけによるもの。長谷川氏が「選挙報道は国民の『知る権利』にこたえているか」と題して記念講演します。
 長谷川氏の記念講演にあたって、呼びかけ人各氏は「選挙報道に一番大事なことは、『民意の公正な反映』という視点だと思います。日本のマスコミはかつてその観点から、小選挙区導入の企みを阻止する上で力を発揮したこともありました。では、いま大合唱となっている『2大政党』論はどうでしょうか。選挙報道とマスコミの立ち位置を歴史的に振り返りながら、ジャーナリズムが今、必要なことはなにか、を考えてみたいと思います」と呼びかけています。また、「マスコミ、ジャーナリズムに関心のある方、関係されている方の参加をお待ちしています。引き続き懇親会を行います。終了予定は午後7時で、懇親会費は 3000円です」と話しています。
 レストランおおたやは、中京区夷川烏丸通り東入る、京都新聞南側。地下鉄丸太町7番出口徒歩2分。

合併「非核宣言」消えた 新自治体では無効

[asahi.com 2009年03月07日]

 兵器廃絶などを訴える県内自治体の「非核宣言」が合併新市誕生後、無効となっている。新市で改めて宣言していないためだ。旧3市町すべてが合併前に宣言していた南相馬市では、地元の「九条の会」がこのほど、市と市議会に新市としての非核宣言を要望。これを受け、市と市議会は一体となって「非核」以外に20以上ある「無効都市宣言」について議論を進める。(田村隆)

●「再宣言を」南相馬に九条の会

 「日本非核宣言自治体協議会」のまとめでは、非核宣言をしている県内の自治体数は2月1日現在で40市町村。県内全自治体の67、8%にあたる。非核宣言をしていない白河、伊達、南相馬の3市は、合併前の旧市町村では宣言していた。
 非核宣言などの各種都市宣言は、合併で新たな自治体が誕生すると無効になる。このため合併協議会が協定項目で宣言の合併後の取り扱いを決めている。南相馬の合併協は「交通安全都市宣言」「暴力追放宣言」など3市町で計25あった宣言について「新市において定める」としていた。
 非核宣言は、旧小高、旧鹿島両町と旧原町市のいずれも議会が議決。3自治体の中で最も早く85年12月23日に決議した旧原町市議会の「核兵器廃絶平和都市宣言」は、「日本国憲法の精神に基づいて、核兵器の完全廃絶と軍備縮小を全世界に訴え、人類の願いである世界平和の実現を希求し」と宣言していた。
 ところが合併協を担当する市企画経営課によると、非核宣言を含め再宣言したものはないという。理由について同課は「旧3市町の宣言のほとんどが議員提案。議会より先に執行部が提案するわけにもいかなかった」としている。
 同様に再宣言していない白河市の総務課は「旧4市村の一体化を進める途上、宣言の機運が高まるのを待っている状況」という。
 南相馬の要望書は「はらまち九条の会」など4団体が先月16日に提出した。昨年12月定例市議会の平和教育をめぐる一般質問で、青木紀男・市教育長が「非核三原則を含めた平和教育を推進する必要がある」と答弁したのを評価する内容で、改めて宣言することを求めている。
 5日に開かれた市議会全員協議会では、各種宣言を執行部が議論し整理した後、議会でも検討する方針が議会事務局から示され、了解した。

 ■旧市町村が非核宣言していた合併3市と宣言名
(○は非核宣言していた旧市町村)
 ▼南相馬市
(○小高町「非核平和宣言」、
 ○鹿島町「非核平和宣言」、
 ○原町市「核兵器廃絶平和都市宣言」)
 ▼伊達市
(○伊達町「非核平和都市宣言」、
 ○保原町「非核・平和自治体宣言」、
 ○霊山町「核兵器廃絶平和都市宣言」、
 ○月舘町「非核・平和自治体宣言」、梁川町)
 ▼白河市
(○白河市「核兵器廃絶平和都市宣言」、
 ○大信村「非核・平和自治体宣言」、表郷村、東村)

「科学者九条の会・岡山」

[asahi.com 2009年03月06日]

「科学者九条の会・岡山」創立3周年記念講演会 13日16?18時、岡山市津島中3丁目、岡山大文法経10番講義室。自衛隊イラク派遣差し止め岡山訴訟の原告側弁護士らが憲法9条擁護や反戦、平和について語る。無料。科学者九条の会・岡山。

新城などで伊藤和也追悼写真展

[2009.03.03 東日ニュース]

 ペシャワール会は、新城と豊橋で伊藤和也追悼写真展「アフガンに緑の大地を」を開く。新城は新城文化会館で20日から22日まで。豊橋は、豊橋市民文化会館で24日から29日まで。
 伊藤さんは、静岡県掛川市出身。05年6月からアフガニスタンで農業指導に力を尽くし、現地の子どもたちにも慕われていた。
 しかし、昨年8月26日、同国東部ジャララバード近郊で拉致され、凶弾に倒れた。緑の大地を取り戻すために現地の人たちと働いた伊藤さんの在りし日を収めた写真を展示、平和の大切さを訴える。
 ポスターは、菜の花畑で花摘みをする女の子の笑顔とターバンを巻いた伊藤さんの写真。同会では、会場を飾る菜の花と花びんの提供を呼びかけている。
 伊藤さんは、肥料を買えない現地の人たちの農業を支えるために菜の花を勧めた。問い合わせは、新城・奥三河九条の会事務局へ。
 そのほかの問い合わせは、ペシャワール会豊橋へ。

九条学ぶ落語会、6日に「落語de九条」/川崎

[神奈川新聞 2009/03/02]

 落語を通じて気軽に憲法九条について考えてもらおうと、憲法九条を題材とした落語会「落語de九条」が六日、川崎市多摩区登戸の多摩市民館3階大会議室で開かれる。
 同区で講演会などを行う市民団体「たま九条の会」の主催。
 落語家の橘家扇三さんと、同市在住で市内を中心に活躍する寝床家道楽さんが高座に上がり、「井戸の茶椀(わん)」といった古典落語から、創作落語の「生き字引」「長屋の憲法談義」を披露。楽しみながら憲法問題について考えられる落語会になっている。同会の隈部直光代表は「落語会が、憲法問題を身近に感じ、平和について考えるきっかけになれば」と話している。
 午後六時半開演で、前売り券400円、当日券500円。申し込み、問い合わせは隈部代表。

戦時映像で平和考えて

[asahi.com 2009年03月01日]

◆疎開先の風景・やせ細る子… 北区「9条の会」

 戦時中の子どもたちの姿が写る映像を見ながら戦争体験を伝えようと、北区の市民団体が、滝野川会館(西ケ原1丁目)で1日午後2時から「時代を語る会」を開く。空襲の被害を免れた16ミリフィルムには、学校生活や疎開先の様子などが残されていた。「貴重な映像とともに当時の暮らしなどを解説し、平和の大切さを伝えたい」という。(中野真也)

◆きょう上映 手紙展示も

 主催は「西ケ原・上中里『9条の会』」。昨年9月に約60人で発足した。
 戦時中、滝野川国民学校(現・区立滝野川小)に通っていた会員の長(ちょう)恒男さん(76)が、当時の映像をDVDにして持っていた。同級生の父、故・橋本一郎さんが16ミリフィルムで撮影したのをダビングしたものだ。映像が鮮明だったので、地元に9条の会ができたのを機に、多くの人に見てもらう会を企画したという。
 残っていたのは二つの年代の映像だった。
 一つは昭和14?15年ごろに撮影されたもの。約18分にわたり、子どもが着物姿の母親に手を引かれ、都電の走る道を登校するところや、運動会のダンスや騎馬戦、教室での授業の様子などが残されていた。
 もう一つは昭和19年の夏から翌20年の冬にかけて、群馬県の坂上村(現・東吾妻町)の寺に6年生が集団疎開したときの映像で、約14分。子どもたちが乾布摩擦や掃除をする様子や、娯楽として落語を演じたり、踊ったりしている姿などが残されていた。
 会場で映像の解説をする会員の加藤暁子さん(75)は、自身がこの集団疎開に参加していた。「子どもたちがやせているのがよくわかる。親への手紙にも、みんな食べ物のことばかり書いていた」
 映像は昭和20年3月、疎開先から東京に戻る場面で終わっている。加藤さんは「その直後に東京大空襲で下町の本所が真っ赤になるのを見た」と振り返る。続く4、5月の空襲を体験した加藤さんは、地元が被災した様子なども話し、戦争がどんなものだったかを伝えたいという。
 会場には疎開先から子どもたちが親に送った手紙なども展示する。資料代など500円。

中村弁護士「派遣村」のたたかい報告

[京都民報 2009年02月23日 14:01]

 西賀茂・大宮「九条の会」は22日、北区西賀茂会館で結成4周年記念のつどいを開き、55人が参加しました。
 講師の中村和雄弁護士は、自ら参加し相談を担当した「派遣村」の体験から「貧困と人権」の差し迫った課題、「派遣村」の活動が政治、行政、社会を動かした力、その要請に応えざるを得なかった事態をリアルに報告。中村氏は「そこには平和憲法9条、25条などの光がある、憲法を守ることが暮らしを守ることだ」と強調。対決点がはっきりしていると語り、参加者に感銘を与えました。
 「つどい」では、戦争体験と障害者の立場、子どもを育む母親の立場、平和のためにたたかっている青年の立場などから参加者が発言交流し、フィナーレは保育園グループによる訴えと力強いパフォーマンスで幕を閉じました。(S)

太平洋戦争:亀山列車銃撃事件、目撃者2人が証言 九条の会が「学ぶ会」/三重

[毎日新聞 2009年2月16日 地方版]

 太平洋戦争中に亀山市阿野田町で起きた列車銃撃事件について学ぶ会が15日、亀山市西丸町の城西地区コミュニティセンターで開かれ、約50人が参加した。
 事件が起きたのは45年8月2日。国鉄参宮線(現・JR紀勢本線)亀山駅を出発した鳥羽行き列車がアメリカ軍の艦上機による機銃攻撃を受け、多くの死傷者を出した。「亀山市で最大の空襲」といわれているが、学習会を企画した亀山九条の会の岩脇彰さんによると、犠牲者の正確な人数は分からず、名前も2人しか判明していないという。
 学ぶ会は事件の調査を進める第一歩にしようと行われ、当時国鉄の機関助士をしていた市内に住む中根薫さん(80)と当時現場近くに住んでいた津市在住の豊田実さん(76)の2人が目撃体験を話した。
 中根さんは「2機が列車を攻撃した。乗客は列車から飛び降りて藪の中に逃げ込んでいた」と語った。豊田さんは「銃撃直後に亀山駅に行く途中、診療所に入りきれないほどの犠牲者を見て身震いした。今になっても何の供養もなされていないことに胸が痛む」と話した。
 参加者からも次々と手が挙がり、犠牲者の名前や、「首のない子をおんぶした母親が放心状態で歩いていた」などの情報を寄せた。
 亀山九条の会の坂昌寛代表は「事件について調査を進めて本にまとめ、将来は犠牲者追悼のための慰霊碑の建設を働きかけたい」と話しており、事件や犠牲者について知る人を探している。

九条の会が記念集会 草加で22日 4周年、品川氏ら講演
[東京新聞 2009年2月16日]

 市民団体「九条の会・草加」の結成四周年記念集会が22日、草加市勤労福祉会館で開かれる。当日は記念行事として、経済同友会終身幹事の品川正治氏の講演や同市在住の講談師嫩子(ふたばこ)さんの講談がある。
 「戦争のほんとうの恐(こわ)さを知る財界人の直言」などの著書のある品川さんは「戦争、人間、そして憲法九条」と題して講演する。嫩子さんはフリーのアナウンサー、歌手としても活躍。当日は講談「嫩子の日本国憲法」を上演する。
 記念集会は午後1時から。「九条の会・草加」の総会の後、午後2時から記念講演と講談が行われる。参加費500円(高校生以下無料)。

建国記念の日:九条の会が平和訴え 宮崎市でピースウオーク/宮崎

[毎日新聞 2009年2月12日 地方版]

 建国記念の日の11日、護憲の立場で平和を訴える「ピースウオーク」が宮崎市であり、「みやざき九条の会」の会員ら約30人がJR宮崎駅から宮崎山形屋までの約2キロを往復した。「憲法いかして平和・暮らしを確かなものに」と書いた横断幕を掲げ、「九条を変えてはならない」と通行人に呼び掛けながらビラを配った。
 宮崎大学教員の男性(40)は「不況で派遣切りが増えている。仕事のない人が追いつめられて戦争に賛成しないように、平和の大切さを強く訴えたい」と話した。都城市の主婦、蔵元幸子さん(66)は「以前、従軍慰安婦問題ついての講演を聞き、胸が詰まりました。絶対に戦争はあってはならない」と話した。【川上珠実】

イスラエル:ガザ侵攻 きょうガザ支援の緊急市民集会――会津若松/福島

[毎日新聞 2009年2月11日 地方版]

 パレスチナ難民を支援している仙台市の任意団体「パレスチナと仙台を結ぶ会」の石川雅之代表(47)を招いた「ガザ地区封鎖解除を求める緊急市民集会」(九条の会・会津若松西栄町学習会主催)が11日午後2時、会津若松市の若松栄町教会で開かれる。
 ガザでは昨年末からイスラエルによる侵攻が続き、住民約1300人が死亡したとされる。集会では石川さんが93?03年に撮影したガザ地区やレバノンの難民キャンプなどのスライド上映を通じ、侵攻の背景などを探る。
 石川さんは「世界がパレスチナを見捨て続けていることが、悲劇を招いていると訴えたい」と話す。資料代500円。

奈良広陵九条の会:発足2周年のつどい――来月1日、広陵/奈良

[毎日新聞 2009年2月11日 地方版]

 「平和憲法を守ろう」と、広陵町に住む元教諭や医師、宗教家、主婦らが呼び掛け人となって発足した「奈良広陵九条の会」の発足2周年のつどいが3月1日午後1時半から、広陵町笠の広陵中央公民館かぐや姫ホールで開かれる。
 「九条の会」は、作家の大江健三郎さんらが呼び掛け、04年に発足した。奈良広陵九条の会は07年2月17日に発足。同会事務局長の井上弘之佑(こうのすけ)さん(64)によると、現在賛同者は約1400人という。
 2周年のつどいは、大阪大谷大非常勤講師の小牧薫さんが「ラストゲームの時代と今」と題して講演。神山征二郎監督の映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」を上映する。参加協力券一般1200円、60歳以上・障害者・中高校生は1000円。【山本和良】

平和憲法と歴史認識考える 伏見でシンポ

[京都民報 2009年02月09日 13:37]

 「平和憲法と歴史認識を考える」シンポジウムが7日、伏見区の呉竹文化センターで開催され70人が参加しました。主催は結成4周年を迎えた「京都伏見中小業者九条の会」と「憲法9条で21世紀に平和を創る伏見共同シンポジウム実行委員会」。
 オープニングでは伏見30石船遊覧などで知られる龍馬商店街の龍馬会館館長の南条良夫さん(80)が、戦時中、京都駅で出征兵士を見送る際に仲間と小さな声で歌ったというシャンソンの思い出を語り、当時歌った淡谷のりこの「人の気も知らないで」や「雪が降る」などを披露。静かな美声に会場から涙する人もいました。
 中小業者の会の代表世話人吉江達郎さんは開会あいさつで、国民投票法がごり押しされたことに対し、シンポジウムや『日本の青空』の上映会などに取り組んできたことを紹介。「改憲論議は一見静かなようですが田母神発言など危ない動きもあり、この伏見で憲法9条を守るうねりと力をつくっていくことが今大切」と強調しました。
 シンポジウムは「問われる私たちの歴史認識…田母神発言は何を意味するのか」と題して、立命館大学名誉教授の岩井忠熊氏、丹波マンガン記念館の李龍植館長、元陸軍情報将校の人見潤介さん、元京都ノートルダム女子大学の中川慶子教授をパネラーに南法律事務所の岩佐英夫弁護士がコーディネーターを担当しました。
 岩井さんはウソと歪曲でかためた田母神論文を歴史的事実で論破し、政治的背景や危険な役割を指摘しました。李さんは朝鮮から京都へ約3000人が強制連行され、丹波地方の約300のマンガン鉱山で厳しい労働を強いられ、その一人が李さんの父で後世に伝えるために苦労して記念館を開設した経過を話しました。
 さらに強制連行について日本政府は補償どころか謝罪すらしていないと批判。「朝鮮侵略でない」との田母神発言について70%の国土を取り上げ侵し、食料を略奪したことは文字通り侵略だと糾弾しました。
 人見さんは旧満州やフィリピンでの戦争体験をのべました。中川さんは「従軍慰安婦」問題で自民党や民主党の議員らが強制などはなかったとワシントンポストに意見広告を掲載したり、フィリピン現地を訪ね証言を得たことを紹介。「一片の反省も謝罪もせず固執しつづけ国際的にも批判を受けている」とのべ、女性の名誉と尊厳にかかわる今日的問題に積極的に取り組む必要があると発言しました。(仲野良典)

ノーベル賞の益川教授、平和への思い語る

[asahi.com 2009年1月31日13時5分]

 ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大教授(68)は昨年12月にストックホルムで臨んだ受賞講演で自らの戦争体験に触れた。そこに込めた益川さんの思いが知りたくて、戦争とともに始まった半生を聞いた。
 受賞講演では「自国が引き起こした無謀で悲惨な戦争」という表現で太平洋戦争に言及した。開戦前年の1940年生まれ。父は当時家具職人。5歳のとき名古屋空襲に被災した。

 「焼夷(しょうい)弾が自宅の瓦屋根を突き破って、地面にごろりと転がる。家財道具を積んだリヤカーに乗せられ、おやじやお袋と逃げまどう。そんな場面を断片的に覚えている。焼夷弾は不発で、近所でうちだけが焼けなかった。あとから思い返して、発火していれば死んでいたか、大やけどを負っていたと恐怖がわいた。こんな経験は子や孫に絶対させたくない。戦争体験はぼくの人生の一部であり、講演では自然と言葉が出た」

 敗戦翌年に国民学校(小学校)入学。校舎は旧日本軍の兵舎跡。銭湯の行き帰り、父から天体や電気の話を聞かされ、理科や数学が得意と思い込んだ。

 「祖父母は戦前、植民地下の朝鮮で豊かな暮らしをしていた。高校生のころ、小学生だった妹が母に、朝鮮での暮らしぶりをうれしそうに尋ねるのをみて、ぼくは『そんなの侵略じゃないか』と怒鳴ったことがあったそうだ。戦争につながるもので利益を得るのは許せないと思っていた」

 58年春、名古屋大理学部に入学。日本人初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士の弟子の坂田昌一氏が教授を務める素粒子論教室で学んだ。

 「家業の砂糖商を継ぐことを願っていた父に、1回だけの条件で受験を許してもらった。その坂田先生は『素粒子論の研究も平和運動も同じレベルで大事だ』と語り、反核平和運動に熱心に取り組んでいた。科学そのものは中立でも、物理学の支えなしに核兵器開発ができないように、政治が悪ければ研究成果は人々を殺傷することに利用される。「科学的な成果は平和に貢献しなければならず、原水爆はあるべきでない」と熱っぽく語られた。私たち学生も全国の科学者に反核を訴える声明文や手紙を出すお手伝いをした」

 67年、名古屋大理学部助手に。大学職員の妻明子さんと結婚した。学生運動全盛の時代。ベトナム反戦デモに参加したり、市民集会に講師として派遣されたりした。

 「とにかく戦争で殺されるのも殺す側になるのも嫌だという思いだった。ぼくのやるべき仕事は物理学や素粒子論の発展で、平和運動の先頭に立って旗振りをすることじゃない。でも研究者であると同時に一市民であり、運動の末席に身を置きたいと考えていた」

 作家大江健三郎さんらが設立した「九条の会」に賛同して、05年3月、「『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」が発足すると呼びかけ人になった。

 「日本を『戦争のできる国』に戻したい人たちが改憲の動きを強めているのに、ほっとけないでしょ。いろんな理由をつけて自衛隊がイラクへ派遣されたが、海外協力は自衛隊でなくてもできるはず。まだおしりに火がついている状態とは思わないが、本当に9条が危ないという政治状況になれば軸足を研究から運動の方に移す」

 ノーベル賞授賞式から約1カ月後、黒人初のオバマ米大統領が誕生した。

 「ぼくは物理屋でいるときは悲観論者だが、人間の歴史については楽観的。人間はとんでもない過ちを犯すが、最後は理性的で100年単位で見れば進歩してきたと信じている。その原動力は、いま起きている不都合なこと、悪いことをみんなで認識しあうことだ。いまの米国がそう。黒人差別が当然とされてきた国で、黒人のオバマ大統領が誕生するなんて誰が信じただろう。能天気だと言われるかもしれないが、戦争だってあと200年くらいでなくせる」(武田肇)

平和の願いをキャンドルに/本牧・山手9条の会が平和行進

[神奈川新聞 2008年12月8日19時0分配信]

 本牧・山手九条の会は8日、太平洋戦争が始まった67年前のこの日に合わせて、横浜市中区内で平和行進を行った。参加者はろうそくと紙コップで作ったキャンドルなどを手に、「憲法九条を守ろう」などと呼び掛けながら歩いた。
 平和行進には、同会のメンバーら約20人が参加。代表世話人の1人・武田兵次郎さん(79)が「太平洋戦争開戦から67年たち、日本を戦争する国にしようという傾向が強まっている。平和な暮らしの願いをともしびに込めて行進しよう」とあいさつした。
 参加者は横浜市中区本牧宮原の山手警察署付近から、同区大和町のJR山手駅前まで約1.5キロを約50分かけて行進した。

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