ベルサイユの子 フランスという国の奥深さを考えた

ベルサイユの子

憲法集会と銀座パレードのあと、Cine Switch銀座で、公開されたばかりの映画「ベルサイユの子」を見てきました。(今年4本目)

幼い息子エンゾを連れて、夜のパリの街を寝場所を探して歩く若い母親。ホームレスの支援施設で一夜を過ごした後、ベルサイユ宮殿の森の中で、社会から離れて暮らすダミアンに出会う。翌朝、ダミアンが目覚めると、母親は姿を消していた。残されたエンゾとダミアンは…。

先日、予告編を見たときには、ダミアンの暮らす掘っ立て小屋が火事になったり、ダミアンが病気になりエンゾが助けを求めにベルサイユ宮殿に走っていったり、ということで、捨てられたエンゾとダミアンの交流の話かと思っていたのですが、実際に見てみると、それだけではありませんでした。(^^;)

もちろん、人嫌いのダミアンとエンゾの、恐る恐る近づく姿は見ていて心打つものがあります。しかし、映画を見終わって一番実感したのは、失業者や孤児、ホームレスにたいするフランス社会の接し方というものが、日本と全然違う、ということです。詳しく説明するとネタ晴らしになってしまうので、説明抜きで書いてしまいます。「年越し派遣村」いらい日本でもホームレスにたいする支援ということが大きく取り上げられるようになりましたが、フランスは、もっと大がかりで、おそらく当たり前のようにやられてきたんだろうと思います。失業者の再就職を支援する組織もそうです。まず、このあたりで、フランスという国、社会の奥行きの深さを感じました。

さらに、エンゾを学校に通わせるために、ダミアンがエンゾの「家族手帳」をつくろうとしたところで、フランス社会のふところ深さを実感。日本じゃ、男が市役所にやってきて、「6年前にある女性としばらくつきあったが、6年後に再会したら子どもを連れていた。でも、その彼女は消えてしまった」と説明しただけじゃ、とても子どもの「認知」なんて認められないでしょう。ところがフランスでは、それが認められてしまうんです。なぜか? それは、「認知」の手続きも、あくまで子どもの利益のためだから。

映画の後半に登場するダミアンの父親が、ダミアンとはギクシャクするものの、エンゾをちゃんと受け入れてゆくあたりも、フランス社会のふところ深さを考えさせてくれました。親子で喧嘩していても、子どもは別、子どもは最大限尊重しなければいけない、ということが当たり前のように考えられている。そして、法律や社会がそれをちゃんと支えているから、それができるんだと思いました。「自己責任」が振り回され、行政が福祉を「恩恵」のようにあつかう日本とは大違いです。

エンゾ役のマックス・ベセット・ド・マルグレーヴの愛くるしさはいうまでもありません。ダミアン役のギョーム・ドラパルデューは、名優ジェラール・ドラパルデューの息子。残念ながら、昨年10月に急逝し、これが遺作となってしまいました。母親ニーナ役のジュディット・シュムラも好演。ダミアンの父親を演じたパトリック・デカンが渋い演技を見せています。

公式サイト→ベルサイユの子:Versailles

本作監督ピエール・ショレール氏へのインタビュー記事↓。ただし、ややネタばれなところあり。
ホームレス、失業…悲惨な現実見つめる 映画「ベルサイユの子」ピエール・ショレール監督インタビュー(MSN産経ニュース)

【映画情報】
タイトル:ベルサイユの子 Versailles /監督:ミエール・ショレール/出演:ギョーム・ドパルデュー、マックス・ベッセト・ド・マルグレーヴ、ジュディット・シュムラ、パトリック・デカン/フランス 2008年 113分

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