今週の「九条の会」(4月4日まで)

全国各地の「九条の会」の活動の様子を伝えるニュース記事を、インターネットから拾い集めています。

「九条の会」呼びかけ人の奥平康弘さんのインタビューが、「毎日新聞」大坂版3月16日付夕刊に掲載されました。

九条の会:鶴林寺住職が講演、高砂で11日総会/兵庫

[毎日新聞 2009年4月3日 地方版]

 高砂市の「九条の会たかさご」が11日午後2時から、市文化会館(高砂町朝日町)で第4回総会を開く。憲法改定発議が可能となる国民投票法施行を来年に控え「平和憲法の意義を訴える」という。
 会は05年10月、作家の井上ひさしさんらが発表した「九条の会アピール」(04年6月)に賛同して結成。月1回の学習会で憲法や平和問題について考えている。総会では、鶴林寺(加古川市)の幹栄盛住職が「憲法9条のこころ」と題して記念講演する。東播センター合唱団の演奏もある。入場無料。【成島頼一】〔播磨・姫路版〕

戦争の悲惨さ 体験交え訴え 網走の菊地さん 釧路で講演 「犠牲者の記憶後世に」

[北海道新聞 03/30 13:59]

 戦争放棄をうたう憲法第九条の堅持を呼びかけている「釧路市鳥取地域・九条の会」(三本(みもと)昭・代表世話人)は29日、コア鳥取で学習講演会を開き、網走市在住の文筆家で「網走歴史の会」代表の菊地慶一さん(76)が「沖縄戦と北海道空襲」と題して講演、戦争の悲惨さを訴えた。(斎藤与史希)

 菊地さんは旭川生まれ。教員を務める傍ら在野の郷土史家として長年活動、北海道空襲や知床の戦後開拓などに関する著作がある。
 北海道空襲は太平洋戦争末期の1945年7月14、15の両日、米軍機が道内各地を襲った攻撃。菊地さんのまとめによると釧路、根室、函館、室蘭など道内79市町村が被害に遭い、死者は推定で計1,958人に達する。子供時代を釧路で過ごした菊地さんは13歳で空襲を体験した。
 講演には約50人が参加。菊地さんは炎上する当時の釧路、根室市街の写真などをスライドで示しながら「釧路では、死者192人のうち5歳から15歳までの子供が約4割の76人だった」と指摘。「戦争は子供、老人、女性など『銃後』の弱者に大きな犠牲を強いる」と話した。
 沖縄戦(45年3?6月)にも言及。沖縄では約4,000もの戦争犠牲者の遺骨が未収骨だといい、沖縄で収骨経験がある菊地さんは「国家がいわば『棄骨(きこつ)』をしてきた結果だ」と日本政府を批判した。
 「泣き声がうるさい」と米兵に脅され、乳飲み子を自分の乳房で窒息死させた母親の話などを紹介しながら、「人は戦争で一度死に、人々の記憶から消えることで二度目の死を迎える。戦争犠牲者を二度殺してはいけない」と話し、「一人一人の記録を語り伝えていくことが私たちの仕事だ」と訴えた。

唐崎9条の会:戦火に苦しむイラクの様子を講演――大津/滋賀

[毎日新聞 2009年3月30日 地方版]

 憲法9条を守る活動に取り組む「唐崎9条の会」は29日、大津市唐崎2の唐崎市民センターで「3周年のつどい」を開いた。イラク戦争の取材を続けるフリージャーナリスト、西谷文和さんが、戦火に苦しむ現地の人たちの様子を報告した。
 同会は、06年3月に結成、講演会やピースウオーク、文化祭での展示を行ってきた。
 つどいには、約50人が参加。西谷さんは「忘れない!!イラク&ガザの悲劇」と題して講演。今年2?3月にかけて、現地で撮影した映像を交えながら、米軍の劣化ウラン弾の影響とみられるがんの子どもたちが増えていることや、空爆などで亡くなった人を埋葬する場所がなく、公園が墓地になっている現状を説明、関心を持つよう訴えた。【南文枝】

講演:97歳の現役医師・日野原重明さん、平和憲法テーマに銀座で31日/東京

[毎日新聞 2009年3月29日 地方版]

◇恨みが恨み呼ぶ大人の戦争

 聖路加国際病院理事長の日野原重明さん(97)が31日、中央区銀座2の銀座ブロッサム(中央会館)で、憲法9条をテーマに講演する。現役医師としてそれぞれの命に向き合う傍ら、「子どもたちに平和のメッセージを伝えることが私の使命」と日野原さんは言う。
 「恨みが恨みを呼んで報復の連鎖を断ち切ることができない。それが大人の戦争だ」と日野原さん。小学校などでの出前授業では、「自分のごとく相手を恕(ゆる)す勇気を」と説いている。
 牧師だった父が戦前、戦中に広島女学院(広島市)の院長を務め、「原爆で多くの生徒たちが犠牲になったことを父は深く悲しんでいた」と振り返る。「人にはみな赤血球があり、白血球がある。いわば同じ泉からできている」。医学的に見ても、「予防医学で大切なのはきれいな空気や水。最高の公衆衛生は戦争がない状態だ」と強調する。
 当日は、命や平和憲法に込める自身の思いなどを語る。在日コリアンのピアニスト、崔善愛(チェソンエ)さんがショパンの「幻想即興曲」などを演奏するほか、女優の吉永小百合さんのメッセージも紹介される。
 午後1時半から。1300円(当日券)。問い合わせは、女性「九条の会」へ。【明珍美紀】〔都内版〕

仙台空襲忘れない 14人の体験生々しく 冊子を発行

[河北新報 2009年03月26日木曜日]

 宮城県の学者らでつくる「みやぎ憲法九条の会」が太平洋戦争中の1945年7月10日にあった仙台空襲の体験者の話を集めた冊子を出した。空襲で家族を失った女性ら14人の体験談を掲載。会は「戦争を知らない世代の人に読んでもらい、戦争の悲惨さを知ってほしい」と話している。
 A5判で114ページ。当時31歳で国民学校の教師だった女性は空襲で夫と2人の子どもを亡くした。自分は被災地から離れた学校にいて難を逃れ、空襲の翌日、防空壕(ごう)の中で家族の遺体と対面した。
 「上空から焼夷(しょうい)弾が雨のように降り、仙台は火の海だった。家族を死なせてしまったのにわたしだけが生き延び、何十年か苦しんだ」と自責の念を記している。
 空襲を受けた時、国民学校の児童だった70代の男性は「焼夷弾が避難先の防空壕のそばに落ち、手の皮膚に樹脂の塊が付いて大やけどをした。やけどのあとは今も残り、自分にとって戦後はまだ終わっていない」とつづっている。
 冊子は空襲の焼失区域の地図を付け、体験談と照らし合わせて読めるようになっている。
 会は2008年に小冊子「語りつぐ『私(わたし)の戦時体験』」を発行し、今回がシリーズ2冊目。会事務局の池上武さん(67)は「仙台でこんな悲劇があったことを多くの人に伝え、戦争を繰り返さないようにしたい」と話している。
 冊子は400円で注文販売している。連絡先は九条の会022(728)8812。

入港計画反対を決議 いしがき女性9条の会

[八重山毎日新聞 2009年3月24日]

米艦船寄港で

 いしがき女性9条の会(大島忠枝事務局長)は22日の定期総会で、在日米海軍の掃海艦入港計画に反対する決議をした。
 4月3日から5日にかけて計画されている掃海艦2隻の寄港について決議は「入港目的の友好・親善は一方的にできるものではない。双方の理解と信頼があってこそ成り立つ」と指摘、「有事を想定しての事前調査を既成事実化するためと受け止めざるを得ない」としている。あて先は在沖米国総領事、首相、外相。
 大島事務局長はあいさつの中で「市長も反対しているのに強行しようとしている。絶対反対の運動を展開していこう」と呼びかけた。

今治空襲:高校生が調査、講演で平和学習報告――今治明徳高矢田分校/愛媛

[毎日新聞 2009年3月23日 地方版]

 平和学習をする今治明徳高校矢田分校(今治市阿方)生徒らの講演「戦災の真相を追って見えてきたもの」が22日、同市旭町1の市河野美術館であった。憲法9条の大切さなどを訴える「9条の会・今治」(同市別名、約600人)が主催し、市民ら約50人が参加。
 同校の「平和学習実行委員会」メンバーの1、2年生5人と、同委員会顧問の藤本文昭教諭(45)が報告した。竹田一生さん(2年)らは1945年4、5、8月の計3回で575人以上(同校など調べ)が亡くなった「今治空襲」の体験談などをまとめた映像を紹介した後、「平和を守るのが自分たちの務め」などと結んだ。藤本教諭は戦後の英語教科書の「戦争と平和」をテーマにした記述の研究成果を明らかにし、「教科書は悲劇の原因を語らない。複眼視点を持った題材の活用を」などと話した。

◇慰霊祭で来県したB29元搭乗員死亡

 また藤本教諭は、45年8月の今治空襲に加わり、昨年3月に今治市であった慰霊祭を訪れたB29爆撃機元搭乗員のハーセル・リード・バーンさん(85)=米ジョージア州アトランタ市=が今月19日(現地時間)、老衰で亡くなったことも報告した。藤本教諭は「生徒らは『攻撃する側の思い』を聞くというめったにない体験ができた」と話し、冥福を祈った。【土本匡孝】

今、平和を語る:東大名誉教授(憲法研究者)奥平康弘さん

[毎日新聞 2009年3月16日 大阪夕刊]

◇市民社会を侵食する言論規制

 民主主義の基盤である言論表現の自由が揺らいでいるようにみえる。「九条の会」の呼びかけの一人、憲法研究者の奥平康弘さん(79)は戦前と異なる性質の問題がでてきたと指摘する。表現の自由に詳しい奥平さんに、平和主義との観点から聞いた。<聞き手・広岩近広>

◇平和主義うたう9条が表現の自由の防波堤
◇戦前は軍部と結びついた国家が弾圧していた。今は「調整」名目で制度化し運用に国がかかわる。日の丸・君が代、ビラ配布…中身問わず一網打尽。国家の原理を議論し、憲法の哲学の理解が必要。

 ――表現の自由の新たな問題点とは。

 奥平 最初に押さえておきたいのは、憲法9条が表現の自由を確保するための一種の防波堤になっているということです。なぜなら憲法9条は平和主義をうたっていますから、当然のこととして戦後の自由の一角を支えてきた。
 平和主義の観点で振り返ると、戦前は厭戦(えんせん)あるいは反戦といった平和主義的な議論は、軍部と結びついた国家による取り締まりによって厳しく制限されていました。国家が判断して、国家が決め、国家が処断してきたわけです。戦後の国家はそうした言論の取り締まりをしていません。ところが最近になって、市民社会で起きている問題に対し、この問題の調整をするんだといった名目のもとに制度をつくり、その運用というかたちで国家(権力機関)が出てくるようになった。制度というのは大きい、小さいはありますが、システムとしてまとまることを前提としています。

 ――具体的には。

 奥平 たとえば「日の丸・君が代」の問題です。「卒業式で君が代を斉唱する」と決めた校長の命令を守らないと学校の秩序は成り立たない、そう主張してきます。「日の丸」がどうのこうのという中身の問題でなく、制度としての職務命令なのです。だから実質的な内容を伴わなくても、これは命令だから従わなければいけないとなってしまう。繰り返しますが、戦前はパージであり、特定の者をターゲットにした。戦後はそうではなく、まず制度を決めて、制度のなかで多くの人たちに職務命令を出すのです。職務命令だから、あなたたちは中身を問うべきでない、上下関係にあるのだから従いなさいというわけです。一種の一網打尽主義ですよね、上下関係で落としていくのだから。

 ――2004年3月の都立高校の卒業式で、来賓として挨拶(あいさつ)した元教員が「日の丸・君が代」の強制は異常だと訴え、「国歌斉唱の時はできましたら着席をお願いします」と述べたら、威力業務妨害罪で起訴されました。

 奥平 それだけの発言に対して、学校なり教育委員会が、正当な業務を邪魔している、威力で妨害しているというのですから、これは問題でしょう。なぜなら言論を容易に威力と決めつけているからです。お上が決めた制度が正当な業務であるといっても、ちょっとクレームをつけただけで国家が出てくる、刑法をぶら下げてね。昔はさまざまな法律があって、こうしたことを取り締まってきた。今、出てくるのは住居侵入罪や威力業務罪などで、市民社会に入りやすい刑法を使うのが現代の特徴になっています。

 ――ビラを配布して逮捕される事案が目立ってきました。04年2月には、東京都立川市内の防衛庁官舎でイラクへの自衛隊派遣に反対するビラを配布したとして3人が住居侵入容疑で逮捕され、75日間も身柄拘束されました。1審は無罪でしたが、高裁で有罪、昨年4月に最高裁で有罪が確定しています。

 奥平 これまでは権力の側が取り締まりたくても、そんなことはできなかった。しかし、アメリカとの関係でいえば01年の9・11同時多発テロ事件から、国内でみれば90年代に入って自衛隊の海外派遣をいかにして推し進めるかということにあわせて、こうした取り締まりの動きが一気に出てきた。憲法学者も、そういうことに対して弱かった。きちんとした理論をもって、ちゃんと対応をしてこなかった。ビラの中身を問うものではなく、住居侵入罪という形式犯だから致し方ないとなってしまった。しかも最高裁がお墨付きを与えた。取り締まる側の論理が非常に型通りだと、中身の議論に至らせないうちに、いわば玄関で納得させてしまうから非常に怖い。これは現代の言論取り締まり、表現の自由取り締まりの典型です。

 ――憲法の精神を逸脱しているのでは。

 奥平 現在の憲法は明治憲法と異なり、近代国家を支える哲学があります。ところが、国家がもっている普遍的な原則に必要な原理は何であるのか、その討論をしないできた。国家をつくるとき、一番大事なものは何か、それは自由を確保することでしょう。権利としての自由を確保する、これが第一原理で、このことを前提に、この原則を外さないために憲法がある。ところが「ビラ配布が住居侵入罪」となれば、最初から言論の自由には限界があるというのに等しい。自由は原則である、例外として制裁を科するということは致し方ない、そうであるべきです。残念ながら、そうした構えが裁判所にない、憲法の哲学を理解していないからでしょう。

 ――メディアを規制しようとする動きも、たびたび頭をもたげます。廃案になった人権擁護法案では「過剰な取材」に対して、取材停止の勧告などを行うとしていました。政治家の疑惑追及をかわすためではないか、との批判があったのも当然だと思います。

 奥平 これはマスメディアが悪いのだから、マスメディアを統制しましょう、そうした制度をつくりましょうとなる。国民の名においてマスメディアを統制する、そうした仕組みをつくろうとする。こうなると、かつてのような意味での弾圧でないものだから、非常に闘いにくい、やりにくい。しかも裁判で争うということも難しくなってきている。裁判官は圧倒的に制度の枠組みのなかで処理しようと考えるからです。制度というのは先ほど言いましたように中身の問題でなく、これは命令だから従わなければいけないという論理を持っている。制度のなかで問題が起きたとき、制度そのものを改変するのはおそろしく難しい。(専門編集委員)

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 「読ん得」は今回で終わります。「今、平和を語る」は引き続き連載します。次回は4月27日に掲載予定

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■人物略歴

◇おくだいら・やすひろ
 1929年北海道函館市生まれ。東京大法学部卒業、ペンシルベニア大ロースクール修了。名古屋大助教授から東大社会科学研究所教授、同所長、国際基督教大教授などを歴任して東大名誉教授。「表現の自由」の権威として知られる。「ジャーナリズムと法」(新正社)「いかそう日本国憲法」(岩波ジュニア新書)など著書多数。近著に「憲法を生きる」(日本評論社)。

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