蒸気や圧力で泥をつくる?

『資本論』第13章「機械と大工業」の第8節eで、マルクスは、工場法を導入することによって、かえって生産力の発展が促される、という話をしています。そのなかで、注278がついているところ(ヴェルケ版ページで500ページ)に、陶器の作り方の話が出てきます。

これは、製陶業での技術改良の話を、『工場監督官報告』から引用しているところなのですが、そのなかに、こんな表現が出てきます。(新日本新書<3>820ページ。大月書店全集版620ページ)

蒸気による代わりに圧力によって陶土漿をつくる改良された方法……

陶土漿というのは、陶器用の土に水を混ぜてドロドロにしたものであるとの訳注が、新日本版にはついています。しかし、蒸気で陶土漿をつくるかわりに圧力で陶土漿をつくる、って、いったいどういうことなんでしょうか? どう考えても、よく分かりません。

この部分、大月版では、「蒸発によらないで圧力によって陶土漿(slip)をつくる」となっています。蒸気と蒸発では、全然意味が違ってきますが、それもまた疑問。謎が謎を呼ぶばかりです。

ということで、まずドイツ語。

verbesserte Methode, Töpferbrei (slip) durch Druck statt durch Verdunstung zu machen

Töpf が陶器、Brei が泥で、Töpferbrei で陶器用の泥、つまり「陶土漿」(英語でslip)です。辞書を引くと、Druck は「圧力」、Verdunstung は「蒸発する(させる)こと」となっています(小学館『独和大辞典』)。だから、訳としては、大月版の方が正確だ、ということになります。しかし、蒸発させれば泥は固まってしまうはず。「蒸発」で陶土漿をつくる、というのは、ますます訳がわかりません。(^^;)

この部分は、イギリスの『工場監督官報告書』からの引用なので、英語版の該当箇所を調べてみました。『資本論』第1部の英語版はエンゲルスの監修ですが、出版にあたっては、マルクスが引用したイギリスの『工場監督官報告書』や『児童労働調査委員会』の報告書などは、マルクスの独文から英語に翻訳し直すのではなく、報告書の現物にあたって、そこから引用されているので、ドイツ語の文章で意味がわかりにくいときに内容を確認するのに役立ちます。

で、これがその英文。↓

The improved method of making slip by pressure instead of by evaporation

で、これまた辞書を引いてみると、evaporation は「蒸発」となっていて、直訳してみるとやっぱり、「蒸発の代わりに圧力で slip をつくる改良された方法」ということになります。これで「蒸発」か「蒸気」かという疑問については、「蒸発」が正しいことが確認されましたが、蒸発や圧力で陶土漿をつくる方法とはいったい何なのか、その疑問は残ったままです。

そこでさらに、今度は平凡社『世界大百科事典』で、陶磁器の作り方を調べてみました。

陶磁器

(前略)

【製法と素材】
 陶磁器は原料、成形法、焼成法(温度)、焼き上がったものの硬度、透水性、うわぐすり(釉)の有無、用途などが異なることで多くの種類に分類される。

[原料] 原料としてはケイ石、粘土、絹雲母、長石、陶石などがある。これらの原料の役割を大別して、(1)骨格成分、(2)成形成分、(3)焼結成分とする。骨格成分にはケイ石 SiO2があり、耐熱性、耐食性に優れたものであるが、これだけでは所望の形状に成形することができないので、成形成分である粘土を加える。粘土は水との混合比を制御することで、流動性、可塑性のいずれにもすることができるし、乾燥により一応の機械的強度を与えることができる。しかしケイ石と粘土の混練物を熱処理してもよく焼き固まらない。そこで、高温で融液をつくり粉体と粉体とをぬらし、低温になると固化する成分、すなわち焼結成分が必要である。このための鉱物が長石、絹雲母であり、アルカリを含んでいるため他の鉱物より低温度で融解する。陶石というのは主として絹雲母とケイ石を含むものである。絹雲母は粘土と同じように層状の構造をもつので、成形性においては似たような性質を示し、アルカリ成分を含むことで焼結を促進するため長石と似た性質を示す。

[成形] これらの原料は一般によく粉砕、混合され水とよく練り合わされる。これを坏土(はいど)と呼ぶ。坏土は適宜熟成されたのち、目的に応じた成形法によって成形する。普通、成形法には、泥漿鋳込み、ろくろ成形が用いられる。……泥漿鋳込み法とは、坏土に多量の水を加え、流動性をもたせたもの(これを泥漿という)をセッコウ型に流し込み、一定時間後に型の面に適当な厚さだけ水分が吸い取られて流動性を失った層ができたとき、まだ流動性の残っている部分を流し出すものである。セッコウの壁に付いて残った部分が目的の形状の成形体である。この成形体を乾燥すると収縮してセッコウ型から離れる。経緯を図1に示す。(以下略)

図1というのは、こちら↓。

泥漿鋳込み成形法のプロセス(平凡社『世界大百科事典』より)

で、「泥漿」「陶土漿」とちょっと用語が違うところもありますが、マルクスが、ここで引用している製陶法は、どうやらこの「泥漿鋳込み成形法」のようです。つまり、こういうふうに泥漿(陶土漿)を型に流し込んで陶器を作ることを、slip-makingとかmake slipというようです。slip making とは slip をつくることではなく、slip で陶器をつくることだったのです。

つまり、Töpferbrei zu machen というのは、making slip をマルクスがドイツ語に訳したもので、それは、「陶土漿をつくる」という意味ではなく、「陶土漿で(型を)つくる」「陶土漿を鋳込む」という意味だったのです。

そういうことが分かってくると、「蒸発による鋳込み」と「圧力による鋳込み」というのも見当が付いてきます。

「蒸発による」というのは、陶土漿を石膏の型に入れて、しばらく放置すると、石膏の型に接した部分だけ水分が石膏に吸収されて少し固まる、そこで、残った陶土漿を捨てれば型が取れる、というやり方(平凡社『世界大百科事典』に書かれている「泥漿鋳込み法」)です。それに対して、「圧力による」というのは、実際にどういうふうにやるのかは分かりませんが、圧をかけることで水分を絞って型取りをする、そういうやり方だろうと推測されます。(実際、「加圧型泥漿鋳込み」でインターネットを検索すると、セラミックの形成方法の特許関係を含めて、いっぱいヒットします)

ということで、この部分は「蒸発による代わりに圧力によって陶土漿をつくる改良された方法」ではなくて、「蒸発による代わりに圧力によって陶土漿を鋳込む改良された方法」と訳すのが正解のようです。(^_^)v

ちなみに、河出書房版の長谷部文雄氏の翻訳では、「蒸発による代わりに圧力によってスリップを造形する改良方法」(河出書房『世界の大思想』18、380ページ下段)となっています。makeを「造形」と訳すことで、正解の翻訳になっています。さすが長谷部氏です。[1]

ところで、インターネットを slip makingで検索してみると、こんな動画を発見しました。その名もズバリ、How to Make Slip For Making Potteryですが、残念ながら、こちらは文字どおりslipの作り方を説明したもののようです。(^^;)


How to Make Slip For Making Pottery — powered by eHow.com

【追記】2011/08/21

泥漿鋳込み成形について、写真入りで分かりやすく紹介しているブログを発見しました。

排泥鋳込み成形の技法-隠者の独り言〜和食器通販・引き出物・ギフト-普段使いの素敵な和食器-【菖蒲の隠者】
圧力鋳込み成形の技法-隠者の独り言〜和食器通販・引き出物・ギフト-普段使いの素敵な和食器-【菖蒲の隠者】

  1. ただしこれは河出書房版の話。青木書店版(1954年刊、単行本)では、「蒸発による代りに圧力によってスリップを作る改良方法」(第2分冊、760ページ)となっているので、青木版から河出書房版の間に、長谷部氏自身が気づいたか、誰かから指摘されたかしたのではないでしょうか。 []

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  1. 翻訳というのは、やはり際限のない作業なのですね。
    新日本新書が出たときは集団訳による決定版といわれていましたが…。
     
     ボクも新日本訳を読んでいて分からないときには、大月版や青木版を読むと、「あれ、こっちのが分かるじゃん」と思うことがしばしば。もちろん、よくなっている点もたくさんあると思うのですが…。

     期待しています。

     

  2. ふとめさん、こんばんは。

    このslip makingは、大月版や青木版を読んでも同じだったわけで、どの翻訳がいいかという問題ではありませんが、ドイツ語とにらめっこしながら『資本論』を読んでみると、いろいろと新しく気づくことがいっぱいあって、本当に飽きません。

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