津村記久子『ポトスライムの舟』再論

津村記久子『ポトスライムの舟』(講談社)

昨日、津村記久子さんの『ポトスライムの舟』について、「描かれている世界は、やっぱり狭いのではないだろうか」と書き、その理由として「作品の中では、主人公が大学を卒業後最初の職場で受けたというセクハラの問題はすでに過去のことになっている」ことを上げたところ、知り合いから、「そのセクハラのことは、同じ本に収録されている『十二月の窓辺』に書かれているよ」と指摘を受けた。

で、さっそく「十二月の窓辺」を読んでみた。なるほど、これは凄まじい。いや、このようなことは今の若者をとりまく職場では“ありふれたこと”なのかも知れない。しかし、それをこういうふうに作品にできるのかと、非常に新鮮に思った。「ポトスライムの舟」よりも、こちらの方がずっと読み応えがあるように思った。

年末の「派遣村」のとき、どこかで誰かが、「いま『派遣切り』だといって大騒ぎしているけれど、女性は昔からそうだった」というようなことを書いていたことがあった。事実、そうなのだと思う。女性は、そういう中で働いて、生活して、したたかに、あるいは、しなやかに生きてきたのだろう。そういう「したたかさ」や「しなやかさ」を、津村さんの作品を読んでいて、あらためて感じた。これはたぶん、男にはできない芸当だと思う(アサオカくんは、それをやっていたけど)。

あらためて、津村さんが「朝日新聞」で語っていたことが非常に実感のこもったものだったのだと思った。

ということで、「描かれている世界が狭い」という先日の評価はまったく不十分で正しくなかったと反省。お詫びして、全面的に撤回したい。

ちなみに、「朝日新聞」で彼女が語っていたのは、以下のとおり。このリアルな言葉に、オイラはちょっとした衝撃を受けた。撤回しておいてなんだけれども、昨日の感想も、そういうリアルさを彼女に強く感じたからこそのもののつもりだったのだが…。

【雇用ショック・インタビュー編】労働は基盤、簡単に奪わないで

[朝日新聞 2009年3月12日朝刊]

 就職氷河期にしんどい就活を経験した私たちの世代は、仕事への変な耐性をもっています。さんざん苦労してとった内定だからと、厳しいノルマや残業、「働かせてやっている」という会社側の見下した態度にも我慢して頑張ってしまう。
 00年に大学を卒業した私も、40社回ってようやく決まった印刷会社で上司から理不尽な指導を何度も何度も受けました。「お前なんか、どこへ行ったってだめだ」とも言われ、辞めることさえ容易ではなかった。
 結局、9カ月で辞めましたが、「自分は働く資格のない人間なのか」と落ち込み、再就職まで10カ月かかりました。月給は数万円下がりましたが、毎朝早く起きて、満員の地下鉄に乗って通勤することだけで充実感を覚えます。
 失業を経て、働くことは自分を自分で管理できている証し、人間の大切な基盤だと改めて感じました。給料や仕事の内容で、人間の価値が測れるもんでもない。そんな思いで、契約社員の女性を主人公にした「ポトスライムの舟」を書きました。
 執筆は昨年夏で、金融危機なんて想像もしなかった。でも派遣や契約社員の人たちの「基盤」がこんなにも簡単に奪われていいものでしょうか。会社が、私たちの「耐性」の足元を見ているのではないかとさえ思います。景気が悪くなったのは、契約社員の能力が低いからでも、頑張りきれないからでもありません。そのことだけはみんなにわかってもらいたい。(聞き手・池田孝昭)

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