井村喜代子『「資本論」の理論的展開』(6)

井村喜代子さんの『「資本論」の理論的展開』のノート。まだまだ続きます。今回は第6章。『資本論』第3部第3篇「利潤率の傾向的低下の法則」のなかの、とくに第15章「この法則の内的な諸矛盾の展開」についてです。

第6章 生産力の発展と資本制生産の『内的な諸矛盾の展開」
  ――『資本論』第3部第3篇第15章をめぐって――

はじめに

まず、井村さんの問題意識。

 しかしながら、第3部第3篇についてみると、各章の主題も、資本蓄積論・恐慌論におけるそれらの位置づけも、いまなおけっして明らかになってはいないと思われる。とくに、第3篇第15章「この法則の内的な諸矛盾の展開」は、生産の諸条件と「実現」の諸条件とのあいだの矛盾、「既存資本の減価」(K.III, S.258)、資本の過剰と人口過剰との併存など、きわめて重要な諸問題を取り上げているところであるにもかかわらず、この第15章を貫いている主題はなにか、またそれは第13、14章で説明された「利潤率の傾向的低下の法則」といかなる関連で把えるべきか、第15章を「この法則の内的な諸矛盾の展開」と題するのは正しいかどうかなどについて、なお多くの問題が残されている。(同書、169ページ)

これについて、不破哲三氏は、「恐慌論は恐慌論として読む」[1]ということを提起されていて、相通ずるものがあると思う。

第1節 第15章における不明確な問題

(1)第3篇の構成について

・第15章では、「種々の問題が充分整理されないまま取り上げられており、第15庄司他院も論理構成にも、さらには第15章と第13、14章との論理的連関にも、不明確な諸点が含まれている。(171ページ)
・第15章には、第13、14章で説明された資本の有機的構成の高度化にともなう一般的利潤率の傾向的低下の問題とならんで、あらたに生産の諸条件と「実現」の諸条件との対立・矛盾の問題(以下、「実現」の問題と略する)、「既存資本の減価」の問題、資本過剰と人口過剰の併存の問題などが取り上げられている。
・しかし、第15章では、それら新しい問題と、「利潤率の傾向的低下の法則」の問題とが、いわば渾然と取り上げられており、第13、14章の「利潤率の傾向的低下の法則」の説明から、「実現」の問題などの分析にすすんでゆく論理的な展開が不明確である。
・それゆえ、第15章固有の「実現」の問題などが、一般的利潤率の傾向的低下の問題といかに区別され、いかなる論理的連関をもつのか、明確でない。
・それゆえ、一般的利潤率の傾向的低下の「法則の内的な諸矛盾の展開」と題されているが、第15章が「いかなる意味でそういわれるのかはけっして明らかではない」。

(2)第15章固有の問題と「利潤率の傾向的低下の法則」との関連について

・「利潤率の傾向的低下の法則」という場合、一般的利潤率が傾向的に低下することそれ自体の作用と直接関連をもつのか、あるいは、生産力発展・資本蓄積の進展過程と関連するのかがはっきりしない。(172ページ)

◎「利潤率の傾向的低下の法則」という場合も、第13章と第14章で力点の置き方が異なっている。
・第13章では、生産力の発展にともなう資本の有機的構成の高度化をつうじて一般的利潤率が低下することを「利潤率の進行的低下の法則」(K.III, S.226)と規定。この法則は、ほんらい、社会の総投下資本量にたいする総剰余価値量=総利潤量の比率の低下を意味するものであって、利潤総量の増大を排除しない。マルクスは、一般的利潤率の低下に、資本蓄積=充用資本総量の増大による利潤総量の増大がともなうことを「法則」として強調する(K.III, S.230, 235, 236など)。
・それにたいして第14章では、「利潤率の進行的低下の法則」にたいして「反対に作用する諸原因」が考察される。したがって、利潤率の低下と資本蓄積による絶対的利潤量の増加とが同時に生じるという法則は、「利潤率の傾向的な低下」と絶対的利潤量の増大として「利潤率の傾向的低下の法則」と呼ばれる。
・しかし、「利潤率の傾向的低下の法則」という規定自体、第13章でも第14章でも明確にはされていない。2つの章には力点の置き方の違いがある。

◎第15章では、生産力の発展にともない一般的利潤率が低下することそれ自体とともに、この利潤率の低下をもたらす生産力の発展、資本蓄積の増進過程に論及して、これら両者とならんで、あらたに「実現」問題や「既存資本の減価」などの問題が取り上げあれていく。
・「実現」の問題などが、資本の有機的構成の高度化にともなう一般的利潤率の傾向的低下それ自体の作用によって展開するのか、それとも、それらが生産力の発展過程において展開するのか、ということとは、理論的に峻別すべきもの。しかし、第15章の論述では両者の区別は明らかではない。(173ページ)

・利潤率の傾向的低下それ自体の作用と、生産力の発展過程で生じることとをはっきり区別して。

(3)従来の「利潤率の傾向的低下の法則」の把え方

・従来の『資本論』研究では、議論の大半は、「反対に作用する諸原因」のもとで利潤率の傾向的低下をいかに論証するか、ということに集中。如上の点については、ほとんど検討されてこなかった。
・恐慌論研究においても、きわめて曖昧なままに「利潤率の傾向的低下の法則」を恐慌論のなかで位置づけ、内容が不明確なままに、一般的利潤率の傾向的低下それ自体の作用が、資本蓄積の増進、「実現」問題の矛盾、恐慌の爆発に積極的役割を演じるというような説明がなされていた。(174ページ)

(4)本章の目的

・第15章固有の諸問題を「利潤率の傾向的低下の法則」と曖昧なかたちで結びつけてきた議論を批判。第15章の主題の把え方を明らかにする。
・第15章固有の問題と「利潤率の傾向的低下の法則」との関連の十分なる解明には、資本の有機的構成の高度化にともなう「利潤率の傾向的低下の法則」の具体的、現実的展開の分析が必要。(174ページ)
・重要生産部門において、社会の平均的な資本の有機的構成・一般的利潤率にたいして変化をおよぼすような顕著な有機的構成の高度化が生じた場合、それはいかなる競争のプロセスを経て社会全体の一般的利潤率を低下させるか。(175ページ)
・これは、第3部第2篇第10章の一般的利潤率の形成・生産価格の形成がいかなる競争のプロセスを経ておこなわれるかという問題と関連づけて究明しなければならない重要問題。
・有機的構成の高度化にともなう一般的利潤率の低下は、資本蓄積の運動、「実現」問題にたいして、いかなる作用を及ぼすか。
・「利潤率の傾向的低下の法則」は、資本蓄積の「現実的」な運動においてどのように貫かれてゆくか。

第2節 第15章の主題の把え方――一般的利潤率の傾向的低下の作用との関連を中心として

◎一般的利潤率が傾向的に低下することはそれ自体直接に資本蓄積を促進する作用をもっているか?(176ページ)

(1)マルクス自身は、生産力の発展にともなう一般的利潤率の低下そのものが、直接、資本蓄積を促進するという見解を、部分的にではあるが述べている。(K.III, S.251, S.266-267)
・従来の理解=生産力の発展による一般的利潤率の傾向的低下→資本家間競争の激化→資本の集積・集中の促進→「実現」問題などの進展=「この法則の内的な諸矛盾の展開」、という理解に立って、ここに第15と「利潤率の傾向的低下の法則」との結びつきを求める。(177ページ)
・しかし、利潤率の低下は、反対に作用する諸原因のもとで「ただ傾向として」「長い期間のうちにはっきり現れる」ことを考えると、一般的利潤率の低下が、「率の低下を量の増大によってカバーしよう」というようなかたちで直接個々の資本家に意識され、個別資本家間競争を激化し、資本蓄積と過剰生産を促進していく作用を果たすと考えるのは、理論的に困難である。(178ページ)
・一般的利潤率の傾向的低下それ自体が直接、資本家間競争の激化をつうじて資本蓄積を促進するという作用を重大視することはできない。それを根拠として、有機的構成高度化にともなう一般的利潤率の傾向的低下→資本蓄積の促進→「実現」問題などの深化、というふうに第15章固有の問題を一般的利潤率の傾向的低下と結びつけることは理論的に困難である。

(2)上のような見解は第15章の一部でみられるだけであって、マルクス解釈としても正しくない。(179ページ)

・一般的利潤率の低下に資本蓄積量の増大・利潤量の増大がともなうという命題も、「実現」問題なども、あくまで、生産力の発展が資本蓄積と相互に作用しあう生産力の発展過程のなかで把えるべき。(179ページ)
・マルクスは、資本制生産における生産力の発展過程は、資本家間の競争による刺激と強制のもとで、生産力の発展と資本蓄積とが相互促進的に進展しく過程としてとらえている。(180ページ)
・だからこそ、マルクスは、生産力の発展による一般的利潤率の低下には、充用資本量の増大・利潤量の増大がともなうと主張する。「利潤率を低下させるその同じ原因が蓄積…を促進する」(K.III, S.234)、「利潤率の低下と加速的蓄積とは…同じ過程の別々の表現でしかない」(K.III, S.251)。(181ページ)
・一般的利潤率の傾向的低下の過程が資本蓄積の増進・利潤率の増大の過程であるとしても、それは、一般的利潤率の傾向的低下が、利潤率の低下を利潤量の増大でカバーしようとする資本家の蓄積欲求を促進し、資本蓄積増進の作用を果たすからではない。(181ページ)

(3)第3篇第15章の主題について

・リカードウは、利潤率の低下を土地の収穫逓減法則に起因するものとみなして、利潤率の低下が資本蓄積を停滞させることに「恐怖」や「不安」を感じた。それにたいして、マルクスは、一般的利潤率の低下が一面では資本制生産様式の「制限」であることを認めるが、この利潤率の低下をもたらすものは生産力の発展であり、この生産力の発展過程が生産力と資本蓄積の相互促進的発展過程にほかならない以上、利潤率の低下とともに生産力は発展史資本蓄積は進展していくことを強調し、リカードを批判している。(182ページ)

(4)だから、第15章でマルクスは、一般的利潤率の傾向的低下をもたらす生産力のは点過程が、同時に資本蓄積の増進過程であることを繰り返し強調しつつ、その相互促進的な過程のなかで「実現」問題や「既存資本の減価」問題が必然化することを取り上げている。(182ページ)

第3節 第15章の分析内容の検討

・マルクスは、「実現」問題など第15章固有の諸問題・諸矛盾をすべて、一貫して資本制生産における生産力と資本蓄積の無制限的な発展が、資本制生産の目的である利潤増大の諸条件と対立・矛盾し、生産拡大が利潤増大を目的とする資本の本性によって制限されざるを得ない問題・矛盾としてとらえている。(183ページ)

(1)搾取=生産の諸条件と「実現」の諸条件との対立・矛盾について

・マルクスは、「実現」問題を大衆の消費の狭隘性それ自体や、生産の無政府性による不均衡それ自体から説明してはいない。(K.III, S.255)
・資本制生産では、競争のもとで生産力の発展・生産の拡大がたえずおしすすめられていく傾向があるが、この生産の拡大は同時に他面では、「敵対的な分配関係」と資本の「蓄積への欲求」によって「社会の消費力」を制限していくため、生産力と生産の発展とともに、「生産の諸条件」と利潤の「実現の諸条件」との対立は深まってゆくというのが、ここでのマルクスの説明。(184ページ)
・第15章の最後でも、マルクスは、<1>「少数者の手の中での生産手段の集積」によって、生産手段が「生産の社会的な力に転化する」こと、<2>「社会的労働としての労働そのものの組織。協業や分業」、「労働と自然科学との結合」、<3>「世界市場の形成」をあげ、このようにして発展する巨大な生産力と、「増大する富に比べてますます狭くなっていく基礎、つまりそのためにこの巨大な生産力が作用する基礎と矛盾し、また、この膨張する資本の増殖関係と矛盾する。そこで、恐慌が起こる」(K.III, S.276-277)
・マルクスは、資本制生産が生産力と生産を著しく発展させていきながらも、この発展に照応して消費を増大し、市場の諸条件を照応させていくことができないというところに、資本制固有の「実現」問題とその矛盾を確定し、そこに消費の増大ではなく、利潤の増大を目的とする資本制生産の転倒した本質を強調している。
・このように、「実現」問題は、競争のもとで生産力の発展と資本蓄積との相互促進的な進展が刺激・強制されていく過程において必然化する問題として理解すべきもの。(185ページ)
・ただし、消費力の制限のもとでも、生産力の発展・資本蓄積に対応して生産手段生産部門を中心に市場の拡大・生産の発展がすすむ傾向があるのだから、「生産力が発展すればするほど、ますますそれは消費関係が立脚する狭い基礎と矛盾してくる」と言うだけでは矛盾は明確になっていない。

(2)「既存資本の減価」について

・矛盾はあくまでも労働の生産力の発展と「既存資本の増殖という制限された目的」とのあいだの「衝突」「矛盾」として把えられている。
・生産力の発展は、相対的剰余価値生産の増大、不変資本の諸要素の価値低下とそれらの使用価値の量の多様性の増大などをつうじて、追加資本の形成、資本価値の増大を促進する作用を果たすが、他面で、この生産力発展にともなう不変資本の諸要素の価値低下は「既存資本の減価」をもたらす。
・このような減価が「資本の流通・再生産過程がそのなかでおこなわれる与えられた諸関係を撹乱し、したがって生産過程の突然の停滞や危機をともなう」(K.III, 260)

(3)「資本の過多」について

・まず井村氏は、「資本の過多(プレトーラ)」を「自立して機能できない小資本が増加する問題」(186ページ)としていることに注意。
・もっとも第15章の一部では、「資本の過多」は、有機的構成の高度化による一般的利潤率の傾向的低下のもとで、「利潤率の低下が利潤の分量によって償われない資本」の「過多」と規定されている。(186-187ページ)
・しかし、自立できない小資本の増加は、基本的には、生産力の発展過程で生産の標準的規模が拡大し、標準的生産条件で生産するために必要な最低資本量が増加するという事情によるもの。この問題は、小資本にとっては、自立して生産を営めなくなるという限りで、それ自体資本制生産にたいする制限である。しかし、資本制生産全体でみれば、これら小資本は大資本によって合併・集中されたり、信用を通じて大資本によって利用されることによって資本の集積・生産力の発展を促進する有力な要因になる。(187ページ)
・だから、小資本の自立の困難は、生産力と生産の発展を促進し、「実現」問題を深化するものとして把握する必要がある。

(4)資本の絶対的過剰について

・マルクスは、第3節で、急速な蓄積→労働力不足→賃金(率)騰貴→利潤率下落、という系列を仮定して、追加資本による利潤量の増大がゼロまたはマイナスとなる場合には、資本は「すべての領域」において「絶対的」に過剰となるとして、そこにおける事態を説明する。――損失を転化しあおうとする諸資本刊の激しい競争、資本の遊休・破壊、それにともなう既存資本価値の著しい破壊、商品の販売不能、商品価格の急落、このような資本価値の急激な破壊と価格諸関係の混乱による再生産過程の大混乱・破壊、信用制度の崩壊による再生産過程の大混乱・破壊の激化、労働者の失業とその圧力のもとでの就業者の賃金切り下げ。まさに資本の過剰と労働者人口の過剰との併存。(187ページ)
※ここのあたりの資本の「絶対的過剰」の理解は、よく分からん…。

・労働者に充分な生活手段を与えるためにはまったく過少にしか生産されていないにもかかわらず、利潤の増大を目的とする資本制生産では、追加資本によって利潤が増大しない限り生産は過剰に行なわれたこととなり、再生産過程の撹乱・破壊が生じる。
・しかもこのような再生産の撹乱・破壊によって労働者は失業して生活手段を失い、資本の過剰と労働者の過剰とが併存する事態がうまれる。
・ここに、生産が大衆の消費拡大をかえりみることなく資本の増大のみを目的としておこなわれる資本制生産の矛盾が全面的に暴露されていることを、マルクスは強調している。(188ページ)
・この問題についてマルクスが強調しているのは、利潤率が「生産の拡張や制限を決定する」(K.III, S.269)という矛盾。
・しかし、この問題でも、矛盾の根源が「生産力の絶対的な発展へのこの生産様式の傾向」にあるといわれる内容は充分明らかでない。それは、『資本論』=「資本一般」体系という論理次元に制約されて、「資本の絶対的な過剰生産」を、急速な蓄積の進展→労働力不足→賃金(率)高騰→利潤率下落という系列を仮定して説明するにとどまっていること。現実に「資本の過剰生産」を必然化するプロセスを明らかにしていない。(189ページ)
・「資本一般」体系では、全般的な過剰生産、全般的な利潤率下落が生じるメカニズムは分析対象とはなり得ないため、資本の過剰生産を想定する必要上、労働力不足→賃金(率)の全般的騰貴→全般的な利潤率下落を仮定したのではないか。
・第15章第3節は、資本過剰と人口過剰とが併存する状態を対照としているが、それがなぜ、いかにして必然化するかについては明確にしていない。『資本論』第3部第15章が未完の草稿であるがゆえの不十分さをおくとしても、『資本論』の論理次元では論理的に見て不可能。

(6)従って、「実現」問題など第15章固有の諸問題は、資本の有機的構成の高度化にともなう一般的利潤率の傾向的低下の作用それ自体とは結びつけられていない。(189ページ)
・第15章では、資本制生産における「生産の無制限的な増加、自己目的としての生産、労働の社会的生産力の無条件的発展」が一貫して強調されていて、このような「生産の無制限的な増加」「労働の社会的生産力の無条件的発展」の傾向が、利潤増大・価値増殖のための諸条件と対立し、利潤率によって生産の拡大が制限されるという資本主義固有の矛盾が分析されているのである。(189-190ページ)
・有機的構成高度化にともなう一般的利潤率の低下の問題と、第15章固有の諸問題とは、根本的に共通した問題・矛盾として捉えられていたのではないか。利潤増大を目的として生産力発展・資本蓄積が推進されるにもかかわらず、この生産力の発展過程で、利潤率の低落が生じるという点では、有機的構成の高度化による一般的利潤率の低下も、「実現」問題などによる利潤率の下落も、共通している矛盾として捉えられている。
・しかし、生産・生産力の無制限的発展と価値増殖の条件との衝突によって利潤率の下落が生じる問題と、有機的構成の高度化にともなう一般的利潤率の傾向的低下という問題とは、理論的に明確に区別すべきものである。(191ページ)

おわりに

・マルクスは、第3部第3編第13章において、生産力の発展にともなう資本の有機的構成の高度化によって一般的利潤率が低下することを示したあと、この一般的利潤率の低下をもたらす生産力の発展過程が、一般的利潤率の低下を緩和する諸要因を生み出すとともに、資本蓄積の増進を促す傾向をもっていることを強調したあと、第15章で、この生産力と資本蓄積の無制限的発展過程において利潤増大を目的とする資本生産生産の発展が利潤率によって制限されるという矛盾を、第15章の主題として取り上げていったと思われる。(191ページ)

(1)第15章の固有の諸問題は、資本制生産における生産力・生産の無制限的発展傾向と、利潤増大のための諸条件とのあいだの対立・矛盾としてとらえるべきもの。生産力の発展・資本蓄積の進展のもとでの資本制生産の「内的な諸矛盾の展開」というべきもの。
・一般的利潤率の低下に資本量の増大・利潤量の増大がともなうのは、一般的利潤率の低下それ自体の作用ではなく、生産力の発展と資本蓄積とが相互促進的に進展していくため。(192ページ)
・競争のもとで生産力発展と資本蓄積とが相互促進的に推進される過程が、同時に、一般的利潤率の傾向的低下の過程であるとしても、そのことによって、生産力・生産の無制限的発展傾向と、利潤増大の諸条件との対立・矛盾としてとらえるべき「実現」問題などを、一般的利潤率の傾向的低下法則の「内的な矛盾の展開」と規定するならば、問題の因果関係、問題の捉え方を曖昧にしてしてしまう。
・一般的利潤率の傾向的低下法則の「内的諸矛盾の展開」という表現は、第15章固有の諸問題を、利潤率の傾向的低下それ自体の作用をつうじて、一般的利潤率の傾向的低下それ自体に含まれている矛盾の「展開」と誤解させる点で不適当だ。(192ページ)
・第15章の諸問題を、競争のもとでの「生産の無制限な増加」「生産力の無条件的発展」の傾向と、利潤増大のための諸条件とのあいだの対立・矛盾として捉えるべき。

(2)そのように理解すると、第15章の分析は、それに先立つ『資本論』の諸理論を基礎とし、それらのいちおうの総括という意味をもっているのではないか。(193ページ)
・第3部第3篇第15章でマルクスは、すでに第1部、第2部で明らかにされた資本の運動の諸傾向(「無制限な価値増殖」)が、生産力・資本蓄積の進展と利潤増大のための諸条件の対立、利潤率の下落による生産の制限・混乱・破壊として発現することを示そうとしたのである。(194ページ)

(3)『資本論』の対象領域を超えて、第15章で取り上げられている諸問題・諸矛盾のより「現実的」展開を分析していく仕事が残されている。(194ページ)
・競争のもとでの資本の「現実的」運動において、生産=搾取の諸条件と「実現」の諸条件の対立が深化し、資本過剰と人口過剰とが併存する事態がいかにして生じるのか。それらは産業循環の運動といかなる関連をもっているか。――『資本論』の対象領域を超えた問題として残されている。

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  1. 不破哲三『「資本論」全三部を読む』第六冊(新日本出版社、2004年)、85ページ以下、参照。 []

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